チャンピオンズリーグ(CL)決勝のトッテナムvsリヴァプールの開催が6月1日に迫っている。今シーズンのCLでは、準決勝の2試合を筆頭にドラマティックな試合が生まれている。おのずと同国対決の決勝にも好ゲームへの期待が高まる中、『Goal』ではジャーナリストや実況者などに、『自分史上最高のCL決勝』を綴ってもらった。
第3回の今回は、スペイン在住のジャーナリストで翻訳家の江間慎一郎氏。現地で取材した史上初のCL決勝でのダービー、2013-14シーズンのレアル・マドリーvsアトレティコ・マドリーと翌々シーズンの同カード、そしてそこから続く物語を綴る。
文=江間慎一郎
92分45秒、ルカ・モドリッチが右コーナーエリアに置いたボールを右足で叩くと、それから3秒後、宙を舞ったセルヒオ・ラモスがヘディングシュートを放ち、ティボ・クルトワの守るゴールを破った。貴賓席のフロレンティーノ・ペレスは思わず立ち上がり、両手をリスボンの空に掲げている。そう、ここはリスボンにあるベンフィカの本拠地、エスタディオ・ダ・ルス。2013−14シーズンのチャンピオンズリーグ決勝レアル・マドリー対アトレティコ・デ・マドリーの試合会場である。「ここは」と記したのは、記者席で目にしたこの試合が、僕の頭と心の中に残り続けているからだ。
この後半アディショナルタイムの鮮烈なゴールによって、歴史に残るダービーのスコアは1−1に。ディエゴ・ゴディンが先制点を決め、必死にマドリーの猛攻を凌いでいたアトレティコにもはや点を奪う気力がなく、マドリーが延長戦にさらに3点を決めて、チャンピオンズカップ/リーグ通算10回目の優勝、すなわち“デシマ”を果たした。
スペイン首都で記者や翻訳家として活動する僕は、マドリー、アトレティコのどちらのスタジアムにも通い、両クラブのどちらにも愛着を持っているため。だから正直、このダービーはどちらが勝っても良いと思っていた。とはいえ劇的な結末というものには、大きな歓喜とともに、どうしたって大きな失望も生まれてしまう。
アトレティコがリードを奪い、その後に持ち前の堅守を見せていたときには、2002年からチャンピオンズ優勝に遠ざかり、ようやく“デシマ”に手が届くところまでいったマドリーの焦る様子を見ながらフットボールの残酷さを思った。そして危機と逆転劇を好むマドリーの劇的性格を象徴するようにS・ラモスがあの同点ゴールを決めると、アトレティコの悲嘆に暮れる様子を見ながらフットボールのさらなる残酷さを思った。フットボールは、現実の物語だ。そこには報いがあり、また、報いがないのだ。
■2年後に再び実現したCL決勝ダービー

物語は、続く。ここはミラノにあるミランとインテルの本拠地スタジアム、ジュゼッペ・メアッツァ(またはサン・シーロ)。2015−16シーズンのチャンピオンズ決勝で、マドリーダービーは、今一度実現した。今回、報われるべきなのは赤白のチームの方だと思ったが、今一度、その軍配は純白のチームの方に上がっている。
アトレティコは今回、15分にS・ラモスの先制を許したものの、79分にカラスコが同点弾を決めるという逆の展開とした。彼らが追いつく側に回ったことは、歴史の転換点を迎えたようにも感じられたものの、スコアは1−1から動かぬまま延長戦が終わりPK戦に突入。3本目までは両チームともPKを成功させて、先攻のマドリーはS・ラモスが4本目も決めたが、片やアトレティコはフアンフランがシュートをポストに当てしまった。そうしてマドリーの5本目のキッカー、クリスティアーノ・ロナウドが前の4人と同様、自分から見て右、ヤン・オブラクから見て左にボールを蹴り込み、自チームを“ウンデシマ(11回目のチャンピオンズ優勝)”に導いている。
記者席にあるテレビの映像で、マドリーの面々がこれ以上ない満面の笑みを浮かべたのに対し、アトレティコの面々はこれ以上ない悲痛の表情を浮かべた。前者は喜びの感情をその表情や振る舞いに素直に反映させて、後者は悲しみの感情を抑えたいにもかかわらず、唇を震わせ、その瞳から涙がこぼれるのを止められなかった。フェルナンド・トーレスも、コケも、フアンフランも……。コケが試合直後に口にした「僕たちは歴史を変えることはできなかった」という言葉には、重い響きがあった。
