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Ivica Olic Croatia 12112017Getty

クロアチア代表のロシアW杯成功の裏側。オリッチAC「あの時の光景を忘れない」/インタビュー

クロアチア代表の一員として数々の大会に臨みながらも繰り返し落胆を味わってきたイヴィチャ・オリッチだが、昨年のロシアW杯ではアシスタントコーチとして準優勝の喜びを味わった。

オリッチは『Goal』のインタビューに応えて、W杯での苦しい道のりやザグレブ(クロアチアの首都)での熱い歓迎の模様を振り返る。また、クロアチアの路上で過ごした少年時代を回想すると共に、ブンデスリーガで監督を務めるという目標を明かす。

さらに、マルセロ・ブロゾヴィッチの傑出したダーツの腕前や、練習の出来が悪いと食事が摂れなくなったバイエルン時代の監督ルイ・ファン・ハールのこと、クロアチア代表時代のチームメイトの中でただ一人早寝をしていたニコ・コバチの思い出についても語る。

■「ロシアW杯で僕たちはみんなを幸せにした」

russia croatia - ivica olic ivan rakitic - world cup - 07072018

――オリッチさん、あなたは1年半前からクロアチア代表のアシスタントコーチを務めていますね。そこへ至るまでにはどういう経緯があったのでしょうか?

2017年の夏にキャリアを終えた後、1年間はフットボールから離れて、家族と過ごす以外は何もせずに静かに暮らしたいと思っていた。けれど、W杯ヨーロッパ予選のプレーオフでクロアチアがギリシャと対戦する直前に、ズラトコ・ダリッチから電話があったんだ。彼自身もそのちょっと前に代表チームの監督の職を引き受けたばかりだった。彼は僕に「アシスタントコーチを務める気はないか」と訊いたんだ。僕は一瞬もためらわずにすぐに承諾の返事をしたよ。

――承諾してよかったと思ったことでしょう。クロアチアはプレーオフを切り抜けたばかりか、ロシアW杯で準優勝を果たしたのですから。2018年の夏を振り返る時にまず思い出すのはどんなことですか?

クロアチア代表チームの固い結束のことだ。ああいうのはそれまで一度も経験したことがなかったよ。たくさんのメンバーが2カ月間もずっと一緒にいれば、普通はいろいろと問題が起こるのが避けられないものだ。それなのに、僕たちのチームでは喧嘩一つ起こらなかった。夫婦の間でさえ、そうはいかないものなのにね。僕たちコーチングスタッフは、試合が終わった後の時間をどう過ごすかは選手たち自身に任せていたけれど、選手たちは進んでいつも一緒に食事をして、その後もまだ何時間も一緒に過ごしていた。一緒におしゃべりしたり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、ふざけたりしていたよ。

――選手たちはどんなゲームをしていたんですか?

プレイステーションをやってる選手もいたけれど、ほとんどの時間はダーツをやっていた。何人か本当に上手いやつがいたんだが、特にマルセロ・ブロゾヴィッチは断トツだった。彼の場合、180点(ダーツで1ラウンドの最高得点)取るのが普通のことなんだ。ブロゾヴィッチはまだ26歳だから、この調子で続けていけば、フットボーラーとしてのキャリアを終えた後にダーツで食べていける腕前だ。選手たちは時々卓球もやっていたけれど、卓球の場合はわりと互角の勝負が展開されていた。確かにブロゾヴィッチは卓球をやらせても一番上手いメンバーの一人だったけれど、デヤン・ロヴレンやルカ・モドリッチも同じくらい上手いからね。

croatia - drazen ladic ivica olic - 2018

――フットボールに話題を戻しますが、ロシアW杯の本大会では、クロアチアは決勝に至るまでのすべての試合で延長戦を戦わなければなりませんでした。肉体的にかなりハードだったはずですが、どうやって持ちこたえたんでしょうか?

