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「続けてほしい。彼らは僕のことをどう言っていた?」
その午後のインタビューは、突然予期せぬ展開を迎えた。インタビューに応じた側は椅子に座って背筋をピンと伸ばし、インタビュアーは椅子で縮こまった。
インタビューが行われたのは2012年。リヴァプールがアンフィールドで行われたヨーロッパリーグ(EL)グループリーグ第2節でウディネーゼに2-3で敗れた翌日のことだ。私たちは、都市マージーサイドの中でも特に貧しい地域であるクロクステスにあるスポーツセンターで、人々が路上生活をやめてフットボールのある日常に加われるよう支援するプログラムのプロモーションのため集まっていた。
注目を集める選手は、ジョーダン・ヘンダーソン。爽やかな顔立ちの22歳は、熱意のある地元のティーンエイジャーとのトレーニングプログラムに参加していた。股抜きゲームあり、ヘディングテニスあり、セルフィーありの笑顔に満ちたプログラムだった。
彼は地元紙『リヴァプール・エコー』記者たちとともに席につき、インタビューを始めた。
良い雰囲気で始まったインタビューだった。スティーブン・ジェラードやブレンダン・ロジャースとの関係性や、前夜の試合の振り返りなどを話していた。
すると、変化球が投じられた。
「ジョーダン、加入1年目を終え、メディアやサポーターから少し批判の声がありました。これはフェアな意見だと思いますか?」
これに続く答えは教訓に満ちたもので、ヘンダーソンの礼儀正しさや成熟した人間性が垣間見えるものであり、同時に自身への評価に耳を傾け、成長を欲する意思を覗かせるものであった。彼は批判の内容について詳しく聞きたがり、それに対する返答に耳を傾け、自身への評価を求めたのだった。
「正直に言えば、厳しい意見だとは思わない。ここでの最初の1年でポジティブな意見はたくさんもらったけど、もちろん否定的な意見もあった。それは理解しているよ」
これは約7年前の出来事だが、様々な意味で彼は今でもほとんど変わっていない。批判を受け入れ乗り越えようとするヘンダーソンの考え方は、今でも健在だ。自身に対する批判に耳を傾け、より良い評価を受けるために努力できる選手は稀だ。
今月初旬、当時の出来事を改めて彼に話すと、笑ってこう答えた。
「今もとても楽しんで受け入れている。批判には慣れたよ」
ちょうどバルセロナな相手に奇跡的な逆転突破を決め、2年連続でチャンピオンズリーグ(CL)決勝に駒を進めたところであった。アンフィールドでの最高の夜、ヘンダーソンは重要な役割を担った。「チームの勝利に貢献できたよ」と言った後、こう付け加えた。「もちろん他のみんなもね」
これがいつものヘンダーソンだ。チームが第一。自分のことは二の次だ。謙虚さが傲慢に勝り、地道な努力が驕りに勝る。それがヘンダーソンなのだ。
6月1日のマドリードで行われるトッテナム戦に出場すれば、彼は欧州カップ戦の決勝戦に出場したイングランドのクラブでキャプテンマークを巻く4人目の男になるだろう。
過去の3人はエムリン・ヒューズ、ジョン・マガバーン、そして、スティーブン・ジェラードだ。この3人は全員、ビッグイヤーを掲げた。ヘンダーソンが彼らにどれほど追いつきたいと思っているか、想像に難くない。
もし実現すれば、その功績をもって彼は二度と批判に晒されることはなくなるのだろうか。
■基盤
(C)Getty Images6月をもって、ヘンダーソンはリヴァプールで丸8年間を過ごすことになる。マドリードでの決勝戦は通算324試合目となり、クラブ歴代の出場数では55位になる。彼より下の順位には、ケビン・キーガン、ヤン・メルビー、ボブ・ペイズリー、ジミー・ケイスなど錚々たるレジェンドが名を連ねている。
彼のキャリアが成熟したのはマージーサイドであるが、ヘンダーソンの基礎が培われたのはウェアサイドである。
