ブンデスリーガでのスタートは連敗と不調、ゲルゼンキルヒェンの天気は土砂降りの荒れ模様、インターナショナルブレイク中の練習でフィールドに出ているプレーヤーはたったの12人――こんな条件がそろっていては、シャルケはどん底ムードにあると思えるかもしれない。
だが、約束の時間にフェルティンス・アレーナに現れたシャルケの左サイドバック、アブドゥル・ラーマン・ババは、にこやかに微笑んでいた。そこには、チームの不調からくる苛立ちムードなど微塵も感じられなかった。チェルシーからのレンタルでプレーするババは、『Goal』とドイツメディア『Spox』の独占インタビューに応えて、故国ガーナやそこで過ごした少年時代、重いケガによる長期離脱の経験やシャルケの目標にについて語ってくれた。
■アフリカのプレーヤーはチャンスを求めてヨーロッパへ渡る
――あなたにとって“故郷”とは?
故郷っていうのは、人が安心していられる場所だね。そこにいると、愛する人たちに囲まれて幸せを感じるのさ。
――あなたは18歳で故郷のガーナを離れてドイツへ移りました。当時のあなたにとっては大変な一歩だったのではないですか?
最初のうち、ドイツで暮らすのは僕にとってすごく大変なことだったよ。運のいいことに、フュルト(バイエルン州の都市で、ブンデスリーガ2部チーム、グロイター・フュルトのホームタウン)にはゲラルド・アサモアがいて、僕のことをすごく気にかけてくれたんだ。僕はいつも彼の家に行っていたし、彼の奥さんはガーナ料理を作ってくれて、僕たちはトゥイ語(ガーナ共和国で話される言語のひとつ)で喋ることができたんだ。よく一日中彼の家で過ごしてたから、自分の家にはほとんど寝に帰るだけだったね。ドイツで過ごした最初の1年間はゲラルドのおかげで万事OKだったし、ほとんどホームシックも感じずにすんだんだ。僕の家族はそばにいなかったけど、足りないのはそれだけだったよ。
――アサモアはあなたの人生にどんな役割を果たしていると思いますか?
僕にとってとても大切な人だ。彼といると、いつも2人ともすごく楽しくて、一緒に笑うんだ。彼は信じられないくらい僕の助けになってくれたし、どんなに感謝しても、し足りないくらいだよ。僕にとって、彼は父親のような存在でもあるし、お手本でもあるんだ。彼がフットボーラーとしてやり遂げたことはすごく偉大なことだし、そんな伝説的プレーヤーからアドバイスしてもらえることをうれしく思っているよ。
――ドイツに来てフュルトで過ごした最初の頃、あなたにとって一番大きな問題はどういうことでしたか?
ドイツ語を覚えるのがすごく大変だった。英語でならほとんど問題なく自分の言いたいことを言えたけど、ピッチで使えるように、急いでドイツ語で指示を出すことを覚えなきゃならなかったんだ。
――ドイツで最も気に入ったことは?
ブンデスリーガのファンは最初から素晴らしいと思ったね。あんな熱狂ぶりはそれまで経験したことがなかったし、そんなことがありうるなんて考えたこともなかったよ。どんな試合かに関係なく、いつでも何万人もの観客が集まるんだからね。並大抵のことじゃないよ。僕は、自分がこんなに早くガーナからドイツへやって来て、それからすぐにブンデスリーガでプレーするようになるなんて、夢にも思わなかった。良い意味でのショックだったね。それについてはすごく幸運だったと思ってるよ。
――フュルトへ移って来る前、ドイツについてはどんなことを知ってましたか?
正直言って、国についても人についてもほとんど何も知らなかったよ(笑)。 テレビで見て、バイエルンと代表チームだけは知っていたけどね。
――あるインタビューの中でカメルーン代表のミシェル・ンガドゥ=ンガジュイが「人がアフリカを去ってヨーロッパへ行くのは、行きたいから行くのではない。ヨーロッパへ行くのを誇らしく思うからでもない。ただ、ヨーロッパに行く方が、夢を実現するため、より良いチャンスに恵まれるからにすぎない」と話していました。これについてあなたはどう思いますか?
まったくその通りだと思うよ。僕はアフリカを愛している。だけど、若くて才能のあるフットボーラーの育成に関しては、ヨーロッパとは比較にならないくらい遅れているんだ。もちろん改善されてきてはいるけど、それでも、今のところアフリカの多くの国でプロのフットボーラーになるのはヨーロッパの場合よりずっと難しいことなんだ。だから、有名なプロのフットボーラーになりたいと思ったら、ヨーロッパに行くしかないんだよ。
■「僕のそばにはいつもボールがあった」
Imago――ガーナでの子供時代はどんなでしたか?