僕も不思議に思っているよ。ラウンド16で僕たちがPK戦でデンマークを破った後、ロッカールームへ行くと、選手たちは見間違いようなく消耗しているのがわかった。その様子を見た時、僕は準々決勝では勝ち目がないだろうと確信したんだ。次に準々決勝のロシア戦で同じようにPK戦で勝利を収めた後も、また同じ光景が待っていた。それでも僕たちはイングランドも破り、さらに先へ進むことができたんだ。大会に参加している期間が長くなるにつれて、選手たちがマッサージベンチで過ごす時間も長くなっていったよ。

――そしてついに、フランスとの決勝戦がやって来たんですね。

あの試合に負けるわけにはいかなかった。すでに僕たちは、大会前には誰も予想しなかったところまで到達していたんだからね。前半は、あの大会中の僕たちの試合の中でも最高の出来だった。フランスが僕たちを恐れているのが感じられたんだ。それから例のPKを決められて1-2になってしまったけれど、あれは本当なら取られなくていい反則だったはずだ。あれで僕たちは力を削がれてしまった。主審(ネストル・ピタナ)はレビュー・エリアで10回くらいあの場面をじっくり検討していた。つまり、彼自身も自信がなかったんだよ。今では彼にもわかっているだろうね、あの時の判定は間違いだったって。主審があの時ホイッスルを鳴らしたせいで、決勝戦の行方が決まったんだよ。

――決勝戦には敗れたものの、W杯が終わってザグレブに帰ったあなたがたのチームはまるで優勝を果たしたような歓迎を受けましたね。あの時については、どんなことが記憶に残っていますか?

決勝戦が終わった夜、僕は全然眠れなかった。次の日、僕たちは朝早く飛行機に乗ってザグレブへ戻ったんだ。ザグレブでは、夢にも思わなかったようなことが起こっていた。空港から町の中心部まで、通りという通りが人で一杯だった。赤ん坊から年金で暮らしている90歳の老人まで、誰もがそこにいた。そこにいるすべての人たちが、僕たちのおかげで幸せを感じていたんだ。あの時の光景を僕は決して忘れないよ。あれは間違いなく僕の人生で最も素晴らしい瞬間だった。けれど、僕たちに熱狂したのはクロアチアの人々だけじゃなかった。それからはどこへ行っても、イタリアでもフランスでもドイツでも、人々が自分はクロアチアファンだと言うのを耳にした。僕たちは、何百万という人々の共感を勝ち得ることができたんだよ。

■「僕の頭の中にはフットボールのことしかなかった」

ivica olic - croatia - 2004

――あなたがまだ現役の代表選手だった頃、クロアチアは何度も優勝候補の一員としていろいろな国際大会に出場したものの、結果はうまくいきませんでしたね。

ああやって何度も挫折を経験したことで、僕はいつまでも、自分のキャリアに埋められない穴が開いているように感じるだろうね。一人ひとりのメンバーはいつも素晴らしい選手がそろっていたんだが、チームとしてのまとまりが欠けていたんだよ。2018年のW杯を経験して、僕にはやっとそのことがはっきりわかったんだ。

――EURO2008のトルコ戦に敗れて準々決勝で敗退したことは、おそらく最も苦い思い出として残っていることでしょう。119分にイヴァン・クラスニッチのゴールで1-0になった直後にセミフ・シェンテュルクから同点ゴールを決められ、結局PK戦でトルコが勝利を収めましたね。

あれは僕のキャリアで最悪の瞬間だった。当時のメンバーならタイトルを取れると僕は確信していたんだから。あの試合の後、1カ月はフットボールの試合を見ることができなかった。フットボールに関わりのあるあらゆることに対して嫌悪を覚えたんだ。あんな気持ちは前にも後にも経験したことがないよ。

――ですが、クロアチアはスポーツ全般に渡って大きな成果を挙げていますね。人口400万足らずの小国でありながら、実に様々な種目のスポーツにおいてかなりの数のワールドクラスの選手たちを輩出しています。その理由はどこにあるのでしょうか?

実際、ただただ驚くばかりだね。スポーツの分野で僕たちにできないことはないみたいだ。スキー競技でもオリンピックで優勝した選手がいるんだから。それも、クロアチアで雪が積もってる期間は、1年のうち1カ月くらいしかないかもしれないっていうのにね。もしかしたら、とにかく僕たちクロアチア人のDNAは特別なのかもしれないね。僕たちには生まれながらに、独特のファイティング・スピリットが宿っているんだよ。それから、クロアチアでは教育条件が最高の状態にあるとは言えないことも理由の一つなんじゃないかと思うよ。

――それはどういうことですか?