アトレティコが欧州最高峰の大会の決勝で敗れたのは、これで通算3度目。1974年のチャンピオンズカップ決勝バイエルン・ミュンヘン戦ではルイス・アラゴネスのフリーキックによって1−0のリードを奪ったが、終了間際に同点弾を許して引き分け、再試合の末に0−4の大敗を喫した。当時の会長ビセンテ・カルデロンは自分たちが“プパス(悲運)”であると自虐的に語ったが、その呼称は後の二つの決勝でもついて回った。フットボールの報われなさは、残酷さは、新たな決勝を戦う度に前回を凌駕する形で襲いかかる。どれだけ血と汗を流しても、届かないものは届かず、その度に涙が流れる。フットボールはまさしく、現実の物語だ。誰かの人生そのものだ。
■悲しみから浮かび上がる、大切なもの
(C)Getty Imagesだがしかし、人生では勝利の甘い蜜を吸うときではなく、こらえ切れない悲しみに泣き伏すときにこそ、本当に大切なものを知らしめる。
ジュゼッペ・メアッツァのメインスタンドにある記者席から見て左のゴールでPKを失敗したフアンフランは、ただ一人で右のゴール裏に陣取るアトレティコファンのもとへ行き、涙ながら謝罪をした。すると同様に涙を流し続けるファンは、あたたかな拍手をマドリーの下部組織出身選手に対する返答として、そのやり取りが行われていることに気づいたチームメートたちが次々にフアンフランを抱きしめた。そこには責め苦でなく愛があった(決勝直後、彼の名前と背番号20がプリントされたユニフォームは、通常の8倍程の売り上げを記録したそうだ)。また僕が敬愛して止まない、アトレティコを追いかけ続けるスペイン人記者アルベルト・R・バルベーロ は、スタジアムで当時10歳の娘ヒメナから送られてきた「何てことないわ。今は、あなたが愛する人たちのことを考えてね」とのメッセージを受け取り、こちらも涙をあふれさせた。
ヒメナは父親のために、試合翌日にアトレティコのユニフォームを着て学校へ行くことも約束していた。そのように最後まで健闘したチームを称えた、存分に誇った子供は、彼女だけではない。試合翌日、僕がミラノからマドリーへと戻ると、赤白のユニフォームを着て学校に向かう子どもたちの姿を、何人も、何人も目にすることになった。愛や絆は消えないどころか、確かに強くなっていたのだ。
■「ここ」で続く物語

物語は、続く。ここはスペイン首都のマドリー。2018−19シーズンのチャンピオンズ決勝が行われる場所である。会場は昨季にこけら落としを迎えたアトレティコの本拠地ワンダ・メトロポリターノだが、アトレティコは出場しない。F・トーレスとガビは1年前にアトレティコを去り、ゴディンと「ガビにビッグイヤーを掲げさせる」と約束したフアンフランも今季限りでの退団を発表した。フットボールは、現実の物語だ。すベてがうまくいくわけではない。しかしディエゴ・シメオネはいまだ大耳を狙い続けているし、来季主将となるコケも今度こそ歴史を変える意欲を口にする。
「ファンには、このチームを信じ続けてほしいと言いたい。アトレティコは信じることを決してやめない。僕たちは信じ続け、戦い続けなくては」
「一つのサイクルが終わるが、これからも日々は続いていく。アトレティコ・デ・マドリーは、いつどんなときだってアトレティコ・デ・マドリーなんだよ」
現在、マドリー中心街の各広場は、リヴァプールとトッテナムのファンに占拠されているが、どこかのバルに入ればアトレティコファンがマドリーファンと笑みを浮かべながら言い争っている。自クラブへの愛と誇り(まあ、少しの愚痴も)を、日々の励みにしている。物語は、今もここで続いているのだ。
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