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「できた人間になりたい」挑発に乗らないヴィニシウス、師ベンゼマも認める“世界No.1”への第一歩

レアル・マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウに赴くとき、いつも立ち寄るバルがある。スタジアムから600メートルくらい離れたその場所で、僕はウェイターのミゲルに決まってカフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)を頼む……というか、彼は僕を見ると決まって「コン・レチェだろ?」と問いかけ、返答を待たずにつくり始めてくれる。今、カフェ・コン・レチェの値段は2.20ユーロ。2年前はどこでも1.50ユーロくらいで飲めたのだが、物価はどんどん上がっている。

僕と同世代、30代後半のミゲルも、ここに来る多くの客と同じくマドリーファンだ。上顎にだけ髭を蓄えた彼は、マドリーがアトレティコ・デ・マドリーとの国王杯ダービーに敗れた直後の試合で、ベルナベウに行きがけの僕にこんなことを言った。

「ヴィニシウスは最後のところでどうしても好きになれないな。あいつがプレーだけに集中すれば……と思うよ。あいつを見ていると、客にイチャモンをつけられていっぱいいっぱいになる自分のことを思い出すんだ」

彼の言葉を聞いて連想するのは、2020年にカリム・ベンゼマがフェルラン・メンディに対して口にした言葉だ。現在アル・イテハドでプレーするマドリーの伝説的FWは、ある試合のハーフタイムにフランスの同胞に対して「あいつにはパスを出すな。俺たちに敵対している」と語りかけ、ヴィニシウスのプレーが独りよがりだと拒否反応を示したのだった。

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    「プレーだけに集中する」

    ベンゼマは、クリスティアーノ・ロナウドがいる頃には彼の決定力を生かすためにスペースメイクをするなど、チームのためにプレーすることを熟知するストライカーだ。あの強い言葉がメディアに漏れた後ヴィニシウスには謝罪をしたようだが、マドリー加入2シーズン目でまだまだプレーの判断力が甘かったブラジル人FWを、チームに害をなす存在と捉えるのも無理ないことだった。

    しかし、それからほどなくして、ベンゼマとヴィニシウスはバットマンとロビンのような名物コンビとなった。ベンゼマは13歳下のヴィニシウスの師となり、何がプレーの最適解なのかを徹底的に手解きしている。最前線で彼らが極上の連係を見せるマドリーは、2021-22シーズンにリーガと逆転劇に次ぐ逆転劇でチャンピオンズリーグ(CL)優勝を達成。ヴィニシウスはCL決勝リヴァプール戦で決勝点を決めるなど、若くしてマドリーの歴史に名を刻んでいる。

    ヴィニシウスの成長は凄まじく、二冠を達成したシーズンに22ゴール16アシスト、ベンゼマと過ごす最後のシーズンとなった昨季に23ゴール19アシストを記録するなど、右肩上がりでプレーの効果性を上げていった……だがしかし、ベンゼマが別れ際に「ヴィニは僕が好きなフットボールをするようになった。でも、もっと先に行けるはずだ。もっとやれる男なんだよ」と語っていたように、“先に行く”ためには、まだ一つ大きな課題を残していた。

    そう、ミゲルの言うように「プレーだけに集中」することだ。ヴィニシウスは相手選手の挑発やラフプレー、アウェースタジアムの雰囲気によく集中を掻き乱されている(アウェースタジアムの雰囲気についてはもちろん、嘆かわしくもまだスペインにはびこっている人種差別的言動を指しているわけではない。もっと一般的なブーイングの話だ)。

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    理性と感情

    相手を抜くまで何度もドリブルを仕掛けるスタイルに対する反発、「攻撃者の純粋なプレーを守備者が汚いプレーをしてでも止める」というフットボールの不条理、ファウルを取らない(取れない)リーガ審判のレベル不足……まだ考える余地のある外的要因もあるが、いずれにしろヴィニシウスは何か不都合が生じて感情が一度昂ると、パフォーマンスの質をガクンと落としてしまう。ベンゼマに養われたプレーの判断力は損なわれ、審判に対して執拗に抗議したり相手選手とやり合ったりとそれ以外のことに注力し、挙げ句の果てには自ら挑発的な行動を取り始める。

    ヴィニシウス本人も、それが自分の欠点と自覚はしているようだ。ハットトリックを達成したスペイン・スーパーカップ決勝バルセロナ戦(4-1)後の会見で、背番号7は「もっとできた人間になりたい。すべてを勝利のために行う選手にね。最後には皆を怒らせてしまっている。自分自身も、自分のチームメートも……もっと改善しなければいけないところがある」と発言。彼のことを父親のように見守ってきた指揮官カルロ・アンチェロッティは、その言葉に「ハットトリックを決めたことよりもうれしいね」と胸を熱くしていた。