僕は16歳になるまで、ただ路上でフットボールをやっているだけだった。他に何かすることがあるなんて、誰からも教わらなかった。僕は自分で自分の道を切り開くしかなかったんだ。今ではクロアチアの状況もいくらか改善されているけれど、それでもドイツとは比べ物にならない。たとえば、ドイツならどんな小さな町にも人工芝のグラウンドがあるけれど、クロアチアにそんなものがあればみんなが珍しがるだろうね。

――今の子供たちがいくらかいい条件の下で成長できるのを羨ましいと思いますか?

全然そうは思わないね。僕が自分と自分の子供たちを比べてみると、そこには大きな違いがあることに気づくんだ。僕が子供の頃には、頭の中には一つのことしかなかった。つまり、フットボールのことだ。学校が終わると、僕はいつまでも通りでフットボールをやっていた。母が呼びに来て、「帰って来ないと、夕飯のお前の食べる分がなくなってしまうよ」って言われるまでね。今の子供たちの頭の中には、いつでも同時に10個ものいろいろなことが詰まっている。彼らには、昔よりずっと多くの可能性が開かれているからだ。

――では、あなたは小さな頃からずっとフットボーラーになりたいと思っていたんですか?

他に選択肢はなかったからね。何かを成し遂げるためには、フットボールが僕に与えられた唯一のチャンスだったんだ。当時の僕が置かれていた状況を説明するなら、こういうことだ。グラウンドへ行って何かのスポーツで上達するよう努力するか、あるいは、何もせずに若い頃を過ごして、将来的に仕事も手に入れられなくなるか、そのどちらかを選ぶしかなかったんだ。僕は、フットボールというチャンスを活かすことのできた自分を誇りに思っている。

■「僕の心はHSVと共にある」

Ivica Olic Croatia 12112017Getty

――現在のことに話を戻しましょう。あなたはクロアチア代表のアシスタントコーチとして、毎日どんなふうに過ごしているんですか?

僕はまだハンブルクに住んでいるけれど(2007-09シーズンにハンブルガーSVに在籍後、2015-16シーズンに復帰)、もちろん国際試合がある時は、代表チームについていろいろな国へ出かけていくんだ。その他の時は、それぞれのチームにいる選手たちを観察したり、彼らと話し合ったりしている。土曜と日曜は毎週スタジアムにいるよ。チャンピオンズリーグの試合がある週には水曜と木曜もスタジアムに行くことになるけれど、どっちみち僕は試合を見るだろうから、その意味では仕事だとは思っていない。もちろん、僕が観察していて一番楽しいのはFWの選手だね。

――マリオ・マンジュキッチが代表から引退しましたが、後継者は誰になりそうですか?

残念ながら今のところ、クロアチアにはマンジュキッチと比べられるようなクオリティのFWはいないんだ。ずっと前にアンドレイ・クラマリッチとアンテ・レビッチを試してみたけれど、彼らは本物のストライカーとは言えない。一番最近候補に挙がったのは、イヴァン・サンティニ(以前SCフライブルクに在籍)とNKディナモ・ザグレブのブルーノ・ペトコヴィッチだ。

――あなた自身の将来設計はどうなっていますか?

W杯の後ズラトコにはあちこちからオファーがあったけれど、彼はEURO2020までクロアチア代表を率いるつもりでいる。これは僕にとっては非常に好都合なことだ。この先もワールドクラスの選手たちと付き合いながら、さらに経験を積むことができて、その間に監督資格を取得することもできるからね。正監督として仕事をしたいと思っていても、僕にはまだプロチームを率いるための資格がないんだよ。9月になったら、ライセンス取得に向けて勉強を始めるつもりだ。EURO2020が終わったら、それから先どうするかを決断することになるだろう。

IVICA OLICGetty Images

――いつか正監督としてハンブルガーSVを率いるだけの力が自分にありそうだと思いますか?

もちろん、HSVで監督を務めるとすれば、非常に大きなプレッシャーにさらされることになる。いろいろと問題を抱えているクラブを率いるのは難しいことだからね。けれどHSVから声がかかるなら、どんな役割でも、もちろん僕は力になりたいと思っている。クロアチア代表の場合と同じで、HSVに対しては「ノー」という答えは考えられないだろうね。僕の心はHSVと共にあるし、僕の息子たちにしてもそうなんだ。

■コバチは「クロアチア人の皮を被ったドイツ人」

Ivica Olic Niko Kovac Croatia 2013Getty

――ですが、あなたがドイツで最も成功を収めていたのは、2009年から2012年にかけてバイエルンにいた頃ですね。バイエルンと言えば何を思い出しますか?