僕が子供の頃、まだガーナにはあまりたくさんのフットボールチームはなかったんだ。僕は北部で育ったんだけど、今までこの地域出身のプロ選手はほとんどいない。だから、本物のビッグクラブでプロのフットボーラーになるというのは、僕にとって難しい道だった。それでも、プロになることはずっと僕の夢であり続けた。僕の人生にはフットボールしかなかったからね。子供の頃の僕は毎日通りに飛び出していって、やれる場所でならどこででもボールを蹴っていた。僕のそばにはいつもボールがあったのさ(笑)。
――ガーナでは、あなたはドリームズFCでプレーしていましたね。育成中の若手選手だったあなたは、どんな夢を見ていたのでしょう?
ドリームズは、若くて才能のあるフットボーラーが夢を実現できるように手助けすることを目指していた。ドリームズから海外へ出て、代表チーム入りも果たして、飛躍を成し遂げたのは僕が最初なんだ。今の僕はそのことをとても誇らしく、幸せなことだと思っている。今でもドリームズは僕にとって家族のようなものなんだ。ガーナへ帰った時は、いつもクラブに顔を出しているよ。
――プロのプレーヤーになれなかったとしたら、何になりたかったのでしょうか?
自分の人生のことを考える時、僕はまさにそのことを何度も自分に尋ねてみるんだ。もちろん、まだ一度も答えが出たことはないよ。たぶん、大学で勉強していたんだろうと思うね。母は僕に大学へ行くことをずっと望んでいた。だけど、フットボールは僕の人生においていつも一番大事な場所を占めていた。母がいつも言っているんだ、僕はまだちっともまともに走れないうちに、もうフットボールをやり始めたんだって。いつだって、僕の頭の中にはフットボールのことしかないのさ。
――ご両親はあなたの夢をどのように支えてくれましたか?
当時、ガーナの北部では、プロのフットボーラーになる訓練を受けられるチャンスはほとんどなかった。だけど僕の両親は、僕がフットボールを愛していて、僕にとってはフットボールがすべてなんだということを早くから理解してくれていた。だから、毎日学校が終わると外に出ていって、フットボールをやることを許してくれていたんだ。
――あなたはヨーロッパに来てもう6年になりますね。ガーナの何を懐かしく思いますか?
僕が懐かしいのは物じゃなくて人、それから毎日の暮らしだね。僕の生まれた町を歩き回りたいと思うよ。そこには僕の友達がたくさん暮らしていて、みんなが僕と同じ言葉を喋るんだ。
■ガーナ代表は特別なプレッシャーを感じている
Backpagepix――サマーブレイク中のあなたの発言によると、「まだガーナ代表に復帰する準備はできていない、プレッシャーが大きすぎるからだ」ということでしたね?
夏には、僕はまだ100%万全だとは感じていなかったから、リスクを冒したくなかったんだ。まだ自分にちょっとひと息入れる時間を与えて、本当に完璧な状態に持っていきたいと思っているんだ。それに、ガーナのフットボール連盟と政府の間にいくつか問題があったりもしたからね。今ではもうどうでもいいことなんだけど。完璧に準備ができたら、何が何でもガーナ代表に復帰するつもりだよ。
――ところで、なぜプレッシャーを感じたのですか?
ガーナでは、誰もがフットボールについて言いたいことがあるから、代表プレーヤーはいつもプレッシャーにさらされているんだよ。たとえ5-0で勝ったとしても「7-0で勝てたはずだ」って言われるんだ(笑)。みんな、本当にいつも議論の種を見つけてくるんだよ。
――ガーナの人々にとってフットボールはどのくらい重要なものなんですか?
ガーナでは、みんなが本当にフットボールを愛している。2014年のW杯の後、いくつか問題があったけど、今は正しい道を進んでいると思うよ。この道をさらに進んでいって、ガーナのフットボールがうまく発展することを心から願っている。
――ガーナはアフリカのフットボール大国でありながら、ロシア・ワールドカップには出場できず、予選敗退という結果に終わりましたね?
僕たちの祖国にとって、とても悲劇的な出来事だったよ。試合に向けた準備は理想的とは言えなかったし、僕たち選手ももっといいプレーができたはずだ。どうしてあんなことになったのかわからないけれど、もしかすると、ただ僕たちが十分に力を出せなかったってことかもしれないね。
――試合前の準備の何がうまくいかなかったのですか?
