なでしこジャパンはピッチを一度離れると屈託のない笑顔に溢れ、厳しい戦いが続く日々を一体となって乗り越える。大会をともに過ごすのは選手・チームスタッフ然り、滞在先のホテルや現地スタッフ然り。
先日行われたAFC女子アジアカップ終了後、インドの女性がインスタグラムストーリーでなでしこジャパンの選手たちとコミュニケーションを取っているのを発見した。彼女は、現地のリエゾン・コーディネーターとして、大会期間中チームに帯同したナヴニート・カウルさん。「スポーツに縁がなく、サッカーの知識も全くない」そんな彼女がなでしこジャパンとの出会いで得たものとは。
■「私はチームの一員」
――チームからは「なっちゃん」と呼ばれていたそうですね。
最初に名前を聞かれて答えたのですが、うまく伝わらず、カタカナで「ナヴニート」と書いたんです。それでも発音が難しかった。そこで私の日本人の友達が以前私のことを「なっちゃん」と呼んでいたのを思い出して「なっちゃんはどうですか?」と提案したところ「すごくいい!」となりました。
――今回はどのような経緯で女子アジア杯に参加したのですか?
学校からオファーのメールがありました。またとない機会なのでやってみようと応募しました。チームの皆さんにお会いした時に初めて受かったことを実感しました。すごく嬉しくて嬉しくて。
――リエゾン・コーディネーターの仕事内容について教えていただけますか?
AFCとチームと大会組織委員会とのコミュニケーションを円滑に行う役割を担っていました。ローカルスタッフとともになでしこジャパンの滞在期間中の担当者として、コーディネートしていく仕事です。(JFA職員の山本)りささんからチームのスケジュールが届いたらすぐに調整します。例えば、10時からトレーニングがある場合は9時にバスを用意するといったように。日本人は時間に正確ですから、意識的に早めに手配しました。
――なでしこジャパン、チームとはすぐ溶け込めましたか。
はい。自分でもこれほど親しくなれるとは思ってもいませんでした。りささんの犬の名前も知っていますよ。(菅澤)優衣香さんの猫の名前も(遠藤)純さんの猫の名前も知っています。みなさんのペットを全員まとめて把握するくらい仲良くなりました。
――どのような時にメンバーと会話をしたんですか?
トレーニングに向かう時のバスの車内や、病院へ同行した時ですね。特に、優衣香さんはとてもフレンドリーでオープンなのですぐに打ち解けました。
――選手との思い出などはありますか?
たくさんあります。試合に負けて帰国が決まった日、出発が遅かった海外組5名が残っていて、AFCからの大会出場証書を渡すためにミーティングルームに行ったんです。(岩渕)真奈さんに「おめでとうございます」と言ったら、真奈さんはそれを私にくれると言いました。でも、それを受け取るわけにもいきませんでした。
すると、出発日に真奈さん、そして、(熊谷)紗希さんが改めて証書をくれたんです。そこにはサインや心温まるメッセージが書かれていて、箱入りチョコレートやグミもいただいて、とても感激しました。信じられません、選手たちが私に証書をくれるなんて。
トーナメント中でも思い出があります。私がおなかを壊してしまったことがあったんです。りささんがドクターに薬をもらってくれました。西さん(西芳照帯同シェフ)はおにぎりを作ってくれて、私はベジタリアンなので梅おにぎりと甘酒までいただいてしまいました。みんなから毎日なっちゃんなっちゃんと呼ばれて。うまく言葉に言い表せませんが、言動からも愛情を感じました。
――仕事ではなくてチームの一員と感じたわけですね。
おっしゃる通りです! 私の宿題まで手伝ってくれましたから。田中美南さんは私が漢字の練習をしていることを知って、練習に付き合ってくれました。大会後に漢字テストがあったのですが、彼女は日本に帰国した後でも「テストはできた?」と(インスタグラムの)写真にコメントしてくれたんです。
■準決勝敗退、そして涙のチームとの別れ
――彼女たちは優しい人柄を持ち合わせていますが、一方で日本代表として激しいプレーをしていますよね。異なる二面性を近くで見てどう感じましたか?
