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ネイマールという希望の光…ブラジル代表が挑む“1-7”の悪夢を払拭する戦い【W杯特別コラム】

その瞬間、国中が息をのんだ。フォルタレーザにあるエスタディオ・カステロ。ネイマールはそのピッチに横たわっていた。

コロンビアのフアン・カミーロ・スニガの悪質なヒザ蹴りを背中に受けて倒れこんだ。あまりの痛みに泣き叫んだ。ホスト国ブラジルは、2010年ワールドカップの準決勝で2-1とリードしていた。だがまだ4分残っている。ネイマールはプレーを続けようと、立ち上がろうとした。

しかし、マルセロが声をあげる。「待て、動いちゃダメだ!ドクターが来る」

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それでも、ネイマールは起き上がろうとする。しかし、できなかった。「足の感覚がないんだ……」涙を流しながら彼はそう告げた。

マルセロは恐怖を覚え、すぐに救護に来るよう叫んだ。タッチライン沿いは混乱と混沌に飲み込まれており、医療スタッフはピッチ上でうろたえていた。その様子を見たマルセロは怒声をあげる。

パニックが広がる中、ネイマールはようやくストレッチャーでスタジアム内の医療室に運び込まれ、緊急の診察を受けた。

彼は苦しみに悶える。医療スタッフは重傷の可能性があるとみていた。チームの象徴の無事を願うファンがスタジアム外に集結する中、彼はフォルタレーザのサン・カルロスにある病院へと搬送された。

ネイマールが去ったピッチで、ブラジルはなんとかコロンビアとの試合を終えた。しかし、ドイツとの準決勝を彼抜きで戦うことになるかもしれない。現実を前に不安が膨れ上がる。

あらゆる情報が錯綜した。「彼は無事だ、決勝で戻ってくる」という楽観的なものから「ダメだ、彼の大会は終わった。最悪の場合は車いす生活もありうる」といったものまで。

そのころ、ネイマールは病院でいくつもの検査を受け、その結果を待ちわびていた。医師たちが彼のもとにやってくると、そのうちの一人が口を開いた。「良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」

彼は悪いほうから聞くことを選んだ。

「君のワールドカップは終わりだ」医師が告げた。

「……じゃあ、良いニュースっていうのは?」ネイマールはすがりつく思いで尋ねた。

「君はまた歩けるようになる。椎骨骨折の重傷だ。折れたのは脊柱から右に2cmのところ。あと2cmずれていたら、君の体にはマヒが残り、キャリアは終わりを迎えていただろう」

これを聞いたネイマールは安堵はしたが、それで涙が止まることはなかった。彼と親しい人々は、それから数日泣き明かした。ブラジルをワールドカップの栄光に導くという彼の夢は、ケガによって終わりを迎えた。

■混沌に陥ったブラジル

2014年7月8日の夜。国中が涙に濡れた。

「どの国にも、ヒロシマのような類を見ない災害はある。我々の場合、我々のヒロシマは、1950年大会ウルグアイ戦での敗北だろう」ブラジルの伝説的な脚本家ネルソン・ロドリゲスは、この言葉で国民のひんしゅくを買った。

「エスタディオ・マラカナン」でドイツ相手に喫した1-7の大敗。この試合を、大げさなロドリゲスはどのような言葉で表現するだろうか。

スポーツ面から語るのであれば、これは歴史的な屈辱だった。W杯でブラジルが味わった最もつらい敗戦。ホームでは39年ぶりの敗戦となった。

29分間で5失点。前半終了の笛が鳴る前にスタジアムを離れるファンもいた。客席に残る人々は、ハーフタイム中に彼らのチームにブーイングを浴びせた。後半では、ドイツのゴールに歓声を上げるブラジルファンもいた。うんざりした多くのファンによって、レプリカユニフォームは投げ捨てられ、踏まれ、燃やされることすらあった。

ブラジル全土で暴動が起きる気配すらあった。元をたどれば、その原因は深刻な社会格差に苦しむ国が、W杯開催費用に110億ドルを費やしたことにある。国に対する不満だった。すでに前年のコンフェデレーションズカップの際に広範囲で抗議活動が行われていたのだ。

だが、この時国中を覆っていた感情は別のものだった。「こんな恥ずべき姿を世界中にさらすなんて」。国中が分け隔てなく、等しく悲しみと不信、混乱に包まれていた。

「ブラジルでの開催が決まった瞬間から、大きなプレッシャーがかかることは明らかだった」元ブラジル代表MFマウロ・シウバは『Goal』にこう語った。

「開催国がどこであれ、W杯でプレーするのは大変なことだ。だがブラジルでの開催となれば、国中のファンの期待を一身に受けることになる。難しさは跳ね上がるんだ。チームはその時ブラックアウトしていたんだ」

