2018-12-30 KarankaGetty Images

古豪を率いる元“モウリーニョの右腕”カランカの野心…英2部で直面している理想と現実/独占インタビュー

かつてアスレティック・ビルバオ、レアル・マドリーなどでプレーした名DF、アイトール・カランカは現在イングランド2部のノッティンガム・フォレストで監督業を務めている。

今回、カランカは『Goal』の独占インタビューに応じ、イングランド2部でどのような指導者生活を送っているのか、語ってくれた。

自身の現役時代のエピソード、そしてジョゼ・モウリーニョの下、レアル・マドリーでアシスタントコーチをしていたときの逸話なども明かす。スペイン人指導者として自身が好むサッカーのスタイル、イングランドのチームを率いて感じる”理想と現実”とは?

■「フォレストは歴史と伝統のあるクラブ」

Nottingham ForestSocial media

――あなたが率いるノッティンガム・フォレストは現在、フットボール・チャンピオンシップ(イングランド2部)というカテゴリーに属していますが、かつてはチャンピオンズカップ(現リーグ)を2度制したことのある古豪として世界的に知られています。今はどういう状態なのでしょうか? 今でも強烈に残っているブライアン・クラフ監督時代(1979年、1980年にUEFAチャンピオンズカップを制した)のイメージと、どのような違いがあるとお思いですか?

フォレストからオファーをもらったときは嬉しかった。私はちょうど興味深いオファーが舞い込んでこないかと思っていて、10カ月ほど(2017年3月~2018年1月)フリーの状態が続いていたんだ。フォレストの思い描くプランはまさに私が望んでいたプロジェクトだったからね。それにやっぱりフォレストは、歴史と伝統のあるクラブだ。だからこそ、ここで仕事をすることに大きな魅力を感じたんだよ。フォレストで監督業をすることができて、とてもよかったと思っている。金銭面やその他のことはある程度度外視しているよ。私にとってかけがえのない存在である、家族と一緒にいられる環境という意味でも、魅力的だった。私はこのプロジェクトをミドルズブラ(2013~2017年まで指導)でやったようなものにしたいと思ったんだ。

――ノッティンガム・フォレストはミドルズブラと同じようなプロジェクトだとおっしゃいましたが、両チームの違いはどこにあると思いますか?

まず歴史が大きく違うね。ボロ(ミドルズブラの愛称)はリーグカップの優勝が1回あって、6年間チャンピオンシップのカテゴリーに属していた。近年は1部と2部を行ったり来たりするエレベーターチーム、という見方ができるかもね。一方、フォレストは40年ほど前にチャンピオンズカップを2度優勝した実績があるけど、20世紀末から下のカテゴリーに20年近く所属している。この時点ですでに大きな差がついていると言っていいだろう。ボロの監督になったとき、街そのものが失業の問題や経済危機のため、少し沈んでいるように感じた。チームをゼロから立て直さなければならず、少しずつ希望を膨らませていって、最終的にプレミアリーグへ昇格することができた。トップリーグに上がるという夢をかなえたんだ。それは今のフォレストでも同じで、決して簡単な目標ではない。だけど、いつだってクラブの伝統を作るために変革することはできる。実際、1年で17人の選手が入れ替わった。上を向いて進むためには、最初から劇的な変化をしなければならなかったが、事態は良い方向へ向かっている

――スペインでも、イングランドのプレミアリーグ(1部)は多くの人が注目し、視聴しています。ですが2部のチャンピオンシップを見ているスペインのサッカーファンはあまりいません。そのことについてどう思いますか? このカテゴリーは2部ながらレベルの高いサッカーを展開している、2部にしては経済規模もかなり大きいと言われますが……。

2部ながらレベルが高いというのはそのとおりだと思う。2013年にボロからオファーをもらったとき、2部のチームだからといって拒否反応は起きなかった。ただ、当時は他からも複数のオファーがあってね。(ジョゼ)モウリーニョと話をして、チャンピオンシップのカテゴリーについて教えてもらったんだ。クラブとオーナーのことはアスレティック・ビルバオにいたときに会ったことがあって、すでに知り合いでもあったしね。モウリーニョから真剣に考えるよう助言されたよ。同じ2部でもスペイン2部とは違うってね。

実際、チャンピオンシップの試合を見たら一目瞭然だと思う。今年はクラブ会員が22,500人ほどいて、1試合の平均観客数は28,000人ほどだ。アウェーでの試合でも、スタジアムによっては平均21,000人ほどの観客がいる。たとえば、先日のアストン・ヴィラとの試合では約41,000人が入った。これはスペイン2部リーグと比べたら、雲泥の差だと思う。

――以前(ジョゼップ)グアルディオラが、スペインのサッカーとの違いとして「イングランドのマスコミはとても厳しいがスペインのマスコミより礼儀正しい」と言っていました。あなたもそう思いますか?