試合に身が入るのは時々のことで、フットボールだけに集中することができなかったんだ。この頃スポーツ大臣とフットボール連盟の間に激しい対立があって、そのせいで僕たち選手も、ピッチで本来やるべきことに力を注ぐことができなくなっていたんだよ。ひょっとすると、ただ単に僕たちには荷が重すぎたってことかもしれないけどね。
――アフリカネイションズカップでの優勝と次回のW杯出場と、ブラックスターズ(ガーナ代表の愛称)にとってはどちらがより重要なんでしょうか?
僕ならすぐに、アフリカネイションズカップでの優勝と答えたいね。アフリカネイションズカップで優勝するのは僕の子供の頃からの大きな夢なんだ。
■ケガによるキャリアの危機
――2017年のアフリカネイションズカップの時、あなたは1戦目で早くも重いケガに見舞われましたね。後で振り返ってみて、あの時参加したことに後悔を感じますか?
絶対にそんなことはないね。僕にとって、ブラックスターズのユニフォームに身を包むことは、いつだって大きな名誉なんだ。道で誰かが代表チームのユニフォームを着ているのを見るだけでも、幸せを感じるんだよ。
――十字靭帯断裂と半月板損傷というケガのせいで、その後あなたは約1年半、戦列を離れることになりました。そんなに長い間フットボールから離れて過ごすのはつらいことだったでしょう?
最初の3カ月はものすごくつらかったね。あの頃、僕がどんなに惨めな気持ちを味わったか、本当にとても言葉では言い表せない。完全に打ちのめされた気分で、チームメイトたちがピッチで務めを果たして、僕がやりたくてたまらないことをやっているのを眺めながら、ただぼんやり座ってることしかできなかったんだ。
――ケガのせいでシャルケはレンタル契約を延長せず、あなたはチェルシーに戻らなければなりませんでした。さぞかしがっくり来たのではないですか?
シャルケは僕を見放したわけじゃないんだ。予定では2017年の6月に契約が切れることになっていて、僕はケガが長引いていたからね。僕がロンドンに戻ってからも、クリスティアン・ハイデルとアクセル・シュスター(両者ともにシャルケのSD)とはずっと連絡を取っていて、「またシャルケに迎えたいと思っている」って何度も言ってくれていたんだ。
――あの頃のあなたはキャリアの先行きを危ぶんでいましたか?
ケガから半年が経った頃に、「何もかも予定通りに進むというわけにはいかないだろう」と医者たちに言われたんだ。その時は、自分のキャリアが大いに心配になったね。もう二度とピッチに戻るのは無理なんじゃないか、何よりも大好きなフットボールをやれないんじゃないかと不安になったんだ。本当に落ちこんでしまって、辛抱強く頑張るのが難しく思えたよ。医者たちは僕を元気づけようとしてくれて、同じようなケガをして復活したフットボーラーが大勢いると話してくれたんだけどね。
――そのつらい時期に、誰があなたを支えてくれたのですか?
もちろん、家族はいつも僕のそばにいてくれた。だけど、シャルケとチェルシーも僕のことを心配してくれて、僕がピッチに戻れるよう一緒になって助けてくれたんだ。
■シャルケの目標
Goal――あなたのコンディションはまだ完璧ではないにもかかわらず、2018年1月、シャルケは改めて1年半のレンタル契約であなたを獲得しましたね。
そうなんだ、とてもありがたいことだと思っている。シャルケにいると、僕は我が家にいるように感じるんだ。僕は一度ロンドンに呼び戻されたけど、ゲルゼンキルヒェンの家はそのままにしておいた。ここにいると安心するし、馴染みがあって、ファンの反応もクラブの仕組みも何でもよくわかっているからね。シャルケに戻る決断をして正解だったと確信しているよ。
――今シーズンのシャルケはまだうまく結果を出せていませんね。ブンデスリーガ開幕から4連敗を喫しているのですから。この先何を改善していけばいいのでしょうか?
僕個人に関して言えば、守備の面でも攻撃面でももっと改善していける点があると思う。それはわかっているし、改善しようと頑張ってもいる。だけどチーム全体としても、まだ限界まで力を出し切ることができていない。僕たちは、練習のたびに全力で欠点を克服するよう努めているよ。
――シーズン前、シャルケはバイエルンの最大のライバルになると思われていました。そのせいでプレッシャーが大きくなり過ぎたという面はありますか?
