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レヴァークーゼン加入のM・ディアビ、PSGから移籍した理由とトゥヘルへの大きな信頼/インタビュー

16:30 JST 2019/08/16
Moussa Diaby Thomas Tuchel PSG
ムサ・ディアビはインタビューに応じ、トゥヘル指揮下のPSG時代についてと、レヴァークーゼンへの移籍について語った。さらに、彼の理想とする選手像について、ネイマールとプレーした経験についても話してくれた。

ムサ・ディアビは2017年にパリ・サンジェルマンと初めてのプロ契約を結んだ。それから2年も経たないうちに、この20歳のフランス人には1500万ユーロ(約17億6000万円)もの移籍金がつけられ、レヴァークーゼンで7番目に高い選手として加入することになった。

『Goal』と『SPOX』による共同インタビューに応じたディアビは、彼の幼少時代、FCクロトーネへの移籍、パリ・サンジェルマン指揮官のトーマス・トゥヘルへの強い尊敬の念、そしてスーパースター・ネイマールの人物像などを語ってくれた。

■PSG加入から厳しい下積み

――ディアビさん、あなたはパリで生まれ、2013年からパリ・サンジェルマン(PSG)でプレーしていましたね。サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。

僕はパリ北東部にある19区の生まれで、早くから友人と公園でボールを蹴って遊んでいたんだ。パリで生まれ育ったら、男の子の一番人気のスポーツといえばサッカーなんだ。僕はリオネル・メッシの大ファンで、もちろんPSGの試合も見ていたよ。そして、兄が僕をエスペランス・パリというすぐ近くのクラブに入れてくれたんだ。僕は普段学校に通っていて週に3回練習に行っていた。6、7年はエスペランスでプレーしたね。

――そして2013年にはPSGに加入します。PSGに入ることになった経緯を教えていただけますか?

シーズン最後の試合の後でPSGの人がやってきて、僕のプレーを見るためのインターンシップのようなものを提案してくれたんだ。もちろん、僕はチャンスにかけてみることにした。そしてそれがうまく行って、少し経ってから5年契約を結んだんだ。そのうち2年はいわゆるプレ・トレーニングといったところで、トレーニングセンターに行ったのは次の3年だった。それからはもう厳しい道のりだった。とてつもなくハイレベルな集団の中で自分の能力を示さないといけなかったからね。さらに、頂点に立つためには多少の犠牲がつきものだ、と学ぶことになる。まず起こったことは、僕は家族や友人と全然会えなくなった。2週間近くも会えないこともあった。センターから学校にも行っていたんだ。全てを同じ場所でやって、授業と練習をいつも交互にできるようにね。

――4年後の2017年には、次の契約を結びました。キャリア初のプロ契約です。PSGからはどのような展望が伝えられたのでしょうか?

あの時、プロ契約がうまく行ってとても嬉しかったのを今でも覚えているよ。来る日も来る日も成長していることが、自分でも分かったんだ。そして、僕をセンターで預かるわけにいかない、練習やシーズンをプロと一緒に過ごすべきだと言われたんだ。でも、練習試合ではあまりうまく実力を示せなくて、その結果として比較的早くにクロトーネへレンタル移籍することになったんだ。

■クロトーネへのレンタルは難しいものに…

――2018年1月には、パリの外で初めて生活することになりました。その時はどう感じましたか?

最初はとても大変だった。パリは自分の街のような感じだったし、全てがある街だったから。いつも友達を移籍先に呼んだりしていたんだけど、そうするうちに徐々にチームに馴染んでいくことができた。クロトーネでの生活は、確かに長い目で見ればパリよりも簡単だった。けれど、選ぶことができたのなら、パリを選んだんじゃないかな。

――4月にはクロトーネで初めて試合をしました。デビューから1週間後には再びプレーするチャンスを得ていますが、それが最後の試合になってしまいました。セリエAの出場数が2試合に留まってしまったのはなぜでしょうか?

僕のプレースタイルや体のコンディションに合っていなかったんだ。ひっくるめて言えば、チームの状況が悪かったし、クラブの周囲で色々な議論が巻き起こっていた。監督は単純に、経験の多いベテラン選手を信頼していた。僕はたくさん練習したし、できるだけうまくやろうとしたよ。結局残念ながらうまく行かなかったけれど、そこでたくさんのことを学んだよ。だから、2試合以上は出たかったけれど、あのときの経験があってよかったと言えるよ。

――クロトーネはそのシーズンでセリエBに降格してしまい、あなたはパリに戻ることになりました。移籍期間は半年だけだと最初から決まっていたのですか?