そうかもね。まずその前提として、スペインほどメディアが多くない。試合前と試合後に記者会見はあるが、スペインと違ってここでは質問の80%が試合と無関係のことだ。試合のことは20%ほどしか話題にならないね。

スペインでは試合以外のことが質問されることはなかった。あまり批判的な論調ではない地方メディアを除けば、1週間ずっとメディアは監督の采配や選手交代、ゲームプランについてひたすら討論する。フットボールがすべてではないが、スペインでは他の多くのことが無視されているんだ。

■「ミドルスブラで1部に上がった後、苦しさを感じた」

2018-12-30 Karanka MiddlesbroughGetty Images

――では、そのフットボールの話をしましょう。カランカ監督はどういう指導者でしょうか? どのようなスタイルを志向し、どういうシステムが一番好きなのでしょう?

その質問は、まさにフットボールの本質的な部分だね。スタイルとか、ポゼッションとか、フィジカルとか……。結局のところ、私は出身やプレーしてきたチームからの影響が根強いんだ。スペインのユースチームやレアル・マドリーでの経験から言うと、監督は、チームに“これ”という決まったスタイルを植えつけ、優勝を目指すものだ。その内容に付加価値や話題性を持たせようとする人もいるが、結局のところ、やはり勝たなければならない。そのためにはより良い選手を得て、質の高いプレーをする。つまり、私が求めるフットボールは、良いプレーをして勝つということだ。

――まずは守備を重視し、失点しないことを大前提にする指導者もいますが、ご自身はどうでしょうか。

その点は悩ましいところだね。多くの場合、チームがディフェンシブな方向性に偏ると、ファンから嫌われてしまうんだ。私も何度か経験したよ。たとえばボロでの経験上、プレミアリーグで強豪と渡り合うには、チャンピオンシップのカテゴリーにいるときと同じようなプレー、同じ選手ではダメなんだ。チームそのものが変わらなければならないし、プレーのバリエーションを広げることが重要だ。監督が選手に求める要素も必然的に多くなってしまう。監督として、選手たちの成長を促す必要があるんだ。選手一人ひとりを成長させることで、チーム全体のレベルを底上げさせることができる。

――たとえば(カルロ)アンチェロッティは「自身のキャリアにおいて最大の変化のひとつは、自分の好みであるシステムにチームを適応させるのをやめ、現有戦力に合わせてシステムを調整するように方向性や考え方を変えたこと」と言っていました。指導者として重要な要素とは、与えられた環境で最適なチームをいかに形成するか、その方法をよく知っている監督、ということなのでしょうか?

ああ、まさにその通りだと思う。ただ、実際に理想のスタイルを追求したくても、リーグ昇格が懸かる大一番に挑むとなると結局のところ、まずは負けないことが最優先になる。そうなると失点しないことが重要となるし、そのうえで得点も狙わないといけない。そんな状況に直面すると「自分のために仕事をしているんじゃない。みんなのためなんだ」と痛感するんだよ。ボロでプレミアリーグに上がった後にも、苦しさを感じたね。優勝争いをするような上位チームが2憶ポンド(約280億円)も使っているのに、自分たちはたった1900万ポンド(約26億円)しかなかったりね。それでも、マンチェスター・シティやアーセナル相手に勝ちたいと思って挑むんだよ。チャンピオンシップから上がってきたばかりで、2部にいたときと同じ選手しかいないけど……ってね。そうなると、我々がやりたいイメージのフットボールと、実際にできることが全く合致しないんだ。

――規模の小さなサッカークラブは必然的に選択肢が限られてくると?

