オランダ生まれで現在46歳になるアルフレッド・スロイデルは2015年から2018年の初めまでクライヒガウ(ホッフェンハイムのホームタウン、ジンスハイムがある地方)でアシスタントコーチを務めていた。
ゆえに、彼にとって今回の就任は古巣への復帰であり、彼がすでに補佐役を務めたことのあるユリアン・ナーゲルスマンの後を継ぐのはさして驚くべきことではない。
去る2017年3月、スロイデルは『Goal』のインタビューに応え、そもそも監督の仕事に足掛かりを得ることになった経緯や彼がナーゲルスマンに感服する理由を明かし、オランダのメディアが彼に付けた “出番なしのアシスタントコーチ” について語った。
■「若いころから監督になりたかった」
Getty――監督という職業をどのように捉えていますか?
監督という仕事は、とにかく家族にとってはありがたくないものなんだ。一日中フットボールのことばかり考えていて、夜になってもまだ試合中継を見ていることもよくあるからね。
――それでも、あなたの監督という仕事に対する熱意は凄まじいものですよね。
とにかく、若い頃から監督になりたいと思っていたよ。私は1990年代の初めに、1974年のW杯決勝にも出場したヴィム・ヤンセンに誘われてフェイエノールトでプロになったんだが、ヤンセンのチームとの関わり方に非常に感銘を受けたんだ。それに、フーブ・ステフェンスの名前も挙げないわけにはいかない。彼は、ユース時代の私がフェイエノールトからPSVアイントホーフェンの寮へ移って、大きな一歩を踏み出せるようにしてくれたんだ。あの頃はハードな毎日だったよ。1週間のうち、家族のもとで過ごせる時間は20時間しかなかったんだから。3年間ぶっ続けで。しかも、ずっとフーブの下でね(笑)。 けれど、フーブにはとても感謝しているよ。彼のおかげで、私は選手としても人間としても急速に成長することができたんだ。
――そして、監督としての第一歩を踏み出しました。
キャリアを終えた直後には、もちろん私はまだ監督ライセンスを持っていなかった。私が2008-09シーズンにアーネム(SBVフィテッセのホームタウン)へ移った時、残念ながら今はもう故人になってしまったけれど、“ミスター・フィテッセ” と呼ばれたテオ・ボスがフィテッセの監督に復帰したんだ。彼は、私が現役を退いて彼のアシスタントコーチをやる気はないかと尋ねた。私たちは気心の知れた仲だったから、私はすぐにそうすることに決めたんだ。そして半年間で、チームは降格争い圏内の17位から10位へと躍進したんだよ。
■「出番なしのアシスタントコーチ」
Pro Shots――フィテッセで好調だったにもかかわらず、すぐにFCトゥウェンテへ戻った理由は何だったのでしょうか?
それがトゥウェンテのユープ・ミュンスターマン会長との約束だったんだ。つまり、フィテッセで1年間過ごしたらエンスヘーデ(トゥウェンテのホームタウン)へ戻って、コーチングスタッフの一員として仕事をすることになっていたんだよ。後から考えると、そうしてよかったと思うよ。というのも、トゥウェンテではフレット・ルッテンがアシスタントコーチのエリック・テン・ハーグを連れてアイントホーフェンへ移っていったから、代わりに私がスティーヴ・マクラーレンの下で新しいアシスタントコーチとして働くことになったんだよ。
――2012年にはあと少しでオランダ代表アシスタントコーチになるはずでしたよね?
2003年にベルト・ファン・マルヴァイク(当時のフェイエノールトの監督)がNACブレダにいた私を誘ってくれて、私は再度フェイエノールトに所属することになったんだが、それ以来ずっと私と彼は密に連絡を取り合っていた。ベルトは以前から、自分の下でプレーしていた選手をアシスタントコーチにして一緒に仕事をするのが好きだったんだ。ヨーロッパ選手権が始まる半年前の冬には、すでに何もかも準備が整っていた。フィリップ・コクー(当時アイントホーフェンとオランダ代表のアシスタントコーチ)がアイントホーフェンの監督になって、私が “オレンジ軍団”(オランダ代表の愛称)のアシスタントコーチになるはずだった。
けれど、私の契約は言ってみればベルトと込みになっていたから、彼が解任されてルイ・ファン・ハールが自分のスタッフを連れて代表監督に就任すると、残念ながら話は御破算になってしまったんだ。とにかく、その頃オランダメディアが書き立てたように、私は “出番なしのアシスタントコーチ” で終わってしまったんだよ。

――それでも、トゥウェンテで初めて監督のポストを手にしました。
もちろん私は監督になりたかった。アシスタントコーチとして働くことは、特に最初のうちは非常に役に立ったよ。あらゆる試合経過やそれに伴う決断について勘を養うことができたからね。特にトゥウェンテでは、少しばかり監督の役割も果たすことになったしね。スティーヴ・マクラーレン(当時のトゥウェンテの監督)の2度目の在任期間がすぐに終わったせいで(2012年1月~13年2月)、シーズン終盤には私が監督の仕事を引き受けたんだよ。その間にあったいくつかの試合はなかなかうまい具合にいったから、クラブは引き続き監督を務める気はないかと訊いてきた。私はライセンスを持っていなかったから、オランダフットボール連盟と話し合って、ミシェル・ヤンセンとの協力体制でやることを認めてもらったんだ(2013-14シーズンにヤンセンを監督に据えている間にスロイデルがライセンスを取り、次のシーズンにスロイデルが監督に就任した)。
■「ナーゲルスマンは最高の監督だ」
Getty Images――ともに仕事をした監督たちから学んだことはありますか?
確かにどの監督からも学ぶところがあったけれど、何を学んだのか具体的に説明するのは難しいね。けれど、最も印象に残っているのがミシェル・プロドームだということは間違いない。プロドームはKAAヘントを率いてリーグカップで見事な優勝を飾った後、手足となって働くスタッフを誰も連れずにたった一人でトゥウェンテへやって来たんだ。彼は何もかも自分で面倒を見て、いろいろと新しいことを、特に新しいプレーシステムを導入しようとしていた。私たち選手は自分の胸に尋ねたよ。今のままでうまくいっているのに、なぜ彼はこんなにたくさんのことを変えようとするんだろうかって。彼にとっては、前の年から持ち越してすでに馴染みになっている成功の感覚をほんの少し変えることが特に重要だったんだ。
初めのうちは私たちの思った通りになって、あまりいいシーズンスタートじゃなかった。けれど、最終的にプロドームはオランダ・カップとオランダ・スーパーカップでの優勝をものにして、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の準々決勝に進出することまでやってのけたんだ。アムステルダムで行われたシーズン最終戦でアヤックスに負けたせいで、たった勝ち点1の差でリーグ連覇は逃したけれどね。
――コーチとしてともに働いたユリアン・ナーゲルスマンはどうでしたか?
私は確かにフットボールのことがよくわかっている。彼の若さを思えば、私の知るナーゲルスマンは驚くべき監督だったし、それは本当にとても興味深いことだ。もちろん彼は私が今まで共に仕事をした中で最年少の監督だが、同時に、私がこれまで出会ったすべての監督の中でも最高の監督だね。
インタビュー・文=ヨヘン・ティットマール/Jochen Tittmar
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