    とはいえ、頭では分かっていても止められないこともある。彼はボールを誰よりも巧みに扱うが、それと反比例するようにメンタルを扱うことにいまだ苦慮している。ヴィニシウスは上記の発言の直後、アトレティコとの国王杯ダービーで再び心とプレーを乱した。エルモーソ、観客、ボールボーイに対して突っかかるような振る舞いを繰り返し、終いにはディエゴ・シメオネに挑発的なジェスチャー(自身の背番号のことか、それともほかの意味があるのか指を7本立てていた)を行っている。シメオネは過去のダービーで、意図的ファウルで一発退場となったフェデ・バルベルデのことを褒めるなど、たとえマドリーの選手でも素直に称賛する指揮官だが、ヴィニシウスの挑発に対しては瞬発的にスラングを用いて、こう反撃したのだった。

    「消え失せろ!」

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    背番号7

    マドリーの歴史を紐解けば、アルフレド・ディ・ステファノやクリスティアーノ・ロナウドら、今や神話的な存在となった選手たちも平常心を失ったことがある。

    クリスティアーノはマドリー加入当初、相手選手のラフプレーに加えて観客に「(自分の容姿ばかり気にする)バービー人形!」「そのポルトガル人はクソ野郎だ!」と罵られたことで、「自分がハンサムで金持ちでフットボールがうまいから、みんな嫉妬しているのさ」と反論。その言葉は傲慢と捉えられて論争を巻き起こしたが、彼はシーズンを重ねる毎にピッチ上ではプレーに集中することだけ、ゴールを決めることだけに徹するようになった。「カリム、やってやろうぜ。相手はただの臆病者だ」とヴィニシウスの師を鼓舞するなど、すべての感情を勝利への野心に変えたCR7は、クラブ歴代最多得点者(438試合450得点)にまで上り詰めた。

    それならばヴィニシウスだって……。彼も偉大な先達のように自分を制することができれば、それこそ無限の可能性を手にできるはずだ。そして、彼の「できた人間になりたい」という願望は少し遅れて、リーガ第24節ジローナ戦(4-0)でピッチ上に表れた。

    ヴィニシウスは今季リーガの頂上決戦で、そのキャリアの中でも指折りのパフォーマンスを披露。ベルナベウのロッカールームからピッチにつながるトンネルには、ディ・ステファノの「どんな選手も全員が団結するほどには優れていない」という名言が記されているが、この日の彼は全員団結するジローナを一人で上回った。

    ヴィニシウスはキックオフから5分後、左サイドからペナルティーエリア手前にカットインして右足を一閃。強烈なスピードで、山なりの軌道を描くボールが枠内右に収まった。選手本人が「普通はエリア外から打たないけど、今日は自信があった」と振り返った正真正銘のゴラッソは、クリスティアーノが何度も決めてきたものとそっくりだった。

    マドリーの現7番はその後も、自身の驚異的な才能、技術、フィジカルと対話するようなプレーを見せ続けた。まるでルカ・モドリッチのような右足アウトサイドのスルーパス、ジンガのリズムのドリブル突破からジュード・ベリンガムの2ゴールを導き、さらにボール奪取からロドリゴが決めたダメ押し弾のきっかけにもなって、チームが決めた4得点すべてに絡んでいる。アンチェロッティは77分に彼のことをピッチから下げたが、ベルナベウに集った8万人の観客はまさに総立ちのスタンディングオベーションで見送った。全面改装工事をほぼ終えたベルナベウでは、これからテイラー・スウィフトら超人気アーティストたちのコンサートが開催されるが、このジローナ戦で一足早く、極上の、ストイックなダンス・リサイタルが開かれたのだった。

    アンチェロッティは試合後の会見で、この前、胸を熱くした甲斐があったとでも言いたげな表情を浮かべて、次のように語った。

    「ヴィニシウスは今日のような姿勢でプレーしてくれれば、私にとっては世界最高の選手だ」

    その言葉にはマドリー加入の噂があるキリアン・エンバペや、年下ベリンガムとどちらが上かなどの論争を抑える意図もうかがえる。だが、決して何かを取り繕ったり偽ったりしているわけでもないだろう。ヴィニシウスはプレーだけに集中すれば、世界最高に届き得るのだ。

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    「N.1」

    ジローナ戦翌日、ベルナベウの近くに用事があった僕はあのバルに立ち寄り、ミゲルからこう語りかけられた。「ヴィニシウス、すごかったな。前に言ったことを思い出してたんだ。あの若さで、俺みたいにいっぱいいっぱいにはならないなんて、たいしたもんだ。このコン・レチェは、俺のおごりでいいよ」。ミゲル、そしてヴィニシウスに2.20ユーロをおごられてカフェ・コン・レチェを飲む僕は、スマホで『インスタグラム』を開いた。目にしたのはベンゼマのストーリー。そこにはレアル・マドリーの現・背番号7の写真とともに、こう記されていたのだった。

    「N.1(ナンバー・ワン)」