Arjen Robben Pep Guardiola FC Bayern

元バイエルンユースコーチが語るスターの素顔。ロッベンに感銘を受けた理由も…/インタビュー

ハイコ・フォーゲルはこれまで様々なユースチームやプロチームで監督を務めてきたほか、FCバイエルン・ミュンヘンで育成部門を指導したこともある。『Goal』は、現在ドイツ3部のKFCユルディンゲンで指揮を執るフォーゲルにロングインタビューを行った。

インタビューの前編では、フォーゲルはバイエルンのコーチ職に志願した経緯やレアル・マドリーでの実習経験について語り、ヘルマン・ゲルラントがバスティアン・シュヴァインシュタイガーとフィリップ・ラームのキャリアに決定的な役割を果たした出来事を明かす。

また、バイエルンのユースの中でもとりわけ強力だったチームや最もフォーゲルを魅了した選手について語り、さらにコーチングの方法論や映像素材の利用、選手のメンタリティの問題、ペップ・グアルディオラの指揮下で完璧さの追求に“取り憑かれて”いたバイエルンについても話題にする。

■モチベーションの上げ方

Heiko Vogel KFC Uerdingen

――あなたは選手たちとの間にガードを築くタイプですか?

そういうことはあまりやらないね。監督には誰にでも自分流のフィロソフィがある。私は、選手たちに歩み寄ることが重要だと考えているんだ。もちろん誰でも自分のイメージを持っているが、そのイメージと手元にどんな選手がいるかは常に別問題だ。だから、柔軟な姿勢でフィロソフィの方を選手に合わせる必要がある。たとえばサイドにリロイ・サネやセルジュ・ニャブリのようなすさまじく強力な選手がいないとすれば、4-3-3の陣形で戦う必要はないだろう。常に、監督ではなくチームに合ったシステムを選ばなければならない。どんなチームを指揮するにしても、私はボール支配を目指すフットボールをやりたいと思っている。だが、そのためにはいろいろなやり方があるんだよ。

――試合に向けても監督ごとに様々なアプローチがあると思います。その点で映画を利用したことはありますか?

映画を利用するのはなかなか難しい。もちろん、スポーツ映画という選択肢はある。たとえば『コーチ・カーター』(実話に基づいてバスケットボールを題材にした映画)や『エニイ・ギブン・サンデー』(アメリカンフットボールを題材にした映画)みたいに。ペップは初めてチャンピオンズリーグの決勝戦を前にした時に、選手たちに『グラディエーター』(古代ローマの剣闘士を扱った映画)をあちこち切り取って見せたという。それはいいことだが、映画を見せることで何をしたいのか自分でわかっている必要がある。

大事なのは選手たちにモチベーションを与えることではない。チャンピオンズリーグの決勝を前にすれば、選手たちは全員髪の毛一本一本の先に至るまでモチベーションでいっぱいになっているのだから。大事なのは、緊張を取り除いてやることだ。けれど、だいたいにおいてハリウッド映画を使うことはあまりないよ。信じられないくらいたくさんのドキュメンタリー映画があるんだから。たとえば世界一長いスキーの滑降を描いた『セントイライアス山』みたいにね。最近ある知り合いが『アイス&パームス』という題のビデオを送ってくれたんだが、その映画では2人の若者がスキーを持って自転車に乗り、ミュンヘンを出発してコートダジュールにたどり着くんだ。途中で機会さえあれば2人は自転車を鎖で留めておいてスキーを履き、山を登って滑降するんだよ。途方もないやり方だ。ああいう企てはすごいと思うね。あんな映画を見ると、人間には何ができるかがわかるよ。

――『グラディエーター』は時節による浮き沈みも描かれていました。そのため、バルセロナの選手たちの中には夢中になった者もいれば、あまり面白いとは思えなかった者もいたようです。後者について言えば、試合の直前に気持ちをかき乱されたこともあったとか…。

それが難しいところなんだよ。いつもできるだけ大勢の心をつかもうとはしているんだが、決して全員の心をつかめるわけではないこともわかっているんだ。

――実際にあなたは映像素材を使って選手たちのモチベーションに働きかけたことがありますか?

