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中村憲剛、キャリア17年目にして初めて経験した葛藤と苦悩【前編/度重なる負傷】

「中村憲剛がメンバーリストにいない」。そう思ったサポーターも多いのではないだろうか? 今年の春から初夏にかけて、リーグ戦では第7節から第17節の間、1試合を除いて計9試合でベンチ入りしていない。この期間いったい何が起こっていたのか――。それはプロ人生初ともいえるケガの連続だった。思い通りにならない身体、試合に出られない日々。川崎Fを長年取材するライタ―・原田大輔氏が人間・中村憲剛に深く切り込んだインタビュー。前編では「外」に見せなかった苦悩に迫る。

■自分はこの世界でしか生きていけない

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 試合終了の笛が鳴ったとき、川崎フロンターレの中村憲剛は、こう感じていた。

「生きている」

 2019年7月14日、3-0で勝利したFC東京との多摩川クラシコでのことだった。中村は、試合に勝利した以上に、自分が生きている意味を実感していた。それは自分を突き動かす力の源であり、活力とでも言えばいいだろうか。

「試合に勝利して、チームメイトのみんなとハイタッチをして、サポーターのほうに向かって歩いて行くじゃないですか。スタンドで喜んでくれているサポーターの姿を見た瞬間、全身にぶわっとエネルギーが湧いたんです。試合中じゃなかったから、自分でもちょっとビックリしたんですけど、自分はここで生きている人間なんだなって心底、感じました。最近までは、スタンドの上から試合を眺めることが多かったので、試合に勝って、サポーターにチャントを歌ってもらって。その景色を見てやっぱり、自分はこの世界でしか生きていけないんだなって強く感じました」

だから試合中も、無意識に両手を振り上げると、サポーターの歓声を煽っていた。それは首位・FC東京のホームに乗り込んで戦った大事な一戦だったこともあっただろう。

「自分でも、なぜか分からないですけど、あの日はめちゃめちゃ、それ(両手で煽る行為)をやったんですよね。あのときは、自分が欲していたというか。もっと声が欲しい、もっと声をくれって。その声援が自分を走らせてくれた」

 それは、川崎フロンターレのバンディエラが、キャリア17年目にして初めて経験した葛藤や苦悩のすべてを、力に変えようとした衝動だったのかもしれない。

■恐怖、期待、応えられないもどかしさ

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「自分にとっては未曽有の事態でしたね」

 語りはじめた中村は、思い出すかのように目線を上に向けた。

「キャリア17年目にして初めてのことでした。こんなことってあるんだっていうくらいケガが続いたんです」

 はじまりは、まだシーズンが開幕して間もない、3月31日のJ1第5節、松本山雅FC戦だった。その試合で足に痛みを感じた中村は、第6節のセレッソ大阪戦で症状を悪化させた。

「連覇したここ2年と比べると、シーズン開幕から、個人としてはいつになく長い時間、試合にも多く出ていた印象なんですよね。(大島)僚太も負傷していたというチーム事情もありましたし、試合としてはACL(AFCチャンピオンズリーグ)もあった。自分自身のコンディションも決して悪くはなかったので、昨年は刻みながらでしたけど、今年は例年以上に試合に出ていたんです。今思えば、それが落とし穴だったのかなとは思います」

 シーズン序盤、新加入選手を組み込みながらのリーグ3連覇と4冠を目指すチームの方向性がなかなか定まらず、結果が伴っていなかったことへの中村なりの責任感もあった。リリースを出すほどの重傷ではなかったが、身体の状態と向き合いながら調整すると、4月23日に行われたACLの蔚山現代戦に先発した。ところがこの試合で、今度は別の箇所に痛みを感じたのである。

「それもあってメディカルと相談して、オニさん(鬼木達監督)とも、その都度、話をしながら、しばらく試合に出場することは控えることになったんです。そこからコツコツと調整を続けて、名古屋グランパス戦(第12節)に出場するところまではいったんですけど。その間に少し痛みを抱えていた箇所をかばって試合で長くプレーしていたこともあったのか、リバウンドが来たというか。自分の中では(その少しの痛みが)プレーに支障を来すことはないだろうと思って、試合に出たんですが、結果的にまた別の場所が悲鳴をあげてしまって。再離脱どころか、再々離脱……。オニさんとも再度相談して『スッキリしないなら無理をしないほうがいいだろう』ということになって。また試合から遠ざかることになったんです」

 それでも中村は、痛みとうまく付き合いながら、復帰に向けて階段を上っていった。ところが、追い打ちをかけるように、再び違う箇所を負傷してしまう。6月8日に行われた横浜F・マリノスとの練習試合だった。久々に実戦形式でプレーできた中村には、喜びや意地もあったのだろう。だが、前半のうちに身体を痛めると、離脱することになった。一度、二度どころか三度、さらに四度と続けば、キャリアを重ねてきた中村とはいえ、不安に支配されていくのも当然だった。何より、これほどの負傷を繰り返したことも、痛みが消えないことも、38歳にして初めての経験だったのだから……。

「あのときは……いろいろと自分の中でオーバーしていたんだと思います。自分としては、昔から痛みに強いほうだと思っているんですよね。顎の骨や肋骨を折りながらも、プレーした試合や時期もあったので。それに、今までこんなにケガを繰り返したことはなかった。100%の力で走れない恐怖。思うようにケガが治らなかったり、動けなかったりする恐怖。周りからは期待されていることも分かっていましたし、その期待に応えられないもどかしさもあった」

「人間だから、期待されれば、やっぱり、それに応えたいと思うじゃないですか。でも、それなのに全力で走れないし、止まれないから、自分が活躍できるイメージが全く沸いてこない。このまま、自分が思い描いているプレーが二度とできなくなるのではないか。今までの自分が消えてしまうのではないか。一番底のときにはサッカーをしていない中村憲剛なんて、価値がないんじゃないかとすら考えましたよね。サッカーができない自分に意味はあるのだろうかと……」

■妻にだけもらした本音

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 それでも、クラブハウスでは、チーム最年長として、悩んでいる姿や苦しんでいる姿を見せないように努めた。誰よりもクラブのことを思えば、それはなおさらだった。中村はまるでその先にある練習場を見渡すかのように、部屋の壁を見つめながら言った。

「ここではやっぱり暗い顔をすることはできないですよね。常に笑顔というか、明るい雰囲気を保つようにしていたから、あの時期はすごくしんどかった。そして、チームメイトがそれに気づいていたことも余計に苦しかった。だから、本音は、家に帰って妻に話すことしかできなかったです」

 小学5年生になった長男に言われた何気ないひと言も胸に突き刺さった。

「パパはいつになったら試合に出られるの?」

 子どもが物心ついてから、そんな言葉を言われたこともなければ、言わせたこともなかった。

 度重なるケガ、思い通りにならないプレー、そして、そこに向き合う初めての自分。中村は「ぐちゃぐちゃになっていた」とも、「この2カ月を消してしまいたい」とも振り返った。

 そして、抱えきれなくなった中村は、唯一、本音をぶつけることができた妻・加奈子さんにこう言った。

「もう、やめたい」

 それは、ここまでキャリアを重ねてきた彼が初めて発したひと言だった。

 ただ、妻・加奈子さんは、そんな中村をこう突き放したという。

「じゃあ、やめれば」

 それは誰よりも近くで、中村憲剛というサッカー選手を見守り、見続けてきたからこその言葉だった。

【後編/自分の役割】に続く

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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です

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