深夜1時、エスタディオ・メトロポリターノ駅からマドリーメトロ7号線の車内に足を踏み入れると、酒気を帯びた中年男性2人がアトレティコ・デ・マドリーのチャントを高らかに歌い、ほかの観客が手拍子をとっていた。ヨーロッパリーグ準決勝セカンドレグ、ワンダ・メトロポリターノでのアトレティコ対アーセナルを包んだ熱狂の余韻が、そこにはあった。それはアトレティコの前本拠地ビセンテ・カルデロンの最寄り駅、ピラミデス駅から5号線に乗ったときに何度も見られた光景。2018年5月3日、思い出に残る大切な夜が、カルデロンとは違う場所で生まれていた。
■盛り上がりに欠けた新スタジアム
アトレティコは今季、その本拠地を1966年から使用していたカルデロンからワンダ・メトロポリターノに移している。カルデロンに移転する前に使用していたメトロポリターノの名前を冠する新スタジアムは、「私たちの新しい居場所にふさわしい」と、こけら落としのときこそメディア、ファンに絶賛された。が、次第にそうした声はトーンを落としていった。
収容人数はカルデロンの5万5000人から6万7000人に増えたが、平均観客動員数は6万人を超えるなど、客入りはいい。カルデロンの頃からのソシオ(クラブ会員)たちもそっくりそのまま新メトロポリターノで席を確保したため、人々の質も変わらない。試合開始前にスタジアムの外でたむろしてマドリーの地ビール・マオウを飲みながら騒ぎ、小便器の下に尿を撒き散らしている様子も変わらない。だが、それでも新メトロポリターノで、カルデロンのような熱狂を見ることはこれまでかなわなかった。スタジアムが大き過ぎるのか、応援団席がいくら声を張り上げても、それがほかのスタンドに伝染していかないのだ。人々はいつしか、あのカルデロンの雰囲気を懐かしむようになっていた。
しかし考えてみれば、新メトロポリターノを愛する理由などこれまではなかった。素晴らしい設計や外観があっても、そうしたことはこじつけに過ぎないのではないのだろう。
実際、旧メトロポリターノからカルデロンに移転したときにも、同じような状況であったという。アトレティコの伝説的FWであるガラテは「ファンはカルデロンに適応するのに苦労を強いられた。それは一部の選手たちも同じで、自分が移動する範囲の芝生の状態がまったく分からないのを嫌がった」と振り返り、フェルナンド・トーレスも「メトロポリターノからカルデロンへの移転も、最初は大変だったと聞いている。やっぱり、時間をかけないといけないことみたいだ」と語っていた。
■カルデロンに蓄積された思い出
僕がカルデロンに通った日々は10年足らずだったが、それでも色々な思い出が胸に刻まれている。レアル・マドリーのダービーで前半に2ゴールを食らい、ジャンバーの内ポケットに隠したスキットルでウォッカを飲んでいる親父が、罵詈雑言を吐きながら早々に家路につくのを見た。監督として帰還したシメオネが、「オレ! オレ! オレ! チョロ・シメオネ!」というコールで迎えられたのを見た。シメオネ率いるチームが、ビッグゲームを何度となく物にしていく様子を見た。ルイス・アラゴネスの追悼セレモニーで、彼のチームメートだったペチューガが芝生の上で、溢れ出る涙を止められない姿を見た。そのペチューガも亡くなり、ファンがアラゴネスとペチューガの名を立て続けに叫んでいたのを見た。7年近く旅に出ていた彼らのニーニョ(子供)、F・トーレスが戻ってきて、4万5000人がその帰還セレモニーに集まった圧巻の光景を見た。カルデロン最後の公式戦アスレティック・ビルバオ戦、スペイン人歌手ホアキン・サビーナによるアトレティコ創立100周年イムノの歌詞「パセオ・デ・ロス・メランコリコス(カルデロンに面した大通り)、マンサナレス(カルデロンのそばを流れる川)、どれだけ愛しているんだ!」と記された横断幕が掲げられたのを見た。その試合が終わった後、誰もいなくなった芝生を感慨深げに眺めていた老夫婦を見た。スタジアムのスピーカーから流れていたストリングスだけで奏でられるアトレティコのイムノは、無条件に涙を誘った。