そう、最初からそういう取り決めだったんだ。たとえ移籍先で素晴らしい成績を残したとしても、それは変わらなかったと思うよ。

――PSGの監督がトーマス・トゥヘルになることは、戻る前から知っていましたか?

いや、知らなかった。彼の下では最初からうまくやることができた。トゥヘルは僕をすぐにチームに受け入れてくれたんだ。通常通りプレシーズンにすべて参加させてもらえたし、テストマッチでプレーを見せる機会も何度かもらえたよ。

――その頃、HSCモンペリエからレンタル移籍のオファーがありました。それはなぜ実現しなかったのでしょうか?

移籍の話について、監督や、チームの担当者、代理人、家族と長い時間をかけて話し合ったんだ。僕自身はモンペリエに行ったほうがいいだろうと思っていた。試合に出て定位置を確保したかったし、そうすることで僕はプロになれたわけだからね。

――そして、なぜパリに残ることにしたのですか?

トゥヘルが反対したんだ。彼は僕に残って欲しいと言った。僕は彼の下で上手くなれるし、十分なプレー時間を得られるようにするとトゥヘルが約束してくれたんだ。結局、他の若手と同じように、定位置をずっと確保するまでには至らなかったのだけれど、それでもウナイ・エメリの下でやるのとはずいぶん違ったと思うよ。トゥヘルは最初から僕のことを信頼してくれていたんだ。彼と一緒にならなければ、こんなに早くレヴァークーゼンに来ることはできなかっただろうね。

――トゥヘルと1年間を共にした印象はどうですか?

本当にいい監督だったし、今でも好きな監督だ。本当にフレンドリーだけど、一方でとても野心的な一面のある監督なんだ。若い選手と仕事することを楽しんでいるのがはっきりわかるし、若手を上達させることができるんだ。彼はいつも若手にアプローチしていくんだ。監督のチームのまとめ方が僕はとても好きだった。技術練習に非常に重きを置いていて、これまでパリではやらなかったような素晴らしい練習方法や指導法を導入してくれたんだ。それが僕たちも楽しくて、その練習方法のおかげでクラブは本当に助かったと思う。彼がPSGでなすべきことはまだたくさんあるけれど、確実に成功すると思う。トゥヘルに関してはいいことしか出てこないよ。

――マインツやドルトムントでは、トゥヘルの練習は特に頭を使うものが多かったと聞きます。その点についてはどう思いましたか?

たくさんのことを選手に問うことは有名だよね。彼は練習に関する要求が激しくて、日頃からやる気や勝ちたい気持ちを前面に出せば週末の試合にも勝てるのだと確信していたんだ。集中力を高く保つのは簡単じゃない。でも、そこで僕が失敗して責任を負うことになっても、彼はすぐに僕を元に戻してくれるんだ。

■ネイマールやムバッペらスターを語る

――PSGではエディンソン・カバーニ、キリアン・ムバッペ、ネイマールといった最高峰の選手たちと過ごしました。ネイマールとはどんな人物でしたか?

彼と会ってみて、普通の人だと思ったよ。彼はスター然としていなかったし、がめつくどんなボールでも要求するような人じゃなかった。彼が経験豊富なのは周知のことだけれど、それでも彼は皆を平等に扱ってくれるんだ。ネイマールとの関係に支障をきたす人はいなかったよ。

――すると、間違った印象が広まっているということになりますか?

少なくとも、ピッチで人格が変わるとは思っていないよ。彼についてはいろんなことが取りざたされているけれど、いつだってナンセンスだ。外から見た印象だけでどうやって彼の人間性を評価しようっていうんだ?

――練習であのシミュレーション(ダイブ)をやっていたことはありますか?

あったけど、そんなに多くはなかったかな。それに、あれをやるのはネイマールだけじゃないしね(笑)。

――ムバッペのことはどう思いましたか? 彼との歳はほんの数カ月違いですよね。

素晴らしい勝者のメンタリティを持っていたよ。常にゴールを狙っていて、練習でも奪ったゴールの数を数えているんだ。もちろん、キリアンは僕たち若手ととても仲がよかったし、結局彼はそのうちの一人なんだ。だからこそ彼は僕たちが何を練習していて、最近どうしているかよく分かっているんだ。彼もまさに同じことをするんだけど、彼は人より上手くなるのが速いから、普段の練習試合で披露することが怖くない。僕たちより何歩か先を行っているんだ。

――PSGが昨季のクープ・ドゥ・フランス決勝でレンヌに負けた後、ネイマールはチームの若手を指し、ベテランのアドバイスを聞き入れないと批判しました。これについてはどう思いますか?

