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火は消えない。本田圭佑の新たな戦い…メルボルンでの規格外の挑戦から東京で歓喜を【サムライたちの現在地】 

■実質的な日本代表引退、本田の決断

2018_8_19_keisuke_honda2(C)Getty Images

未知なる挑戦へ――。本田圭佑は、1年前にメキシコに移籍した時と同じく、またしても新大陸へと歩を進める。

2008年のオランダ移籍から、ロシア、イタリア、メキシコと渡り、5カ国目となる今回の地は南半球の大国・オーストラリアだった。

Aリーグの強豪クラブ、メルボルン・ヴィクトリー。Jリーグファンにとっては、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場時に目にしたことのあるチームだろう。今季も川崎フロンターレと同じグループリーグを戦い、すでに来季のACL出場も決定している(Aリーグは現在オフシーズンで、新シーズンは10月に開幕)。本田が来年春、Jクラブと対戦する機会が訪れる可能性もある。

なぜ、メルボルンだったのか。そこに至るまでには、さまざまな事柄が絡み合っていた。

7月初旬。ロシアW杯ベスト16の舞台で、日本はベルギーに敗れた。試合後、本田は今後のキャリアについてこう話した。

「4年後のW杯出場は、考えられないですね。はっきり言えることは、次のW杯は出ない。じゃあ、自分がこれから現役を続けていくのか、サッカーに今後どう携わっていくのかは、整理したい。ここで中途半端な発言はできない」

明かしたのは、実質的に日本代表を退くということ。サッカー選手自体を続けるかどうかは、この時点では逡巡(しゅんじゅん)していた。

■本田の迷い、悩み

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日本に帰国し、今や選手としての顔と同じぐらい存在感を放つビジネスマンとして、多忙を極めた。多分野の人間と会合やミーティングを重ねながら、頭の片隅でプレーヤーとしての自分の今後についても、自問自答していく。結果的に最後は現役続行を選んだのだが、親しい人間によると今回の決断に至るまで、彼は最後まで迷い、悩み抜いていたという。

本田に以前、こんな話をされたことがあった。

「俺はとにかくW杯に出て、優勝するためにサッカー選手になったようなもの。これまでの努力も挫折も活躍も、すべてW杯があったからこその自分。だから、未だに日本が優勝することを夢見続けている。そのW杯という目標がなくなった時に、自分は何を目指してサッカーを続けるかは、今は想像できない」

とことん理想を追いつづける。それでも、本田は現実も直視する。W杯にかけてきた男なら、なぜ4年後も目指すと言わないのか。まだまだ大きな目標に向かいたい思いはある。ただ、彼は言う。

「自分のためだけの(カタール)W杯にするのなら、多分今回のロシアと同じような役割(スーパーサブ)で出られる可能性はある。ただ、そういうことじゃないと思っているので。やっぱり日本代表は、さらに大きく前に進んでいかないといけない」

選手としての夢に、一度ピリオドを打つ。それは、代表を思い、後身の選手たちを思っての決断だった。

■選手として勝負するに値する目標、東京五輪

空っぽの状態で悩んでいた本田に、新たなモチベーションが生まれつつあった。それが、東京五輪。2年後に控えるこのビッグイベントで、自分がもう一度日の丸を背負う戦いに挑む。もちろんオーバーエイジの問題もあり、確実に選出されるとは限らない。ただ、夢を、理想を追うことこそが何よりも稼働力になる本田にとっては、2020年は選手として勝負するに値する目標になったのである。

「やるなら、何でもトップを目指したい」

長く彼を取材してきた中で、何度も耳にしてきた言葉である。その確率が高いとか低いとかは関係ない。勝てる可能性が少しでもあれば、本田は堂々と頂点を目指すことを口にし、それに向けて動く。3大会出場したW杯では、頂点には立てなかった。母国で開催される五輪で、彼はもう一度その夢にかけてみる。賛否両論あることは承知の上。ちょっとやそっとの否定的な意見ぐらいで、その力強い歩みを止めないところが、本田の生き方である。

■“天の邪鬼”本田の新たな挑戦

2018_8_19_keisuke_honda5(c)HONDA ESTILO 本田が、“一番”を目指すことと同じぐらい好きなこと。それは、人とは異なる道を行く、そして他人を驚かせること。本人の言葉を借りれば、「天の邪鬼なところがある」。かつてジョゼ・モウリーニョが自分のことを「スペシャル・ワン」と言ったが、本田にもそんな気概がある。アンチの意見があっても、彼はそんなことを意に介さず生きている。

そして、人とは違う特別な挑戦をするという意味で、今回カンボジア代表の実質的な監督に就いたことは、彼の挑戦意欲を大いに刺激する大仕事となる。何より、現役選手でいながら、一国の代表チームを指揮するのである。彼がサッカーについて語る時、これまでもどこか監督目線でチームや戦術を見ている節があった。リーダーとして、組織の中心人物として振る舞うことを好むタイプ。戦術構築、システム選択、起用法とあらゆる采配を実行できるのは、サッカーでは監督のみだ。

「選手でありながらも、常に監督目線でも見ている」。CSKAモスクワでも、ミランでも、そして日本代表でも、彼は何かあれば監督と膝を突き合わせ、チーム全体の絵について意見を投げかけてきた。ならば実際に今回チームを指揮する側になり、何を実演するのか楽しみである。

現役を続けながらも、監督も行う。こうした規格外の挑戦を受け入れてくれるようなクラブは、世界を見渡してもそうはないだろう。その意味で、この全ての条件を理解してくれたからこそ、本田はメルボルン・ヴィクトリーにたどり着いた。

■ボランチとして新境地を…そして東京へ

2018_8_19_keisuke_honda3(C)Getty Images そして、これまでは頑なに拒み続けてきた「ボランチ」で、残りの選手人生にトライしたい意向も持つ。名古屋から海外に飛び出して以降、立身していく上でゴールは欠かせなかった。その意識がW杯3大会連続得点を生み、アジア人最高得点者という結果にもつながった。

そんな本田にとって、ボランチは選手として第二の取り組みとなる。事実、以前からその左足のキックの精度やフィジカルの強さなど、中盤の低い位置で試合を作る仕事に適した特長を持っているという評価は散見していた。あらためて、本人がその気になった今、見てみたいポジションである。

メルボルンでの会見で、本田はこう語っている。

「監督とはまだそこまで僕が考えていることすべてを話しているわけではない。移籍の決断をする上で大事だったのはポジションではない。どのポジションになるかわからないですけど、監督とディスカッションしてチームにとっていいポジションでプレーしたい」

ただ、どこかで必ず本田はチームにアプローチするだろう。ボランチは、味方を心身で支えるリーダーとして振る舞うためにも、最適の位置。そしてここでの成功が、そのまま東京五輪出場への門を開くことにもなる。若い選手たちを、布陣の重心で束ねる。それが可能であることを森保一監督に証明できれば、本田の招集は現実味を帯びてくる。

メルボルンでの快進撃を、そのまま東京での歓喜につなげる――。このやりがいを見つけ出したことこそが、本田圭佑が現役続行を決めた理由だった。南半球での新たなチャレンジ。一度消えかけた本田の火が、再び燃え始めている。

取材・文=西川結城

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