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カイル・ウォーカー:妻や愛人との騒動でキャリアが台無しになるところだったマンチェスター・シティのレジェンドがバーンリーで心機一転

エティハド・スタジアムのファンの前で温かい別れをするのではなく、ウォーカーはインスタグラムの投稿でクラブに別れを告げた。今週マヌエル・アカンジが開催しウォーカーも出席したような、マンチェスターの中心部での豪華な夕食会すらなかった。ウォーカーは、数人のチームメイトとの控えめな飲み会でこの知らせを祝い、友人たちと缶ビール片手に雪の中を散歩したのだった。

ミランへの移籍は計画どおりに進まず、セリエAのチームはわずか400万ポンド(約8億円)での完全移籍を見送った。それは、劇的に衰退した輝かしいキャリアにおける直近の挫折であり、ウォーカーは後に、自分は昨シーズンのマンチェスター・Cの苦戦のスケープゴートになったのだと主張した。

さらに、ピッチの外でも、妻アニー・キルナーと愛人ローリン・グッドマンとの長年にわたる確執という混乱があった。ミランへの移籍は、ウォーカーの私生活にはまったくプラスにはならなかった。特に、妻が4人の子どもたちと一緒にイングランドに戻った翌日に、女性2人とナイトクラブを出る姿を写真に撮られたことは、大きな打撃となった。

しかし、バーンリーでプレミアリーグに復帰した今、ウォーカーは、ようやく平穏な生活を取り戻しつつある。混沌とした家庭生活も落ち着きを見せているようだ。そして土曜、エティハド・スタジアムで初めて古巣と対戦する際には、ふさわしい歓迎を受けることになるだろう。

  • Kyle Walker and Annie KilnerGetty Images/GOAL

    ゴタゴタの関係

    故郷のシェフィールドでウォーカーがキルナーと交際を始めた時、ウォーカーは17歳、キルナーは15歳だった。2人の関係は、ウォーカーがシェフィールド・ユナイテッドでプロとしての第一歩を踏み出した頃から、長かったトッテナム・ホットスパー在籍期間を経て続き、2011年、最初の子どもであるローマンが誕生した。2人目の息子リアーンは2016年に、3人目の息子レインが2019年に、ウォーカーがマンチェスター・C所属中に誕生した。だが、彼らの関係はウォーカーの不倫によって揺らぐこととなる。

    2020年4月、モデルでインフルエンサーのローリン・グッドマンがウォーカーの息子カイロを出産した。その同じ月、英国でコロナウイルスのロックダウンが絶頂だった時期にエスコート嬢たちとセックスパーティーを開いたことで、ウォーカーの評判はさらに悪化した。

    ウォーカーはキルナーとの関係を修復し、2022年に2人は結婚した。しかし、結婚の幸せは長く続かず、わずか1年後、ウォーカーはグッドマンとの間に2人目の子ども、初めての娘キナラをもうけた。ウォーカーは、2024年1月に『ザ・サン』紙のインタビューで2度目の不貞行為を認めるまでの4か月間、2人目の子どもの存在をキルナーに秘密にしていた。

    ウォーカーはこう語った。「自分のしたことはひどいことであり、すべての責任は私にある。私は愚かな選択をし、愚かな決断をした。アニーがどんな思いをしているか、想像もできない。彼女に尋ねようとしたこともあるが、苦しく、つらかった。この試練の中で、ただ丸くなって眠りたいと日々思っていた」。

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    騒動の中でも集中力を保つ

    この件でウォーカーのパフォーマンスに影響が出てもおかしくなかったが、奇妙なことに、この騒動は彼のサッカーにほとんど影響を与えなかった。マンチェスター・Cは2021年から2024年にかけて4シーズン連続優勝を果たしたが、彼の最高のプレーは、愛人が2人目を出産するという事実を受け入れつつあった2022-23シーズンの三冠達成時に見られたと言える。

