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湘南ベルマーレ山田直輝、勝負の責任を背負って――苦悩の1年半から「たのしめてる」へ/インタビュー

おまえ、楽しそうにサッカー、してないぞ――。

浦和レッズから2015年に期限付き移籍で湘南ベルマーレにやって来て1年半、昨シーズンの夏頃まで山田直輝は、曺貴裁(チョウ・キジェ)監督から何度もこんな言葉をかけられた。

以下に続く

「曺さんって選手をすごく観察されている方なので、ああ、やっぱりそう見えているんだなって……」

サッカーを楽しめていないのは、他でもない自分自身がよく分かっていた。なぜ楽しめていないのか、その理由も分かっていた。

「自分本来のパフォーマンスを出せていなかったから、だと思います」

それさえ出せれば、ポジションを勝ち取り、J1の舞台でも通用する自信はあったが、出せていないから、「なんで、出してくれないんだ」と嘆いたり、怒ったりすることもなかった。

「でも、なんで本来のパフォーマンスを出せないのかはよく分からなくて。だから難しいというか……。曺さんって、僕の調子が良くないときに限ってすごく話しかけてくれるんですよ。去年の夏までの1年半、僕は全然楽しめていなかったから、曺さんとはしょっちゅう話していました」

湘南がJ1での戦いに苦しんでいたとき、直輝も悩み、苦しんでいた。

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●苦しい1年で掴んだもの

それから1年が経った。

2017シーズン、J2の首位を走る湘南に、悩み、苦しむ直輝の姿はない。

メンバーを入れ替えながら総力戦で勝点を積みあげているチームにあって、攻撃陣でただひとりコンスタントに起用されているのが、30試合中28試合に出場する直輝だ。

1トップの背後で攻守においてスイッチを入れる重要な役目を担い、ゴール前では意外性のあるプレーで“違い”を生み出す。今シーズンのプレーに曺監督は「直輝のパフォーマンスはすごく上がってきている。うちにとって大事な選手になってきた」と目を細める。

Jリーグのピッチに初めて立ったのが08年だったから、今年で10シーズン目。これだけコンスタントに出場しているのは、プロキャリアにおいて初めてのことだ。

「たくさん出させてもらった年もありましたけど、途中出場が多かったし、開幕戦のスタメンも初めてでしたから」

浦和のアカデミー出身で、1歳下の原口元気(ヘルタ/ドイツ)とともに「浦和の未来」と期待された。18歳だった09年5月には日本代表デビューも飾ったが、10年に右の腓骨を二度骨折し、12年に左膝前十字靭帯を損傷すると、復帰後も本来のパフォーマンスをなかなか取り戻せなかった。

15年からは再起を誓って青と黄緑のユニホームに袖を通したが、1年目は17試合の出場にとどまり、2年目はわずか11試合と、チームをJ2降格から救えなかった。

失意の今オフ、直輝は決断を下す。期限付き移籍を再び延長したのだ。

「僕が在籍している時にJ2に落としてしまったという責任が重くて、J1復帰の力になりたいと思った。1年でJ1に戻す、今年はそれだけを考えてやろうって」

今シーズン、なぜ、コンスタントに起用されるようになったのか――。はっきりとした答えは導き出せないが、分岐点と思える出来事なら、思い浮かぶ。

「ひとつは去年の今頃、娘が生まれたこと。もうひとつは、その頃チームが連敗していて、僕はケガをしていたからスタンドから見ていたんですけど、みんなが全然楽しそうじゃなかったんですよね。それで、自分が復帰したらもっと楽しくやらなきゃダメだと思って。そのふたつが自分の中での大きなきっかけです」

その後、メンバーを入れ替えて臨んだ天皇杯でスタメン出場を果たした直輝は、そこでのパフォーマンスが評価され、リーグ戦でもスタメンで起用されるようになる。曺監督から声をかけられたのは、その頃のことだ。