映像を利用したことは2回ある。バーゼル時代にチャンピオンズリーグのグループステージ最終戦でマンチェスター・ユナイテッドと対戦する前に、ロジャー・フェデラーとも一緒に仕事をしたことがある心理学者のクリス・マルコーリに協力してもらって、10分の長さの映画を作ったんだ。試合の前の晩に、ホテルでそのフィルムを選手たちに見せたんだよ。

――どんな映画だったんですか?

『ダビデになろう』というタイトルで、ダビデ(古代イスラエルの英雄)とゴリアテ(イスラエルの敵国の巨人)の物語がテーマだった。あれは有名な物語だが、本当はどんな話なのか正確に知っている者はほとんどいない。だから、クリスはまず選手たちにその物語を話して聞かせた。ダビデとゴリアテはそれぞれの軍を代表して戦うことになった。誰がゴリアテに立ち向かうかが問題になったとき、ダビデが名乗りを上げた。ダビデは戦闘を経験したことはなかったが、羊飼いだったためライオンと戦ったり熊を追い払ったりしたことはあった。そしてゴリアテと戦う時にダビデは気づくんだ。「ゴリアテと同じ武器を使って戦えば、私は負けてしまうだろう」と。甲冑はダビデには重すぎてほとんど身動きすることができなかったから、彼は甲冑を脱ぎ捨てて自分のいつもの武器を手に取って戦った(編集部注:その後、ダビデが投石器で放った石の最初の一撃でゴリアテは倒された)。

さてそこで、最初のやり方ですぐに目的が達成できると思う者がいるだろうか。それは無理だ。すぐに報いが得られると期待してはならない。常に努力を続けなければならない。何よりマンチェスター・ユナイテッドが相手なんだからね。クリスはそんなふうに説明して、それから映画を見せたんだ。試合のいろいろなシーンを編集した映画で、音楽がつけてあって、本当によくできていた。15分の間、選手たちが次の日の試合のことを考えずにいることが大切だったんだ。

――2回目にビデオを利用したのはいつですか?

チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦ファーストレグのバイエルン戦の前で、またクリスと一緒だった。このときは選手の親御さんにインタビューしたんだ。選手たちには内緒でね。クリスは2つの質問をした。一つは「息子さんのユース時代で特に記憶に残っているのはどんな出来事ですか?」という質問、もう一つは「息子さんはなぜ明日のラウンド16に出場する選手に選ばれたのでしょうか?」という質問だった。あれは感動的だったよ。選手たちも最初は笑っていたものの、だんだん心に響いてきたようだった。とりわけ試合から注意を逸らすのに役立ったんだ。

――非常にプライベートなテーマだったんですね。

その通り。一部のインタビューはスカイプを使ったんだ。ジャック・ズアの父親(カメルーン在住)は、そもそもスカイプが通じるようにするために、まず山の上まで登らなければならなかった。ダヴィド・アブラームの両親に質問を伝えるときもなかなか大変だった。あれはすごく素晴らしかったけれど、まったく例外的な試みでもある。チームを率いていてあんな経験ができることはそんなにないよ。

――結局のところ、人の心をつかむにはどうすればいいんでしょう?

言葉が決定的な役割を果たすんだ。それにはイメージを喚起することも含まれる。何をどんなふうに話すかによって違いが生まれるんだよ。私たち監督にとって言葉は非常に重要で強力な道具だ。クリスと一緒に仕事をすることで、私はそのことを特に意識するようになった。どんな情報を届けるかということが大切なんだ。一つ例を挙げてみようか?

