2006年9月のある夜、ベルファスト。北アイルランドのデイビッド・ヒーリーのハットトリックを前に、不甲斐ない戦いをしたスペイン。若きアンドレス・イニエスタは、ベンチからその様子を見ていた。あの夜、チームは耐えがたい敗北を喫しただけではなく、代表監督ルイス・アラゴネス解任を求める非難を浴びせられた。
それから数年後の2008年の夏。ウィーンで行われたEURO2008、スペインは決勝でドイツを破って44年ぶりのトロフィーを母国に持ち帰った。その中心にはイニエスタがいた。
この復活を予想できたものはいなかった。
ベルファストの夜から数週間後、勝利が義務付けられたスウェーデン戦で、スペインは思慮に欠けた戦いで敗戦を喫した。その夜、スペイン代表のユニフォームに袖を通していたバルセロナの選手は、カルレス・プジョルとシャビ・エルナンデスの2人だけだった。
それから数年後、スペインのみならずフットボール界全体が大きな変化を遂げる。それは「カンプ・ノウ」から始まったものであり、その中心にはイニエスタとシャビがいたのは言うまでもない。
北アイルランドでの夜は歴史的な一戦だった。どん底に落ちたというだけではない。キャプテンのラウールが、代表のユニフォームを着た最後の夜でもあった。マドリーの看板選手だったラウールは首都メディアから全面的な支持を受け、彼を代表から追い払ったアラゴネスは、ラウールを支持するあらゆる媒体から代表に復帰させるよう要求を受けることになった。
だが外野がどれだけ叫ぼうとも、また結果を出すまでどれほど時間がかかろうとも、スペイン代表は彼抜きで新たな道を進み始めていた。アラゴネスはダビド・ビジャの得点力を頼るようになり、その戦い方は以前とは大きく様変わりし始めていた。
■「革命」の中心を担う男
スウェーデン戦での敗北以降、スペインは2009年のコンフェデレーションズカップまで35試合無敗を貫いた。
スペインは長い間“la Furia Roja"(「怒れる赤」の意)というニックネームで呼ばれていた。これは彼らの戦う姿勢を描写したものであり、スペインは直感的で野性的なチームだった。しかし、アラゴネスがチームの改革に乗り出したことで、この愛称はすっかり似合わなくなってしまったようだ。アラゴネス率いるスペインは、かつての面影はあったものの、炎のような激しさは上手くコントロールできるようになっていた。
なぜなら、スペインは新たな何か、これまでと違う新しい何かを手にしていたからだ。知将アラゴネスはそれに気づいていた。
「チームはその方向性を完全に変えたから、衝撃的な革命だったね。だけど、選手はそうは感じていなかったんだ」
EURO2008の優勝メンバーだったカルロス・マルチェナはこう語る。
「ルイスは変化をもたらすビジョンと勇気を持っていた。選手たちはどうすればいいのか予想できなかったから、彼は全幅の信頼を得ていたんだよ」
アラゴネス時代、中核を担ったのは前述のビジャやシャビ、そしてイニエスタら小柄な選手たち。彼らはフィジカルで試合を支配するタイプではなく、そうしようともしなかった。また、マルコス・セナは細身ながらチームの砦に。160cm代のサンティ・カソルラは、その魔法のようなタッチで信頼を勝ち取った。スペインの選手たちは身長、体格ともに劣っていたが、ボールを保持する力、そして動かす能力が飛び抜けていたのだ。
■バルセロナ化する“新生スペイン”。世界を席巻した2人

これはまさに“新生スペイン”だった。かつてのような分断が薄れ、結束が見られた。指揮官は目的を達成するため、バルセロナが見せる進化に恥ずかしげもなく傾倒した。代表チームは、ビクトール・バルデス、プジョル、セスク・ファブレガス、ジェラール・ピケ、ペドロ・ロドリゲスらが中心に。そして、バルサ育成の象徴であるシャビとイニエスタがチームのタクトを振るった。
ラ・マシア出身選手の多くが代表選手に呼ばれたのは、偶然ではない。彼らはアラゴネスの指導のもと、忠実にプレーした。
「バルサのスタイルは、スペイン代表にも大きな影響を与えたんだ。どちらのチームでも同じように試合を組み立てられる選手がいたからね」マルチェナは語る。
「ピッチ上では、選手たちはシャビの指示のもとプレーして、多くの成功をおさめたんだ。代表でも、バルサもね」
そこにはシャビがおり、そしてイニエスタがいた。2大巨頭は世界を席巻していく。
イニエスタという名前が世界中に知れ渡るには時間を要した。だが、EURO2008で彼にスポットライトがあたる。彼はスペインの全試合に出場し、準決勝ロシア戦ではシャビのゴールをお膳立てした。
彼はバルサで決定的な1人ではなかった。たとえば、2006年のチャンピオンズリーグ決勝で彼はスターティングメンバーには入らなかった。だが、グアルディオラのもとでプレーするマシンの一部では終わらない選手なのは間違いなかった。そのユーティリティ性のため、多くの場面で前線の様々なポジションで起用されたが、2006年W杯直前、負傷した同僚シャビの代わりに中盤でプレーすることになる。このチャンスをつかんだ彼はピッチの中央に君臨し、クラブと国の歴史にその名を刻んだのだった。
■そして勝ち取った世界最高のタイトル

