■スペインを代表する試合
マドリーダービーは“マドリー人”にとって一年で最も重要な試合なんだ。レアル・マドリー対バルセロナの方がよりメディア的だけど、マドリーダービーはひとつの街全体を揺るがす試合。
両チームの著名選手であるアルフレッド・ディ・ステファノやルイス・アラゴネスは生前、スペインを代表する試合はマドリーダービーだったと繰り返し述べていた。90年代にはバルセロナが覇権を取り、アトレティコ・マドリーは覇権を失ったけど、それでもマドリーダービーの本質が揺らぐことはなかったんだ。スペイン国内で唯一同等のパッションがあるといえるのは、首都マドリーから約500キロメートル離れたベティス対セビージャの試合だけじゃないかな。
たとえ何年時が経過しようとも、マドリーにおけるダービーの位置づけが変わることはないのさ。街はマヒし、ブロックに分かれた地区は鼓動し、異なるチームカラーで道が彩られる。普段はフットボールに関心がない者さえもこの数日だけはどちらかのチームを応援するんだ。真っ白か、それとも赤いラインが白のモノトーンを引き裂くロヒブランコか。親、息子、兄弟、友人、隣人、それぞれがボールを挟んで90分間対峙する。
試合中はもちろん、試合の前週から翌週にも渡って、巷のバル、市場、広場はダービーの話題で持ち切りになるんだ。そこには勝利への楽観、そして敗戦への恐れが入り混じる。ダービーとは単なる一試合では済まされない。もし自分のチームが敗戦すれば、次の月曜日には勇気を振り絞って職場に行かねばならない。そしてアトレティコ・マドリーファンはいつもその不安に苛まれていたものだ。それが少年時代であれば尚更だよ。
■学校でバカにされたけど…
80年代の終わり、マドリー南部に位置する質素な地区で、一人の少年は毎日のようにロヒブランコのユニフォームを来ていた。まるでそのユニフォームが2つ目の皮膚であるかのようにね。
当時のレアル・マドリーにはエミリオ・ブトラゲーニョ、ミケル、ウーゴ・サンチェスといった選手がいて、アトレティコ・マドリーにはパウロ・フットレがいたんだ。少年の隣人は、土曜の朝に「おい少年、3点決めてやるぞ」と話しかけ、その週末が明けた月曜の朝には、「おい少年、レアル・マドリーが勝ったぞ。チームを乗り替えたらどうだ」と小学校への通学路で声を掛けてくる。ある友人も同じ経験の犠牲者だったな。
そんな試合が20ほどもあったかな。そしてもしアトレティコ・マドリーが勝利すれば、ロヒブランコが勝利すれば…! そんな時は誰もフットボールの話をしないんだよ。でも結果はどうあれ、私とその友人は次の月曜日に赤と白のユニフォームを身にまとって通学するのさ。
学校に着くと決まって、「なんでそんな格好で学校に来るんだ?」と先生が尋ねてくる。「レアルファンの生徒に笑われるぞ」との忠告付きだ。“レジスタンス”の色に包まれた私達は、「関係ないよ。今日は自分の色を周りに見せつける日で、勝った時だけじゃダメなんだ」と答えたものだった。
ダービーの時は毎年同じ光景が繰り広げられる。今思えば、ダービーの存在は己を強くし、人格を与えてくれていた。しかしそのことを理解したのは大人になってからかな。あの頃は心のままに振る舞い、たとえ負けが込んでも自らが身につけている色を誇りに感じていたから。あいつらのようにはなりたくない、そしてありのままの自分でいたかった。
■強豪になり…
それから年月は流れ、成長し、大人になってゆく。その間にアトレティコ・マドリーはレアル・マドリーを打ち破り、それは短い期間しか続かなかったものの、自らのクラブに対する信念はより強くなった。ロヒブランコはその後、セグンダ・ディビジョンへと降格するなど、ディエゴ・シメオネが“コルチョネロ”のベンチに座るまでは砂漠の中を歩くような長く苦しい時間を過ごすことになる。
その間、1992年にサンチャゴ・ベルナベウでコパ・デル・レイを勝ち取った時、サポーターはタイトルを祝うためにシベーレス広場へと繰り出した。これを見た隣人までもがそのアイデアを真似ているのを見たアトレティコ・マドリーは、喜びの舞台をネプトゥーノの噴水へと移した。これで同じ“神”を共有することはなくなったのだ。
今日のマドリーの小学校はレアル・マドリーとアトレティコ・マドリーのファンが約半々であり、もはや明白な優越は存在しない。たとえどんなにこっぴどくやられたとしても、常に立ち上がり、そして前を向くのだ。それが人生というものである。
■不変なもの
当時の少年は、スポーツ紙の記者になるという小さい頃からの夢を叶えた。好きなチームを変えることはできないが(物事にはひっくり返せない順序があるのだ)、この仕事は客観的になることが求められる。確かに少年時代に感じていたような情熱は多少失われた。いい仕事をするために周囲の騒音からできるだけ距離を置いたんだ。そして日に日に、敵ではなく“ライバル”としてうまく相手と付き合うことができるようになった。しかし、ジャーナリズムがスペインを席巻するこの赤と白のフラッグに染まってはいけないといくら自身を戒めても、ユニフォームを着て走り回っていた少年時代の心までは忘れることができない。
“心には理性で分からない理由がある”とは哲学者ブレーズ・パスカルの名言だけど、ダービーの時ほどこの言葉が力を持つことはない。記憶、家族、笑顔、そして涙といったものと共に常に心にある。
また今年もダービーがやってくる。シーズンの序盤ゆえ何か大きなものが懸かった試合ではないけど、試合中はクラブフラッグへの誇りが毎分のように心に刻まれてゆく。その間、マドリーの街は停止するんだ。
家族は分断され、ある者は泣き、ある者は笑う。小学校、地区、そして街で少数派だった80年代の少年たちは、隣人と比べて劣っているわけではない、そして何が起きようとも赤と白のユニフォームを着て小学校へ行くのだと、チャンピオンとなった姿を知る今の少年たちに伝え続ける。感情は常に結果を超越する。それもまた、人生だろう。
ハビエル・ゴマラ/Javier Gomara(スペイン紙『ムンド・デポルティボ』記者)
協力:江間慎一郎
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