    2023年1月、一時的に先発から外れただけで、ウォーカーはチームに復帰した。その間、ペップ・グアルディオラ監督から「新たな戦術システムへの適応能力」を疑問視されるなど、褒められたものではないコメントを浴びせられていた。しかしウォーカーは、マンチェスター・Cが三冠を獲得したこの時期に、キャリア最高のパフォーマンスを発揮し、対戦相手のウイングを確実に封じ込めていた。チャンピオンズリーグ準決勝でレアル・マドリーを合計5-1で破った際にはヴィニシウス・ジュニオールを完全に抑え込み、FAカップ決勝では、マンチェスター・ユナイテッドのマーカス・ラッシュフォードを無力化した。

    さらに、この時期、ウォーカーはグッドマンとの騒動だけに対処していたのではないことも忘れてはならない。彼は、バーで別の女性にキスをし、露骨な行為をしている様子を監視カメラに捉えられ、恥の上塗りをしていたのである。

    ウォーカーはマンチェスター・Cにとって非常に貴重な存在になっていたため、グアルディオラ監督は、マンチェスターの高級日本料理店で個人的にディナーを共にしながら、バイエルン・ミュンヘンのオファーを断って新たな契約にサインするよう彼を説得した。ウォーカーは、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』ばりの陽気なビデオで残留を発表し、キャプテンに任命された。グッドマンとの間に2人目の子どもが生まれたことが報じられ、キルナーに家庭から追い出された後も、彼は完璧な回復力と集中力を維持した。

  • Manchester City v Watford - Carabao Cup Third RoundGetty Images Sport

    「私は言い訳にされていた」

    ウォーカーは、キルナーが4人目の息子レゾンを出産した直後の5月、マンチェスター・Cを史上初の4連覇に導いた。また、EURO2024で決勝進出を果たしたイングランド代表では、全試合に先発出場。決勝でスペインに得点を許すミスを犯したものの、大会の優秀選手に選ばれた。グッドマンがウォーカーとの長男カイロを連れてドイツで観戦したため、メディアの注目がこれまで以上に高まったさなかでのことだった。

    しかし、その年の後半、ピッチの内外で事態は悪化の一途をたどった。2024年10月中旬、キルナーは離婚を申請した。そして、そのわずか2週間後、マンチェスター・Cのシーズンが狂い出した。12試合中9試合で敗れ、18年ぶりの最悪の成績を記録したのである。その責任の大部分はウォーカーが負うことになったが、批判の一部は正当なものだった。ホームでトッテナムに0-4という衝撃的な大敗を喫した試合で、ティモ・ヴェルナーに最後の得点を決められ、恥をかいたのである。

    彼の急激な不振には他の要因もあった。34歳という年齢が影響していたし、イングランド代表の試合で負った膝のケガも響いていたのだ。マンチェスター・Cも前人未到のタイトル獲得で当然ながら消耗を感じていたが、その夏に獲得した選手は2人だけだった。

    ところがウォーカーは別の要因を感じていた。「『スケープゴート』とは言いたくないし、悲劇の主人公扱いされるのは避けたい」と、彼は『ザ・テレグラフ』で語った。「だが、キャプテンは私で、チームは不振だった。このシーズン、重要な時期に主力選手が欠けていた。そして私は…責められたわけではなかったが、言い訳にされていると感じていた。キャプテンだったから」。

    彼はまた、キャプテンを辞退するよう求められていると感じながら、それを拒否しており、こう説明した。

    「その話の詳細にはあまり踏み込まない。私はキャプテンを辞める気はなかった。自分の権利を守らなければならないし、クラブのキャプテンになる資格は自分にあると信じている。私は、チームを4度目のプレミアリーグ優勝に導くという仕事をよくやったと思っている」

  • Kyle Walker Milan 2025Getty Images

    ミランへの移籍は間違いだったか

    ウォーカーはチームメイトによる投票でキャプテンに選出されていたが、グアルディオラ監督は今夏のクラブワールドカップの期間中に、この選択に同意していないことをほのめかしていた。そして自分の主張が正しいと言うかのように、今シーズンは投票制度を廃止し、監督みずからベルナルド・シウヴァをキャプテンに任命した。

