Mohamed Salah PrinceJonathan Kendall

“エジプトの王” モハメド・サラー…母国の浮沈はその双肩に【W杯特別コラム】

“(セルヒオ)ラモスは国民の敵だ!” アル・アフラム紙の見出しだ。国民の怒り。2018年5月27日のことだった。

チャンピオンズリーグ決勝で目撃した耐え難い光景に我慢ならず、エジプト国民は寝床に着いた。モハメド・サラー、両目から落ちる涙は止められず、負傷した左腕を支えながら彼のキャリア最大の試合を後にした。

■W杯に向けた不安

エジプト国民は一度目を開ければ受け入れ難い現実に直面していた。セルヒオ・ラモスの潰しによって“リヴァプールの騎士”は退場を余儀なくされ、W杯での躍進は遠い目標のように見えてしまった。

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「彼が負傷したとき、悲壮感とファンの心配の眼差しで一杯だった」

以前にエジプトのクラブ、アル=ムカーウィルーンでサラーを指導し、現在はクラブの相談役を務めるハムディ・ヌーはそう語った。

エジプトのフットボールには2つの側面がある。1つは歴史的にアル・アハリやアル・ザマレクのような国内のチームに支配されている側面だ。これらのチームに所属している選手はサラーほどではないが有名であり、街を歩けば注目の的になる。

もう1つの側面は他の欧州リーグに夢中になる新しい世代だ。レアル・マドリー、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドやチェルシーはエジプト国民にとって憧れの的だったが、サラーのリヴァプール移籍によって、それまでの羨望の方向が変わった。

以前は海外フットボールに興味がなかった年季の入ったファンは、リヴァプールの試合のキックオフ時間を同僚に教えるなど、“レッズ”は瞬く間にエジプト中の国民の間で人気のあるチームになった。地元テレビ局もサラーとリヴァプールのために放送枠を設けるほどだ。

そしてあの早朝の日曜日、新聞の1面を飾ったのはウクライナの首都で行われたイングランドのチームとスペインのチームの試合についてだった。紛れもなくサラーの影響だ。

■エジプト人選手が世界のスターに

エジプトにも有名な選手はいたが、あくまで国内におけるスターだった。彼らはアラブ諸国で違いを見せつけることができる程だったが、サラーの場合は今まさに世界のスターなのだ。

彼はエジプト人が世界を相手に戦えるということを証明し続けている。そして重圧のなかで戦い続け、チームの柱となっている。サラーはエジプトを世界の舞台に連れ戻した選手であり、エジプト人初のバロンドールを受賞する可能性のある唯一の選手だ。

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サラーがエジプトで一番重要な選手であることは言うまでもない。W杯予選のコンゴ代表戦でも28年ぶりの本選出場権獲得に繋がる値千金のゴールを奪った。CL決勝の負傷という惨事のすぐ後、世間の目はロシアの大会へと向けられ、“ファラオズ”(エジプト代表の通称)にとってサラーの負傷が何を意味するかは計り知れないほどだった。

■国民の怒りは頂点に

エジプト国民とリヴァプールの間にどれほど強い絆があろうと、国を背負う背番号10を失う気持ちは何物にも代え難い。さらにサラーにW杯欠場のリスクが出てきたとき、とうとう怒りが爆発した。

“ラモスはサラーの夢を壊した“。別日、アル・アフラム紙の見出しだ。あの瞬間、レアル・マドリーのキャプテンとサラーには明らかな接触があった。一方がもう一方にぶつかっていき、そしてリヴァプールとエジプト代表は希望を失った。

“ナジレイの民はラモスを許さない”。アル・マサ紙はそう報道した。もしラモスがあの夜のことでリヴァプールファンに苛立ちを感じているなら、それは9500万人の国民の憤怒とは比べられないほど些細なことだ。ヌーはこう話す。

「サラーは選手がどれほど非道になれるか理解した。思うに彼はあの事件から世の中には自分のプレースタイルを尊重せずに他の選手を壊すことに執着する選手もいるということを学んだかもしれない」

エジプト代表の指揮官を務めるエクトル・クーペルのフットボールはクロップのようではない。心拍数を高め、いつもボールを追い求めるものとは違い、手堅い守備から鋭いカウンターを戦術としている。マフムード・ハッサンの左サイドを起点としてカウンターは始まるが、右サイドのサラーこそクーペルが求めるサッカーを体現するキーだ。

だからこそ最終的にW杯出場に問題がないだろうとの報告が来るまでの24時間は悪夢のような時間だった。1990年にW杯に出てからこれが久方ぶりの本選出場だが、ここ数十年のW杯に行けなかったエジプト代表と今の代表を比べるファンはほとんどいない。