たった10年で、これである。だがカルデロンはその5倍の年月の思い出を生み出していたのだ。フランシスコ・フランコの独裁体制下でこけら落としを迎えたあのスタジアムは、その体制が終わった後にローリング・ストーンズのスペイン初ライブを開催し、ロックンロールが体現する自由の精神を国内で初めて響かせた場でもあるが、時間をかけながらコンクリートが脈打つ欧州有数の歌うスタジアムに変貌を遂げていった。バルセロナ、そしてレアル・マドリーという強大な存在に立ち向かう反逆の集団たるアトレティコは、足りないものは人々の脅威的な声援で補うという文化を、多くの思い出・経験に裏打ちされた確信でもって築き上げていったのである。
■アーセナル戦、思い出となる夜

そして新メトロポリターノがカルデロンのようなスタジアムになるために欠けているのは、思い出の蓄積であり、さらに言えばそのような思い出の最大の糧となる、シーズンの成否を分けるビッグゲームが必要なのだと感じていた。そして、その最初のゲームこそが今回のアーセナル戦なのだとも。そうした予感は、試合当日の早朝に老人がアトレティコのマフラーとユニフォームを身に付け、コーヒーを飲みながらスポーツ新聞を読んでいたときから手にできていた。
ただし、いざ試合が始まると、まず感じたのはぎこちなさだった。アーセナルがボールを保持する、アトレティコがボールを相手に持たせる展開の中で、逆転を恐れる人々は声を上げるのを忘れていた。ボールを回すアーセナルに対して、思い出したように耳をつんざく指笛を吹き始めたのは、ようやく30分を経過してから。これまでのような傍観者の姿勢は、まだ感じられた。
だがしかし、グリーズマンのスルーパスから、ベジェリンのマークを引き剥がしてペナルティーエリア内に走り込んだジエゴ・コスタがゴールを決め、ついに歓喜が爆発する(もちろんゴール後に流れる音楽は、カルデロン同様にセブン・ネーション・アーミーだ)。そうして後半、アトレティコはコケ&ビトロの両サイドもDFラインまで下がって、6-2-2のような形でアーセナルのワイドな攻撃を封じ込んだが、人々はもう後押しすることを止めなかった。全スタンドがマフラーを掲げて、振り回して、力の限り歌っていた。「アトーレティ! アトレーティ!」「アトレティ・アスタ・ラ・ムエルテ(死ぬまでアトレティ)!」「アレ・フォルサ(頑張れ)・アトレティ・アレ!」。彼らはプレーに対するリアクションを越えて、ピッチで起こらなければいけないことを導いていたようだった。6万7000人を収容可能な巨大なスタジアムであっても、一つになれるという実感を手にしていた。
結局、アトレティコはアーセナルのゴールを最後まで許すことなく、合計スコア2-1で勝利。スペインメディアが試合結果以外で最も強調していたのは、新メトロポリターノにアトレティコのスタジアムらしい、強烈な熱狂が生まれたことだった。新メトロポリターノはただの建物ではなくなり、ようやく脈を打ち始めた。ファーストレグで退席処分となり、スタンドからマフラーを振り回していたシメオネは、試合後会見では打って変わってクールな語り口だったが、その言葉には熱がこもっていた。
「スタジアムは大切な勝利から強度を得ていく。今日は、ファンの感じていることを感じられた。じつに見事なスタジアムだよ。人々はチームが後押しを必要としていることを分かっていた。メトロポリターノで、初めて偉大なページが刻まれたんだ」
■思い出とともに、愛は満ちていく
新メトロポリターノでついに偉大な夜を経験したアトレティコは、今季限りでクラブを離れるF・トーレスへの餞けとしてヨーロッパリーグ優勝を目指す。そして、その決勝後に行われるリーガ最終節エイバル戦では彼の退団セレモニーが行われ、新メトロポリターノからまた新たな思い出が生まれる。「新しいスタジアムも愛で満たしていこう」と話していたのはF・トーレスだったが、その言葉通りに忘れることのできない思い出は増えて、愛は満ちていく。そうしてノスタルジーと現在が同居した、誇るべき、離れがたい自分たちの居場所がつくられていくのだ。
取材・文=江間慎一郎
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