22年間アーセナル指揮官を務めたアーセン・ヴェンゲル氏だが、10年早く退任すべきだったと考えているようだ。
1996年からアーセナルを指揮したヴェンゲル氏。2003-04シーズンの無敗優勝をはじめ、3度のプレミアリーグ優勝や7度のFAカップ制覇、クラブ史上初のチャンピオンズリーグ(CL)決勝進出にチームを導くなど、現在のクラブの礎を築いた。しかし、晩年はCL出場権を逃すなど苦しみ、ファンの退任要求も加熱。そして2018年、22年間続いた長期政権に幕を下ろした。
現在は国際サッカー連盟(FIFA)で役職に就くヴェンゲル氏は、ドキュメンタリー『Arsene Wenger: Invincible』の中で「このクラブと自分自身が完全に一体となっていた。しかし、これは私が犯した間違いだった」と話し、2007年に退任すべきだったと口にしている。
「私の致命的な失敗は、私がいた場所を愛しすぎてしまったことだ。後悔している。どこか別のクラブに行くべきだった。時々『あの無敗優勝の後に何かが壊れてしまったのか?』と思う」
「2007年は転換期だった。首脳陣の中に緊張があったと初めて感じた年だった。私はクラブへの忠誠心か、デイヴィッド(デイン元オーナー)への忠誠心かで揺れていた。今でも私は正しいことをしたのかわからない」
また、同氏はアーセナルで指揮官を務めていた際にも数々のオファーがあったことを明かした。
「フランス代表チームに行く可能性もあった。イングランド代表チームからの2度や3度のオファーがあった。2度レアル・マドリーに行った可能性もあった。ユヴェントスやパリ・サンジェルマン、マンチェスター・ユナイテッドからもオファーが届いていたよ」