そうなんだ。どうしてもビッグクラブとのギャップは生じてしまう。チェルシーと対戦したとき(アントニオ)コンテに「ガストン・ラミレスをどうするつもりなんだ?」と聞かれたことがある。ラミレスがセリエAにいた時から、コンテは彼の才能を高く評価していたようで、機会があれば自チームに加えたいと思っていたようなんだ。ラミレスが優秀な選手であることを把握していたうえで私にこう言ったんだ。「攻撃面で精力的に動く選手だ。ここ(ミドルズブラ)でうまくやっていくには、周囲からの使われ方が重要になるな」とね。そう言われた私はこう返したんだよ。「そうなんだけどアントニオ、ボロはビッグクラブではないから、実際のところ選手に制約のない自由を与えるわけにはいかないんだよ。チームの守備に貢献せず、攻撃に偏重している選手が一人でもいたら、すぐさま窮地に追い込まれる」と。一人で流れを変えられるクリスティアーノ・ロナウドのようなスーパースターがいたら話は別だけどね。小さなクラブなりの戦い方や志向があるのさ。

■「選手が力を発揮しやすい組織に仕上げる必要がある」

2018-12-30 2013 Karanka

――21世紀に入ってからサッカー界では、スペイン代表の成功やバルセロナの黄金期を受けて、ポゼッション神話のようなものが生まれました。ですが現在ではポゼッションが評価されにくくなっています。モウリーニョや(ディエゴ)シメオネのような、堅守で実績を残した監督は常々「勝利が何より重要」と公言しており、ポゼッションを“煩わしく”思っているようです。目指すべきスタイルは各監督やチームで異なりますが、1点を相手よりも多く奪うという競技の特性上、理想はどのようなスタイルになると思いますか?

文化的な背景やその人物の理想によって志向するスタイルは異なるものだ。実際のところ、私は個人で打開する主義が好みではない。個人のスキルに絶対の自信を持つ選手は考えを曲げないケースが多い。その選手がたとえ個人で素晴らしいプレーをしたとしても、結局勝利に直結しなければ意味がない。その選手個人の我が強すぎると、結果的に負けたとしても「自身は仕事をしたから自分は悪くない」という発想も生まれてしまう。その面で組織と個人の理想を均衡させて着地点を探るには、やはり監督がチームのポテンシャルをすべて把握する必要がある。さっきも話したように、そのうえで選手たちが力を発揮しやすい組織に仕上げる必要があるんだ。逆に選手の志向や好むスタイルが合致している選手たちを集めたほうが、おのずとチームとしての完成度が高まりやすい、ということだと思うんだ。著名な例を挙げると、バルセロナのカンテラ(下部組織)出身の選手たちはそれが叩き込まれているということになるね。

――スペインはポゼッションを志向する傾向が強いと思われますが、スペイン人のあなたからしてどうですか?

確かにスペインでは、華麗なパスで相手を圧倒することについて、クレイジーになりがちだ。息子がまだ8~10歳ぐらいのころかな。ポゼッションからのアクションというプレーが流行っていて、小さな少年たちまで熱を入れて研究していたみたいだよ。大人たちから“1本のパスをどう通すか”ではなく“ポゼッションする方法”を教わっていた。当時のスペイン代表はユーロ2008で久しぶりのビッグタイトルを手に入れて勢いに乗っていたし、実際にピッチ上で見せていたパスサッカーは素晴らしかったからね。U-16スペイン代表を指導していたときの2年間(2008~2010年)がそうで、フル代表の練習を見るのも楽しかった。シャビや(アンドレス)イニエスタ、(ダビド)シルバのような選手たちがいれば、あのスタイルがハイレベルに実現できることは間違いない。私たちもトライしているよ。

――そのスタイルを“イングランドで実践してみたい!”と思ったりしますか?

するね(笑)。だけどそのためには選手たちのスキルやビジョンに依存する要素が多いから、実戦で使えるかどうかはまた別問題だけど。先日フォレストで、タッチ数18回でゴールを決めたことがあったんだよ。ピッチ上の11人全員が関与した美しい得点だった。あらゆる可能性を私たちも試してはいるんだ。だけどリーグ戦では、まず組織的に堅実なプレーを目指す必要がある。最終的に勝つことが重要という大前提はあるけど、その目標に向けた過程についてはあらゆる要素をミックスしてみる、ということだね。

■「現実的には結果を最優先するしかない」

2018-12-30 Karanka MourinhoGetty Images

――あなたは(ユップ)ハインケスや(ビセンテ)デル・ボスケなど名将のもとでプレーし、引退後はモウリーニョのアシスタントコーチも務めました。指導者としてご自身のスタイルを確立するにあたり、恩師から取り入れた要素はありますか?

