クラブのレジェンドが首脳陣へ。そうした流れは、すでにドイツではポピュラーなものとなった。
ヴォルフスブルクではシェーファーが選手として10年を過ごし、ブンデスリーガ優勝を果たすなど黄金期を経験した後、現在はスポーツディレクターとしてクラブを支えている。
34歳となったシェーファーが『Goal』のインタビューに応えて、ヴォルフスブルクとの特別な絆やピッチの外での新たな役割について、また、ブルーノ・ラッバディア監督の突然の退任と後継者探しの問題について語る。
■キャリア終盤にアメリカへ行った理由
Getty Images――シェーファーさん、突然ですが3年前の今頃、2016年4月12日のことを覚えていますか?
えーっと、何だろう。その日に、僕がブンデスリーガで最後にゴールを決めたとか?
――いえいえ。もしかすると、クリスティアーノ・ロナウドの名前を挙げれば記憶を蘇らせる助けになるかもしれませんね。
ああそうか、わかったよ。マドリードでチャンピオンズリーグの準々決勝を戦った日だね。
――ファーストレグでは2-0の勝利で終えた後、ロナウドは2戦目で3点を奪って、またもや勝利をものにしました。比較的歴史の浅いヴォルフスブルクというクラブにとって、あの敗北は今までで最も苦い経験だったのではありませんか?
そんなことはないと思うよ。確かに僕たちは、ヨーロッパのフットボール界に大きな驚きを与えるようなビックチャンスを逃してしまった。けれど全体として見ればチャンピオンズリーグでは良い試合ができたし、ドイツを代表するクラブとしてヨーロッパの舞台で恥ずかしくない戦いができたと思っている。サンティアゴ・ベルナベウでの一戦は敗北に終わったけれど、この時のことは良い思い出になっているよ。それより、僕にとって一番苦い記憶として残っている負け試合のことを聞きたいかい?
――是非聞かせてください。
2013-14シーズンにここヴォルフスブルクでアイントラハト・ブラウンシュヴァイクと戦って0-2で負けた試合だよ。僕らは永遠かと思えるくらい長い時間が経った後に(この時の対戦は20年ぶり)再び最大のライバル(ヴォルフスブルクとブラウンシュヴァイクは互いに約25kmの至近距離に位置し、サポーターを奪い合う関係にある)との一戦を迎えて、そして負けてしまったんだ。本当にひどい気分だったよ。試合の後もしばらくそんな気分が続いたね。
――ですが外から見ると、マドリードで負けたあの試合の後、ヴォルフスブルクは急速に下り坂をたどりましたよね。監督や幹部は疲弊し、スター選手が何人か出ていって、あなたもまたクラブを去っていきました。
だけど僕の場合は、クラブの置かれた状況とは何の関係もなかったんだ。当時の僕は、すでにもうフットボーラーとしてそれほど活躍できる状態じゃなかった。ヴォルフスブルクに来てから10年が過ぎて32歳になっていたし、とにかくそろそろ出ていって、若い選手たちに席を譲る時期が来ていたんだよ。それにずっと以前から、引退後は別の役割でヴォルフスブルクへ戻る約束になっていたんだ。
――結局あなたはアメリカ2部リーグのタンパベイ・ローディーズへ移籍してフロリダへ向かったわけですが、これはなぜですか?
