この世に存在する多くの伝説に比べれば、サン・ジョルディの伝説を要約することはさほど難しいことではない。
とある村を苦しめていたドラゴンが、生贄となった王の娘を食べようとしていたときの話だ。サン・ジョルディという名の騎士が現れ、激しい戦いの末に怪物を打ち倒した。ドラゴンの傷口から溢れ出た血にはとても美しい薔薇が咲いたという……。
この物語は、4月23日に薔薇をプレゼントする伝統がカタルーニャの村々に生まれるきっかけとなった逸話として知られている(現在のように本をプレゼントする習慣が生まれたのはそれよりもずっと後のことだ)。そう、毎年、サン・ジョルディの日(4月23日)が来ると、カタルーニャは地元の人々や観光客を楽しませる愛らしい祭りへと姿を変える。
■サン・ジョルディの日を彩ったバルセロナ
春、本、そして薔薇……。誰をも魅了するこの完璧とすら言える取り合わせに、今年はクラシコというもう一つの彩りが加わった。世界最高の試合となったレアル・マドリー対バルセロナの一戦は、サン・ジョルディの祭りを祝うカタルーニャにとってこれ以上ないオーナメントとなった。
クラシコはただの1試合として済ませられるものではない。スポーツ、社会、政治を取り巻く情熱、そして、スペインというフィエスタに対する愛情と憎しみが複雑に交錯する特異な国に暮らす人々の情熱が、90分間に集約されるのだ。さらに今回のクラシコは、今シーズンのリーガを占う上でも重要な一戦であった。
レアル・マドリーはバルセロナより僅かに有利な状況でこの日を迎え、試合を通じて自分たちを信じて戦い続けた。バックミラーを持たないマドリーには守備の綻びが見えたものの、背後の不安を補うように絶え間なく、かつ果敢に攻撃を仕掛けながら相手ゴールを目指した。セルヒオ・ラモスの退場によって1人少ない状況に追い込まれたが、彼らとしては“いつもの物語”を書き続けるだけだった。サンティアゴ・ベルナベウでは見慣れた、負け試合を引き分けに持ち込むという脚本を、だ。マドリーにとって十八番ともいえる展開が、何の狂いもなく、すべてが用意された台本通りに進んでいった。
だが、いつもの結末が訪れることはなかった。今にも死んでしまいそうだったバルセロナは、土壇場でゴールを決めるという宿敵のお株を奪う方法で見事に蘇ったのだ。マドリーとサポーターからすれば、思ってもみない筋書きだったに違いない。
歓喜と沈黙の瞬間はバルセロナの並外れたチームプレーとベストプレーヤーによってもたらされた。リオネル・メッシは残酷な男だ。彼は考えうる限り、最も痛ましい方法でレアル・マドリーを葬り去った。ジョルディ・アルバから送られたボールを受けて左足を振り抜いたとき、時計は91分47秒を刻んでいた。試合が終わるまで一分もない……相手に反撃を全く与えない時間帯に、勝負を決する一撃を決めたのだから。
得点後に見せたセレブレーションは、バルセロニスモ(バルセロナ主義)の記憶に深く刻まれたことだろう。メッシはユニフォームを脱ぎ、サンティアゴ・ベルナベウのスタンドに向かってただそれを掲げた。その行動はある少数の者にとっては挑発として、そして大部分の者にとっては“主張”として映った。アウェーの地で、メッシはまるで剣を持ったサン・ジョルディのようにドラゴンの手からチームを解き放ったのだ。
もし伝説というものがただシンプルでわかりやすい行動の上に成り立つとすれば、メッシは今回の一戦でカタルーニャの人々のセンチメンタルな感情を形成する一部になったといえる。サンティアゴ・ベルナベウを征しただけではない。永遠のライバルのお株を奪い、世界中の……特に“主張”を胸に秘めたカタルーニャの人々を掻き立てる行動によって、勝利を装飾したのである。スペインで最も有力な権力の中心地の一つで、メッシはバルセロナのユニフォームをスタンドに見せつけた(サン・ジョルディの伝説に比べればまったくもって平凡な話ではあるが、サンティアゴ・ベルナベウのパルコ(貴賓席)はスペインの政治が複雑に絡み合う場所だといわれる)。それは、あたかもサン・ジョルディが打ち倒したドラゴンの首を手に持って、村人たちの前に帰還したかのようだった。
■悪夢を断ち切った英雄メッシ
バルセロナという唯一無二のクラブにとって、サン・ジョルディの日はほとんど良い結果を手にできない鬼門とも呼べる日であった。
喜びは決して完璧に満たされることはないと言われる。そもそも、春、本、薔薇に加え、さらにバルサまでも楽しみたいというのは少々欲張りすぎる話かもしれない。サン・ジョルディの日である4月23日、チームはこれまで取り返しのつかない失敗を繰り返してきた。1975年のヨーロッパカップ準決勝でリーズ・ユナイテッドに屈したほか、2013年にはチャンピオンズリーグ準決勝でバイエルン・ミュンヘンに無残な敗戦を喫した(4-0)。また、2002年には永遠のライバルであるレアル・マドリーに、その後何カ月も後を引く敗戦(0-2)を喫したこともある。
しかし、すべてが過去の話になった。メッシが示した生涯最高のプレーの一つが、これらの痛ましい悪夢をすべて消し去ったのだ。このアルゼンチン人はフットボール、ゴール、そしてヒロイズムによってそれを成し遂げたである。
この試合、メッシは序盤にマルセロの肘打ちによって口から血を流したが、ハンカチを咥えながらプレーを続行し、同点ゴール、そしてついには決勝点を決めてみせた。もし伝説というものが血の上に成り立つとすれば、サンティアゴ・ベルナベウの芝生の上に流れた血によって、新たな寓話がマドリードで生まれたことになる。
「バルセロナのサポーターは騎士の到来を待ち望んでいた。そして2017年4月23日、メッシは現代の英雄となった」
こうした言葉がサン・ジョルディの伝説と同様に、語り継がれていっても何の不思議もない。
文=ハビエル・ヒラルド/Javier Giraldo(スポルト紙記者)
協力=江間慎一郎




