ロベルト・デ・ゼルビ率いるシャフタール・ドネツクの技術スタッフを務めるパオロ・ビアンコ氏が『GOAL』のインタビューに応じ、ウクライナ脱出を振り返った。
現役時代はカリアリやアタランタ、サッスオーロでプレーした経験を持つビアンコ氏。2015年の現役引退後は古巣のサッスオーロで指導者に転身し、昨夏からはデ・ゼルビとともにウクライナへ渡り、シャフタールで指導にあたっていた。
そんな中、先月よりロシアによるウクライナ軍事侵攻に巻き込まれた。45歳の元サッスオーロDFは当時を振り返る。
「2月19日までトルコでトレーニングキャンプを行っていたが、『何も起こらないはず』と念を押されてキエフに戻った。あの時はウクライナ人全員が何も起こらないことを確信していたんだ。アメリカの情報機関が侵攻を予想していた2月16日、シャフタールの会長はセカンドチームが拠点を置くマリウポリにも足を運んでいた。だが何も起きないと固く信じていたんだ」
「23日の水曜日、ロシア国境に近いハリコフで予定されている試合へ向けた練習を行った。その夜、クラブからホテルに招集されると翌朝にリーグ戦中止が発表されるかもしれないことを伝えられた。指揮官のロベルトも我々スタッフ陣も、リーグの中断が発表されなければウクライナを離れるつもりはなかった。だがその前から、キエフではロシアによる爆撃が始まってしまったんだ」
■閉ざされた地下生活で恐れや不安
さらにビアンコ氏は、数日間にわたったホテルでの待機期間や、列車でのキエフ脱出を語った。
「ホテルで待機している間はロシア軍が到着した場合に備えて準備をしていた。もし誰かに遭遇した場合は、イタリア国旗とパスポートを見せて挑戦的な態度はとらずに下を向いて両手を見せるように言われた。当然、夜は一睡もできなかった。休戦して爆撃がなかった昼間は領事に連絡を取るなどして退避の方法を考えていた」
「何日か経過し、ようやく退避の準備が整った。軍に警護されてホテルを離れた時はこれまでの人生で感じたことのないような解放感があった。何日にもわたって見知らぬ人とともに地下室で過ごし、外部の情報を何も知ることができなくなると、しばらくして恐れや不安さえも感じなくなるんだ」
「だが自分たちの乗った列車がキエフの駅から出発すると悲しく憂鬱な気分になった。そうしている間も、母国を守るために銃を手にして戦っている人々がいたからだ。私はこの5カ月間、特にこの最後の数日間で、ウクライナの人々から多くを学んだ。9時間半にもわたる列車の旅を終えてハンガリーへ到着してからようやく身の安全を感じた。道中では爆撃が行われている場所もあり、真っ暗な中で進んだ時もあった」
最後にビアンコ氏は見通しのつかない今後に言及しつつ、いつかウクライナへ戻れるよう望んでいることを明かした。「サッカーが再開するかも分からず、あのクラブで仕事をできるかどうかは分からない。だがみんなとは再会したい。ウクライナへ戻り、みんなと抱き合いたい。この経験は我々を永遠に結び付けてくれるだろう」と語った。