「曺さんが『おまえ、責任感が出てきたな』って言ってくれたんです。うれしかったですね。結局、チームはJ2に降格して、苦しい1年でしたけど、掴めたものがあった」

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●勝負に対する責任

コンスタントに試合に出るようになって初めて感じられたことがある。

それは、勝負に対する責任、である。

「若い頃は自分のことだけを考えていて、勝負の責任なんて言葉すら知らなかったけど、今年はこれだけ出してもらっているから責任を感じるし、出ているからこそ毎試合、勝てるか不安になる。ああ、先輩たちはこんなに責任を負ってプレーしていたのか、って今になって頭が下がる思いですね」

コンスタントにプレーしているということは、すなわち、ケガによる離脱がないということでもある。

あの辛い経験をもう二度と繰り返すまいと、毎年新しいことにチャレンジしているが、今年から取り入れたふたつの試みに、大きな手応えを感じている。

「プロの栄養士さんに毎食見てもらい、アドバイスをいただいているんです。あと、チームのトレーナーの方に体のバランスを見てもらっていて。筋肉の弱いところ、使えていないところを徹底的に鍛えています」

そのため、毎朝トレーニング開始の2~2時間半前にクラブハウスにやってきて、筋トレやマッサージを入念に行う。トレーニング後も週に2、3日はマッサージや治療に2、3時間かけている。

それだけの時間を費やすことは簡単ではないが、大好きなサッカーを取り上げられることに比べれば、それくらいの時間は苦でもない。

「もう、あんな辛い思いはしたくないし、これをやらなかったらケガすると思うと、寝てもいられないというか。なので、サッカーと向き合う時間は年々増えていますね」

サッカーのために自分の時間を犠牲にしているのではなく、サッカーのために時間を使わせてもらっている――。そんな感覚だという。誰に使わせてもらっているのかと言えば、妻である。家族が増えたというのに、家事も育児も妻に任せて、サッカーに費やす時間を増やしているからだ。

「やっぱり、サッカー以外のことが幸せでも、サッカーがうまくいかないと納得のいく人生じゃないというか……。たぶん奥さんも、僕がケガなく楽しそうにしているのが一番だと思っていると思うので。僕が苦しかったときを知っている人だから」

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●1日も忘れていない夢

直輝が湘南のユニホームをまとったこの3シーズンで、メンバーの大半が入れ替わり、多くの選手がJ1の強豪クラブへと羽ばたいていった。そして代わりにピッチに立つようになった選手の中には、プロ1、2年目の10代のタレントたちも含まれる。

かつて浦和でフォルカー・フィンケに抜擢された頃の自分や原口のような若者たちと一緒にプレーして、気になることがある。

「このチームの若い子たちは、勝負の責任を負おうとするんですよ。『オレのせいで勝てなかったっす』とか言ったり、反省しすぎて落ち込んでしまったり。でも、勝負の責任は僕ら年上の選手に任せて、のびのびと、好きなようにやってほしい。10年後には、いやでも負わなきゃいけないときが来るんだから。若い子たちは未来が無限大なんで、その未来を、自分で手繰り寄せてほしい」

そう言う直輝も27歳。まだまだその手で未来を切り開いていける年齢だ。この1年の彼自身がそうだったように。

「サッカーを始めた頃から、夢はワールドカップに出ること。その夢は1日も忘れたことがなくて、ケガをしたときは、サッカーができないのに逆に『絶対に出てやる』って、その気持ちが強くなったんです。年齢的にロシアとその次と、チャンスは2回。今年すぐに代表っていうのは難しいかもしれないですけど、もちろん狙っています。1年後、何があるか分からないのが、この世界なので」

そう、先のことは誰にも分からない。自分がこんなにサッカーを楽しめるようになるなんて、1年前の直輝は分からなかった。

責任を負ってプレーすることがこんなに大変で、こんなに充実感の得られるものだということも――。

猛暑の続く夏場を迎え、昇格争いは熾烈を極めてきた。だが、直輝は暑さも、疲労も、プレッシャーも、責任も、そのすべてが今、幸せに感じられている。

「サッカーが楽しいとか、サッカーができて幸せとか、忘れちゃいけないし、この気持ちって昔はすごく持っていた。やっと今、取り戻せた感じがします」

そう言うと、まるでサッカー少年のような笑顔を覗かせた。

●文=飯尾篤史

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