    「今シーズン、監督は私だ。監督としてのキャリアで初めて、キャプテンは私が決めることにした。昨シーズンのことは気に入らなかった。今シーズンは私がチームを代表すると決めた」

    ウォーカーはマテウス・ヌネスにポジションを奪われ、ACミランが、トップチームでの出場機会とタブロイド紙の詮索から逃れるチャンスをウォーカーに提示した。ズラタン・イブラヒモヴィッチからの誘いをウォーカーは断れなかった。しかし、ミランがセリエAで8位に沈むという不本意な期間を経て、ウォーカーは自身の選択を疑い始めた。

    ウォーカーは『ザ・テレグラフ」紙でこう語った。「出場機会がなく、プレーしたかった。ACミランからオファーがあって、ズラタンから電話をもらった時、私はベンチに座っている状況だった。チャンスを断るなんてできなかった。だが、今振り返ってみれば、チームを去るべきだったろうか。おそらく違う。仲間と共に苦境を乗り越えるべきだった」。

    「でも時には、自分勝手だとしても、自分自身を見つめ直して『よし、ここを出て、違う経験をしてみよう』と思うこともあるんだ」

  • Kyle Walker BurnleyGetty

    「家族を大切にするためのクラブが必要」

    ミラノ滞在中、ウォーカーは独りで暮らしていた。3月に高級ナイトクラブで2人のセルビア人モデルと夜を過ごし「満足げな様子」だったというニュースは、彼の結婚生活を修復するのに良い前兆とはならなかった。

    しかしウォーカーとキルナーは和解し、夏には地中海のイビサ島とアメリカで一緒に休暇を過ごした。そしてバーンリーからのオファーが舞い込むと、イングランド北西部に戻れるチャンスに飛びついた。『ザ・サン』紙によると夫妻は新たな家を購入し、もうひとり子どもをもうける計画を立てているという。

    バーンリーはウォーカーにプレミアリーグ復帰の道を開いただけでなく、家族にとっても都合が良かった。まもなく14歳になる長男のローマンがクラブのアカデミーでプレーしているのである。

    「キャリアのこの段階を振り返ると、長年素晴らしいクラブ(マンチェスター・C)に在籍し、海外での挑戦もしたが、家族を大切にするためのクラブが必要だと感じた」と、ウォーカーはバーンリー加入時に言った。

    「クラブの施設を見て回り、息子がトレーニング施設で練習している様子を見て、そこにあるオーラ、オーナーが目指す方向性を感じた。その一員になりたいと思った。彼らの成功の一部になりたいと思う」

  • Kyle Walker Scott ParkerGetty

    はるかに幸せな境地

    バーンリーへの移籍にはもうひとつの動機があった。トッテナムでチームメイトだったスコット・パーカーとの再会だ。彼はこう説明した。「私たちが心から愛するこの競技に、人々が注ぐ努力と献身に敬意を抱いている…彼が電話をくれた時、その言葉のすべてに共感した。チームメイトだった頃に戻ったような感覚だった」。

    現在はリーグ下位に沈むバーンリーだが、降格回避を目指す戦いでウォーカーを経験豊富な戦力と見なしている。5試合で勝ち点を4しか獲得できていないものの、リヴァプールとマンチェスター・ユナイテッドにはアディショナルタイムでの失点で敗れただけなのだ。

    ウォーカーは王者相手の試合で好印象を残し、ノッティンガム・フォレストとの激闘の引き分けでも際立った活躍を見せて、パーカー監督から称賛された。「カイルは今日、我々が期待したとおりの選手だった。チームを牽引してくれた。最後まで全力を尽くしたし、彼には突き進まなければならない理由がある」。

    ウォーカーが、あとどれくらい突き進むかは未知数だ。今シーズン終了時には36歳を迎える彼は、驚異的なキャリアの終盤に差し掛かっている。しかし土曜にエティハド・スタジアムでマンチェスター・Cと対戦する今、ウォーカーがクラブを去った時よりもはるかに幸せな境地に立っていることは間違いない。