――聞かせてください。

私たちはルツェルンで試合をした。首位と2位の対戦だった。クリスは「試合前に何を言うつもりだい?」と私に尋ねた。「そうだな、『私たちがこの試合に勝てば、難関を突破することになる。そうなれば計り知れないほど大きなリードを取れるぞ』って答えるよ」。するとまたクリスが尋ねる。「選手たちがそれを知らないと思うのかい?」、「当然選手たちは知っているよ」と私は答える。そこでクリスは「じゃあ、どうして君は試合前にそれを言うんだい?」と訊く。それではたと気づいたんだ。「君の言う通りだ」とね。選手たちがすでに知っている情報を伝えることで、重要かもしれない情報をブロックしてしまう可能性もある。物事を受容するキャパシティには限度があるからね。

――では、あなたのスピーチでは何に重点が置かれるんですか?

モチベーションはほとんど問題にしない。チームが試合の進め方についてポジティブな気持ちを持てるように努めるんだ。試合の中で起こるかもしれないことに対して選手たちに備えができるように、勝つために役立つ道具を選手たちに持たせてやるようにするんだよ。

■クロップとグアルディオラの戦略

Trent Alexander-Arnold Jurgen Klopp 2019Getty Images

――あなたはサッカー以外のスポーツの経験者やビジネスの世界の経験者とも交流していますね。特に記憶に残るようなことを話し合ったことがありますか?

(考え込んで)特にこれというものはないけれど、たくさん興味深い話し合いをしたよ。常に私は目も耳も全開にしてあらゆることに触れるよう心がけている。たとえば私はウォーレン・バフェット(アメリカの投資家)や彼の共同経営者のチャールズ・マンガーに大きな興味を覚えるんだ。2人とも時代に先駆けた人物だったからね。どんな物事にもそんなに大きな違いはないということに気づくことができるんだよ。

――今ではフットボールの監督も他の領域から刺激を受ける必要があるんでしょうか?

間違いなくそうだね。フットボールの監督というのは、ピッチの上での教師というだけにとどまらず、それよりもずっと多くの務めを担う存在だ。リーダーの役割を務め、決定を下す責任を負い、そうやって常に自分自身を成長させていくことができる。仕事を始めてすぐは必ずしもすべてを正しくやれるわけじゃない。まったくその反対だ。生涯を通して学び続けていかなければならないんだ。だから、狭い専門分野の垣根を越えて外の世界に目を向けることが不可欠なんだよ。もし自分のいるフットボールの世界しか知らずに狭い視野で生きていれば、監督として成長する機会を逃すことになってしまう。

――今言われたこととは反対の方向で、最近ではグローバルな企業がユルゲン・クロップを招いてモチベーションについて話してもらうようになっていますね。

そういった交流が行われて、フットボールというビジネスが孤立した状況に陥らないのはいいことだ。そういう観点から言えば、企業が成功を収めたフットボールの監督にアクセスして、「おい、ちょっと話をしてくれよ」と声をかけるのも当然の成り行きだと思うね。企業がチームとしての自己認識を持てば、よりよく機能できるようになる。フットボールの場合と同じように、企業にも様々な役割がある。常に重要なのは、連帯して成功を勝ち取るということだ。チームにしろ会社にしろ、各人ができるだけ自分の強みを発揮できるような構造を作り上げなければならないんだ。

――クロップはモチベーションを高める達人として知られています。昨季のチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグ・バルセロナ戦前、ボルシア・ドルトムントを率いていた時にレアル・マドリーに3点をリードされた後どう試合を進めたかについて話しました。そして、チャンスはあるんだということを選手たちに理解させ、選手たちは彼を信じ抜きました。

クロップは魔法を振りまくんだ。彼が生み出すその根本的な信頼感がなければ、そういった状況ではチャンスを手にすることはできないだろう。

――また、クロップの指揮するチームを見ていると、選手たちが対戦相手よりもクレバーに走り回り、その結果としてボールの近くに選手たちが群がっている印象を受けます。

それが彼のディフェンス戦略の一部なんだ。選手たちがボールの近くに非常に緊密に集まるようなポジショニングを指示している。クロップのチームは相手に時間の余裕を許さないし、相手にとっては息苦しく感じるだろうね。時間的なプレッシャーがかかると、今度は精密さを求められるというプレッシャーがかかることになる。相手も少しの間なら安定したプレーを続けられるかもしれないが、そのうち崩れてしまうんだ。