それぞれの監督から多かれ少なかれ、影響を受けているよ。その3人はまったく個性の異なる監督だけどね。ハインケスの下、最初にビルバオで指導を受けたのは20歳のころ(1992年)だった。彼はドイツからやってきてビルバオの精神を変えたんだ。ボールをアグレッシブに動かしながら敵陣を崩すスタイルを学び、UEFAカップに出場した。ハインケスとは後にマドリーでも再会(1997~98年)したけど、さすがの手腕を披露していたね。デル・ボスケ(1999~2002年)のスタイルはハインケスともまた違った。選手それぞれの個性をうまく引き出し、それを合致させながらプレーするような感覚だったね。“ガラクティコス”のカリスマをまとめ上げただけに、人心掌握術は非凡なものがあったんだ。

そしてマドリーで一緒に仕事をしたモウリーニョ(2010~13年)はアグレッシブでありながら攻守の切り替えをスムーズに展開する組織を形成していた。実は、モウリーニョのアシスタントコーチをしていた時、すでに私は監督になることを考えていたんだよ。指導者としていかにして歩むべきか、最後の後押しをしてくれたのがモウリーニョだった。ハインケス、デル・ボスケ、モウリーニョの3人は、いずれも自分にとっては“転機”と言える出会いだったかもしれないね。

――以前グアルディオラがバルセロナを率いていた時、バルサの練習を見たシメオネが「このスタイルのフットボールは好きじゃない、自分は感動しない」と言ったそうです。実際に2人のその後を見ても、真逆の戦術を志向しているように思えますが、やはり監督は自身の理想に反するフットボールを追求するのは苦になるのでしょうか。

苦にならない、と言ったら嘘になるかもね。モウリーニョとマドリーで仕事をしていたとき、アトレティコ戦のベンチでこう話したことがある。「人に好かれようが嫌われようが関係ないと言わんばかりに、独自のチームを作り上げているチョロ(シメオネの愛称)の仕事ぶりは尊敬に値する」ってね。今のアトレティコには明らかにチョロの色がある。マンチェスター・シティにはグアルディオラの色がある。その“色”が監督として最も重要なことだと思う。チームが目指すべきスタイルに監督の色が定着することで組織としての完成度が高まるんだ。

先程話題に出した、18回のタッチで得点したときに“自分が理想とするスタイルをチームで実現できた”と思ったよ。だけど、実際のところ残留争いをする小さなチームでは、その理想通りにできないもどかしさがついて回る。ミドルスブラ時代、プレミアリーグでマンチェスター・シティとのアウェー戦に挑み、守って守って最後の1分で得点して引き分けに持ち込んだとき(16-17シーズン第11節、1-1の引き分け)、自分は本当に大きな仕事をやってのけたと達成感が湧いてきたよ。自らの理想を追求することと、圧倒的格上チームから勝ち点を奪うことは、方向性が異なると痛感することもしばしばある。まさに“理想と現実”かもしれないけど、どちらも監督の仕事として誇るべきもの。ただ、現実的にはどうしても結果を最優先するしかない。

――やはり監督業でやりがいを感じるのはそういったところでしょうか。

そうさ。だけど結局のところ、試合に勝ったあと喜ぶファンの表情を見るのが支えになるかな。それが勝ちたいと思う一番の原動力になるから。試合に負けたら、ファンは落ちこんだ気分で家に帰るしかない。スタジアムを悲しそうに去っていく子どもたちを見るのは耐えられないからね。やりがいという点で個人的な話になると、監督としては選手たちと良好な関係性を築いて、絆を強めることだね。チームの調子が悪いときは選手たちの雰囲気もあまり良いものではないし、手がかかることも多々ある。選手たちは家族というか、息子のようなものかもね。時々彼らに対して「殺意を覚える」ようなこともあるけどね(笑)。

だけど同時に選手たちとは“死ぬときは一緒”という覚悟のような気持ちもあるんだ。ひとつにまとまったグループを作りたいと思っているよ。ボロではそれができたから、1部に昇格できて、プレミアリーグを戦うことができた。自分はその役割を不本意ながらシーズン終了まで全うすることができなかったけどね(2017年3月、プレミアリーグ第27節終了後にカランカは解任された)。今、フォレストでやっていることも同じだよ。多くの選手の入れ替わりはあったけど、一緒に戦っていくうちに家族となり、友となった。先日、試合に負けたけど、その後チーム全員でクリスマスディナーに行ったんだよ。これは結束がなかったらできないことだと思う。

■「ライバルとリスペクトの感情が生まれるのは興味深い」

Aitor KarankaGoal

――ところで、あなたの父はバルセロナの(エルネスト)バルベルデ監督と特別な関係があるそうですね。

そう、バルベルデとは不思議な縁があってね。バスクのビトリア=ガステイスにあるサン・イグナシオ学校で父はサッカーを教えていたんだけど、そこに若き日のバルベルデも在籍していたんだ。バルベルデはエスパニョールやバルセロナでプレーした後、(1990年)ビルバオへ加わった。それから私もビルバオのトップチームに昇格し、3年ほど(1992~94年)バルベルデとは一緒のチームでプレーしたよ。その後私がマドリーに移籍して、2002年にビルバオへ戻ったときにはバルベルデが監督だった(2002~03年)。だからバルベルデは父の教え子でもあり、私の同僚でもあり、私の師でもあった、ということになるね。

――時々、バルベルデに何かアドバイスをするようなことは?