試合に向かう時の紗希さんからはものすごい闘志を感じましたね。私に対してはとても優しいですが、試合となると熱い選手に変わるんです。そして(長谷川)唯さん、(清水)梨紗さんもですね、ピッチに上がるとすごくかっこよくて、とても足が速い! 素晴らしい選手たちです。
この仕事を受けるまではスポーツに興味がありませんでした。準決勝の中国戦では、試合中もスタッフのサポートでバッグを運んだり別の仕事をしていたんです。なでしこジャパンの試合が気になって歩いていられず走って作業をしていました。試合が見たくてたまらなかったんです。
彼女たちは積極性にあふれ闘志を燃やしていました。だから敗退してしまった日、私は帰りのバスの中で泣いてしまいました。決勝に行けるものと皆が信じていました。ホテルスタッフに翌日のスケジュールを送って、ムンバイに向かうための手配も依頼していたんです。
バスの中では会話も笑顔もありませんでした。心が打ち砕かれてしまったような様子で誰も言葉を発さず、深い傷を負っているようでした。その日はほとんど会話がなくて、試合後の補食のおにぎりもあまり口にすることなく、みんな落ち込んでいました。
――翌日チームは出発しなければなりませんでした。
たしか試合後の23時ごろだったと思いますが、私はまだショックで思考回路が止まったままでした。
りささんが帰国は3グループに分かれて出発するという情報を教えてくれたのですが、私の頭はそれを覚えられず、りささんに「なっちゃん、しっかり」と励ましてもらいました。それでやっと冷静になれた気がします。
後でミーティングルームに行くと、スタッフのみなさんはまだフライト手配などをしていて、夕食はとったのか確認をしたら何も食べていないと。なにか用意して食べさせてあげようと思ったのですが、休む間もなく夜通し働いていましたね。私の手配はすべて整えましたが、その日は色々な思いがあり、1時間半くらいしか眠れませんでした。
――出発の時間が近づくと感情的になりますよね。
心が張り裂けそうになりました。
りささんが私のところに来てサイン入りのなでしこジャパンのユニフォームをくれました。とても嬉しかったです。
出発時間になると、りささんは選手たちの前に立って「これが最後だから、なっちゃんに伝えたいことがあれば日本語でも大丈夫なので言ってください」と声をかけました。
まず紗希さんが私にお礼と温かいコメントをくれて、他の選手たちからもお礼の言葉をいただきました。本当に感動した瞬間でした。これで本当にお別れなの? 明日はもういないの? と思うと心が押しつぶされそうでした。
涙が出てきました。
池田咲紀子さんは、出発の日に一緒に空港まで来るのか聞かれたんですが、海外組の5名がまだ残っているので行けないことを伝えると、あげたいものがあるとシャンプーとトリートメントをいただきました。「髪が長いから手入れしてね」とプラスチックバッグに入れてくれました。
なでしこジャパンは、本当に私にとって家族のような存在です。朝起きて会って話をして宿題まで手伝ってくれて。私に仕事の大切さ、強くなる勇気や感動の思いをくれて...皆に会いたくて仕方ありません。
■なでしこから学んだ「諦めない心」
――リエゾンとしてなでしこジャパンと関わったことで学んだことはありますか?
どのような立場にあっても人に敬意をもって接することですね。
そして、諦めないこと。諦めないことがなでしこから学んだ最も大切なことです。私の好きな慣用句は「七転び八起き」。なでしこにピッタリでしょう? 彼女たちに会ってからこれが私のモットーになったんです。
――チームのどのようなところが魅力的だと感じますか?
一丸となって取り組むところだと思います。あちこちに散らばらずにまとまって。適切な単語が出てこなくてすみません。いつも同じ方向を向いているんです。
――なでしこに夢中ですね?
もちろんです! 大好きですから! うまく言葉にできませんが、忘れられない思い出ができました。なぜ、そんなに夢中なの? と家族に聞かれますが、会ったことがない人には分からないのよって、答えています。
選手みんなのインスタは欠かさずチェックしているんですよ。一緒にいた皆は今何をしているんだろう? と思って。今すぐ会いたいです。選手に会うことがあればいっぱいインスタあげてね。って伝えてください。
――これから女子サッカーの試合を盛り上げていきたいですね。
10月にはFIFAのU-17女子ワールドカップがインドでありますよね。コーチがりささんに、私がまたリエゾンをやりたがっていることを伝えてくれたんです。また日本代表と会いたいですから。私は永久に日本代表のリエゾンを務めたいです。契約結んでくれないかな。
過去の世界大会でも、チームがホテルを離れる際に涙を流す現地スタッフを見たことがある。ピッチ内外問わず、心動かすチーム。それがなでしこジャパンだ。大会終了後しばらくたってからコンタクトを取ったときに、「なでしこの皆さんに会いたい」「なでしこジャパンに夢中」そう語ったナヴニートさん。一つになって戦う家族のような“塊”。それがなでしこジャパンに引き継がれる人格であり、魅力であることを、今回の「なっちゃん」の言葉からも再発見できた。選手、スタッフ、FIFAランクは常に変われど、なでしこジャパンの根底にある人間性は今でもたくさんの人たちを巻き込んで、世界を魅了し続けている。
なでしこジャパンは4月上旬より国内合宿を開始。また、6月27日にはフィンランドでの国際親善試合が決定している。