2009年のチェルシー戦で、イニエスタの評価は最高潮に達する。「スタンフォード・ブリッジ」で試合終了間際に生まれた衝撃的な決勝ゴールは、ペップとバルセロナを前人未到の6冠へと導いた。
クラブ、そしてスペインにとって、彼は自身のプレーの質だけでなく、周りを活かす能力の高さから欠かせない存在になった。シャビが試合のテンポを作るのに対し、イニエスタは優れたパス能力、直感的にワンツーやスルーパス、ランニングで試合を動かす。この特異な能力により、控えめなスーパースターは彼に値する称賛を手にした。通算でCLを4度制覇、EURO優勝2回をはじめ、無数のトロフィーを獲得している。
そして2010年。南アフリカW杯でスペインはついに頂点に立つ。大会前半のスペインはベストには程遠く、イニエスタも負傷に苦しんでいた。だが、彼の復調とともに、チームも勢いを増す。そしてオランダとの決勝戦、イニエスタにチャレンジしたヨン・ハイティンハがレッドカードで退場すると、スペインは試合の主導権を握る。そしてPK戦まであと4分となった延長戦後半、優勝を手繰り寄せる劇的な決勝ゴールを決めたのも、イニエスタだった。
まるでクリスティアーノ・ロナウドのような、シャツを脱ぎ捨ててる感情的なセレブレーション。物静かで控えめな選手には似つかわしくないが、そんな場面が2度もあった。ひとつは2009年のチェルシー戦、そしてもうひとつが2010年のケープタウンだ。コーナーへと駆けていき、人々と喜びを分かち合う。2009年に亡くなった親友ダニ・ハルケの名がアンダーシャツに書かれていたことも、この瞬間を特別なものにした。彼にとってこの決勝がどこか運命めいたものだったのかもしれない――スペインが優勝し、彼が得点を決めると。
イニエスタは、彼らのメソッドを照明する存在だ。忍耐と信条、信念の全てが整えば、成功はおのずとついてくるということだ。EURO2012でも成功と称賛は続いた。スペインはあまりにも圧倒的で、世界中のメディアがもはや「退屈だ」と報じるようになった。シャビとイニエスタはキャリア最盛期におり、イニエスタは大会MVPにも輝いた。フェアな目線で語っても、この数年間彼のパフォーマンスは異次元だった。
■挑む最後の戦い
W杯2014年大会は、指揮官はもちろん、シャビやイケル・カシージャスにとっても望みとはほど遠い大会となった。EURO2016でもチーム全体は自信を失っているようだった。スペインが勝利を望めば望むほど、彼らは自分たちのやり方を失っていった。
デル・ボスケは永遠に敬意を払われるだろう。だがフランスでの失敗のあと、スペインはおそらく優勝候補とは言えない。選手たちは年を重ね、経験を積むとともに過重な期待も背負っている。それは彼らの成功の代償でもある。
いま、彼らはEURO2008以前に戻ろうとしている。当時のメンバーのほとんどは代表から離れたが、数人は今大会にも出場する。第3GKのペペ・レイナ、セルヒオ・ラモス、そしておそらく最後のW杯となるであろうイニエスタだ。
彼が印象的なプレーを見せるのは間違いないだろう。バルサでの最後の大舞台となったコパ・デル・レイ決勝では素晴らしいパフォーマンスを見せ、それはここ3年で最高と言ってもいい出来だった。彼は残された時間が少ないこともわかっており、素晴らしいキャリアの中でなにかを残したいと願っているはずだ。
チームには10~14歳若い選手ばかり。若者たちは、かつてイニエスタがグアルディオラやシャビに憧れたように、イニエスタに憧れている。彼らは、イニエスタがスペイン史上初にして唯一のW杯優勝をもたらす姿をテレビで見ていた。そして、今はそれを自らの手で勝ち取ることを夢見ているのだ。
世界最高の祭典でイニエスタを見るのは、これが最後かもしれない。しかしここ数年、スペインは躊躇なく古いものを手放し、新しいものを持ち込むことで成功を収めてきた。
イニエスタは、自分がこのプロセスの一過程だとわかっている――かつてのプジョルやシャビと同じく、新たなイニエスタはまた現れるのだと。
文=ピーター・ストーントン/Peter Staunton

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