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ポーランド代表“クバ”を襲った悲劇――痛ましい事件を乗り越えていざ…【W杯特別コラム】

11:40 JST 2018/06/19
Jakub Blaszczykowski Poland
『Goal』では、W杯開幕に際して各列強国に焦点を当てる。第8弾の主役は、ポーランド代表として初のワールドカップに臨む“クバ”。ブワシュチコフスキは幼い日に、自分の父親が母親を殺害する場面を目撃しなければならなかった。だがその悲劇を乗り越えて、彼の今日がここにあるのだ。

■10歳の少年を襲った悲劇

ヤクブ・ブワシュチコフスキは、著名なポーランドの女性ジャーナリストであるマルゴルジャタ・ドマガリクに語った。

「父は何度も口にしていたよ、そのうちに母を殺してやるって」

ドマガリク女史が “クバ” (ブワシュチコフスキの愛称)と顔を合わせたのは、彼の伝記を執筆するためだった。クバは当時まだボルシア・ドルトムントでプレーしていたが、幼い頃に遭遇した想像もできないほど恐ろしい出来事について詳しく語ったのはこの時が初めてのことだった。10歳という年齢で、彼は実の父親が母親を刺殺する様を目にしなければならなかったのだ。

1996年8月のある日、取り返しのつかない出来事の起こった運命の日のことを、クバは次のように回想する。

「僕が積み木で遊んでいると、窓がきっちり閉まっていなくて、突然話し声が聞こえてきたんだ。誰の声だかすぐにわかったよ。僕は体が強張ったようになって、両親の言い争う声を聞いていた。『こうしてやる、この売女め!』と父の声がして、それから叫び声が聞こえたんだ」

幼いクバは母アンナを助けようと急いで部屋を飛び出していったが、もう遅かった。「僕の腕の中で母の命が消えていく、そんな気がした。母はもう3度息をして、それから死んでしまった。突然何もかもが静かになった」と言葉にした。

■父親は15年の懲役に

父親のジグムントには、殺人の罪で15年の懲役刑が下った。証人として公判で証言したクバは、母が死んでいった恐ろしい光景を何度も何度も頭の中に思い浮かべなければならなかった。その苦難の日々、フットボールに夢中だった金髪の少年の胸からは情熱の炎が消え、プロになるという大きな夢を追いかける力も失われてしまっていた。

「あの頃僕は毎日、自宅のあるトルスコラシ村からチェンストホヴァの町まで車で練習に出かけていたんだ。週に6日、2時間かけて出かけていって、2時間かけて戻って来ていた。夜の10時か11時になってやっとベッドに入る、そういう生活だった。でも、母が死んでから2、3カ月は、全然練習に行けなかったよ」と、『11フロインデ』誌(ドイツのフットボール専門誌)のインタビューでクバは語っている。

イングランドのスター、ポール・スコールズと競り合う イェジー・ブジェンチェク(左)

それでもなお、最終的にクバがフットボーラーとしての経歴を刻むことができたのは、自身も代表選手であった叔父のイェジー・ブジェンチェクの力によるところが大きかった。叔父はこの苦難の時期に、繰り返しクバを励まし、文字通り “ボールを離さない” よう言い聞かせたのだった。

「叔父は僕に選考トーナメントに参加するように勧めてくれたんだ。ポーランドで最高の若手選手も何人か参加していた。それもあって、僕も参加することにしたんだ。そしたら、そこで最優秀選手に選ばれたんだよ。家に帰ると、叔父はただこう言った。『自分の力がわかっただろう? きちんと練習していれば、これからもっとうまくなえwるだろう』。この日のことが、この叔父の言葉が、僕に大きな力を与えてくれたんだ」

この叔父は1992年のバルセロナオリンピックでキャプテンとしてポーランド代表を率い、故国に銀メダルを持ち帰った偉大な経験を持っている。その叔父のイェジーと並んで、クバが立ち直る上で大きな力になってくれたのは祖母のフェリーツィアだった。母親が亡くなった後、クバは兄弟のダヴィドとともに祖母のもとで暮らしていたが、祖母はいつも孫を元気づけてくれた。すでに97回の代表経験を持つクバはこう語る。

「祖母は家族のまとめ役なんだ。木の根っこのようなものさ。僕は祖母から謙遜というものを学んだ。それに祖母は大のフットボールファンで、誰よりも素晴らしい僕の批評家なんだよ」

■グールニクでの苦い経験

16歳の時、クバはポーランドのトップクラブであるグールニク・ザブジェに籍を置いていたが、まもなくこの有名クラブを去ることに決め、4部リーグのKSチェンストホヴァに移った。いわば大きく後退したわけで、若いフットボーラーとしては異例の決断だった。当時のことについて、クバは次のように事情を明かしている。

「辛い時期だったよ。グールニクでは年上の選手たちが若い選手たちから金を巻き上げていたし、そのためには殴りつけることさえ辞さなかったんだ」

才能あふれる若手選手だったクバは、2年後には再びトップリーグに復帰していた。ヴィスワ・クラクフがクバのポテンシャルに目を留めたからだ。クバによれば、最初のうちはびくびくしながらそこにいたという。