「ブラジルの選手が穏やかに、楽しそうにプレーしていたところを見たことがない。張りつめた表情で、プレッシャーを感じている様子だった。不安そうで、国歌斉唱時には涙を浮かべていたね」

涙は、選手たちの情熱のあらわれだと受け止められた。実際、それは感情が崩壊する最初の兆候だったといえる。

ラウンド16のチリ戦はPKまでもつれ込んだが、ネイマール、ダビド・ルイス、そしてジュリオ・セーザルはPK戦を前に涙を流していた。キャプテンのチアゴ・シウバにいたっては、キッカーを務めるのを拒否。勝利の瞬間はサイドラインに一人座っていた。

コーチのルイス・フェリペ・スコラーリは困惑し、心理学者を呼び寄せた。だが、2-1で勝利した準々決勝コロンビア戦でネイマールを負傷で失ったチームの支えとはならなかった。

背番号10の負傷は、国家レベルのニュースとなった。メディアは狂乱し、国中が崩壊した。もはやスコラーリのチームには手に余る事態に陥っていた。

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■消えない“1-7”の悪夢

「フェリポン(スコラーリの愛称)の働きぶりは悪いものではなかった」

現在名古屋グランパスでプレーするFWジョーは、『Goal』のインタビューで当時をこう振り返る。

「ドイツ戦で僕たちは集中力が欠けていたんだと思う。いつも通りじゃなかったんだ。あの試合に向けて、十分な準備ができていなかった。ネイマールを失ってからの反応は早かったね。彼の負傷に気が散ってしまい、試合にフォーカスしきれなかった」

「それでも、あの敗戦はやはり説明が難しいね。本当に悲惨なものだった」

人々もメディアも、悲惨な出来事として扱った。とくにメディアはひどくこき下ろした。『グローボ・エスポルチ』は、ドイツ戦の敗北を「屈辱中の屈辱」だと形容した。また『ランス』は「歴史上最大の恥」と断罪した。

それでも、ブラジルにはもう1試合残されていた。オランダとの3位決定戦だ。選手たちはなんとかピッチに立ったものの、とても落ち着いてプレーできる状況にはなく、なすすべなく0-3で敗れ去った。

大会後、すぐにスコラーリは辞任。2002年のW杯を率いて5度目の優勝をもたらした名将、その名声は永遠に葬り去られることとなった。

「私は“1-7”で敗れた時の監督として記憶されることだろう。だが、この仕事をする以上はリスクを負わなければならないんだ」記者会見でスコラーリはこう語った。

「先発メンバー、戦術を決める人間は私だった。私の選択だったんだ。だが、まるでダメだった。あれはまさに惨劇だったよ、私の人生でも最悪の瞬間だった」

1950年W杯でウルグアイに1-2で敗れたあの不名誉な試合。その時、ブラジルは復活までに8年を要した。

“マラカナッソ”あるいは“マラカナンの悲劇”の名で語り継がれるあの試合で負った痛みが、完全に消えることはない。実際、何人かの選手は立ち直ることができなかった。GKモアシール・バルボッサ・ナシメントは敗戦のスケープゴートにされ、アルシデス・ギガスの決勝点をセーブすべきだったとして責任の追及を受けた。またフォワードのジジーニョも、チームメイトの死について後にメディアからの非難を浴びた。

“1-7”の記憶が、14年大会のメンバーに耐えられない負担になることが懸念された。スコラーリが辞任し、ブラジルの負った傷をすぐに癒すことなどはできなかった。

W杯のあと、厳しい規律で知られるドゥンガがコーチに復帰。しかし、マウロ・シウバがアシスタントとして入閣したとき、チームがいまだにマラカナンで負った痛みに苦しんでいることを知ったという。

「非常に困難な時期だった。“1-7”はブラジルフットボールの歴史に消えることのない大きな傷跡を残したんだ。不幸にも、ドゥンガやジウマール(テクニカルコーチ)にとっても難しい問題だった。彼らを助けたかったが、残念だがプロジェクトは機能しなかったんだ」

「2015年のコパ・アメリカで、チームは大きなプレッシャーにさらされていた。“1-7”の記憶は重くのしかかり、彼らはとてつもない責任を感じていた。トラウマってやつだね。チームはその影響を受けていて、とても感情的になっていたんだ」

