2020年3月、第一子となる長男を出産した日テレ・東京ヴェルディベレーザ・岩清水梓。女性にとって出産は、心身ともに大きな負担であることは間違いない。アスリートである彼女が公式戦に戻るまでには、ほぼ2年を待たなくてはならなかった。
22年3月、WEリーグ第12節・AC長野パルセイロ・レディース戦。出産後初のスタメン入りを果たした岩清水は我が子を抱いて入場。男子サッカーでは珍しくない光景だが、日本の女子サッカー選手で出産後に現役を続ける例はまだ少ない。彼女の姿は、女子サッカーの希望のようだった。
「後輩への使命感が復帰のモチベーションになった」ーー。WEリーグ2期目のスタートを控えた今、元なでしこジャパンのキャプテンが、出産を経た心身の変化、そして来たる新シーズンへの期待を語る。
初めての出産はフラストレーションとの戦い「自分が思い描いていた姿では無かった」
母業とプロサッカー選手を両立する岩清水。午前は息子を保育園に送り、帰ってきたら先に夕食の準備。午後、チーム練習に合流。そして、夕方に保育園へ迎えに行き、帰宅後は家事、そして育児を行う。「最近は子どもの体力がありあまっているので眠らせるのも大変(笑)自分は0時前には寝られればいいかなって感じです」と笑うが、どの母親にとっても子育ては苦労の連続だ。生活リズムの変化は、体力だけでなくメンタルにも大きく影響する。もちろん、アスリートである岩清水も例外ではない。
「0歳期から保育園に通っているんですが、何か病気をもらって私に伝染るのを繰り返す時期があって。ちょうどリハビリを終えてチームに合流し始めた時期だったので、しんどかったです。弱っている子どもを見るのも精神的にきついですし、自分の復帰の焦りもあってメンタル的にもしんどかった。
あと、新生児期は2時間おきに起きるんです。自分はアスリートとして特に睡眠は『いい眠り』を追求してきたから、その欲求を満たせないイライラが一番辛かったです。しょうがないことではあるんですが、『どうしたらいいんだろう?』って何回も泣きました(苦笑)。少しパニックのようでもありましたね」
わずかな時間を使って睡眠を確保し、コンディションを整える。「母として成長させてもらった」と話しつつも、フラストレーションは並大抵ではなかっただろう。さらに、不運なことに通常分娩で恥骨を骨折。体幹に力が入らず、選手としての復帰以前に普通の生活を送る体力作りからのスタートだった。グラウンド一周すら思うように体が動かないショックに「正直、自分が描いていた『出産後』ではなかったんですよね」とこぼした。
「理想では出産して半年後ぐらいにリーグ合流したいという淡い期待をしてたんですけど、全然その通りにならなくて。妊娠中も『復帰のためにやれることをやろう』って取り組んでいたんですけど、一人目の出産で体をどこまで動かしていいのか分からない不安もありました。今思い返せばもうちょっとボールは蹴れたかなと思ってしまうんです」
ピッチで汗を流す自分を思い描けるようになったのは、チームに合流した時。産休から一年以上が経っていた。
「チームに合流してようやく『サッカーは楽しい。頑張りたい』ってモチベーションが上がっていきました。『この動きはできるんだ』とピッチ上で再発見したり、今までとは違う視点でサッカーに触れられて楽しかったです」
「全ての女性アスリートが、自由な選択をできる環境を作りたい」
岩清水が長男を抱いて入場したのは、WEリーグ初年度、冬の中断期間が明けた3月、リーグ再開初戦だった。中断前の11月末にもベンチ入りはしていたが、復帰後初の入場の瞬間をどのように受け止めたのだろう。
「会場に入って子どもをすぐ託児所に預け、私はすぐウォーミングアップをして“選手”になることだけにフォーカスしました。試合に向かう途中、整列する場所の近くにシッターさんが抱っこして連れて来てくれました。私はもうユニフォームを着て選手モードなんですけど、どうしても息子を見た一瞬は、お母さんになっちゃう(苦笑)」
