昨季限りで現役を引退した石川直宏さん。日本プロサッカー選手協会副会長だったときの行動力そのままに、現在はFC東京クラブコミュニケーターとして日本中を飛び回り、サッカー界に貢献している。いわば顔の広い石川CCに、中学から高校まで、育成年代の頃に刺激し合った11人を思い出していただいた。
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■年代別日本代表でしのぎを削ったライバルたち
横浜マリノスジュニアユースと横浜マリノス(後にF・マリノス)ユースの6年間を思い起こし、石川CCはこう語る。マイベストイレブンに選んだのは同じ世代で年代別日本代表でしのぎを削った選手ばかりだ。
「同世代の、一緒にプレーした選手がほとんどです。ぼくはプロ入り後、U-18で初めて年代別の日本代表に入ったんですけど、一個下の世代はU-16でもう代表に入っていたし、森(一紘/当時ヴィッセル神戸ユース)と小松原(学/当時ベルマーレ平塚ユース)と中居(時夫/当時横浜マリノスユース)は三人、一個上の市川(大祐)さんの代の代表に入っていて、みな自分の一歩先をゆく、すごい選手たちでした。ハネケン(羽田憲司/当時市立船橋高)は僕らの代のキャプテンで憧れでしたし、飯田(紘孝/当時横浜マリノスユース)もブラジル代表と激闘を繰り広げたことがあって。刺激し合った濃いメンバー、というか。ブッとんだやつらです(笑)」
彼らに追いつけ、追い越そうと日々を積み重ね、気づけばプロ生活18年。キャリアをまっとうできたのも、ライバルたちのおかげだという。
「とにかく、彼らに勝たないとプロにはなれない、代表には入れないと思いながらサッカーに取り組んでいました。それほどのメンバーです。近くで刺激し合っていた連中がみんなプロになっているのもすごいことだと思うし。本当にキャラクターが濃いんですよ。名前を見ただけで本人のプレーがパッと浮かんでくる。同世代の選手たちからするとワールドカップの代表選手以上に強烈な印象の、通なメンバーだと思います」
後方のポジションから順に解説する間に、数々のエピソードがこぼれてくる。
「GKはマリノスのユース時代にいっしょだった榎本テツさん(榎本哲也)。おもしろい人です。センターバック……モニワ(笑)と羽田憲司かな~。ハネケンはいまじゃ鹿島のトップチームのコーチですからね。サイドバックはハユマ(田中隼磨)、そして濃い人選になるかと思いますが、やはりマリノスでいっしょだった飯田紘孝。ケガがちだったサッカー選手時代の経験を活かし、柔道整復師など数多くの資格を取得して現在は接骨院の院長として活躍していますが、育成年代を思い起こすと、右サイドバックや右サイドハーフで守備能力が高く攻撃にも出ていける、独特な選手でした」
(C)J.LEAGUE▲2017年12月3日、明治安田生命J3第34節のFC東京U-23vsセレッソ大阪U-23は石川CC(左)の現役最後の公式戦となった。試合後、C大阪U-23の選手として出場した茂庭照幸とともに。
■ライバルがいなかったら、ぼくはプロになっていない
「大橋(正博)と飯田紘孝の壁が厚く、(横浜マリノスユースでは)なかなか試合に出られなかったんですが、高3のときの、夏のクラブユース選手権全国大会前に紘孝がケガをして、そこで『オレはこのタイミングで頑張るしかない』と思って結果を残した。だから紘孝がケガをしていなかったら、ぼくはプロになっていないです。普通に競っていたら自分は試合に出られない状況でした」
“ロッソ”時代のロアッソ熊本に在籍していたこともある森一紘の印象も強いようだ。
「ボランチは阿部勇樹、森一紘。森は中学時代から知っていて、いかにも関西のやんちゃな感じ。初めて逢ったのは中2から中3になるときの、各都道府県から選手が集う選抜大会で、彼は関西選抜で松井(大輔/当時藤森中学校)と一緒にいました。中3のときの、メニコンカップというクラブジュニアユースの優秀選手が集まる大会でも思いましたけど、まあ、テクニックとセンスの塊で。ツンツンしていて。めちゃくちゃ巧かった。15歳のときにU-16のほうに、森と中居時夫と小松原が3人選ばれていた。ぼくたちの世代では飛び抜けた3人で。先日、熊本の復興支援行事で久々にプレーをともにしましたけど、相変わらず技術が高くて。でもそのときは対戦相手だったので、いっしょのチームでやりたいな、という気にさせられましたね」
2トップは早咲き揃い。マンガのような個性が石川CCには眩しかったらしい。
「中盤の前は大橋正博、松井大輔。フォワードはまだ平塚だった頃のベルマーレで活躍していた小松原学。そして中居時夫。彼はすごいんですよ、ヒデさん(中田英寿)より先にイタリアへ行こうとした男。現在はドイツ(ヒラル・マロク・ベルクハイム)でプレーしています。横浜マリノスジュニアユースで中学3年のときに、もうトップチームに合流して。そのときから海外移籍を模索していたんですが、1999年になり、マリノスのオファーを蹴り、念願叶ってイタリアへ。日本へ帰ってきて、またドイツへ行ったんですよね」
「小松原学も早熟の天才でした。茂庭とともに(ベルマーレ平塚ユース時に)二種登録でJの試合に出ていたんですよね。中学のときからブッとんでいた。脚は速いわシュートは強いわ、ハーフウエーラインから撃っていましたからね(笑)。ぼくらは『おまえどこから撃ってるんだ!』って突っ込んでいました」
ワールドカップの日本代表よりも鮮烈に輝く、記憶のなかの11人。彼らが躍動していた10代の頃をこの眼で見たいという気にさせられる、そんなメンバーだ。
文=後藤勝
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