ダヴィド・アラバは今季、レアル・マドリーで2シーズン目を迎えているが、このオーストリア人選手はクラブ史上最高の選手となる可能性がある。
下部組織を過ごしたバイエルンでは2度の3冠達成を果たすと、昨夏に契約を満了。フリーでマドリーへとやってきたDFは、最初のシーズンでスペインスーパーカップ、ラ・リーガ、チャンピオンズリーグの制覇に大きく貢献した。また、今年すでに欧州スーパーカップを勝ち取ることにも成功した。
アラバは『GOAL』の独占インタビューに応じ、コミュニケーションの使い方や父親との関わり、一般には知られていなかった人生の秘密について語ってくれた。
■コミュニケーションは「競技の一部」
Getty Imagesーーアラバさん、バイエルンではピッチで熱心にコミュニケーションを取っていることが有名でした。レアル・マドリーでもそのようにしていますか?
初日からピッチでたくさんコミュニケーションを取っているよ。僕にとってはこの競技の一部だからね。それが僕に求められていることだし、自分自身が求めていることでもあるんだ。
ーー言語面ではどうでしょうか?
ピッチでの指示はスペイン語で、とても上手くいっている。最初の数週間は語学教室で真剣に取り組んだ。基本を素早く学ぶことが僕にはとても重要だった。チームメイトといいコミュニケーションが取れているよ。けど、僕のスペイン語は単独でインタビューを受けるにはまだ十分じゃないかもしれないね。
ーー味方や対戦相手も含めて、あなたのキャリアの中で一番コミュニケーションを取った選手は誰ですか?
トーマス(ミュラー)が最有力だね。ダンテもそれに近いかもしれない。左サイドで守備をするようになった頃、彼が中央で守っていて、僕に大声で指示を出してくれたんだ。彼から多くのことを学んだよ。
ーーマドリーではあなた以外にもリーダーシップを取れる選手はいますよね。
数人が役割を分担している。ルカ・モドリッチ、カリム・ベンゼマ、トニ・クロースがコミュニケーション面の責任を担っている。
ーーモドリッチとクロースは長年カゼミーロと中盤でトリオを形成していました。ですが、今夏にカゼミーロはマンチェスター・ユナイテッドに移籍してしまいました。
彼は1年前の僕と似たような状況だった。だから僕たちはよく話をしたよ。レアル・マドリーに9年間在籍した彼は、新しい挑戦を求めていた。心から活躍を願っているよ。
■父とは毎試合後に会話
gettyーー数年前、あなたはバイエルン・ミュンヘンでもカルロ・アンチェロッティ監督とチームをともにしました。それ以降彼に変化はありましたか?
人としても監督としても、当時と変わらないよ。同じ価値を発揮し続けている。練習とサッカーのスタイルは少し変わったかもしれないけどね。
ーーウリ・ヘーネスとフロレンティーノ・ペレスはそれぞれバイエルンとレアル・マドリーで強い実行力を持っていますが、2人に共通点はありますか?
2人ともそれぞれのクラブのために生きる、強いパーソナリティーを持っている。そして2人ともチームと近い関係でいようとしている。フロレンティーノ・ペレスは毎試合ロッカールームにやってくるし、時々練習の後で選手とおしゃべりしているんだ。ウリ・ヘーネスも同じことをやっていた。彼らにとって、選手たちがどうしているかを知るために重要なことなんだ。
ーー特に、ヘーネスとの関係性は非常に近かったようですね。
僕がバイエルンに加入したのは16歳の頃だ。彼とは最初から非常に特別な関係にあった。彼はよく僕をオフィスに招いて、アドバイスをくれたり、要求をしたりした。「ピッチでもロッカールームでも、もっと責任感を持ってほしいと思っている」と言われたのを覚えているよ。いつでもオープンに、正直に話すことができたんだ。
ーーしかし、昨年夏にはお別れをすることになりました。
最後の試合のあと、彼とカール・ハインツ・ルンメニゲとスタジアムのラウンジでお別れしてきた。長く、上手くいっていた時期を一緒に過ごしていたから、もちろんとても寂しかったよ。
ーーバイエルンから旅立った背景には様々な理由がありましたが、後にSD(スポーツディレクター)のハサン・サリハミジッチが契約のミスがあったことを認めました。最近彼とは連絡を取っていますか?
