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キリアン・エンバペとPSG:長く続きすぎた昼ドラの終焉

キリアン・エンバペが今シーズンでパリ・サンジェルマンを去ることを決心したとのニュースが最初に報じられてまもなく、オーレリアン・チュアメニはSNSにポップコーンの絵文字をいくつか並べただけの投稿をアップした。言葉は必要なかった。

このメッセージは簡潔にして明瞭だった。チュアメニはサッカー界最長の昼ドラの次の展開を楽しみにしているというのである。もちろん、彼の興奮は完全に理解できる。エンバペはまもなくレアル・マドリーに加入するのだから。

もちろん、このことはサッカー界でずっと前から公然の秘密だった。この時点で、およそ6カ月前から分かっていたことであり、エンバペが初めて10代でモナコで大ブレイクした時から噂されていたことだったとも言える。エンバペは子どものころからレアル・マドリーに行きたいと思っていた。だから、今後フリーで移籍できるようになることは夢がかなうということなのだ。そしてそれはPSGにとって一つの時代の終わりを意味する。

  • Kylian-Mbappe(C)Getty Images

    とてつもないダメージを受ける

    フランス王者のPSGには経済的に何かしら良いことがある可能性がある。エンバペは、当然受け取れるボーナスを放棄するかもしれないし、それどころかPSGに契約料を譲り渡すかもしれない。それでも、PSGはスポンサー契約やビジネス・チャンス、SNSのフォロワー数において世界最高の選手を失うという、とてつもなく重い代償を支払うことになるだろう。

    ネイマールやリオネル・メッシが在籍していた時でさえ、エンバペはあらゆる面においてPSGにとって最も貴重な選手だった。サッカー界の偉大な選手のひとりというだけではなく、地元出身のヒーローだったのだ。ボンディ生まれの少年がPSGを率いてチャンピオンズリーグを初優勝するというのは、理想の極致だった。だが、このおとぎ話はずいぶん前から茶番劇に成り下がっていた。

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  • Kylian Mbappe Nasser Al-Khelaifi 2017 Paris Saint-GermainGetty

    プレー機会の保証

    エンバペとレアル・マドリーの相思相愛ぶりは以前から明らかだった。寝室の壁にクリスティアーノ・ロナウドとジネディーヌ・ジダンのポスターを何枚も貼っていた少年をロス・ブランコスが初めてクラブの練習場に招いたのは、2012年のことだった。2017年の夏には、エンバペと契約するためにモナコとの取引に同意していたが、驚くべきことに当時10代だったエンバペはレアル・マドリーではなくPSGを選び、大変な騒ぎとなった。

    「カネだけの問題ではなかった」と、10年間PSGのスカウトチームの一員だったルイス・フェレールはGOALに語った。

    「まったく違う。何カ月も何カ月も時間をかけた結果だった。エンバペはモナコで素晴らしいシーズンを過ごしたばかりで、誰もが彼が宝石だと知っていた。だが、我々は彼の一番の希望がレアル・マドリーであることも知っていた」

    「レアル・マドリーがそこにいて、それを止める方法はなかった。(レアル・マドリーはエンバペの憧れでもあった)。だから、やらなければならいなことがたくさんあることは分かっていた」

    「私たちは素晴らしいアイディアを思いつく必要があった。みんなで力を合わせて頭を絞った。私のアイデアはこうだった。まもなくワールドカップ(2018)だから、まずPSGに入るほうがいいと言ったのだ。そして、レアル・マドリーではおそらく無理だろうが、PSGでは先発メンバーの座を保証すると言った」

    「彼の才能を信じるが故の約束だった。滅多にあることじゃない。私が選手にプレー機会を完全に保証したのは1回だけだ。普通は監督がすることだが、(当時PSGの監督だった)ウナイ(・エメリ)も話し合いに関わっていたから…」

    事実、エンバペと両親に、あの時点での最高の選択肢はPSGであると納得させることにおいて、エメリは中心的な役割を果たしていた。

  • 'Write history in my city'

    「故郷で歴史をつくる」

    パリに戻るというアイデアは、エンバペにとっても非常に魅力的だった。

    「僕はいつも、祖国フランスの首都で歴史をつくりたいと言ってきた」と、フランス最大手の有料放送Canal+で語っている。確かに、彼の世界観全体において、ボンディで育ったことの重要性を甘くみることはできないだろう。

    「サッカーは私たちにとって特別なものだと思う。なくてはならないものだ」と、エンバペはザ・プレイヤーズ・トリビューンに書いている。

    「日常そのもの、パンと水のようなものだ。ボンディでは、サッカー以上に価値のあることを学ぶ。誰とも分け隔てなく付き合うことを学ぶのだ。僕らはみな同じ釜の飯を食う仲間だ。僕らはみな、同じ夢を見ている」

