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【独占】HIPHOP界の鬼才・KREVAがサッカーを語りつくす。“世代最高の天才”との邂逅、圧倒的な実力差で悟ったこと/インタビュー前編

ソロ及びKICK THE CAN CREWとして数々のヒット曲を世に送り出してきたKREVA。ヒップホップ界のカリスマである彼がサッカーを愛していることは有名かもしれない。『Goal』は、そのKREVAに独占インタビューを実施。プレーヤーとしてサッカーを楽しんでいた青年時代の思い出や自身のサッカー感、そして音楽との共通点などを存分に語ってもらった。インタビュー前編では、サッカーに明け暮れていたKREVAの“プレーヤー時代”に迫る。

インタビュー=音堂泰博(Goal編集部)

■転校生は“天才”、財前宣之

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――まず、KREVAさんとサッカーとの関わりについておうかがいします。サッカーとの出会いについて教えてください。

以下に続く

小学校2年生の時でした。いとこのお兄さんがお正月にウチに来た時、みんなで遊んでいたのに急に、「ちょっと俺、高校サッカー見たいから帰る!」みたいなことを言いだしたんです。「なんだそれ(笑)」ってなったことを覚えています。そこで俺も一緒に帰って、見たんですよね。それが多分、最初でした。確か、帝京高校の試合だったと思います。それは、覚えていますね。

――KREVAさん自身も実際にサッカーをプレーしていたとおうかがいしました。その高校サッカーを見て興味が出てきたのですか?

そうですね。そこでサッカーに興味を持ちました。たしか、世の中的にもサッカーが流行ってきていたと思います。当時、俺は小学2年生でした。通ってた小学校にサッカー部があったんですけど、入れるのは4年生からだったんです。ただ、「気合いがあるやつだったら3年生から入れてやるよ」っていうスタンス。そこで先生に説明して、小学校3年生からサッカー部に入りました。

――少年KREVAのサッカープレーヤーとしての歩みを教えてください。

それがですね、不幸? だったのかもしれないですけど、ある転校生が北海道から来たんです。それがあの、財前宣之選手で(笑)。アンダー世代の日本代表で10番だった財前選手です(※編集部注)。

※財前氏は1993年のFIFA U-17世界選手権(現在のFIFA U-17ワールドカップ)で故・松田直樹や宮本恒靖氏、戸田和幸氏、中田英寿氏らのチームメイトの中で背番号10を背負った。グループステージでは3試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、ベスト8入りに貢献。中田氏はのちに当時を振り返り、「同世代の選手たちの憧れで、上手すぎて近寄りがたかった選手。財前は天才」と話している。

――あの財前宣之選手ですか?! 当時からすごかったですか?

のちにU-17の日本代表戦で10番を背負うぐらいの選手。やっぱり小学校3年にしてズバ抜けてうまかった(笑)。サッカー始めたばっかりなのにいきなり、「あっ、こういう奴が一流になるんだ」っていうのを俺は感じてしまいましたね(笑)。

3年生は特別に部活に入れてもらっているのに、(同級生の)財前選手はすぐに試合に出ていた。それで、すぐに活躍。そんな彼を見て、とりあえず技術面では「いや、どんだけ頑張ってもこれは追いつけないものがあるぞ…」というのを感じてしまったんです。

――小学生ながら悟ったんですか?

いきなり挫折というか、「最高級」を見てしまいました…。4年生になって、今度は自分が東京に引っ越したんです。東京では江戸川区・葛西のクラブチームに入りました。そこのコーチは個性を生かしてくれるタイプで、個人的に楽しくプレーできましたね。その後、6年生まで楽しくサッカーができました。

■キャプテンシー

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――中学校と高校でもサッカーを続けたんですか?

そうですね。高校3年生までサッカーをやっていました。中学校では、世の中にありがちだと思うんですけど、「本格的にサッカーをやったことがない体育の先生が顧問」っていうタイプの学校でした。練習メニューも先輩たちが考えてしっかりやる、というスタイルだったので、そんなに強くなかったですね。

それでも一人、先輩にすごくうまい人がいて、当時ANA(かつての全日空横浜サッカークラブ)の練習に参加することがあって、自分も連れて行ってもらいました。そこにくる奴らも、やっぱり技術がすごかった。正直、俺もそんなに下手くそではない自信はありましたが、やっぱり東京から2時間くらいかけて練習場まで行ってやっている人たちだから。すごくうまかった。

俺がいきなりメンバーに入っても連係なんかないじゃないですか? そこで、「いや、技術だけでもダメだな」なんてすごく考えていた時期でしたね。3年生になってからはキャプテンもしていたので、「キャプテンシー」みたいなこともたくさん考えるようになりましたね。

――キャプテンも経験されていたんですね。もともと、スポーツにかかわらず、まとめたりするのは得意なほうだったのですか?

そうですね。そういうタイプでした。小学校4年生で転校したときも、転校したその学期にクラスの学級委員になっていましたからね(笑)。実は学級委員になったのも、サッカーがキッカケだったんです。

なぜか、昼休みに全員でドッジボールをしなきゃいけないっていう決まりがあったんです。俺としては、「いや、サッカーでしょ!」ってなって。なに言ってるの? みたいな(笑)。それで、仕組みを変えるためには、やっぱり自分が先頭に立って変えていくしかないじゃないですか。だから学級委員に立候補したら、なぜか選ばれて(笑)。「もうドッジボールやりたくない」っていう人がほかにもたくさんいたのかな(笑)。

――ちなみに、そんなにサッカーに熱を入れていた中、音楽に出会ったのはいつでしたか?

音楽とは中学生の途中ぐらいで出会いましたね。高校生の時は、サッカーもやりながら音楽も好きでいて、って感じでした。音楽の活動が本格化していくにつれて、サッカーをプレーすることはフェードアウトしていきました。

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