国民の嫌われ者になったベッカムだが、自分の仕事に真正面から向き合い、ひたむきに仕事をし続けた。そして1999年、ユナイテッドをイングランド史上初の三冠に導き、バロンドール投票でも2位に入った。彼のフリーキックとクロスは、世界中の人間の憧れとなっていく。さらに2001年には、映画『ベッカムに恋して』の製作がスタートする。
1998年のあの夜の出来事だけが、彼の人生の全てではなかった。それでもベッカムは、イングランドサポーターの称賛を渇望していた。過去の過ちを正したいという思いは消えていなかった。2000年11月のキャプテン就任は、万人に受け入れられたわけではない。それでも、結局は認めざるを得なかった。
ワールドカップ予選でドイツをアウェーの地で5-1と粉砕したイングランドだったが、2002年日韓ワールドカップ出場のためには、最終節のギリシャ戦で勝ち点1が必要な状況に追い込まれていた。そしてオールド・トラッフォードでの一戦は、奇妙なことに、後半アディショナルタイムの時点で1-2とリードを許していた。
試合終了まで残り数秒、イングランドはゴール30ヤード手前でフリーキックを獲得する。この場面にふさわしい男はただ1人。たった一夜にしてアイドルから国民の嫌われ者になり、すべてを背負わされ、痛みと苦しみに耐え続けたキャプテンだ。3年間のすべての想いを乗せたボールは、美しい弧を描いてネットに突き刺さった。
「なんてこった!信じられない!」、解説者のゲイリー・ブルームは呆然とした。「デイヴィッド・ベッカムが決勝点を決め、イングランドをワールドカップ本大会へ導いた!この男にナイトの称号を授けよう!」
あの呪縛を解き放ったベッカムは、英雄としてワールドカップに再び出場する。そして運命のいたずらか、グループステージで再びアルゼンチンと対戦する。そして今度は、ベッカムが勝者となった。
この対戦でも再びオーウェンがマウリシオ・ポチェッティーノに倒され、PKを獲得する。キッカーに選択の余地はない。
「カップやグラスを片付けておけ」、ジョン・モットソンが実況席で叫んだ。ベッカムが最後に息を吸い込み、モーションに入る。「なんということだ!ベッカムがゴールを決めた!」
その後、イングランドは準々決勝で優勝国ブラジルに敗れた。ロナウジーニョの退場後、ブラジルが40分以上10人で戦ったにもかかわらず、だ。その後も不振は続き、「黄金世代」はタイトルをもたらせなかった。
しかし、ベッカムはあのFKで嫌われ者から英雄であり、そして伝説になったのだ。現在まで出場試合数で彼を上回るのは、ピーター・シルトンとウェイン・ルーニーの2人だけである。
「ベッカム」は、世界中で最も認知度の高いスポーツ選手の一人であり、単なる選手ではなく、模範を示す先駆者・指導者と見られている。さらに、数多くの海外遠征を通じて、自国の非公式大使としての役割も果たしてきた。
通算724試合で146ゴールを記録し、17のトロフィーを獲得、5カ国のクラブチームでプレーし、マンチェスター・ユナイテッド、プレストン・ノースエンド、レアル・マドリー、LAギャラクシー、ACミラン、パリ・サンジェルマンなど、これまで所属したすべてのチームから、今日でも愛され続けている。1998年のあの出来事は、現在の「ベッカム」から想像できない人も多いはずだ。これこそ、彼がその悪霊を完全に追い払ったことを証明している。そして2025年、ついに彼はチャールズ3世から「ナイト」の称号を授与されたのだった。
イングランド国民全員の嫌われ者が、最後には英雄になるストーリー。彼の人生は、昔も、今も、未来も、永遠に愛されることになるだろう。