    結果として、エンバペは2017年9月、PSG加入が正式に公表された後でボンディに戻った。そこで、彼と同じように成功することを夢見る次の世代の少年たちと会い、語り合うこととなる。

    そのイベントは、エンバペ最大のスポンサーであるナイキが開催したわけだが、PSGにとっても大いに利益があった。ボンディは、サッカーの天才を世界中で最も育んでいる地域のひとつで、とりわけ多くの選手を輩出しているパリ郊外の地域だった。だからエンバペは、広告塔としてPSGにとってカネには代えられない貴重な存在だったのだ。

  • 「チームとしての成功のため」

    もちろん、エンバペはピッチの上で躍動した。6年連続のリーグ・アン得点王が確定的であるだけでなく、すでにエディンソン・カバーニを抜いてPSG史上最多得点選手となっている。

    しかしながら、エンバペはその当時、はっきりとこう言った――

    「個人的には成功した。だけど、僕はチームとしての成功のために来たんだ」

    その時のエンバペは、PSGが成長せず、コンスタントにチャンピオンズリーグに出場できないことに不満を抱いていた。

    2022年、エンバペは初めてフリーエージェントとなって、退団するつもりのように見えた。レアル・マドリーはついにエンバペを獲得したと確信していた。だがエンバペは土壇場で翻意し、それまで以上のカネと権力を約束したPSGに残ることを選んだ。

    PSGは、エンバペが事実上のスポーツ・ディレクターであるというのは否定したが、ナセル・アル=ケライフィ会長はエンバペを「クラブの計画の礎石」だと言った。その計画は今や崩壊寸前である。もともとはそれほど悪い計画ではなかったかもしれない。エンバペのおかげでクラブを前進させることができるはずだった。だが、同時にスーパースターに対する不健全な執着も増すこととなった。

  • Kylian Mbappe PSG 2024Getty Images

    「キリアン・サンジェルマンではない」

    肖像権についてクラブと争った際、エンバペはかつて、PSGは「大きな家族で、キリアン・サンジェルマンではない」と言ったことがある。だが、ここ何年かは、まさにそんな感じであった。エンバペはクラブよりも大きな存在となった。PSGもそれをよくわかっている。だから、彼の要求すべてをかなえるために、繰り返し全力を尽くした。

    昨年、そんな忍耐もとうとう限界を迎えた。2024年にクラブを去ると言うエンバペの決意を示した文書がなぜか、そして都合よくマスコミにリークされたのだ。エンバペはプレシーズンのアジアツアーに参加しなかったが、両者は「きわめて建設的で好意的な話し合い」を行い、結局は快くチームに復帰したのだった。

    エンバペはこのいさかいに対して、予想どおりゴールを量産して応えた。今シーズン全公式戦で47試合しか出場していないのに44得点をあげている。しかしながら、チャンピオンズリーグのベスト16でレアル・ソシエダと対戦する前に、この夏PSGを去るつもりであることをアル=ケライフィ会長に話したことが発覚した。

    たちまち起こった反応は、明らかに破滅的だった。それまで、エンバペをなんとか説得して残留させてきたPSGは、今度もそうなることを期待していた。だが、エンバペの決心は固かった。そして、そのロスを乗り越えた時、それはPSGにとって形を変えた祝福になるべきである。なぜなら、この昼ドラは長く続きすぎのだから。

  • Kylian Mbappe Paris Saint-Germain 2023-24Getty

    「PSGはエンバペが来る前から存在していた」

    論争が続いたことで、自分たちは真面目なクラブであると世界に思わせようとしたPSGの試みはダメージを受けた。

    長年にわたり、エンバペがPSGの経営方針に不満を持つのは当然であることは明らかだが、彼がレアル・マドリーとの蜜月関係、ピッチでの不機嫌そうな姿、監督への批判といった、タブロイド紙を常ににぎわせるような話題を数多く提供しているという皮肉な事実を本人は忘れているようだ。かつてジェローム・ロタンは、エンバペのことを、わざわざ「火に油を注ぐような」反応をする性格と評し、「騒ぎを起こしすぎる」と言った。また、クリストフ・デュガリーは、すでに2019年に、エンバペとPSGの蜜月関係は「すぐに悪化する」と予言していた。

    エンバペの移籍は打撃をもたらすだろう。それは完全に間違いない。だが、元スポーツ・ディレクターのレオナルドは、エンバペのような気まぐれな選手を中心にチームを構築しても成功は難しいと指摘し、こう言った。

    「PSGのために、私は、何にせよエンバペが去るべき時がきたと思う」と、昨年レオナルドは『レキップ』紙で言ったのだ。

    「パリ・サンジェルマンはキリアン・エンバペが来る前から存在し、彼が去った後も存在する」

    そう、これがPSGの望んだ終わり方でなかったとしても、とにかくようやく終わりを迎えたのだ。