ブンデスリーガのクラブからもいくつかオファーがあって、給与の点ではアメリカの2部リーグへ行くよりそっちの方が良い話だった。けれど、もしもう一度ドイツのクラブへ移籍してヴォルフスブルクと戦うことになっていたら、僕はヴォルフスブルクに対して誠意が欠けているような気持になっただろう。
――移籍に当たっては、現役のフットボーラーとしてプレーするだけでなく、スポーツマネージメントの分野でさらに研鑽を積むことも重要だったんですね。
その通りだよ。僕は20代の半ばにはすでにいくつかの通信教育のコースを修了していたし、ヴォルフスブルクでプレーしている間もスポーツマネージメントの勉強を続けていた。ずっと勉強を続けて、現役を引退した後の準備をするのが重要だと早いうちから思っていたんだよ。そしてヴォルフスブルクを出た後、その準備をもっと進めたいと思ったんだ。2017年の時点で、MLS(メジャーリーグ・サッカー)のいくつかのクラブとも話し合っていた。確かに金銭的にはタンパベイ・ローディーズより有利な話だったけれど、選手として契約することしか話に出なかったんだ。それと違ってローディーズの方は、マネージメントの実習をしたり、近くのスポーツクラブを見学したり、スポーツ連盟や単科大学や総合大学にコンタクトを取れるようにしてくれるという話だったんだ。アメリカ行きは、僕にとっても家族にとっても自分を成長させる旅になったよ。
――どんなふうにですか?
僕がフットボールで忙しくない時には、家族でずいぶんあちこち旅行して回ったよ。いろいろなスポーツクラブを訪問して、たとえばボストン・セルティックス(アメリカのプロバスケットボールリーグのチーム)でダニエル・タイス(ドイツ出身のプロバスケットボール選手)に会ったりもした。振り返って見て、あれは僕の人生で最も実り多い時期だったと言わざるをえないね。子供たちはすっかり英語がうまくなったし、僕もこの時期にたくさんのことを学んで身につけた。大勢の人たちと知り合いになって、いろいろと有益なことを話し合うこともできた。そうしたことを考えると、他に何も見返りがなくても僕はアメリカへ行っただろうね。
■「アメリカ人はドイツ人よりオープンだ」
――ヨーロッパのスポーツクラブがアメリカから学ぶべき点はどういうところですか?
何もかも1対1で対応させて、簡単に比較するのは無理だ。僕たちがアメリカ人から学べるところもあるけれど、アメリカ人もまた僕たちから学べる部分があるんだよ。僕が特に興味深く思ったのは、アメリカ人がチームやスタッフに多額の資金を投入していることだ。たとえばローディーズには17人のトレーナーがいて、たいていのフットボールチームがそうなんだけど、その中にはポジションごとに専門のトレーナーがたくさんいるんだ。個別化ということ、ポジションごとに特別なトレーニングを行うという点で、アメリカ人は間違いなく僕たちより一歩先を行ってるよ。全体として、アメリカ人は“改革”に対して僕らドイツ人よりオープンな態度で臨んでいる。彼らは率先して50のアイデアを試してみて、結局そのうちの48はまた捨ててしまうんだ。そういう場合に僕らはもっと用心深く構えて、まず真っ先に情報を手に入れて、それからやっと試してみるからね。
――逆にアメリカ人の方が遅れているのはどういう点ですか?
問題があると感じる点は2つある。一つはフットボールをやるのにお金がかかるということだ。そのせいで、経済的にあまり余裕のない家庭に生まれた多くの才能ある子供たちが締め出されてしまっている。アメリカの場合、ヨーロッパで言うところのストリート・フットボーラーはなかなかチャンスをつかむことができないんだ。もちろん、路上や柵で囲ったどこかの街角の広場でフットボールをやることはできる。けれど、ちゃんとしたチームに入ってまともな競争の場でプレーしたいと思えば、お金がかかるんだ。僕は、これは良くないことだと思う。もう一つは、21歳か22歳になって大学を出てからプロになるとしたら、少なくともヨーロッパではタレントとして通用しないという点だ。
自分も3人の子供の親である僕としては、できるだけ最高レベルの学校教育を受けさせることにアメリカ人が大きな価値を置いていることは好意的に受けとめている。けれどそのせいで、多くの有望な選手が立派なキャリアを築くのが難しくなっているんだ。けれど、その他の点ではアメリカ人はとても良い方向へ進んでいると思う。アメリカではフットボールの人気が高まっている。今ではアメリカの若者たちの間で一番人気のあるスポーツは「サッカー」だと言う人たちも決して少なくなかった。僕自身、信じられないくらい大勢のアメリカの若者がフットボールをやっていることを知っている。あれは素晴らしい光景だったね。それに僕は、アメリカの新しい代表監督グレッグ・バーホルターは何か大きなことをやってのけるだろうと信じている。彼はTSV1860ミュンヘンで僕のチームメイトだったから、アメリカのフットボールだけでなくヨーロッパのフットボールのこともとてもよくわかっているんだよ。
――少し前、アメリカの例に倣ってブンデスリーガにプレーオフ・システムを導入するか否かが活発に議論されていましたが、あなたは導入に賛成ですか?