Arjen Robben Pep Guardiola FC Bayern

――根底にあるのは、すさまじい備えの固さということですね。ペップ・グアルディオラの率いるバイエルンの場合もそうですが、常に完璧を求めてやまない姿勢や日々100%の力を出すという強い意思があるようですね。

グアルディオラの指揮下ではそうするしかないと選手たちは理解していたんだ。それがペップの偉大な功績だった。選手たちは取り憑かれたようだったね。たとえボールが自分の手に入らなくても、自分の走る道筋によってチームメイトがボールを手に入れられることを理解していた。選手が自分のプレーの意味を理解していれば、どんどんいいプレーができるようになる。そういう理解によって選手は素晴らしい武器に変わるんだ。アリエン・ロッベンは全力疾走で敵陣の深い位置まで走り込んでは足を止めるという動きを、ボールを奪うまで何千回でも繰り返していた。もちろん相手も一緒に走ることになる。もし相手が一度でも走るのをやめれば、ボールが手に入るんだ。ペップのチームは絶対確実なゴールチャンスを多く作り出す。彼はそうやって自分の目標を達成しているんだよ。

――そういう万全の備えをシーズン全体に渡って揺るぎなく維持するというのは非常に難しいことではありませんか?

ちょうどいい例がある。ペップがバイエルンの監督に就任した最初の年に驚くべきシーンが展開された。ハノーファー戦で70分が経過し、試合状況は4-0だった。敵陣でトニ・クロースがボールをもらってパスを送ったものの、受け手がしくじってボールを失ってしまった。するとマリオ・マンジュキッチが全力疾走で戻り、自陣のペナルティーエリアの近くでボールを奪い返した。だが、駆けつけたのはマンジュキッチだけではなかった。彼は、10人の選手たちが同じように全力疾走で後方へ駆けつけた中の一人だったんだ。もう一度言うが、全力疾走だよ。スコアは4-0、70分が経過していて、相手も格下という状況だ。あれは素晴らしいシーンだよ。

ハノーファーがそのチャンスを決めたとしても1-4だ。しかし、それさえハノーファーにとっては難しいものだった。ペップがバイエルンにどんなメンタリティを植え付けたかを思うとまったく感銘を受けるね。あらゆることを正しくやり遂げたいという取り憑かれたような状態は以前にはなかったものだった。それはペップとともにやって来たんだ。

■メンタリティで印象に残った選手は?

2019-08-21-robben(C)Getty Images

――話した通りメンタリティはフットボールの面で勝敗を分けます。しかし、実際のところそういう万全に備えのできた状態のチームはほとんど見かけることができません。

それがなぜだかわかれば、私たち監督は非常に助かるだろうね。おそらくそれは人間が楽なことを好むことと関係しているんだ。それに、成功を手にするということもある役割を果たしている。レアル・マドリーを例に取ってみよう。3度続けてチャンピオンズリーグで優勝するというのは想像を絶する快挙だ。だがその場合、近いうちに国際舞台で惨敗を喫するのは理解できることだ。選手というのは気がつくと、頭の中が空っぽになっているんだ。頑張ろうと思うのに、とにかくうまくいかない。メンタル面での蓄えが底を尽き、そのせいで体の面でも力を奮い起こせなくなっているんだよ。いわゆる燃え尽き症候群というやつだ。

――ただし、成功の驕りがないにもかかわらず100%の貪欲さでプレーを続けられないチームも多くあります。昨シーズン後半戦のボルシア・ドルトムントの戦いぶり、とりわけ0-5で惨敗したバイエルン戦を考えてみてください。

あれに関しては、バイエルンが信じられないくらい手強いチームだということを忘れるわけにはいかない。だが結局のところ、ただのいい選手たちとその中でも傑出した成果を挙げる選手たちとの間には微妙な違いがあるんだ。チャンピオンになる者は決定的な瞬間に力を発揮することができるんだよ。セルヒオ・ラモスのことを考えてみるといい。みんなに愛されている選手だとは言いがたいが、私は彼のメンタリティを素晴らしいと思っている。彼は、必要とあればどんなときでも100%の力を出せるからだ。

――あなたがこれまで監督として仕事をしてきた中で、メンタリティの面で特に強い印象を受けた選手は誰ですか?