サンダーランドで産まれたヘンダーソンは、7歳の時に地元のクラブに加入した。熱狂的なフットボール一家だった。彼は「サンダーランドの血が流れているんだ。僕の家族は大のサンダーランドファンなんだ」と振り返る。
ヘンダーソンの母・リズは体育教師だった。「僕より忙しい人だったよ。常に忙しくしていて、仕事をして、走り回っていた。僕のほうがのんびりしているよ」。週末になると彼は警察官の父・ブライアンを訪ねるのが習慣だった。父母の異なる生活の間で生活していたヘンダーソンは、こう述懐する。「ある意味違う人生を送っていた家族だと思う。けど、僕は2つの世界の良いところを取っていたと思うよ」
スタジアム・オブ・ライト(サンダーランドのホームスタジアム)で、彼はまたたく間に進歩を遂げた。小柄だったが、技術に優れ、揺るがない人間性に恵まれていた。常に年上のカテゴリーでプレーし、彼の態度や学ぶ姿勢、そしてその年齢にして既に身についていたリーダーの素質を目の当たりにしたコーチたちは驚いたものだった。
当時サンダーランド・アカデミーのアシスタントコーチであったケヴィン・ボールは、『Goal』のインタビューで、その控えめながら意志の強い地元の少年は静かに人々の噂になっていたと回想する。
「肉体的には、15歳にしては成長していなかった。だが、彼には技術があった。そして、他の誰よりも抜きん出ていたのは、物事に対する姿勢だね」
「奨学生を選定する時に彼について話し合ったのを思い出すよ。カールトン・フェアウェザーとエリオット・ディックマンという監督陣が彼と近い距離感で働いていたが、2人から受け取った報告では、彼は本当にフットボールに没頭していて、フットボールを愛していて、やることすべてにベストを尽くそうという決意がある、そんな若者だ、ということだったんだ。僕は、『彼を支援するかい?』と聞いたんだが、返事は聞くまでもなく明らかだった。彼はU-16のカテゴリーで私のところにやってきたが、まさに聞いていたとおりだったよ」
体のサイズが理由で、ヘンダーソンは10代の時は主にワイドのMFとしてプレーしていた。しかしボールは、練習でも試合でも、流れの中心にいたいという彼の強い情熱に打ちのめされたことを思い出すのだという。
「私が彼をメンバーから外すと、彼はいつも不満げにしていたものだよ。でも1つ言えるのは、彼は常に聞く耳を持っていたということだ。向上させるべきことがあると話すと、彼はいつも頷いて、それをやってのけたんだ」
「皆と関わりを持っていた。物理療法師にも、スポーツ科学のスタッフにも、栄養士にも、もちろんチームメイトにも話しかけていた。話題はいつも『何をやったら上達できるのか?』だったね。フリーキックの練習だったり、ウェイトトレーニングだったり、他の選手の映像を見たりと、彼はいつも練習場にいたよ。心底フットボールに情熱を注いでいたんだ」
ボールは良い指導体制を敷いていた。ジャック・コルバック、コナー・フリハン、マーティン・ワグホーンなどの前途洋々たるキャリアを歩む選手を輩出している。そしてウイングを主戦場としていたネイサン・ラスコームは、サッカー番組『Soccer AM』内で2008年に行われた1対1のスキル対決において、ヘンダーソンに勝った男だ。この逸話は、ヘンダーソンの人生の一部分を占めているという。
ボールはこう語っている。「ジョーダンはウイングのポジション争いではネイサンに勝っていた。けれど、彼は本当に人に気を遣うタイプだから、彼だけでなく家族もネイサンととても仲がよかったんだよ。ネイサンは『Soccer AM』でジョーダンに勝ったが、ジョーダンはその結果も気持ちよく受け止めていたよ。それをチャレンジだと受け入れていて、課題を持ち帰って成長するチャンスだと思っていたんだ」
ボールは、ヘンダーソンが台頭したときのアカデミーで、スポーツ科学チームのトップを務めていたスコット・ピアース氏の評価を引き合いに出した。評価書にはこう書いてある。「オリンピックチームに入れば、ジョーダン・ヘンダーソンは金メダリストになれるだろう」