「あの入場は、自分が描いていた夢を叶える瞬間でした。つらいことを乗り越えて歩んできた日々が蘇って『やっとここまで来た』って泣くと思ったんですが、実際にはスタメンのプレッシャーと達成感のほうが大きかった。あと、写真を撮ったらすぐ子どもを渡してなるべく見ないようにして、“選手”に戻り試合に集中するようにしてました。泣き声一つ聞こえたら集中できないですから。冷たいかもしれませんが、試合に切り替えなきゃって無理やりスイッチを入れました」
日本の女子サッカーの大きな第一歩になった岩清水の入場姿。しかし、岩清水にとっては最初の通過点でもある。
「本当にいろんな人に応援されて頑張ってこられましたし、女子サッカー選手の可能性を広げたいという思いで、モチベーションは高かったです。でも極論、私は好きなことやらせてもらっているだけ。サッカーを仕事にできて、『お母さんになりたい』っていう願いも叶えられて。好きなことをやらせてもらって、つらいことすらも本当に楽しいんです。だから毎日充実してます」
岩清水が話す「思い」。それは女子アスリートが出産という節目にぶつかったとき、自由な選択ができる環境づくりだ。その前例になりたいという意思を強く持っている。そんな彼女がロールモデルとするのは、元サッカー日本女子代表選手であり、現サッカー日本女子代表コーチとして活躍する宮本ともみ。2005年に産休・育休のため戦線を離れ、06年に現役復帰を果たした。同年10月に再び日本女子代表に招集され、初の“ママ代表”となった。
「私は復帰しましたが、もちろん引退という選択肢を選んでも良いんです。“選択肢”は作りたい。子どもを産んでもピッチに戻りたいという気持ちを応援してほしい。自分が身をもって体験して出産を控えた選手をサポートする情報の少なさを感じました。怪我からの復帰だったら『この時期はこのメニューをやる』等のプロセスがありますが、出産は個人差が大きいから資料やデータはないって言われて。例えば『妊婦でもできるメニュー』とか『この時期は動けないほど体調を崩すケースもある』とか、体験談があるだけでも違うと思うんです」
出産後の初ゴールで実感「自分の感覚は間違ってなかった」
今年の8月にはベレーザが女子サッカーの国際大会・ウィメンズカップに出場するため、アメリカへ遠征。出産後、初めて家族と長期間離れることとなった
「子どもとは絶対に会えない距離ですから、夫とお義母さんに『お願いします!』って託しました。出産してから一人の時間って本当になかったので、不思議な感覚でしたね。留守中、夫はかなり頑張ってくれたみたいです」
トッテナム・レディース(イングランド)との対戦で、岩清水は後半に決勝ゴールを奪取。「出産後初めてのゴールでチームを勝たせることができてすごく嬉しかったですし、自分が追いかけてきた感覚は間違ってなかったって実感しました」と語る。
ママとしては素晴らしいお土産の一つとなり、選手としては思い出に残る試合となった。時差で体力が落ちるかと思われた時間帯もあったが、チーム全体が「絶対に勝とう」というムードに包まれていたという。ベテランの選手が引っ張る、ベレーザの底力を示した試合でもあった。
「WEリーグ2年目が始まる前に積極的に調整して、体がしっかり動く状態で海外と戦えました」
最後に、2シーズン目のスタートを前にして意気込みを聞いた。
「2シーズン目には私がオーガナイズする『イワシート』がスタートします。先シーズンまで胸スポンサーだった都市型保育園の『ポポラー(株式会社タスク・フォース)』さんが親子参加チケットとして実施していた『ドリームシート』を引き継ぐことを考えました。初めてサッカーを見に来る方に活用してほしい。自分も保育園でママ友が増えましたし、サッカーの試合がいろんな親御さん・ご家族にとって週末の楽しいイベントのひとつになったら嬉しいです」
「より体が動くようになって、いい準備でここまで来ています。コンディションを整えて、2シーズン目は開幕からピッチに立っていたいですね。よりいいパフォーマンスが出せると思うので、もっともっとチームに貢献していきたいと思っています」