マドリーの歴史を紐解けば、アルフレド・ディ・ステファノやクリスティアーノ・ロナウドら、今や神話的な存在となった選手たちも平常心を失ったことがある。
クリスティアーノはマドリー加入当初、相手選手のラフプレーに加えて観客に「(自分の容姿ばかり気にする)バービー人形!」「そのポルトガル人はクソ野郎だ!」と罵られたことで、「自分がハンサムで金持ちでフットボールがうまいから、みんな嫉妬しているのさ」と反論。その言葉は傲慢と捉えられて論争を巻き起こしたが、彼はシーズンを重ねる毎にピッチ上ではプレーに集中することだけ、ゴールを決めることだけに徹するようになった。「カリム、やってやろうぜ。相手はただの臆病者だ」とヴィニシウスの師を鼓舞するなど、すべての感情を勝利への野心に変えたCR7は、クラブ歴代最多得点者(438試合450得点)にまで上り詰めた。
それならばヴィニシウスだって……。彼も偉大な先達のように自分を制することができれば、それこそ無限の可能性を手にできるはずだ。そして、彼の「できた人間になりたい」という願望は少し遅れて、リーガ第24節ジローナ戦(4-0)でピッチ上に表れた。
ヴィニシウスは今季リーガの頂上決戦で、そのキャリアの中でも指折りのパフォーマンスを披露。ベルナベウのロッカールームからピッチにつながるトンネルには、ディ・ステファノの「どんな選手も全員が団結するほどには優れていない」という名言が記されているが、この日の彼は全員団結するジローナを一人で上回った。
ヴィニシウスはキックオフから5分後、左サイドからペナルティーエリア手前にカットインして右足を一閃。強烈なスピードで、山なりの軌道を描くボールが枠内右に収まった。選手本人が「普通はエリア外から打たないけど、今日は自信があった」と振り返った正真正銘のゴラッソは、クリスティアーノが何度も決めてきたものとそっくりだった。
マドリーの現7番はその後も、自身の驚異的な才能、技術、フィジカルと対話するようなプレーを見せ続けた。まるでルカ・モドリッチのような右足アウトサイドのスルーパス、ジンガのリズムのドリブル突破からジュード・ベリンガムの2ゴールを導き、さらにボール奪取からロドリゴが決めたダメ押し弾のきっかけにもなって、チームが決めた4得点すべてに絡んでいる。アンチェロッティは77分に彼のことをピッチから下げたが、ベルナベウに集った8万人の観客はまさに総立ちのスタンディングオベーションで見送った。全面改装工事をほぼ終えたベルナベウでは、これからテイラー・スウィフトら超人気アーティストたちのコンサートが開催されるが、このジローナ戦で一足早く、極上の、ストイックなダンス・リサイタルが開かれたのだった。
アンチェロッティは試合後の会見で、この前、胸を熱くした甲斐があったとでも言いたげな表情を浮かべて、次のように語った。
「ヴィニシウスは今日のような姿勢でプレーしてくれれば、私にとっては世界最高の選手だ」
その言葉にはマドリー加入の噂があるキリアン・エンバペや、年下ベリンガムとどちらが上かなどの論争を抑える意図もうかがえる。だが、決して何かを取り繕ったり偽ったりしているわけでもないだろう。ヴィニシウスはプレーだけに集中すれば、世界最高に届き得るのだ。