読み上げた後、ボールは微笑みながらこう言った。「本当にその通りだと思わないか? ポジティブすぎてちょっと気持ち悪いのは認めるが、でもそれ以外に彼について言えることは本当にないんだ。一緒に働けて楽しい存在だった」
ティーンエイジャーのヘンダーソンへ向けたピアースの好評価はどんどん募っていく。ボールは評価内容をさらに共有してくれた。「ほとんどのティーンエイジャーが持っていない、自己犠牲の精神を持っている。挫折や失敗を成長の機会だと捉えている。責任感があり、知識を吸収しているし、よく気が付く優しい性格だが、断固とした決断力を兼ね備えている」
週に一度、練習生はアカデミーの施設の掃除をする決まりになっていたが、この時の話をボールは笑いながら振り返る。
「カーペットの掃除は誰もやりたがらなかったんだ。古いカーペットで、泥や汚れが積もっていた。それはもう最悪のカーペットだったよ! 両手両足をついてブラシをかけて汚れをこすり落とさないといけないようなひどい代物だったんだ。そして、コーチたちは掃除をちゃんとしたレベルでこなせているかどうか判断するんだ。実に厳しく評価していたよ。どこか1つでもちゃんとできていなければ、それがきちんと終わるまで全員後ろで待っていなきゃいけないんだ」
「ある日我々がカーペットのところに行って見てみたら、汚れが一つもなかったんだ。まさに新品みたいだったんだ。信じられなかったよ。それで、子供たちに『誰がカーペットを掃除したの?』と聞いてみた。そうしたら、担当はジョーダンだったんだ。彼は掃除機を取ってきて、隅々までゴシゴシこすったんだそうだ。その仕事に1時間かけたというんだ。これがジョーダンなんだよ。彼がちゃんとやらないと、チームメイトが迷惑をこうむってしまうことを分かっていたんだよ。あのカーペットのことは忘れられないね!」
■困難
Getty場面は変わって2012年。リヴァプールのホープ・ストリート・ホテル。
ヘンダーソンはEL予選でハーツ(スコットランドリーグ、ハート・オブ・ミドロシアンFCの愛称)とのセカンドレグに向けて準備をしているところだった。しかし、彼の人生はそこで大きく揺れ動いていた。
ブレンダン・ロジャース監督に呼ばれ、チームの部屋を訪れていた。そこでヘンダーソンとフラムMFクリント・デンプシーとのトレードの話を、クラブ側が監督に持ち掛けたことを知らされたのだ。そしてロジャースは、この決断はヘンダーソン自身が下してよいと伝えた。
昨年、ヘンダーソンは当時のことをこう語っていた。「部屋に戻って涙を流したよ。本当に心が傷んだ。エージェントに話をして、何が起こったんだ、僕は出ていきたくない、と言ったんだ。僕はここに残って戦い、練習して、監督の決断が間違っていることを証明したい、とね。エージェントは賛同してくれた。父にもその話をしたら、心底ショックを受けていたけど、残留して戦いたいという僕の決断を後押ししてくれたよ」
ヘンダーソンは2011年にサンダーランドから1600万ポンドでリヴァプールに移籍。スタジアム・オブ・ライトで頭角を現し、国を代表する若手成長株となったヘンダーソンは、21歳の誕生日までにプレミアリーグで71試合に出場。レンタル移籍期間中に所属したリーグ1(3部相当)のコヴェントリー・シティでも13試合の出場があった。
リヴァプールでは一年目にしてリーグ杯の優勝を経験。ヘンダーソンは、ケニー・ダルグリッシュ監督の下で誰よりも多く試合に出場(48試合)。しかし、彼がそれに見合う存在かどうかを疑う声が少なかったわけではない。足技やスピードが欠けており、シーズン中盤には、試合に直接の影響をもたらすことができないことに悩まされていた。