いやいや、むしろ逆だよ! バルベルデは私よりも多くの場数を踏んでいるからね。そうそう、フォレストのオーナーたちは、バルベルデがオリンピアコスで指導していたときのオーナーで、その当時からつながりはあったようだね。

――バルセロナの幹部はバルベルデの仕事ぶりを真っ当に評価していないという声もありますが。

そうだね。ただ結局のところバルベルデがやりたいようにやるしかない。何においても普通にやることだ。自分に落ち度があればそれはおかしな騒ぎに発展するが、彼は指導者として厳格に仕事と向き合っている。ビッグクラブの監督となれば、自然体で選手たちと接しながら勝利に向けて歩むだけでいい。私に言わせれば、それだけで指導者として一つのロールモデルだよ。

――あなたは現役時代レアル・マドリーでプレーし、引退後はモウリーニョ監督の下でアシスタントコーチを務めたことがあります。あのメガクラブがどういうチームかよくご存知だと思いますが、(サンティアゴ)ソラーリはレアル・マドリー指揮官としての役割を果たせると思いますか?

十分にサンティ(ソラーリの愛称)は個性を発揮していると思う。彼には彼の考えがある。マドリーのようなクラブになると、どの選手もプライドが高いし、チームをまとめるだけでも大変だ。たとえば、とある権力者は特定の選手にプレーさせたいと思っていて、別の勢力からはこの選手を起用してもらいたいという意見が出てくる。だけどサンティは迷うことなく自分のチーム作りを進めているし、実際それなりに結果は残しているよね。ただ、あのチームの監督を務めるのはそう簡単なことではないんだ。アシスタントコーチを担当した経験からしても心底思うよ。うまくいけば、ジズー(ジネディーヌ・ジダンの愛称)ほどでなくとも、チームを立て直して、また勝ち続けられるようになるだろう。

――ところで、母国スペインのクラブからあなたにオファーが届いているとの報道もありました。ですが、まだノッティンガム・フォレストとの契約をしばらく残しています。今後スペインに戻るつもりはあるのでしょうか? それともイングランドに腰を落ち着けるつもりですか?

今はまだフォレストでやるべきことがあるし、実際のところ2020年まで契約を残している。17-18シーズンの途中から監督になったけど、1年目はまずチームの形をつくって、2年目の今シーズンはプレーオフに進出し、なんとか来シーズンは1部に昇格できないかと頑張っているところだ(※ノッティンガム・フォレストは現在2部でリーグ7位)。スペインに帰るかどうかと言われたら、フットボールの世界では何が起こるかわからないとしか言いようがないね。ただ、イングランドでは問題なく家族と一緒に過ごしているし、5年続けている監督業についても、慌てることなくやってこられたと思っている。今はフォレストという居心地の良い環境で仕事に集中している、というところかな。

――サッカー界で生涯の友はいますか? 「まさかこんなに仲良くなるとは」というような恩人や、盟友のような存在は?

それはもう数え切れないほど多くいるよ。毎試合新しい出会いがあるし、予想だにしなかったような交流が生まれることもある。サッカー界で働いていると、通常の人間関係とは異なるリスペクトの感情が生まれる。これはとても興味深いことだね。ライバルチームの監督は自分のチームを90分で倒そうとしている"天敵”のような存在だよね? だけど試合が終わったら健闘を称え合うし、お互いにアドバイスを送り合うこともある。そこがフットボールの美しいところだ。ボロを率いてアーセナルと対戦した時(アーセン)ヴェンゲル監督と30分ほど話をしたことがある。そこで生まれた縁がきっかけで、昇格プレーオフ進出が決まったあと、ロンドンにあるアーセナルの練習場を貸してくれないかと頼んだことがあった。すると、ヴェンゲルは僕らのお願いを快く受け入れ「プレーオフでの健闘を祈る」とトレーニング施設を貸してくれたんだ。他のチームとのリスペクトがあり、そのうえで友情を築けるのがフットボールで生まれる絆の美しい部分だと思うよ。

インタビュー・文=ルベン・ウリア&アルベルト・ピニェーロ/Ruben Uria & Alberto Pinero

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