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イニエスタという人間。日本はその指にぴったりとはまる指輪

イニエスタがヴィッセル神戸に加入して、Jリーグを取り巻く環境は変わった。神戸戦のチケットは完売し、一般メディアが頻繁に取り上げるようになった。11日の明治安田生命J1リーグ第21節・ジュビロ磐田戦(2-1)でのJ初ゴール。続く15日の第22節・サンフレッチェ広島戦(1-1)で見せた強烈な右足一閃。そこに至る視野、判断、技術――。イニエスタは世界の名手としての実力をあらためて我々に示してくれている。

2011年、バルセロナ時代にクラブワールドカップで来日した際には都内の地下鉄に乗る写真がネットの話題となった。「なぜ周りは気づかない?」とサッカー好きは思ったものだが、今やJリーグを代表するスターでもあり、そうそう地下鉄に乗ってもいられないだろう。

名手は一朝一夕に生まれるものではない。そんな彼のスペイン時代はどうだったのか?『Goal』では、スペインの最大手スポーツ紙『マルカ』の代表チーム番記者として2006年から取材を続けるミゲル・アンヘル・ララ記者に、イニエスタが「レジェンド」になるまでの軌跡を振り返ってもらい、あらためてその人物像に迫った。

彼のプレーを今Jリーグで見られることは、幸運以外の何物でもない。

■2010年7月、オランダ戦。雄叫びの裏に

アンドレス・イニエスタは、南アフリカ・ヨハネスブルグにあるサッカー・シティ・スタジアムのロッカールームで、自身の手の中にある白いシャツを着るか否かを悩んでいた。「もうそれ以上考えるのはやめろ」と話しかけたのはフェルナンド・トーレスである。

その3時間後、ゴールの雄叫びを上げながら世界が目にすることになったシャツ――。そこにはイニエスタの大親友であり、前夏のプレシーズンに26歳で急逝したエスパニョールのダニ・ハルケの名前が書かれていた(編注:2010年7月11日、南アフリカ・ワールドカップ決勝オランダvsスペイン。延長後半の116分、イニエスタが決勝点を決め、スペインは史上初のW杯制覇を果たした)。このシャツは現在、エスパニョールのミュージアムで見ることができる。

イニエスタにとっての2010年は、南アフリカW杯で世界王者となり、世界有数の選手としての名声を手に入れた年だったが、そこに至るまでには深い悲しみと苦しみがあった。

太もも筋肉の重症のためシュートを打つことができず、2009年6月のコンフェデレーションズカップへの出場を辞退。そして同年8月、イニエスタの人生にとってかけがえのない存在であり、友情をも超える関係を築いていたダニ・ハルケの死――。

その後2014年3月には、夫人とともに待ち望んでいた子どもを流産で失い、5年前と同じ人生の苦しみを味わうことになる。当時よりもずっと強じんな心を手に入れていたのは確かではあるが……。

■華々しくはなく、また激しくなくとも

イニエスタがレジェンドになるまでのストーリーは、決して順風満帆ではなかった。

生まれ故郷の小さな村、フエンテアルビージャから大都市であるバルセロナのラ・マシア(育成組織の選手寮)に12歳で入寮した時には、毎晩のように涙を流して過ごした。

トップチームへの昇格も決して華々しいものではなかった。イニエスタは激しくアピールし、ポジションを強く要求するタイプの選手ではなかったからだ。しかしバルセロナは、イニエスタの人間性がフットボールそのもの、そしてシンプルなキャラクターを兼ね備えていることをよく理解していた。

2006年のチャンピオンズリーグ決勝、アーセナルに1-0のリードを許す状況でフランク・ライカールト監督によってピッチに投入されたイニエスタは、すぐに劣勢をはね返す不可欠なピースとなった。そしてバルセロナは2度目のビッグイアーを掲げる。

その数日後、ルイス・アラゴネス監督は2006年ワールドカップ・ドイツ大会のスペイン代表23名にイニエスタを選出した。アルバセテでの代表デビュー戦はロシアとの試合で、奇しくもその12年後、自身最後となる代表戦と同じ相手だった。しかも、どちらの試合もゴールマウスに立っていたのはイゴール・アキンフェエフである。