夏にはフランク・ランパードの負傷によってイングランド代表に追加招集。EURO2012を経験した。しかし、それでもロジャースの信頼を勝ち取るには至らなかった。数日後、リヴァプールの新しいボスは到着早々、ヘンダーソンと、ダルグリッシュが高額の移籍金で獲得してきたもう1人の選手であるアンディ・キャロルを記者の前で名指しで「リヴァプールの選手ではない」とまで語ったのだ。
結局、ロジャースの意見は誤りだった。キャロルの練習姿勢がそう間違っていたとは思えないが、それでもレンタルに出され完全移籍してしまった。その一方、ヘンダーソンは異なる道を歩んだ。
彼は当時をこう語る。「その時点から、ただ静かに時を待っていたんだ。望んでいるほど多くの試合には出させてもらえないだろうということはわかっていたけど、それでも信じていた。僕はあの時若かったから、ただ静かにやるべきことをしっかりやって、さらに追加の練習もして、彼らの考えが間違いだと証明できたんだ。ブレンダンが退任するまでの時間、うまく自分をマネジメントできたと思うよ」
ヘンダーソンはこのシーズン中、11月までスタメン出場することができなかった。当時、追加の練習や過度のストレスで限界まで自分自身を追い込んでしまい、自宅で苦しんでいたという。「あの時僕は、一緒にいて楽しい人間じゃなかった」当時の精神状態をこう表現した。自宅に帰り、妻レベッカのもとにたどり着いたときに望んだものは、睡眠だったという。
しかし、苦しみは成果になって現れ始める。シーズン終了までに彼は44試合に出場、6ゴールを挙げた。存在感は健在だった。
2013-14シーズンには、リヴァプールでのヘンダーソンの影響力は高まっていた。ルイス・スアレスの魔法のような攻撃力やスティーブン・ジェラードのレベルの高さに引き寄せられ、予想だにしなかったタイトル挑戦までチームは上り詰めた。
シーズン終了まで残り5試合となったところで、レッズはマンチェスター・シティをアンフィールドに迎えた。勝てばロジャースのチームは首位に躍り出るという状況だった。運命は彼らの手の中にあった。
リヴァプールはこの試合に勝利したが、犠牲を伴った。シティが1点を追いかける展開で迎えたロスタイム残り1分、ヘンダーソンはサミル・ナスリに向かって体を投げ出してチャレンジ。このプレーでヘンダーソンは一発退場。リヴァプールは10連勝で首位に躍り出たが、ロジャースは中盤の主軸を3試合の出場停止で失うことで、この快進撃が終わってしまうのではないかと個人的に心配していたという。「彼の替えはいないとわかっていたよ」ロジャースはのちにこう認めた。
サンダーランドのボール達も惚れ込んだ彼のリーダーとしての素質が、この出場停止期間中にはっきりとわかることになる。試合後にリヴァプールがロッカールームへ向かうと、コメントや映像を欲しがるメディアが殺到。ヘンダーソンはロジャースやチームメンバーを迎えに行き、こう提案した。
「僕は出場停止になった。僕がメディア対応するから、他の選手たちをフットボールに集中させてくれないか」
ロジャースはこの意見に同意した。ヘンダーソンは出場停止になったものの、次の試合会場であるノリッチへの遠征に同行。彼はカメラの前に立ち、新聞記者の前でインタビューに応じた。一方ロジャースはこう語った。「彼はフィールドの外でも欠かすことができない人間だ。彼は私たちにとってかけがえのない存在だ」
こうしてヘンダーソンを取り巻く状況は大きく変わっていったのだ。
■リーダー
Gettyここまでで述べたように、ヘンダーソンは自身のキャリアを通じて様々な困難を乗り越えてきた。サンダーランドで解雇されるかもしれないという恐怖心や、リヴァプールで失敗するかもしれないという恐怖心とも戦った。批判もされたし、登録を抹消されたこともあった。踵の怪我から完全回復できるかどうかわからないまま、ベンチで過ごしたこともあった。
チームメイトの加入や離脱も目にしてきた。監督の入れ替わりも経験した。最も必要とされる選手であったこともあれば、真ん中ぐらいの序列であったこともある。最低レベルの序列から名誉を取り戻すチャレンジをしたこともあった。それぞれの立場に置かれたときの感情を、すべて経験しているのだ。