■黄金世代から暗黒期に

エジプト代表の黄金世代の時代と、史上最高の選手は同時にいたとは言えない。だが、ハサン・シェハータ政権で“ファラオズ”は2006年から2010年の間で3度にわたってアフリカネーションズカップを制した。

そのときがエジプト史上最強のチームだった。だが(モハメド)アブトレイカ、(アーメド)ファティ、(アーメド)ハッサンのようなチームのアイコンたちはW杯への道を切り開くことができなかった。皮肉にも、スーダンで行われたアルジェリアとの2010年W杯最終予選の“ダービー”が最も本大会に近づいた時だった。

しかし、続く2011年から“ファラオズ”は暗黒期に突入していく。

国内リーグの2011-12シーズンが延期・中止になる事件が起きた。ポートサイド・スタジアムでの暴動で74人もの人が死亡する悲惨な事件が起こったからだ。その悲劇が起こってから、多くのエジプト人選手がヨーロッパに戦いの場を移すようになった。サラーもその内の1人で、カイロで行われたU-23代表での親善試合でスカウトの目に留まり、アル=ムカーウィルーンからバーゼルに移籍した。

「私がエジプトに到着したとき、サラーは地元クラブでプレーしていた」

元エジプト代表監督であり、メジャーリーグサッカーのロサンゼルスFCで現在監督を務めるボブ・ブラッドリーはそう回顧した。

「彼とモハメド・エルネニーはチームメイトだった。若い選手たちだったが、可能性を秘めた集団だったのは明らかだった。そしてポートサイドでの事件の後、エジプトの若手をキャンプ地に連れてくるようになったんだが、サラーは一目見て分かるほど別格だった。向上心が強く、賢さを備え、常に進化しようとしていた。彼とアブトレイカは良い関係を構築していた。それが彼にとって良いキッカケになったんだ」

■新しい時代の到来

続く2013年もエジプト・プレミアリーグは暴動の影響で中断。その間、アフリカネーションズカップで戴冠することはなかった。国内リーグが危機に瀕した事件をキッカケにエジプトの政情が不安定になるのは必然だった。

だがその間、主に3,4つのクラブチームから構成されていた代表チームは結束を強めていた。ヨーロッパを拠点としていた他のアフリカ諸国のライバルたちがしのぎを削っていたのとは違い、代表キャンプ期間にエジプト代表は少しの間チームとして過ごす時間を楽しんでいた。

それにより“ファラオズ”はチームとして一段とまとまった。地中海までは届かなくとも、南サハラの地域一体を支配できるほどの力は秘めていた。2011年の衝撃的な事件後、3年連続でアフリカネーションズカップ出場権を逃していたが、昨年の大会での予想外の大躍進。決勝のカメルーン戦で負けはしたが、準優勝を飾ったのは新しい世代の到来を感じさせるものだった。

2006年から2010年までエジプト代表の中核を担っていたのは、国内リーグで強さを誇っていたアル・アハリ、アル・ザムレク、イスマイリーSCなどの主要クラブの選手だったが、W杯に向かう今のスカッドの多くはヨーロッパのクラブに所属している。事実、23人の内8人だけが国内からの選出であり、2010年アフリカネーションズカップに至っては、海外組はたった4人しかいなかった。

もちろん、以前にも海外クラブに所属するエジプト人選手はいたが、試合に臨めるだけの準備をしきれていなかった選手たちもいる。ミドやアムル・ザキのように才能では他のヨーロッパ出身の選手に引けを取らなかったプレーヤーもいたが、文化の違いや生活スタイルの激変により、本領を発揮しきれなかった。

■海外での経験…プロの戦闘集団に

だが今は“適応力”を持った他国の水に慣れたスカッドだ。チームを見渡せばイングランドでプレーする選手が多くいる。ここ5年間その数は増え続け、代表チームに還元されている。

「異なる国での経験は貴重なものであり、その中でもイングランドのフットボールは世界最高だ」

イングランドで生を受けた現役エジプト代表、サム・モーシーはそう言う。

「今年、代表の選手数名は良いシーズンを送っていた。敢えて自分自身を厳しい環境に置くことで大きく成長し、それが代表チームの強さに繋がる」

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つまり現代表は他国の列強たちと渡り合う程の強さを持ち合わせ、様々な戦術にも適応し高いプロフェッショナル意識を海外リーグで培ってきた戦闘集団である。サラーは2012年からその場で先陣を切って活躍していた。

