ネイマールが初めてバルセロナのサポーターの前に姿を現したのは、2011年12月のことだった。クラブ・ワールドカップの決勝で、バルサと対戦するサントスの先発メンバーのひとりだったのだ。19歳のネイマールとリオネル・メッシの対決の一戦であり、当時サントスの監督だったムリシ・ラマーリョは全身全霊で前のめりだった。
「すぐに彼は世界最高の選手になる」と、試合前の記者会見でラマーリョは言った。
「2人とも素晴らしい選手だが、ネイマールの方が少し特別だ。メッシのドリブルは一直線のことが多いが、ネイマールはボールを持つとあちこち方向を変える。予測不能な動きをするんだ。ネイマールのようにボールを使える選手は世界中どこにもいない」
メッシの2得点を含む4対0でバルセロナが大勝すると、ラマーリョは真っ赤な顔をして帰っていった。ネイマールはただの観客に過ぎなかったのだ。だが、10代のネイマールはすでに「ペレの再来」とも呼ばれており、18カ月ほど後にはカンプ・ノウでメッシとともにプレーするチャンスを得ることになる。
バルサはレアル・マドリードも狙っていたネイマールと契約するために、5700万ユーロ(約90億円)を支払ったが、安い買い物だったことが後に証明される。カタルーニャ時代、ネイマールは大興奮をまき起こすプレーをしつづけ、メッシの最高のパートナーとなって数々の栄光をもたらしたのだった。
だが、ネイマールは決してメッシを超えて世界一の選手と言われることはなかった。その結果、2017年にはパリ・サンジェルマンへ世界記録となる移籍を受け入れることとなる。メッシの陰から抜け出して、初のバロンドール獲得を果たしたかったのだ。
ネイマールは、より広い視野で物事を見ることができなかった。すでに自我が確立しており、PSGが2億2000万ユーロ(約350億円)という驚くべき値をつけると、その自我は膨張した。バルサは、ネイマールが高遠な野望を成し遂げるのに必要なものすべてを提供したし、サポーターから愛されていた。そのすべてをフランスで偉大な選手になるための近道だと思ったもののために捨てたのだ。
PSGでのネイマールがうまくいかなかったのは必然であった。イライラが募り、物議をかもした6シーズンの末、ネイマールはパルク・デ・プランスを完全に去ることになる。もともとネイマールが移籍したいのはバルサだと思われていたのにーー。