そういう選手はたくさんいたね。アレクサンダー・フライには非常に魅力的な選手だった。彼は才能に恵まれているわけではなかったが、それでも彼には得点を挙げる力があった。右足でも左足でも素晴らしいシュートを打てたし、どこのクラブにいてもむらのないパフォーマンスを見せていた。そういう意味ではジェルダン・シャキリとグラニト・ジャカの名前も挙げないわけにはいかない。2人が大きな自負心を持って試合に臨む姿は非常に印象的だった。SKシュトゥルム・グラーツ(フォーゲルは2018年1月から10か月間コーチを務めた)ではペーター・ジュリが印象的だったよ。信じられないくらいの運動量だった。ダリオ・マレシッチは19歳の若さで多くの責任を引き受けて、試合を組み立てる上で非常に重要な役割を果たしていた。バーゼルで指導したモハメド・サラーも人間として大いに印象に残っている。バイエルンではアリエン・ロッベンだね。

――ロッベンを選ぶ理由とは?

これにもあるエピソードがあるんだよ。あるとき、アリエンはアマチュアチームに3日間ゲストとして招かれたんだが、4対4のミニゲームで全員を“潰して”しまったんだ。彼がどれほど完璧さに取り憑かれた状態でその練習をやったのか想像すると、そこには途轍もない教訓が含まれているように思えたよ。おまけに、試合が終わると彼はゴールゲートまで運んでいた。だから「アリエン、運ばなくていいよ」と言ったんだが、彼は「いやいや、運ぶよ」って答えた。あの謙虚さには脱帽だね。

――そんなに特別なメンタリティを備えた選手は滅多にいませんね。そういうメンタリティはどこから生まれるのでしょう? 教育によってでしょうか?

私はいろいろなものが混じりあった結果だと思っている。才能のある選手は非常に大勢いるけれど、そういう選手にメンタリティが欠けているとすれば、彼らの才能がそれほど大したものではないということだ。メンタリティも才能の一部なんだよ。だが私は、実際問題として教育も重要だと考えている。たとえばフィリップ・ラームやトーマス・ミュラーの両親は信じられないくらい感じのいい人たちだ。けれど家庭の中だけでなく、クラブでの教育というものもある。バイエルンで仕事をしていたとき、私たちは選手たちにしっかり根付くような価値観を伝えることに成功していた。その戦いは私たちコーチにとって途方もなく重要な意味を持っていたんだ。非常に細かなことに至るまでね。ヘルマン・ゲルラント(バイエルンのアシスタントコーチ、2018年に引退)とヘルマン・フンメルス(1995~2012年にバイエルンのユースチームのコーチを務めた)と私は、議論を戦わせて大喧嘩をしたものだ。だが、それは常に選手のためを思ってのことだった。私たち自身が取り憑かれた状態になっていたんだね。

――学習によって身につけられるメンタリティはある程度までに限られているのでしょうか? それとも限界はないのでしょうか?

素晴らしい質問だね。数年前までだったら、私は限度があると答えたことだろう。つまり、限られた範囲でしか身につけられないと。だが、バイエルンでペップの指導を目の当たりにしてしまった今では、意見を変えないわけにはいかないね。チームの選手たちは突然信じられないほど旺盛な知識欲を示して、何でもどんどん吸収していくようになったんだ。ひょっとするとドミノ効果もあったかもしれない。まず一人が“感染”すると、そこから次の一人に熱が伝染する。そして気がつけば全員が巻き込まれているんだよ。私はそういう事態を身をもって経験したんだ。選手たちは本当に取り憑かれたようになっていたね。

■「ハインケスはすべてを掌握していた」

Jupp Heynckes Real Madrid 1998Getty Images

――あなたは23歳の時にスポーツ科の学生としてバイエルンへ研修に行きました。通っていた大学の先生がコンタクトを取ってくれたそうですが、本当にそんなに簡単にバイエルンに受け入れてもらえるものなんですか?