黒星を喫したコロンビア戦。大騒動となったあの試合で、パブロ・アルメロにボールを蹴りつけたネイマールの姿がそれを象徴していた。

背番号10は、試合中スニガと何度か衝突していた。かつてフォルタレーザで自身に重傷を負わせたコロンビア人に向けて「あとで電話で謝罪しやがれ、くそったれが!」と非難した。

14年大会で負ったケガは癒えていたが、心の傷はまだ残っている。それを示す出来事だった。

ブラジルは準々決勝でチリに屈した。そして翌年、アメリカで開催されたメモリアルなコパ・アメリカで、ブラジルは1987年以来となるグループステージ敗退を喫してしまう。

■リオ・オリンピックで見えた希望の光

ドゥンガ体制はここで終焉を迎え、2016年の夏からチッチが指揮官に就任した。元コリンチャンス監督の彼は、2014年当時代表に関与しておらず、またこれまで国代表を率いた経験もなかった。

他のブラジル人と同様、チッチもまたドイツ戦の敗北に打ちのめされた一人だった。「私は家で、妻とともにあの試合を見ていた。3点目が決まったあと、妻は泣き出してしまったよ」今年初めの取材で彼はこう語った。

「私も涙を流したよ。“1-7”は、亡霊のようなものだ。人々はいまだにあのことについて話している。だが、あれを話題にすればするほど、亡霊は消えることなくそこに居続けるんだ」

だが、2016年のリオ・オリンピックの決勝で両国はまたも相対することに。ドイツについて語らないわけにはいかなかった。オリンピックは、ブラジルがこれまで勝利したことのない大会でもある。

金メダルを掴み取るため、夏のコパ・アメリカを辞退してチームに加わったネイマールは、決勝戦で先制ゴールを叩き込む。だがマックス・マイヤーが同点ゴールを決めたことで、試合はPK戦へともつれ込んだ。

4-4で迎えた5人目。ドイツのニルス・ペーターセンのシュートはGKウェベルトンがセーブ。ブラジルの5人目のキッカーは、もちろんネイマールだ。

ボールに歩み寄ると、拾い上げてキスをする。そしてスポットに丁寧にボールを置くと、ゆっくりと、そしてゆらゆらとした長い助走をとった。ドイツGKティモ・ホルンはシュートと逆側に動き、ボールが吸い込まれる。観衆は歓喜に包まれた。

彼は涙で顔を濡らしながらピッチに膝を着けた。それは喜びの涙ではなく、安堵、そして償いの涙だった。彼だけではなく、ブラジルという国全体にとってプライドを取り戻した瞬間だった。

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■取り戻した“王国”の自信

チッチは、オリンピックで生まれたポジティブな空気を活かすべきだと気づいていた。

大会中ネイマールと話したのはたった一度だけで、未来についての真剣なものというよりはくだけた会話にすぎなかった。だが、2度目の話し合いでは戦術面について語った。

「私は、バルセロナでプレーしているポジションにネイマールを置くつもりだと告げたんだ。彼はそこでの練習を積んでいるし、慣れしたしんでいたからね。数字の上では4-3-3だが、役割で観れば4-4-2だね。彼がプレーしてきたフォーメーションで、彼にとってもやりやすくなったはずだ」

チッチによるサポートは、戦術的な配慮よりも大きなものだった。

ネイマールが移籍先のパリ・サンジェルマンでウナイ・エメリ監督との関係を難しくしていた頃、11月に行われた日本との親善試合勝利した試合後の会見で、チッチは背番号10の名前をあげる。チッチは自国のスター選手を擁護しこう語った。

「人々はいつも『ネイマールは問題を抱えている』と話すが、そんな話を聞くと悲しくなるよ。我々は完璧な存在じゃない、人間なんだ。ときには間違った道を選ぶことだってある。私だってキャリアのなかでそうだった。だが、我々は人の個性や特徴について話すとき、もっと慎重になる必要がある。私はネイマールの個性や特徴、そのメンタリティをたたえたいね」

ネイマールはチッチの言葉に涙を流し、会見場を去る際に指揮官と抱擁を交わした。ブラジル代表監督の判断が、世界最高額の選手にのしかかるプレッシャーを軽減するという決定的な瞬間だった。

「最初のミーティングでは別のことを話した」チッチはこう語る。「他の選手と彼と、責任の所在を分ける必要があることを話したんだ。ネイマール一人でチーム全体の責任を負う必要はないし、ブラジルが負けた時に彼にだけ非難が集中するべきではないとね」