バイエルンにいたおかげで、僕はリーグ優勝やヨーロッパのトップレベルのフットポールを経験することができた。幼い頃の僕はバイエルンファンだったし、クロアチアの他の子供たちもたいていそうだったよ。バイエルンはクロアチアで一番人気のあるクラブだ。ザグレブとミュンヘンは500km足らずしか離れていないから、たぶんそれもあるだろうね。

Jupp Heynckes Ivica Olic BayernGetty Images

――2009年にあなたがバイエルンに入団した時、同時にルイ・ファン・ハールも新監督としてやって来ましたね。

ファン・ハールが来ることがはっきりする前から、僕はすでに契約にサインしていた。彼から最初に言われたのは、「FWの手持ちは十分だから、君がすぐにまたクラブを去っても構わない」ってことだった。何と言っても、当時のバイエルンにはミロスラフ・クローゼやルカ・トーニやマリオ・ゴメスがいたからね。僕はファン・ハールに答えて、「とにかく僕はまだここに来たばかりなんだから、チャンスをものにできるよう頑張るつもりだ」って言ったんだ。僕は次の夏にHSVへ戻っても構わなかったんだよ。

――どうしてバイエルンにい続けることになったんですか?

3週間調整を続けた後で彼がまた僕のところへやって来て、「その調子で続けていけば、君はレギュラーになれる」って言ったんだ。名前じゃなく実力だけが重要なんだって言う監督は大勢いるけれど、それを実際に行動で表す数少ない監督の一人がファン・ハールなんだよ。

――人間としての彼についてはどんな印象を受けましたか?

初めは、ちょっと彼が怖かったよ。それについては忘れられない経験がある。ある練習の時に、僕たちがあまり熱心じゃなかったんだ。そうしたら、その後で監督はすごく苛々して、食事も摂ることができなかった。たった一回の練習がまずかったっていう理由だけでだよ。だけど万事順調な時には、彼が冗談を言うような気分になることもあったね。

――現在、あなたと同郷のニコ・コバチがバイエルンで監督を務めていますね。批判にさらされた時もありましたが…?

ニコは、バイエルンを率いるだけの力を持っている監督だ。来年はもっとたくさんのタイトルを取るだろうと信じているよ。彼はフランクフルトでほとんど不可能なことを成し遂げた。彼がフランクフルトの監督を引き受けた時、あそこはハンブルクと変わらないくらい混乱した状況だった。そして彼が監督に就任すると、ドイツカップの王者になったんだ。彼はクラブに安定をもたらしたし、“美しいフットボール”を実現させたんだ。

――あなたとコバチはクロアチア代表でチームメイトでしたね。彼はどんな人柄なんですか?

ニコは、見た目はクロアチア人だけど、中身はドイツ人なんだ。彼は選手の時から100%プロ魂にあふれていたし、今はそれと同じことを自分のチームの選手たちに求めている。僕が思うに、彼はキャリアの全期間を通じて遅刻したことなんて一度もないんじゃないかな。僕がいた頃の代表チームの連中は夜によくラミー(トランプのゲーム)をして遊んでたんだけど、23時になったらベッドへ行くようにって監督から言い渡されていたんだ。22時55分になると、いつもニコ一人だけが席を立って自分の部屋へ引っ込んでいたよ。他のみんなは時間をクロアチア風に解釈して、ひとまず23時10分まではゲームを続けながら、何が起こるか様子を見ていたんだけどね。

――その頃から、彼には監督としてのポテンシャルが伺えましたか?

僕が2002年に初めて代表に招集された時点で、ニコはもう長い間代表チームにいて、たくさんの経験を積んでいた。彼は6番としてプレーしていて、元々ピッチの上では監督の役割を果たしていたんだ。彼はまるで監督のように考え、監督のように行動していたよ。僕がいつか正監督のポストを手に入れることになったら、まず一番にニコに電話して、アドバイスをもらおうと思っているよ。

インタビュー・文=ニノ・ドゥイット/Nino Duit

構成=Goal編集部

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