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プロミス・デイヴィッド:まさに「不屈」の体現者? ベルギーで才能発揮の“ベイビー・ルカク”【Hidden Gems FC パート8】

文=ラース・カピアウ

プロミス・デイヴィッドはまさに不屈の精神を体現するような選手だ。このフットボール界の遊牧民とも称されるこの選手は22歳でプロとしてのキャリアが本格的に開花。母親から「プロ選手になる夢を諦めなさい」と何度も言われたが、それでもこの道を歩み続けた。

ベルギー国内のスポーツジャーナリストの間では「ベイビー・ルカク」と呼ばれ、名付け親はコーチを務めるケヴィン・ミララス氏。2人の類似点は一目瞭然であり、その理由を理解しようとする必要もない。デイヴィッドはゴールを決めた3月の試合でその真価を発揮した。

力強いという言葉がすべてで、相手にはファウル覚悟のプレーで止めにかかる姿も。デイヴィッドは後のポッドキャストで「走っていると、首に爪が引っかかるのを感じた。シャワーを浴びるときに痛かったよ。皮膚を引っかかれたんだ。試合から出血があったみたいだけど、気づかなかった」と振り返っている。

そんなデイヴィッドがユニオン・サン=ジロワーズにたどり着くまで長い道のりだった。幼少期からエネルギーに満ち溢れ、本人は「先生からは良い子と思われつつ、厄介者とも言われていたよ」と回顧。カナダのブランプトンで育ったが、この地は才能の宝庫で、フェイエノールトのサイル・ラリンや、元PSVのアティバ・ハッチンソン、そしてタジョン・ブキャナンも輩出している。

だが、デイヴィッドのフットボール愛はカナダで培われたわけではなく、子供の頃に祖父母と暮らしたナイジェリアでのもの。叔父はチェルシーの大ファンだった。

Promise David CanadaGetty Images

陽気な少年だったデイヴィッドはトロントFCのアカデミーにスカウトされたが、15歳で退団。実力不足だったからだ。その後の3年間はカナダのクラブなどを転々とし、2019年に18歳でクロアチアの3部リーグだったNKトルニェへ。これが欧州初挑戦だったが、思い描いたようなロマンチックな物語とはいかず、険しく、そして困難な道のりが続いた。

というのも、当時のクラブで監督を務めた者は人種差別主義者だった。デイヴィッドは「彼は黒人やアフリカ人をチームに入れたくなくて、ひどい言葉を浴びせられたよ。練習中に監督が叫んだ言葉をチームメイトが1カ月もかけて翻訳してくれたほど、ひどい内容だった。みんなが凍りつくぐらいにね」と語った。

そして、ユースチームに降格させられてしまったデイヴィッドだが、新たな監督だったラジュコ・ヴィドヴィッチ氏の着任で再び光が差し込み、すぐにトップチームに昇格。即座の試合でさっそくゴールをマークしている。

それからしてチームを離れたデイヴィッドだが、代理人に導かれたのはアメリカ2部リーグのFCタルサ。そこでもうまくいかず、次にマルタの1部リーグを戦うバレッタFCでの新たな挑戦を選択した。

次の挑戦先であるマルタのサイレンズFCでも思い描いた通りにいかず、これでフットボーラーとしての可能性がなくなったかに思えたが、デイヴィッドは諦めず。そうしてエストニアのカルジュFCから次なるチャンスが舞い込んだ。デイヴィッドは自ら5カ年計画を立てた。内容は休むことなく働き、多くのゴールを決め、より大きなスカンジナビアのクラブと契約すること、そして代表選手としてワールドカップに出場すること、だった。

Promise David UnionGetty Images

「本当にいいフットボールをするか、負け犬になるか、どちらかだと思った」とポッドキャストで振り返っているデイヴィッドだが、エストニアでも簡単に物事が進まなかった。有望株とみなされながらもユースでのプレーしか認められなかったが、ゴールを量産してみせ、トップチーム入りの扉を開いた。これで自分の道を見つけたかと思われたが、これも違った。

「ある試合を覚えているよ。ハーフタイムで2-1とリードしていて、僕もかなりいいプレーぶりだった。でも、自分の道を前からプレッシャーをかけなかった僕は(ロッカールームで)会長から胸ぐらをつ絡まれて、そこから締め出されたんだ。で、怒鳴られた」

そう振り返ったデイヴィッドだが、後半に再びゴールを決め、チームも4-3で勝利。だが、会長は選手の父、そして代理人に電話で契約が間違いだったと言い放った。それでも、時が経ち、感情も落ち着いた頃のデイヴィッドはスタメンの座を確保。デビューシーズンから16試合で14ゴールと活躍した。

そこでついに力を発揮したデイヴィッドはより高い価値を見込むクラブ側との綱引きこそあったものの、ついに願いが結実。ユニオン・サン=ジロワーズとの契約に合意し、晴れてベルギーへと渡った。ベルギーではさらなる努力が求められ、メディアからは「金の無駄」とも酷評されたりもしたが、デイヴィッドは「原動力」になったと明かす。

こうしてカナダ代表にも上り詰め、ここまで8試合に出場するデイヴィッドは存分に真価を証明するまでに。ベルギーでは安定して得点力を発揮し、欧州の大会でもその力を見せつけている。最近ではPSVに続いて、ガラタサライからもゴールを記録。フィジカル面もメンタル面も強靭なストライカーであり、スピードにも溢れる。それらはどんな試合をも形勢を逆転させられる武器といえる。こうしたプロフィールを持つ選手だけに、プレミアリーグ勢からの関心も無理ないが、まだすべての疑念を振り払えているわけではない。

まだ洗練さに欠け、やや荒さも目立つ上、決定力に物足りなさも。そして、集中力を欠くときもある。スカウトからすれば、まだ謎めいた存在で、ひどいプレーぶりながら得点を決める試合があったりもする。おそらくそれが最大の長所なのだろう。指揮官にとって、頭を悩ませるところだが、欠かせぬ存在に変わりない。どんな形でもゴールを決めてしまう力があるからだ。

そして、前述したデイヴィッドが立てた5カ年計画を振り返ってみると、わずか1年半でそれを達成した。今のデイヴィッドは自分の道を見つけたといえる。

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