それは無理だね。私はまずTSV1860ミュンヘンへ行って、そこで門前払いされるという経験をしなければならなかった(笑)。大学時代の友人が数人そこで働いていたんだが、そのうちの一人はアマチュアチームのGKとして頑張っていた。他の何人かはユース部門で仕事をしていた。その仕事がすごく面白そうに思えたから私も1860へ行ったんだが、追い出されてしまったんだよ。私にはトレーナーとしての経験がまったくなかったからだ。もちろん、当時の私はとにかくB級ライセンス(ドイツの監督ライセンスにはC級→B級→エリートコース→A級→S級の5段階がある)を取る直前までは来ていたんだけどね。

――当時はまだバイエルンのことはまったく念頭になかったんですか?

大学の友人を通じてそんな状況になっていたんだが、その時点ではバイエルンが自分にとって大きすぎるサイズのクラブだとは考えていなかった。1860を追い出された後で、私は大学で教わったゲルハルト・バウアーに相談したんだよ。「トレーナーとしての経験が必要なんです。あなたがいいと思うことなら何でもやります。大学の女子チームの監督でも」と言ったら、彼から「君はバイエルンに応募してみるといい」と言われたんだ。ゲルハルト・バウアーはバイエルンのユース部門で当時コーディネーターを務めていたヴェルナー・ケルンに強力なコネを持っていたから、バイエルンが専任の監督を補佐するスポーツ科の学生を探していることを知っていたんだ。それから私は応募して、幸いなことに採用されたんだよ。

――23歳のハイコ・フォーゲルが何の経験も持たずに突然バイエルンに応募して、話し合いの席に着いたんですね。

インタビューを受けているような感じだった。非常に気持ちのいい話し合いだったよ。ヴェルナー・ケルンから簡単に基本的な質問をされた後、ものすごく長い時間おしゃべりしたんだ。特に、私がレアル・マドリーのユップ・ハインケスの下で競技スポーツの実習をしたときの話が中心だった。そのときに私がクリエイティブな話をしたのを彼が非常に面白いと思ってくれたんだ。そうやって扉が開かれたんだよ。

――え? レアル・マドリーで競技スポーツの実習をしたんですか?

そうなんだ(笑)。大学の友達の一人が、その話を進めてくれた『キッカー』紙のカール=ハインツ・ヴィルトの知り合いだったんだ。その後すらすらと事が運んで、私たちはレアル・マドリーで3週間半を過ごすことになった。そこでユップ・ハインケスを知ることができたんだが、彼はまったくの紳士だったよ。彼は監督として、私たちのためにできることはすべてやってくれた。感動するくらい私たちの面倒を見てくれて、私たちに身分証明書を作ってくれた。とても心に残る経験だったよ。

――あなたがユップ・ハインケスから学んだ最も重要なことは何ですか?

なかなか具体的には答えられないね。あの時期にはあまりにもいろいろな経験をしたんだよ。一つ覚えているのは、もちろん私は大きな注意を払ってトレーニングの内容を観察していたんだが、ハインケスはトレーニングが終わるたびにすべてを解説してくれた。他にも、彼がものすごく選手たちの扱いがうまかったことを覚えている。それがたぶん私の気づいた最大の点かもしれないね。レアルでピッチに立っていたのはそれこそスーパースターばかりだった。つまりラウルやボド・イルクナー、ロベルト・カルロス、ダヴォール・シューケル、プレドラグ・ミヤトヴィッチ、フェルナンド・イエロ、フェルナンド・レドンド、クラレンス・セードルフといった面々だ。世界的なスターばかりだ。