ルイス・アラゴネスはスペインのフットボール、そしてイニエスタにとって不可欠な存在だった。

アラゴネスは新たに代表入りしたこの小さなフットボーラーを隠すことなく称賛している。実際、イニエスタの背番号「6」は、ラ・ロハ(スペイン代表)にとって今やレジェンドの番号だ。アラゴネスは語る。

「イニエスタにはピッチの上でより多くの違いを生み出す能力がある。我々にとって最も特別な選手だね。シャビは決してボールを失わず、難しいシチュエーションに追い込まれた時に、誰もが真っ先に居場所を探すタイプの“操縦者”だ。一方、イニエスタがもたらすのは“不均衡”。ドリブル、1対1の並外れた強さ、ラストパス。あまりそうとは見えないが、スピードも素晴らしいよ。足だけでなく、頭の回転もね」

2018-08-16-CL2009-05-chelsea-iniesta(C)Getty Images

▲2009年5月7 日、CL準決勝2ndレグ。チェルシーvsバルセロナ。敵地でゴールを奪ったイニエスタ

ゴールゲッターではないものの、イニエスタのキャリアはフットボールの歴史を変えた2つのゴールと結びついて考えられる。

スタンフォード・ブリッジでの劇的なミドル(編注:2009年5月7 日、チャンピオンズリーグ準決勝2ndレグ。チェルシーvsバルセロナ。後半ロスタイム、イニエスタは敵地スタンフォード・ブリッジで決勝進出を決める貴重なアウェイゴールを決めた。バルサ3度目のCL制覇につながる歴史的ゴールだった)がなければペップ・グアルディオラ率いるバルセロナの黄金時代はどうなっていたか分からないし、サッカー・シティにおける試合終了4分前のゴールがなければ、スペイン代表のユニフォームに星が飾られていたかもわからない。

イニエスタを象徴するのはまさにこの2つの瞬間だが、スペインのフットボールにとっては、彼の存在はそれだけに収まらないほど大きい。ポルトガル代表やレアル・マドリー等を率いたカルロス・ケイロスはこう語る。「イニエスタがフットボールに与えてきたものを考えれば、彼に世界的な賞が与えられていないのは冗談のようだね」。

しかし逆に言えば、イニエスタの偉大さが認識されるのにはバロンドールを必要としなかったとも理解できるのだ。

■次の舞台、日本との親和性

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▲第22節・サンフレッチェ広島戦。ポドルスキ(左)のアシストでイニエスタはJリーグ2点目を決めた

次の舞台は日本だ。イニエスタの人間性や人生観をひとつの指に例えたとしたら、この国の「敬いの文化」はその指にぴったりはまる指輪のようだ。

イニエスタはこれまで一度もスキャンダルを起こしたことがなく、相手を不快にさせる発言をしたこともない。むしろその真逆だ。カタルーニャの置かれた立場について語ったのも、健全性、対話、そして敬意を求めるためだった。それがピッチ内外を問わぬ、イニエスタのDNAなのである。

何よりも勝者であること、そして勝利のために完成されたフットボリスタでありながらも、敬意と謙遜をもって負けについて理解することができる。

先日のロシア・ワールドカップ。モスクワでサブメンバーになったことを喜ばしく感じない選手だが、それによって悪い印象を抱かせる言葉を一言も発しない選手でもある。

おそらくそうであるからこそ、イニエスタの最も印象的な姿のひとつが、スペイン代表が世界王者のタイトル防衛に失敗した2014年ワールドカップブラジル大会の試合で見せた、ビセンテ・デル・ボスケ監督への抱擁なのだろう。

最大級の賛辞を送りながら「敬意を表したかったのさ」と語る、それがイニエスタという人間なのである。

文/ミゲル・アンヘル・ララ(Miguel Angel Lara)、スペイン『マルカ』スペイン代表番記者
協力/江間慎一郎(Shinichiro Ema)

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