「代表選手が5人も6人もチームにいて、バリバリのチャンピオンチームだったんだ。初めはチームメイトに何て呼びかけたらいいのかわからなかったよ。『ソボレフスキさん』とか『フランスコフスキさん』って言うのかな、なんて。だけど、2、3日経つともうパニックにはならなかったね。ある日の練習の後、マウロ・カントロ(ヴィスワ時代のチームメイト)が監督に話しているのを聞いたんだ。『この若いのはいったいどこから連れて来たんだ? こいつが4部リーグでプレーしてたなんてありえないよ』ってね」

ポーランド南部の伝統あるクラブでの最初のシーズンですぐにクバは優勝を経験し、初ゴールも挙げた。俊足のウィング、クバは続く2シーズンの間に才能をめきめきと示し、とりわけアシストプレーヤーとして輝かしい活躍を見せて、”リトル・フィーゴ” というニックネームで呼ばれるようになった。2007年にはボルシア・ドルトムントの目に留まり、およそ300万ユーロ(約4億7400万円)の移籍金で隣国ドイツへ渡っていったのだ。

優勝を祝うユルゲン・クロップ(左)とクバ 

「僕はドルトムントのことをもっと小さなクラブのように思っていたかもしれない。ドルトムントは国際試合に出てなかったからね。もちろん叔父は、移籍交渉の時すでに言ってたんだ。『クバ、ドルトムントはトップクラブの一つなんだよ。素晴らしいスタジアムを持っていて、熱狂的なファンがついていて、偉大な歴史のあるクラブなんだ』って。数週間ドルトムントで過ごした後だったら、僕もまったく同じことを言ったろうけどね」

そんなふうに語るクバは、その後ドルトムントの人気選手になった。それは、当時の監督ユルゲン・クロップとクバが特別に良い関係にあったことにもよる。

「ユルゲンと僕はものすごくうまくいっていた。チームのみんなもそうだった。あの頃のドルトムントはまるで一つの家族みたいで、ユルゲンはみんなの父親だった。僕はドルトムントにいた間にフットボールの面で成長しただけじゃない。あの時期に人間的にも成長することができたんだ」

■トゥヘル新体制のもとでの放出

フットボール熱の盛んなルール地方の大都市ドルトムントで8年を送った後、新監督トーマス・トゥヘルのもとでクバは主力の位置から外されることになった。『クバ』と題した伝記の出版後まもなく、2015年から1年間、イタリアのフィオレンティーナへレンタルで放出された。

帰還後もトゥヘルによる起用は見込めなかったため、2016年の8月、クバは同じブンデスリーガのヴォルフスブルクへ完全移籍。移籍金は500万ユーロ(約5億6800万円)だった。2018年夏の現時点において、クバはブンデスリーガで2度、ドイツカップでも1度優勝を経験している。そして今度、いよいよポーランド代表チームの一員として初のワールドカップに臨むのだ。

クバは語る。

「時々僕は自分に尋ねるんだ、僕がもっと年を取ったら、僕たちの家族に起こったことを受けいれることができるようになるんだろうかと。僕は、自分が何もできなかったことで自分を責めてきた。母が亡くなるちょっと前、僕が居間に放っておいたクロスワードパズルを母が解いていたんだ。一種の虫の知らせとでもいうのかな。僕は母のところへ近寄っていって、こう言ったんだよ。『ママ、ママがいなくなったら、僕はどうしたらいいかわからないよ』って。そして、僕は泣き出したんだ」

■「3日3晩布団にもぐって麻痺したようになっていた」

クバと父親が言葉を交わす機会は二度と来なかった。ジグムントは2012年に釈放されてまもなく亡くなったのだ。それでもクバは「父の死ですべてが終わったわけじゃなかった」と語る。

「終わるはずはないし、終わらせたくもなかった。かと言って、いつも『なぜ?』と問うてばかりいようとも思わない。父が死んだ後、僕は3日3晩布団にもぐって麻痺したようになっていた。だけど、そのうち気づいたんだ。これからも生きていかなくちゃならないんだって」

クバがしっかり心に刻んでいる信条がある。

「この人生で何が起ころうと、どんな障害に出くわそうと、一番大事なのは決して諦めないこと、諦めずにただ前を向いて進んでいくことだ」

クバはそう語り、実際ここまでのキャリアで自身の信条のとおりに働き続けている。

クバはゴールを決めると、両手を差し伸べながら天を仰ぐ。空の上では母が彼を見守っていて、自分の息子が成し遂げたことをこの上なく誇りに思ってくれているにちがいないのだ。天を仰ぐ瞬間、クバの目の前に愛する母の姿が現れる。何千もの観衆に囲まれていても、つかの間世界に存在するのは自分だけになって、突然静寂が訪れる。それは、安らぎに満ちた静寂だ。そんなときがロシアの地に訪れるのだろうか。少なくとも、ポーランド中の人々が、静寂が舞い降りることを願っているのは間違いない。

文=デニス・メルツァー/Dennis Melzer

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