――あなたは誰が一番…。

(質問を遮って)フェルナンド・レドンドだ! 彼はまったく崇高だったよ。間違いなく私の一番好きな選手だった。想像もできないくらいボールキープに長けていて、チームメイトたちが必要とするときには常にそこにいて、試合の全体を見渡すことができて、信じられないくらいエレガントだった。

■バイエルンユースで過ごした日々

Heiko Vogel Bastian SchweinsteigerGetty Images

――あなたがバイエルンに応募したときのことを話していたんでした。ゼーベナー・シュトラーセ(バイエルンの練習場)での最初の日々はどんなふうに過ぎていきましたか?

その頃、ヘルマン・フンメルスがU-16とU-17チームの指揮を執っていて、私は彼の下にアシスタントコーチとして配属されたんだ。それからの私は、実際に大学の教室で授業に出席することは少なくなった。1日目から私はすっかり魅了されたよ。まさに私が望んでいたものがそこにあったからだ。だから私はあらゆる手段を講じ、可能な限りすべてを注ぎ込んで自分の道を進んでいった。あの頃の私は信じられないくらいの特典を与えられて、幸運に恵まれていたんだと思う。おまけに私たちのU-17チームは1982年生まれの選手たちが集まったスーパーチームで、素晴らしい顔ぶれがそろっていた。あの年度には急成長を遂げたズヴェズダン・ミシモヴィッチのほかにダニエル・ユングヴィルト、レオンハルト・ハイス、トーマス・ヒッツルスペルガーがいたし、一つ下のU-16チームの方にはフィリップ・ラームとマルクス・フステラーがいたんだ。

――あなたは大学でスポーツを学び始めた時、すでに監督の道に進みたいと思っていたんですか?

うん、そうだね。スポーツ科の基礎課程には非常に高度な実習課程があって刺激的だったし、ものすごくたくさんの種目について学ぶことができたよ。陸上競技や器械体操、ボートに登山など何でもそろっていた。あそこで学んだ非常に多くのことが、監督としての私のキャリアの糧になっているんだ。スポーツをするときの身体の動きを分析すれば、その動きがどんなふうに生まれてどんなふうに働くかがよくわかるんだよ。

――バイエルンでキャリアを始めた頃に特に印象的だった経験を何か覚えていますか?

初めてバイエルンで過ごしてすごくいろいろな経験をしていたから、特にこれといった出来事を挙げることはできないね。そのうちタイガー・ゲルラント(ヘルマン・ゲルラント、“タイガー”は綽名)がバイエルンへやって来て、彼と私とヘルマン・フンメルスの3人で毎日毎日一緒に話し合っていた。それから話し合ったことはすべて非常に印象的だったよ。特に、私たちがバイエルンで身につけた心構えについて話し合ったものだ。つまり、どんなことでも根拠や背景を調べ、物事に対する批評眼を養い、愛情を持って選手たちと付き合わなければならないということだ。思うに、どんなに才能のある選手でも、監督が障害として立ちはだかれば最高の力を発揮することはできないんだよ。一番印象に残っていることの一つは、タイガーのバスティアン・シュヴァインシュタイガーとの付き合い方だね。

――どんなふうに印象に残っているんですか?

バスティは油断のならない奴で、フットボール以外でも手に負えないことがあった。そしたらタイガーはびっくりするような剣幕で怒鳴りつけたんだ。「お前のような奴はろくなことにならないぞ!」とね。けれど、彼はネガティブな意味ばかりを込めていたわけではない。揺るぎない信念をもって選手たちの才能を信頼していたよ。フィリップ・ラームの場合もそうだった。タイガーがラームのことを「これまで指導してきた中で最高の選手だ」と言っていたのが忘れられないよ。フィリップはクラブの中で必ずしも皆から高い評価を得ていたわけではなかったからね。タイガーはあらゆる工夫をして、フィリップが自分の道を進んで行けるように助けていた。人が何かを確信しているなら、信念を曲げずに自分の考えのために戦わなければならないということを、私は彼から教わったんだ。常に正しい考えを持っているかどうかは全然問題じゃない。判断を誤ることだってあるのは避けられないことなんだから。

――初めの頃、普段の日はどんなことをやっていたんですか?