昨季のシャルケは確かに素晴らしかった。僕たちは、あの独特なファイターとしての魂を発揮したんだ。今シーズンのここまではうまくいっていないけれど、僕たちのチームには今も素晴らしい選手たちと素晴らしい監督がそろっているんだ。これから先、またうまくいくと信じているよ。
――これまでを振り返ってみて、プレッシャーを感じたり、有頂天になったりすることはチームに悪影響を及ぼしてきましたか?
いや、そうは思わないね。僕たちは監督の言葉だけに集中しているし、僕たちが考えを向けるのはピッチの上でやるべきことであって、周りから期待されていることじゃない。監督がいつも強調しているのは、一つひとつの試合に気を配って、常に全力で臨まなければならないっていうことだ。僕たち自身のために、そしてクラブのためにね。
――2018-19シーズンの目標は?
僕はスポーツを仕事にしているし、もちろん、できるだけいつも勝っていたいと思っている。できれば、シャルケの一員としてポカールも制覇したい。昨季はもうちょっとというところまで行ったんだしね。僕たちは毎日厳しい練習に励んで、もっともっと成長したいと思っている。僕たちは大勢の才能ある選手をそろえた素晴らしいチームで、堂々と胸を張っていいチームなんだ。
――シャルケは4年ぶりにチャンピオンズリーグにも参戦しますよね?
僕たちが入ったグループは、4つのうちどのチームが1位になって決勝トーナメントに進んでもおかしくない、非常に注目すべきグループなんだ。もちろん困難で危険な戦いになるだろうけど、僕たちには素晴らしい選手がそろっているから、きっと上のステージへ進めると確信しているよ。
■チェルシーの“レンタル戦略”の是非
Getty――あなたは24歳となり、2020年まではチェルシーとの契約が残っています。イングランドへ戻ることを目指していますか?
フットボールの世界では、先のことはわからない。これから10年間シャルケに残ることもありうるけれど、可能性としては、またチェルシーでプレーすることだって考えられないわけじゃない。だけど、その点については、今は何も考えてないよ。僕はシャルケにいて、本当にとても満足しているんだ。
――さきほどアサモアの話が出ましたが、彼の足跡を追って、あなた自身も同じようにシャルケでビッグネームになるというのは素晴らしいことではありませんか?
これから先がどうなるかは誰にもわからないよ(笑)。だけどもちろん、ゲラルドみたいなキャリアを積むことができれば素晴らしいだろうね。
――あなたは、現在チェルシーがよそのクラブに貸し出している19人の選手の一人ですね。経済的観点から見て、このやり方はクラブにとって利益をもたらすでしょうが、一選手としてはこのやり方をどう思いますか?
チェルシーは世界最高のクラブの一つであって、このやり方によって大勢の選手にチャンスを与えているんだ。夢を実現して、フットボーラーとして成長するチャンスをね。チェルシーは、才能のある選手たちが力を示す機会を提供している。僕は今シャルケで、いつも6万人の観客の前でプレーする機会を与えられている。これは僕が成長する上で、ものすごく役に立つことだよ。
■“ふざけ屋”エデン・アザール
――チェルシーからのレンタル選手で作ったWhatsApp(世界最大規模のSNSアプリ)グループがあるというのは本当ですか?
本当だよ。レンタル選手と、特に今貸し出し中の若手の面倒を見るクラブの職員で作ったグループなんだ。トレーナーたちはいつもそこにフィードバックを送るし、一人ひとりの選手のゴール場面や活躍したシーンを投稿するんだ。よく、愉快なビデオとかミーム(ネット上で爆発的に拡散される画像や動画や文章によるネタ)を送り合ったりもするんだよ。
Getty Images――あなたはチェルシーでエデン・アザールのようなスター選手と一緒にプレーしていましたね。W杯でアザールは、世界最高の選手の一人であることを見せつけました。スタンフォード・ブリッジで毎日一緒にトレーニングしていた頃の彼はどうでしたか?
エデンの才能については、わざわざ言うまでもないことだよね。どんな試合を見ても、彼が特別な選手だってことはわかるんだから。時々彼は試合前に、その日にやろうと思っていることを教えてくれていたんだけど、いつでも言った通りのことをやってのけていたよ。スピードがあって、力強くて、抜け目がない。信じられないくらいいすごい選手だよ。
――彼のいたずら好きは有名ですよね。あなたも何か愉快な経験をしましたか?
(笑って)特別な話なんてないけど、エデンは本当にふざけるのが大好きなんだ。ロッカールームにいる時や食事の時間、彼はずっと馬鹿ばかりやってるんだよ。愉快なやつで、みんなを笑わせることなんかいつだって朝飯前なのさ。
インタビュー・文=ロビン・ハック/Robin Haack
編集=Goal編集部
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