■日本に勇気と希望をもたらす大きな一撃
立ち上がりの11分、屈強なフィジカルを誇るセネガルに先制され、いきなり暗雲が立ち込める。その後も押し込まれる時間帯が続き、日本代表は反撃の糸口が見つからなかった。
24日、エカテリンブルクで行われたロシア・ワールドカップグループリーグ第2戦。試合序盤劣勢の中での34分、柴崎岳がセンターサークルから出した1本の浮き球のパスが反撃の起点になる。
左サイドを勢いよく上がった長友佑都が強引なトラップで折り返し、対峙していたムサ・ワゲ(オイペン)が離れてスペースができた瞬間、乾貴士が中に入り込む。瞬時に長友と入れ替わり、右足を振り抜いた。
ゴール右スミ目がけて飛ぶシュートはGKカディム・エンディアエ(ホロヤAC)も反応しきれない。30歳のテクニシャンが奪ったA代表通算5ゴール目は、日本に勇気と希望をもたらす大きな一撃だった。
(C)Getty Images「ちょっとトラップが悪くて自分のほうに来たので、最初スルーするか迷ったんですけど、あの角度じゃ佑都くんはたぶんシュートを打てないと思った。自分が持ってうまくゴール方向を向けたので、得意なコースでしたし、思い切って打ってみようと思いました。『決定力がない』とサッカー人生でずっと言われてきているし、自分自身でもそれは分かっていること。でもサッカーをやり続ける以上、気にせずやり続けるしかないと思っていた。自分が打つとなった時は自信を持てているのが最近です」。乾は12日のテストマッチ・パラグアイ戦での2ゴールに続く、今月3点目の一発に胸を張っていた。
■乾が過ごした長い、長い紆余曲折の時間
野洲高校2年で出場した第84回全国高校サッカー選手権。乾は、2006年1月、名門・鹿児島実業高を破っての全国制覇の原動力となった。「セクシーフットボールの申し子」と言われ、一世を風靡してから早12年。傑出したテクニシャンである乾がこの高い領域まで到達するには、本当に長い長い時間がかかった。
彼が初めてA代表入りしたのは、2009年1月、熊本で行われたAFCアジアカップ・カタール大会予選・イエメン戦。当時J2のセレッソ大阪で香川真司とコンビを組んでいた20歳のアタッカーは、将来を嘱望されていた。しかしながら、どこかメンタル的にムラっ気があり、パフォーマンスが安定しなかったのも事実。当時の代表指揮官である岡田武史監督には「代表で戦う準備が整っていない」と判断され、合宿から返されたことさえあったほどだ。
2010年南アフリカワールドカップのチャンスを逃し、アルベルト・ザッケローニ監督時代の4年間も代表に呼ばれたり呼ばれなかったりだった。
2011年8月、ドイツ・ブンデスリーガ2部のボーフムに移籍。その後1年で1部のフランクフルトにステップアップし、移籍直後の2012年9月には3試合連続ゴールを奪うなど、上昇気流に乗ったかと思われたが、好調が長続きしない。好不調の波の大きかった当時の乾は報道陣に対しても多くを語らず、、不機嫌そうに素通りしていく試合も少なくなかった。その一挙手一投足は14-15シーズン、フランクフルトでともにプレーした長谷部誠とは対極に映った。
しかし、2014年ブラジルワールドカップ直後、ハビエル・アギーレ監督には重用された。2015年アジアカップ・オーストラリア大会には現在と同じ左サイドアタッカーでレギュラーに抜擢。初めてA代表レベルの公式大会でコンスタントに先発出場したが、アギーレ体制の終焉とともに再び不安定な立場に追いやられる。
そんな紆余曲折の人生を大きく変えたのが、2015年夏、リーガ・エスパニョーラのエイバルへの移籍だ。「エイバルに行ってサッカーが楽しくなった」と本人も語るように、心からうれしそうにボールを蹴る少年のような心を取り戻す。
ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督体制で2年ぶりに代表に呼び戻された2017年6月のロシアW杯アジア最終予選・イラク戦の頃には立ち振る舞いも一変し、つねに笑顔で明るく振る舞う好青年に変貌していた。「もともと自分はこんな感じですよ」と本人は報道陣に語っていたが、話す声も大きくなり、明らかに自信がついた様子が色濃く感じられるようになった。
■取り戻したサッカー少年の心
それに伴ってピッチ上のパフォーマンスにもムラがなくなった。得意なドリブルやタテへ出ていくプレーだけではなく、苦手だったシュートや守備にも精力的に取り組んだ結果、そこでも強みを発揮できる選手へと飛躍を遂げた。だからこそ、ハリル前監督も昨年8月の最終予選の大一番・オーストラリア戦で、原口元気ではなく乾の抜擢に踏み切ったのだ。
そこで勝利に貢献する仕事を見せた後、一時的に代表から外れた時期もあったが、西野朗監督は「中島翔哉ではなく乾」と絶大な信頼を寄せた。5月21日にスタートした国内合宿でも、右太ももを痛めて出遅れた小兵アタッカーの回復を待ち続け、ロシア行きのメンバーにも加えた。こうした期待をすべて理解したうえで、乾はじっくり焦らず調整を続け、先のパラグアイ戦で香川とともに一気に調子を上げ、ロシア本番にピタリとピークを持ってきた。
(C)Getty Imagesこうした紆余曲折のサッカー人生の集大成がセネガル戦の同点弾ではないだろうか。
長い時間を費やして回り道してきた男は、30歳にして「日本のラッキーボーイ」へとのし上がったのである。
「ただ、自分が2点目を取れていたら違った展開になっていた。サッカーに『たられば』はないですけど、チームには迷惑をかけました。(ムサ・ワゲの)2失点目も自分のマークだった。そういうところからしっかりやっていかないといけないと思いました」と本人はW杯初得点の喜び以上に、決定的シュートをクロスバーに当てた65分のチャンスや、失点に絡んだプレーを反省している。イエローカードも1枚もらってしまったため、28日の次戦・ポーランド戦の先発は未知数なところがあるが、フィニッシュを研ぎ澄ませ、得点確率を目覚ましく引き上げた乾の存在は今の代表に必要不可欠だ。
「次は難しい相手ですけど、しっかり勝って予選突破したいですし、それができるチームだと思っています。みんな頑張って死に物狂いで戦っていきたいです」と最後まで戦い抜く覚悟を示した乾貴士。
ようやく手が届いたW杯の舞台でこの先も暴れ回り、楽しみながらタフさと泥臭さの両面をピッチ上で示してくれれば、自ずと前向きな結果が出るだろう。そんな予感がする。
文=元川悦子

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