観客からすれば、プレーオフで優勝を決めるというのはきっとわくわくすることだろう。けれど選手の立場から考えて、歓迎できるものではないと考えている。ローディーズで嫌な経験をしたんだよ。僕たちのチームは当時とても良いシーズンを送ったのに、プレーオフの準決勝で負けてしまったんだ。そういう経験をすると実に残念な気持になるよ。その日のコンディションによって左右されるたった一つの試合のために、何カ月間も続けてきた努力がふいになってしまうんだから。もしドイツにプレーオフのシステムがあったとしたら、ここのところブンデスリーガでは何年間もずっとバイエルンがチャンピオンになっているけれど、たぶん違った結果になっていただろう。もしかすると、バイエルンだって調子の悪い日があるかもしれないんだから。けれど僕は、34節に渡って最高の成果を挙げたチームが報いられるのでなければフェアじゃないと思うんだ。
――あなたのことに話を戻しましょう。2018年の夏、アメリカに渡って1年ちょっとで、あなたはヴォルフスブルクのスポーツディレクターを引き受けることになりました。こんなに早くマネージメントの仕事へ進むことができて驚きましたか?
元々選手としてタンパベイと契約した時点で、2019年にはヴォルフスブルクへ戻ってマネージメントの方面へ進むことが決まっていたんだ。けれどそれから、誰もが知ってるように僕は選手としてたいした結果が出せなかったし、ちょっと予定が変わったんだよ。イェルク・シュマットケが幹部になるとすぐに、僕にヴォルフスブルクで仕事をしてほしいと知らせてきた。フランクフルトで彼と会ってから、とんとん拍子で話が進んだんだ。金曜にタンベイで最後の試合に出てピッチに立っていた僕は、月曜にはもうスポーツディレクターとして、愛するヴォルフスブルクの事務所に座っていたよ。
■「週に7日間フル稼働している」
getty Images――スポーツディレクターになって、あなたの生活はどんなふうに変わりましたか?
現役の頃も、確かにいつも仕事をしていた。けれど少なくとも僕の場合、今の方が長い時間働いてるよ。今は常に連絡が取れるよう待機していなければならないし、週に7日間丸々働いている。でも、それをネガティブに捉えてはいない。僕はこの仕事が好きだからね。けれど、生活のプライベートな部分ははっきり影が薄くなってしまった。もし僕がフットボーラーでクロスが苦手だとしたら、さっそくボールを持ってきて100回くらいクロスを上げて、自分を改善しようと頑張るだろう。けれど、僕がスポーツディレクターとして直面する問題を解決するためには、それよりもずっと根気強く仕事に当たらなければならないんだ。
――時にはトレーニングの後にちょっとボールを持ち出して、ゴールに向かって蹴ってみたりするんですか?
残念ながらそんな時間はないよ。自由になる時間はほとんどないけれど、そういう時間があれば家族と過ごすようにしている。確かにある意味では、もう現役の選手でないのは残念なことだ。何と言っても、あれ以上素晴らしい仕事はないからね。けれど僕は、スポーツディレクターという仕事を自分で選んだんだ。僕を知っている人なら、僕が選手として仕事に心血を注いでいたことを知っている。今僕は、新しい仕事でも同じように全力を尽くしているんだよ。
――具体的に言って、どういう仕事をしているんですか?