いや、今は連絡を取っていないね。僕とバイエルンの関係は何も問題ないよ。過去を振り返ることよりも、僕はいつでも前を見ていたいんだ。
ーーピニ・ザハヴィ(代理人)の他にも、あなたはお父様であるジョージから助言を受けていました。バイエルンとの契約延長に失敗し、マドリーに移籍するという激動の時間は、2人の関係にどのように影響しましたか?
僕と父親の繋がりはとても強いんだ。今も毎日連絡を取っているけれど、当時は普段以上に頻度が高かった。フットボールという最もやるべきことに対して頭をクリアにできるように、たくさん助けてくれたよ。
ーーお父様とはサッカーのことについても話をしますか?
僕が17歳の頃から、父はすべてのホームゲームを見に来てくれているんだ。僕はバスに乗ったらまず彼に電話をかける。自分の試合について話し、正直に思うところを言ってくれるんだ。翌日にはスタッツを送ってくれるから、細かいことについても話し合っているよ。
■「僕は音楽とともに成長してきた」
Gettyーーお父様はミュージシャン(※DJ)だったことがあり、あなたの妹のローズ・メイは歌手です。あなたの幼少時代に音楽はどのように影響しましたか?
僕は音楽とともに成長してきた。音楽は家族にとって重要な要素なんだ。子供の頃は四六時中音楽を聴いていた。CDやレコードを、家でも車でもかけていた。音楽、音楽、音楽、といった感じだ。そしてみんなで歌っていたよ。
ーー歌手として生きることは考えましたか?
歌手になることを夢見たこともあったけれど、そうはならないとすぐに気がついたんだ。音楽と同じように、初めからサッカーも愛していたからね。
ーー楽器を弾くことはできますか?
両親はピアノやギターに挑戦させてくれた。才能を引き継いだのは妹だったみたいだけどね。
ーー今でも弾き語りしたりしますか?
ああ、ギターやピアノでやっているよ。
ーー子供の頃、お父様のパフォーマンスを見に行っていましたか?
よく行ったよ。舞台裏や舞台袖、観客席の一番前でも見た。思い出は僕の脳裏に焼き付いている。ウィーンのドナウ島フェスティバルでのパフォーマンスは特別だった。どれだけの人が父さんのことを見ているんだ、と僕には衝撃だった。
ーー今どんな音楽を聴きますか?
ほとんどはヒップホップ、R&B、ワーシップミュージック(※キリスト教賛美のポップス)だね。
ーーマドリーの控え室でかける音楽を決めるのは誰ですか?
カリム(ベンゼマ)だ。いろんなジャンルの音楽をかけているよ。
■ピッチ外での関わり方
Getty Imagesーーあなたと妹さんは、ウィーンでレストラン「DaRose」をオープンしました。いきさつを教えてください。
両親は、僕が食の道に触れたいということを知っていたんだ。あるとき彼らがコンセプトを持って僕にアプローチしてきた。その案が僕はとても気に入ったんだ。だから一緒に家族としてレストランを開くことにした。皆楽しんでやっているよ。ウィーンにいるときは、最初にレストランに連絡するようにしている。
ーー幼少を過ごしたクラブ、オーストリア・ウィーンに『Viola Investment GmbH - Freunde der Austria』という投資プロジェクトの一人として最近関わっていますね。
オーストリアは僕の心のクラブだ。クラブにはとても感謝している。だから大変な時期に助けるということは僕にとって当たり前のことだった。クラブとはとても密に関わっているよ。試合を見たり、関係者と話したりしている。
ーーいずれオーストリアに戻ることは想像できますか?
まだまだ先のことだね。あまり遠い将来のことは考えていない。数年先や、引退後に何が起こるかはまだ分からないよ。
ーーあなたがガラタサライのファンだという噂がありますが、真偽のほどは?
そうだね、ガラタサライにはシンパシーを感じているんだ。子供の頃、ウィーンで毎日のようにギャンブルをしていた。トルコ出身の友達がそこにたくさんいたんだ。だからガラタサライ、ベシタクシュ、フェネルバフチェの3つの選択肢があった。早くから僕はガラタサライを応援することにしたんだ。なぜだったかは覚えていない。ガラタサライファンの友達とイスタンブールダービーをいつも見ていたね。