「”モー“(サラーの愛称)は知的で才能溢れる選手だ」

元チームメイトであり現バーゼルSDのマルコ・シュトレラーはそう話した。

「チームスピリットも持ち合わせ、新しい環境にもすぐ適応する。アフリカ人にとって欧州で戦うことは簡単なことじゃないが、彼は違った。すぐに順応し、選手としての価値を示すとともに祖国の誇りを失うこともなかった。いつも笑顔でフレンドリーな態度で、それがチームに好影響をもたらしている。さらに彼はハードワーカーでもある。特大の才能を持ち合わせているが、努力を怠ることは決してない」

サラーの前に障害物など何もない。フットボールに人生を捧げ、欠点からは目を背けない。ただ、チェルシーでの失意のシーズンは彼のキャリアを潰しかねない出来事だった。しかしそれを乗り越え、イタリアで見事な復活を遂げた。

「彼の良かったところはチェルシーにステップアップした後、レベルを下げて自分を見つめ直したところにある。チェルシーへの移籍は彼にとってまだ早すぎた。だからこそワンランク下げることで選手としての成長が見込めると気付いたのだろう」

「多様な戦術や技術が生きるセリエAで、フィオレンティーナは最高の環境だった。フィオレンティーナで彼はどんどん成長し、そして数ある受けたオファーの中から慎重に選んでローマに移籍した。そこでブレークし、最終的にリヴァプールへと移籍を果たした。ユルゲン・クロップの戦術は攻守の移り変わりが早いもので、それこそサラーが好む戦術だった。その戦術が完璧に彼とマッチし、完全に選手として覚醒した。でも何度でも言うけど、一つひとつ段落を踏んだからこそ今の彼がある」

■驚愕の夜

少しずつ、本当に少しずつだが彼は自身があるべき選手にどんどん近づいた。昨年10月のコンゴ戦での勝利で、彼は歴史に名を刻んだ。この一戦に負けていればガーナ戦に臨むことになり、是が非でも結果を出さなければならなかった。それは簡単なことではないし、実際4年前の予選では1試合で6ゴールも奪われた。

その過去の失態がコンゴ戦でエジプト代表によぎった。

「試合を通して様々な感情が沸き起こる。誰もが思っただろう、またガーナとの一戦で臨み、今度こそ勝利しなければと」

モーシーはそうあの夜を回顧した。だが今回は話が違った、なぜならサラーがいたからだ。

「本当に驚愕の夜だった。8万人以上がいたスタジアム、雰囲気は最高潮だった。その熱狂が何を意味するかすぐ感じられた。魔法のような、本当に魔法がかかったようなPKだった」

遠く離れた地から国の同胞がヨーロッパでのサラーの活躍を見守っているが、あの時は国内のスタジアムで25歳の俊英が目の前に立っていた。そしてあの瞬間、エジプトフットボール史上における歴史的な転換点をその左足でエジプト国民ファンの前で披露した。サラーの2ゴールにより、エジプトは28年ぶりのとなるW杯行きを決めた。

「今シーズンいつもビッグゲームでしてきたことだ、重圧をはねのけ何もかも簡単にこなしてしまう。彼は常に最高を追い求め、それこそがフットボール選手だ。国民の期待、多大なプレッシャー……彼の双肩にはとんでもないものがかかっているが、他の選手のようにただベストを尽くすのが彼の仕事だ」

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■サラーの存在がもたらすもの

フットボールのことになると、エジプト国民は自分たちの世界の立ち位置について控えめな反応を見せる。だがサラーは彼らに自信と希望を与えた。彼はエジプトからの初めての世界的スターだ。若手の選手達を“ついてこい”と引っ張り、リーダーとして先頭に立った。シーズン44ゴールを奪い、PFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を受賞し、リヴァプールを欧州CL決勝に導いた後、エジプト人として初めてバロンドール候補に残った。

「欧州最優秀選手の称号こそ我々が祈っているものだ」

以前にあったことではない。サラーは一人で代表のレベルを上げ、国民の期待を膨らませた。彼がいるからこそエジプト代表がW杯に到達したのであり、彼の存在はチームメイトに落ち着きと帰属意識を持たせるのだ。ヌーは以下のように語る。

「選手たちがこのレベルに達したことは夢を見ているようだし、そのうちの1人はイングランドでもベストな選手でバロンドール候補者だ。我々はその選手を息子のように見守り、彼の才能を少しずつ磨き上げた。本当に誇りに思う」

15日に行われた初戦のウルグアイ戦、負傷からの復帰が見込まれていた“エジプトの王”だが、その姿をピッチ上で見ることはかなわず、チームは0-1で敗戦した。19日に対戦するのは、初戦でサウジアラビアを5-0で打ち砕いたホスト国のロシアであり、難しい試合になることは間違いない。

それでも、エジプトの国民は信じているはずだ。モハメド・サラーが救ってくれると。

文=ピーター・ストーントン/Peter Staunton

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