チームとクラブの首脳陣の間を結ぶ接点のような役割を果たしている。いろいろ込み入った仕事があるけれど、僕が一番大きな責任を負っているのはチームに関わる部分だ。僕は選手たちとたくさん話し合う。僕は自分自身が選手だったおかげで相手の身になって考えることができるから、当然ながらそれが僕の利点になっている。これまでに僕は、ブンデスリーガでプロの選手が経験する可能性のあるフットボールの世界のありとあらゆる側面をすべて経験してきている。代表メンバーやチームのキャプテンを務めたこともあれば、控えやベンチ外も経験したことがある。調子が良ければ持ち上げられて、うまくいかないと非難にさらされることも身をもって知っている。
たとえばある選手が僕のところへやって来て、「試合に出られないのはうんざりだ」とか「全然満足できない」とか訴える時に、その選手がどんな気持ちでいて、どうやったら彼の力になれるのか、僕にはよくわかるんだよ。そういったことは学校では学ぶことができない。もちろん一方では、まだまだ僕が学ばなければならないこともたくさんある。僕はシュマットケから非常に多くのことを学んでいるんだ。彼と一緒にチーム作りに携わることができて本当によかったと思っている。僕はいつも、責任というものは多くの人間が分担する方がいいと考えている。これを言うと嫌がられるけれど、今の時代のクラブは経済活動を行う企業だ。専門知識を持つ人材が多ければ多いほどクラブのためになるんだよ。
――あなたをスポーツディレクターに取り立てたことからもわかるように、マドリードで例の一戦に負けて以来、ここ数年の間にヴォルフスブルクでは少し変化が起きていますね。ピッチの上でも、過去のニクラス・ベントナーやアンドレ・シュールレのように即戦力になる選手と契約するのではなく、もっと若くて成長の余地のある選手たちに門戸を開いています。新しいヴォルフスブルクの特徴はどういうところにあると思いますか?
何より重要なのはクラブが発展することだ。僕たちが自分に言い聞かせているのは、僕たちのクラブ、僕たちの町、パートナーであるフォルクスワーゲン社の存在感を再びピッチの上でアピールしなければならないということ、“労働、フットボール、情熱”というクラブのスローガンに命を吹き込まなければならないということだ。今シーズンはそれがうまくいっていると思う。ヴォルフスブルクはよくやっている。常に素晴らしい出来というわけではないにしても、いつも間違いなく全力を尽くしている。皆が一丸となって、最高のシーズンを送れるように燃える思いで臨んでいる。これまでの2シーズンが思わしくなかっただけに、それが今シーズンの僕たちの一番の目標だったんだよ。
■ヴォルフスブルクは“醜い”町?
Getty Images――たとえばベントナーやシュールレといった選手たちにはクラブとの一体感が欠けているという非難がありましたね。それもあってヴォルフスブルクは、大金を支払っていわゆる“傭兵”を雇う代わりに、自分たちの下部組織で育った若手の方に大きな期待をかけるようになっているんですか?
自分たちで育てた若手をトップチームで使う努力をしないのなら、アカデミーは閉鎖してしまってもかまわないだろう。僕たちは常に、アカデミー出身の若い選手たちにトップチームで力を示す機会を与えたいと思っている。けれど僕は、そのうちまたヴォルフスブルクが資金力をつけて、どこかのトップ選手を雇い入れる可能性も除外しないでおきたいと思っている。目標を高く掲げれば、遅かれ早かれそうせざるをえないものだ。もう一つこれまでの経験からわかっているのは、ハングリーに自分のキャリアの前進を求めるだけでなく、僕たちがクラブとして発展するのに役立ってくれる選手を手に入れた時に、最高の結果が得られたということだ。ケヴィン・デ・ブライネがその最も良い例だよ。確かに彼はヴォルフスブルクへやって来た時すでにトップレベルの選手だったけれど、同時に非常にハングリーなところもあったんだ。彼はチェルシーで試合に出られていなかったからね。
――トップ選手に声をかけてあなたがたのクラブへ、ヴォルフスブルクという町へ来る気にさせるのは難しいことですか?