彼が初陣の前、2016年9月にキトで行われたW杯南米予選エクアドル戦のことだ。チッチは、クリーブランド・キャバリアーズとゴールデンステート・ウォリアーズのNBAファイナルで、レブロン・ジェームズがとったあるシーンを選手たちに見せた。

彼はカイリー・アービングがシュートをミスした場面で、レブロンがチームメイトを責めるのではなく、すぐに戻るように声をかけ、アービングにボールを渡し再度シュートを打つよう促したことに注目した。

「成功するために、チームにはこういった空気が必要だ」チッチは選手たちに伝える。「全員が全員のために戦うんだ。スター選手だろうが関係ない」

チッチは、ネイマールのサポート役のクオリティを高めることも怠らなかった。オリンピックの舞台でもネイマールの相棒を務めたガブリエル・ジェズスをエクアドル戦に抜擢。その起用に応えたジェズスは、2ゴールを決め3-0の勝利に貢献した。チッチもこの活躍には驚いたようだ。

「コリンチャンス時代、パルメイラスでプレーするジェズスと対戦していたからね、敵に回すと厄介な選手だということはわかっていた。こうしたすべての要素によってチームは形成される」

「だが私はここまでの成功は想像していなかったし、代表デビューの試合でこんなに自然なプレーを見せるなんて、ガブリエルには驚きだよ」

チッチは慎重な姿勢を貫いたが、彼らは新たな指揮官のもと9連勝をあげた。そこには3-0でアルゼンチンを下した試合や、ウルグアイを4-1で叩きのめした試合も含まれる。そして南米予選では2位と勝ち点10の差をつけて首位通過を果たした。

ブラジルは、ついに“王国”の自信を取り戻したのだ。

「チッチ、彼と共にアーセナルでプレーしていたエドゥ・ガスパール、この2人はすべての信頼を勝ち取るに値するね」ジュリアーノ・ベレッティはこう語る。

「全ては自信があるかにかかってる。いまの我々にはそれがある。2年前にはなかったものだ。今はチッチが監督としてネイマールを復活させた。それにコウチーニョの調子が良い。ウィリアンもだ。ほかにもW杯を経験したことのある選手たちが揃っている」

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■ついに幕を開けた4年前の償いの舞台

もちろん、多くの選手はあのトラウマになる試合を経験している。だからこそ、ベルリンで行われた3月の親善試合でドイツを破ったのは、非常に大きな一歩となった。確かに親善試合だ。だが、セレソンにとってあの試合が持つ意味は大きかった。

「精神的に大きな意味がある試合だ。それを偽るわけにはいかない」チッチは試合前にこう語った。「スポーツ面での挑戦だけではない。気持ちの上でもとても重要な試合になる」

彼らはその両方の挑戦を成功させた。前半にジェズスがあげたゴールが決勝点となり、現世界王者に土をつけたのだ。チッチは本大会に向けてはまだまだ準備に時間が必要だとした。だが、それはおそらくネイマールがフィットした状態でロシアに赴くことを意味していたのだろう。エースは3月に中足骨を骨折し、一足早くシーズンを終えていたが、6月3日のクロアチア戦では圧巻の先制ゴールを決めるなど、3-0の勝利に貢献。さらにオーストリアとの試合では代表通算55点目となるゴールを記録した。

さらに、チッチはキーマン抜きでも戦える準備も怠らない。指揮官は、誰がスターティングメンバーに入ろうと戦える集団になったと誇っている。

チアゴ・シウバがそれをよく表しているだろう。誰よりもロシアでブラジルの誇りを取り戻すために戦う姿勢を示しているが、自分がレギュラーを保証されているわけではないことも理解している。ベテランDFは、何よりもブラジルの勝利を願っている。

「ウルグアイ戦の2ゴール目を見てほしい。ロベルト・フィルミーノがボールを持ったとき、ゴール裏にはアップ中のメンバーがいた」

チッチはこう話す。「誰が最初にゴールが決まると気づいたと思う? チアゴだよ! 彼はライン沿いにいて、何が起きるのかわかっていたんだ。だから一番に祝福していたんだよ」

「我々には責任があるし、2つの関係性がある。そして、チアゴだ。彼のような選手の存在がチームを強くする」

チームは、これまで以上に団結している。

“1-7”となったドイツ戦の後、ネイマールは選手たちのもとへ向かい、こう話した。

「ここから、みんな一緒に始めよう。そして全員で終えるんだ」

ロシア大会はついに始まった。償いの舞台が幕を開けた。国民は固唾を飲んで見守っている。

文=マーク・ドイル/Mark Doyle

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