Yerry MinaGetty Images

バルセロナへやってきたジェリー・ミナのこれまで…どのような少年時代を過ごしたのか?

グアチェネ(コロンビア)では多くの人々が月100ドル(約1,1000円)以下で日々の生活を送っている。グアチェネはコロンビア、カウカ県の42町村あるうちの1つの村である。ジェリー・ミナはグアチェネで生まれ育ち、1200万ユーロ(約16億円)でバルセロナの新戦力となった。

彼は飢餓に苦しむことはなかったが、幼少期からの幼馴染とはかけ離れ、想像もしていなかった運命を辿ることになった。

バルセロナ史上初のコロンビア人選手となったミナは、暴力事件が多発していた2万人ほどが暮らす貧しく小さな村で生まれ育った。そこで、サッカーボールを夢中で追いかける楽しさを初めて知った。実際には、非常に厳しい環境にも屈せず、サッカーボール1つで世界に名を轟かせた選手は彼だけではない。だがその中でも彼のように名門中の名門、バルセロナでリオネル・メッシやアンドレス・イニエスタ、その他のスター選手とプレーしたという人間は彼の村出身ではいない。

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ジェリー・ミナはバルセロナでセンターバックとしてのプレーを期待されているが、それはパルメイラスではあまりプレーしてこなかったポジションである。小さい時からサッカー選手になることを夢見ていたが、9番や10番を付けるようなありきたりで、ゴールを常に決めたいという選手ではなかった。当初、彼は父親や叔父たちのようにキーパーになりたかったという。だが、父親はキーパーよりもミッドフィルダーが合っていることをアドバイスし、彼のキャリアのスタートであるデポルティーボ・パストでは、守備的ミッドフィルダーでデビューを飾った。

また、最近になってSNSで投稿された彼のダンス動画はフェイクビデオではないということも付け加える必要がある。彼は音楽を愛していて、特にサルサ、サルサ・チョケという種類のダンスを愛して止まない。幼少時代は極度の恥ずかしがり屋だったというが、今ではそうした面影はなく、冗談やダンスを披露したりすることを恥ずかしがることはないという。

人生が彼のキャリアアップやサッカー選手としてのエリートになるチャンスを与えた。だが彼は、子供の頃からの謙虚さと明るさを持ち、日々目標へとひたむきに進んでいる。彼の幼少期、プロデビュー当時から応援してくれている人、支えてくれた人がいるように、彼もまたその恩を忘れず自ら個人で”ジェリー・ミナ財団法人”を創設し、彼の生まれ故郷グアチェネの子供、大人を含めた約2000人の資金援助を積極的に行っている。

生まれ故郷であるグアチェネからは遠く離れることになってしまったが、ジェリー・ミナは夢であったバルセロナの一員としてプレーをする。彼は自分の生まれ故郷、自分のこれまでの人生への誇りと努力を忘れずに彼らしく邁進していくだろう。

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