いろいろだね。その頃のB-ユースではだいたい週に6回練習があったんだが、私たちは暇な時間さえあればいつも練習場で過ごしていた。大学を出るのに絶対に必要なだけの勉強は済ませて、わりとすぐにすべての試験を終えてしまっていたんだ。私たちはU-8からU-11までの幼少ユースの特別練習も受け持っていた。さらに、子供たちが自由に参加できる練習も週に2回あった。いろいろ新しいことを試しながら熱心に働いていたよ。仕事が楽しかったからね。それにヘルマン・フンメルスとは数えきれないほどの夜を一緒に過ごして、フットボールについて何時間も語り合った。これは私の感覚を研ぎ澄ましてくれたよ。それから他にもいろいろな選別試験があったし、国際的な、それだけじゃなく本当に手に汗を握るような数々のユースの大会もあった。週末には試合があって、自分のチームの試合がない時にはほかのチームの試合を見ていた。当時の私たちは、ミュンヘンとその周辺の選手全員について非常に詳しい情報を握っていたと思うね。

――その後あなたのキャリアはどう進んだんですか?

最初のシーズンが終わった後、ヘルマン・フンメルスの尽力で初めて私はヘッドコーチとして自分のチームを率いることができるようになった。当時は1990年生まれの選手たちのU-10チームの指揮を任されたんだ。このチームにも才能ある選手たちがそろっていたよ。最終的にトップにも上がったメーメット・エキチやディエゴ・コンテントもいた。それからさらに7年間いろいろなチームで、U-13からU-17まですべてのチームで指揮を執ったんだ。実践的学習というやつで、試行錯誤の繰り返しだったよ。私が成長できたのは多くの教師たちに恵まれたからだ。ヴェルナー・ケルン、タイガー・ゲルラント、ヘルマン・フンメルス、シュテファン・ベッケンバウアー、クルト・ニーダーマイアーといった数々の立派な人物に出会えたのが私にとっては何より大切なことだった。私は彼らから多くのことを学んだんだ。

――1982年と1990年生まれの選手たちのチーム以外に、印象に残っているチームがありましたか?

トーマス・ミュラーやホルガー・バトシュトゥバーがいた1989年生まれの選手たちのチームももちろん悪くなかったね(笑)。それまで何年間もB-ユースのバイエルンリーグへの昇格を目指していたんだが、あの年度のチームでそれを果たしたよ。

――ミュラーやバトシュトゥバーは当時からすでにチームで最高の選手たちでしたか?

2人は他の選手の陰に隠れてじっくり成長を重ねてきた、非常に才能豊かな選手だった。彼らを見ていれば、とてもたくさんの才能に恵まれていて、非常に高いレベルまで成長する力を持っていることがよくわかったよ。C-ユースでのシーズンが終わった後にトーマスの父親から電話があって、息子についての意見を尋ねてきたんだ。私は答えたよ。「心配いりませんよ。彼がどこまで行けるかはわかりませんが、ごく呑気にしていても大学の学資を自分で賄えるようにはなれますよ」ってね。

――バイエルンには、非常に才能に恵まれていたのにうまくいかなかった選手もいましたか?

いたね。だが、名前を挙げようとは思わない。失敗した選手たちのことは話題にしたくないんだ。だが、とにかく運が悪かったという選手もいる。たとえばマルクス・グリュンベルガーは素晴らしいゴールキーパーだったのに、残念ながら十字靭帯断裂のために挫折してしまった。ケガがキャリアを決定してしまうこともあるんだよ。

Niklas König Heiko VogelGoal

インタビュー・文=Niklas König

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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です

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