聞いたよ。でも僕にはコメントできないな。彼がどういう意図でそれを言ったのか分からないし、どんなメッセージを残したかったのかも分からないから。僕が若手だということは分かっているけれど、必ずしも僕のことを指していたとも限らないしね。だからそれにはコメントできないし、コメントするつもりもないよ。

――若手とベテランの間ですれ違いがあったのではないですか?

いや。ロッカールームではみんないい雰囲気だし、お互いに笑い合っていたよ。その点は疑いの余地がない。ベテランが若手に話しかけてくれる時は、若手は話をちゃんと聞いてアドバイスを受け入れようとしていたよ。意見を聞き入れないような状況は見たことがない。

■「プレッシャーには思わない」

――昨シーズン、トゥヘルの下であなたは公式戦34試合に出場し、4ゴール7アシストの結果を残しました。PSGを離れることになるとわかったのはいつ頃ですか?

はっきりとした時期はなかったかな。パリに残りたい気持ちもあったけれど、そこで物の見方を大きく変えなくてはいけなかった。僕は経験がまだ浅いから、すぐにでも定位置をつかんでプレーする必要があったし、なるべく早く成長したかった。だから、他のチームを探す必要があるし、レンタル移籍じゃない方がいい。ならPSGのようなたくさんの攻撃的ポジションがあるチームに行きたい。強い選手がいて、僕もすぐにレギュラーになれそうなチームがいい。そんな機会をパリで待ち続けていたんだ。たぶん、その期間は長すぎた。そういう点で、レヴァークーゼンがくれたオファーは素晴らしい機会だった。CLでプレーできる、ドイツでトップクラスのクラブだしね。

――あなたの決断についてトゥヘルはどう言っていましたか?

まずブンデスリーガについて教えてくれて、ドイツサッカーの基本的な事情を教えてくれた。レヴァークーゼンの話になった時、そこは僕にとっていいクラブだと言ってくれた。攻撃的な哲学を持ったクラブだから、僕に合っていると言っていた。パリでは十分な試合数を確保してもらえなかったから、そういう意味では、今度こそレヴァークーゼンで再起したいと思っているよ。

――レヴァークーゼンではピーター・ボス監督が指揮していますが、彼はフランス語に堪能です。もし監督があなたの母国語を話せなかったとしても、海外に行っていましたか?

もちろん。けれど、監督がフランス語を話せるのは本当にラッキーで、とても助かるよ。けど、ピーター・ボスは語彙力を増やさないといけないな(笑)。

――レヴァークーゼンについて事前に知っていたことはありますか?

以前試合を見たことがあるよ。その頃は僕がそこに行くとは想像もできなかったけどね。レヴァークーゼンはいつも国際的なトーナメントに出ているし、CLにもとても頻繁に出場しているよね。もちろん、僕がそこでチャレンジしていくとなったら、多くの時間をレヴァークーゼンのために費やすつもりだ。僕はチームが目指す攻撃的なサッカーが好きだし、いい選手がたくさんいると思っている。だから、プロジェクトは全てうまく行くとすぐに確信したし、特に僕のスピードが力になると思っているよ。

――レヴァークーゼンがパリに支払った移籍金は1500万ユーロ(約17億6000万円)と言われていますが、これはクラブ歴代7番目の額になります。この金額についてはどうでしょうか?

最近の移籍金に照らして言えば、むしろ安いんじゃないかな(笑)。でも、この金額を見て誇らしく思うよ。レヴァークーゼンにとっては大きな金額だからね。プレーでこの金額が正しかったと証明して、クラブとサポーターが僕のことを誇りに思ってもらえるようにするんだ。

――メディアでは、すでに「PSGのスーパータレント」とか「パリの宝石」などと書かれています。

プレッシャーには思わないよ。実際はPSGのスーパータレントなんかじゃなくて、パリで練習した選手のうちの一人にすぎないんだけどね。けれど、PSGにいたことが特別なことで、PSGからレヴァークーゼンに選手が移籍してきたからマスコミが誇張して宣伝している、ということはよくわかっているよ。普通はパリからもっと大きいクラブに移籍するものだからね。けど、さっきも言ったように、僕はまだ若いプレイヤーだし、この道がよかったと確信している。レヴァークーゼンが僕にとって一番の選択だと信じているよ。

インタビュー・文=ヨヘン・ティットマール/Jochen Tittmar

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