それでも、2014年春の午後、父ブライアンがヘンダーソンに向かって座り、彼の病状を説明したときは、さすがの彼も心の準備ができていなかっただろう。ブライアンは咽頭癌を患っていた。病状は深刻だった。
「あの日までは、批判やそれに類する攻撃をされるのはとても辛いことだと思っていた。けど、あの時こそが自分にとって一番辛い時期だった。あの日の出来事を受け入れる準備はできていなかったんだ」
ブライアンは自身の病状をヘンダーソンに伝えることをぎりぎりまで遅らせたという。彼がリヴァプールでのタイトルへ挑戦しているを邪魔したくなかったのだ。「リヴァプールがうまく行っているのを見て父が喜んでいたのを知っているから、だから僕は彼のために強くあり続けなきゃいけないと思っていたよ」
最初の手術の前に、ヘンダーソンは父の病院を訪れた。しかし、それ以来ほとんど会えなかったという。「父は僕の見舞いを許してくれなかった。彼はとてもプライドの高い男だから、自分の弱ったところを僕に見られたくなかったんだ。僕が彼にしてあげられることは、ただ週末に良いプレーをすることだけ。試合を見ていただろうからね。それはそれでプレッシャーだったよ。父が回復するために、良いプレーをしたかったから」
「父に良いパフォーマンスを見せられるんだったら、どんな環境でだってプレーできるさ」
その後、ブライアンは奇跡的に癌を克服する。そして今でも、息子のキャリアにとって重要な役割を担い続けている。2014年にロジャースがヘンダーソンを副キャプテンに選出した時や、その翌年ジェラードの後を継いでキャプテンになったとき、ブライアンはこの世で最も息子を誇らしく思ったことだろう。
昨年は惜しくも敗れてしまったが、レアル・マドリーとのCL決勝戦の観戦のためキエフにも赴いている。そしてロシアW杯では、準決勝まで勝ち進んだイングランド代表を見届け、ヘンダーソンの成長を目にした。
今年ももちろん、ブライアンはマドリードへ行くことになっている。ジョーダンの2人の娘、5歳のエレクサと4歳のアルバも含む家族たちも同行する予定だ。ヘンダーソンは、過去にこう語ったことがある。「父親になると人生が変わるよ、と両親が言ってたことがあったんだ。本当にその通りだったね。もう自分自身のためにはプレーできないよ。今は家族のためにプレーしているんだ」
いつものヘンダーソンだ。皆がそう言うだろう。どこまでも無私の精神を貫き、自分をアピールしたり自画自賛したりすることは絶対しないのだ。「自分のことを良く言っている記事を読むのは好きじゃない。僕を褒めちぎる人には、入れ込まないようにしているんだ」
「まさに彼らしいね」とは、これを聞いた昔のコーチ、ケヴィン・ボールの反応だ。「彼はキャリアを通じてずっと批判され続けてきた。でもその原因は、彼がチームのことを第一に考え続けていたからにすぎないんだ。彼が託された役回りを、毎週毎週不平も漏らさずに、何人のプレイヤーが遂行できると思う?」
「彼がリヴァプールに加入したとき、私は『今までとやることを変えちゃ駄目だぞ。もし変えたら、お前のところに飛んでいってケツを蹴り飛ばしてやるからな!』って言ってやったんだ。でも、そんなこと言う必要もなかっただろう。彼は一切変わらなかった。15歳のときから今でもずっと同じだ。勝者であり、リーダーであり、自らの栄光よりもチームで勝ち取った勝利を喜べる男なんだ」
しかし、6月1日には、“ヒーローになりたがらない男”は最高のステージで注目を浴びるチャンスを勝ち取ることだろう。トッテナムを倒し、彼は歴史に名を残すことだろう。
ヘンダーソンよりもそれに値するプレイヤーは、この世界にほとんどいない。
取材・文=ニール・ジョーンズ/Neil Jones
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