僕たちは、契約を結びたいと思う選手には誰に対しても、町のことやフォルクスワーゲン社との特別な関係についてよく理解してもらうようにしている。ヴォルフスブルクというクラブとフォルクスワーゲン社はある意味一つのものなんだ。こういう関係はブンデスリーガでしか見られない関係だ。ヴォルフスブルクへやって来る選手は誰でも、自分がどんなことに関わり合おうとしているのか正しく理解していなければならない。いったん加入すれば、10年間留まらなければならないと言ってるわけじゃない。けれど、ヴォルフスブルクにいる限り強い信念をもって仕事に当たり、最大限の力を発揮する覚悟が必要なんだ。僕たちは、ヴォルフスブルクというクラブとその進むべき道に対して一体感を持ってやっていける、そういう選手を求めているんだよ。
――“ヴォルフスブルク”という語をグーグルで検索すると、真っ先に出くわすのは「ヴォルフスブルクは醜い町だ」という一文です(※ヴォルフスブルクはナチス・ドイツが国産車製造のために立ち上げた新興都市だという背景がある)。
僕は12年近くヴォルフスブルクで暮らして、今ではこの町のことをよく知っているけれど、この町について広まっている偏見はどれもフェアなものじゃないと自信をもって言えるよ。どんな街にも長所がある一方で、美しくない側面もあるものだ。ヴォルフスブルクは暮らすだけの価値のある町だ。僕も家族もヴォルフスブルクはとても居心地がいいと感じている。僕たち夫婦はここに家を買ったし、自分の子供たちがこの町で育っていくのをうれしい気持ちで見守っている。それに僕の3人の子供たちは全員この町の生まれだから、ヴォルフスブルクは僕の一家にとって故郷のようなものなんだ。
率直に言えば、フットボーラーにとって何より重要なのはどこの町へ行くかということではなく、最大限の力を発揮するために、仕事をする上でどういう条件が整えられているかということなんだ。ヴォルフスブルクでは、ブンデスリーガで匹敵することころがないくらい条件が整っている。ここは安心して仕事のできるクラブで、その実力はブンデスリーガでも国際舞台でもすでに何度も証明済みだ。
――ですが、最近はむしろあまり結果を出せていません。これから先数年の間に、ヴォルフスブルクの旅路はどこへ向かうのでしょうか?
ひょっとすると、何年か前に到達した地点までもう一度行けるかもしれない(2014-15シーズンのヴォルフスブルクはリーグ戦を2位の成績で終え、ドイツカップでも優勝した)。誤解しないでほしいんだが、僕は今ここで、優勝を目指していると宣言しているわけじゃない。けれどたとえば、そのうちまたドイツカップで優勝を飾るのも無理ではないと思っている。この先数年のヴォルフスブルクの目標は、ヨーロッパの大会に出場する権利を手にすることだ。僕たちは一歩一歩地道に、焦らずに、その目標に取り組んでいるところだ。
getty Images――ヴォルフスブルクは新シーズンを新しい監督の下で迎えることになります。ブルーノ・ラッバディアは自らの意志でクラブを去っていくわけですが、あなたは彼の決断をどう思いますか?
まず初めに言っておきたいのは、チームのコンディションは上々で、ポジティブな状況にあるということだ。これに関しては、ブルーノと彼の率いるトレーナーたちによるところが大きいと思っている。ヴォウト・ヴェグホルスト、ジェローム・ルシヨン、ダニエル・ギンチェクといった新しく入った選手たちが非常にうまくチームに馴染めたのもブルーノのおかげだ。そもそも一緒に話し合う機会はなかったけれど、夏から先何か違ったことをやろうというのは彼が自分で考えて決めたことだ。
インタビュー・文=Kerry Hau/ケリー・ハウ
構成=Goal編集部
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「※」は提携サイト『 Sporting News』の記事です



