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【ありがとう、偉大なるシルバ】「サッカーそのもの」だった魔法使いがサッカー界に遺した宝物

私たちはダビド・シルバをこれから過去の選手として扱っていくことになる……信じられない。まだ先の未来に起こることでは、少なくとも1年後、2023-24シーズン終了後に起こることではなかったのだろうか。

私たちはスペイン、ひいては世界のフットボール史に深く名を刻み、史上最高の選手と考える人も少なくない選手に、いきなり別れを告げることになった。シルバは彼一人のプレーを見るためにスタジアムまで足を運ぶ価値があった存在だ。シルバなしのフットボールなど想像が難しい。私たちはずっと彼の魔法にかかっていたのだから。それと同時にフットボールなしのシルバも想像が難しい。彼の人生は、ほぼすべてがフットボールだったのだから……。

文=ミゲル・アンヘル・ララ(Miguel Angel Lara)/スペイン『マルカ』レアル・マドリー&スペイン代表番記者

翻訳=江間慎一郎(Shinichiro Ema)

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    フットボールに夢中な少年

    シルバはカナリア諸島グラン・カナリアにある小さな漁港アルグイネグインに生を受けた。イベリア半島よりモロッコの海岸に近い同諸島は、フットボールの天才が生まれる場所として知られる。シルバの前にスペイン代表で背番号21をつけていたフアン・カルロス・バレロンも、バルセロナとスペイン代表の未来を担うペドリも……。

    シルバは幼い頃から蹴っていた。ずっと、ずっと蹴り続けていた。父方の祖父母(ナンドとアントニア)が住んでいる家の隣、小屋のような住まいで育ったシルバは、両親が働いてるときもそばに一緒にいるときも、ずっとフットボールに夢中だった。ジャガイモやオレンジ一つを口に入れるだけで何時間もボールを蹴り、丸くない何かを蹴ることもしょっちゅうだったが、まるでまん丸のように感じさせる飛び切りの才能があった。ただ、中にはあまりに例外的な“ボール”もあった。

    2年前にこの世を去ったシルバの祖母アントニアが、いつも思い出していた逸話がある。彼女のかわいくてたまらない孫はある日、顔に深い傷をつけて家に帰ってきた。ダビド少年はコンデンスミルクの缶でフットボールに興じ、顔から血を流したのだった。アントニアはダビドに大きな愛情を注ぎ、ダビドも同じだけの大きな愛情を祖母に感じていた。ダビド少年が世界的スターとなった後、アントニアは試合を見る前にいつも薬を飲まなくてはいけなかった。孫が相手選手から打撃を受けるときナーバスにならないように。

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    「メディア嫌い」

    シルバは本物のスタジアム、本物のピッチ、本物のボールでも変わることなく魔法を使った。小さなマゴ(魔法使い)のキャリアを振り返るには、たとえハイライトでも見るべき試合が何百も存在する。ここでそのすべてを振り返ることができないので、彼の言葉を借りることにしよう。スペイン・フットボール最大の黄金期をともに支えた盟友、アンドレス・イニエスタの言葉を。

    「彼は僕のお気に入りの選手。ダビドは凄まじいパフォーマンスを見せたからってニュースにならないんだ。彼がニュースになるのは、逆にその凄まじいパフォーマンスを見せないときなんだよ」

    「ダビドの目には、ほかの選手が想像すらできないことが見えている。彼がしていることは簡単に見えるかもしれないけれど、絶対にそんなことはない。天才は不可能なことを簡単なことのように見せてしまうと言うが、ダビドはその最たる例だろう」

    シルバは自分がどれだけ偉大なフットボーラーであっても、メディアスターになることを頑なに拒んだ。2010年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)、EURO2008&2012で優勝したスペイン・フットボールの黄金世代の中で、プレーの質とメディアでの露出度に最も大きな落差があったのが彼である。シルバはメディアが好きではなかった。もっと言えば、嫌っていた。

    若手時代こそ何度かインタビューに応じたことのあるシルバだが、それは話すのが苦手な彼にとっても、話を展開するとっかかりを見つけられないインタビュアーにとっても拷問のような時間だった。そうした経験があったためか、彼は名声を獲得した後にはその地位と反比例するかのように、どんなメディアからインタビューを申請されても「ノー」としか言わず、露出を極力避けるようになった。

    シルバにとって“パブリックなダビド・シルバ”は芝生の上にだけ存在していればいいのだ。彼が嫌っていたのはメディアだけではない。マンチェスター・シティがエティハド・スタジアムにシルバの銅像を建てたとき、本人に除幕することを求めたものの、その返答すら「ノー」だった。ピッチ内での功績がピッチ外で華々しく反映されることに、彼はまったく興味がない。今回の引退発表でもそのスタンスは変わらず、簡潔かつ手短にスパイクを脱ぐことを報告していた。とはいえ、バレンシア、エイバル、セルタ、マンチェスター・シティ、レアル・ソシエダと、所属した全クラブのサポーターにそれぞれの愛称(チェ、アルメーロ、セルティーニャ、シチズン、チュリ・ウルディン)を用いて感謝したことには、その誠実な人柄が滲み出ていたが。

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    逆境を乗り越えて

    シルバはそのキャリアの中で、逆境にも立たされている。スペイン代表が初めてW杯優勝を果たした南アフリカ大会では、初戦のスイス戦の敗北の責任を負わされるように、その後のほとんど出場機会を与えられなかった(準決勝ドイツ戦で少しだけプレーしたのみ)。彼は当時の指揮官ビセンテ・デル・ボスケに対して、まるで自分が悪かったような扱いへの不満をぶつけていた。が、そのリベンジはやはりピッチ上で果たされている。EURO2012で、背番号21は優勝の立役者とでも言うべき活躍を披露したのだった。

    シルバはまた、2017年の終わりにはプライベートで苦難を経験している。妻のジェシカ・スアレスさんが妊娠したもののマンチェスターで異変に気づき、バレンシアで検査を受けると医師たちからこう告げられた。

    「手術をしなければなりません。お母さんと子供さんの命に関わります」

    マテオは低出生体重児として生まれ、シルバはそれから何カ月も愛息が無事退院できることを願いながら日々を過ごすことになった。プライベートジェットでマンチェスターからバレンシアへと飛び、人目につかないよう帽子を目深にかぶって病院へ赴き、マテオの様子を見守る……。シティの試合を欠場することにもなったが(当初は“個人的な事情”としていたものの、その後に詳細を説明)その甲斐もあって愛息は現在もすくすくと成長を果たしている。

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    ありがとう、偉大なる魔法使い

    マテオのことを抜かせば、シルバがプライベートについて自身の口から語ることはほとんどない。彼というフットボーラーには、フットボールしかなかった。彼はフットボールそのものだったのだ。

    170センチと上背は高くないながらも圧倒的な技術、戦術理解力でもって、シルバは所属したどのチームでも攻撃の絶対的な柱となった。ドリブルやキラーパスによって自ら輝くだけでなく、味方選手の位置を把握しながら最適なポジショニングを取ったりスペースを空けたりと、卓越したゲームメイク力も誇示。彼はスタンドやテレビ画面から俯瞰してピッチを見る人々よりも、11人対11人の流動的な動きの中で何が起こっているのか、何をするべきなのかを分かっていた。魔法は、確かに存在したのだ。

    フットボールを愛する誰もが耳にすることすら望まない、あの忌まわしき“前十字じん帯の断裂”がこの魔法の20年間に終止符を打った。レアル・ソシエダはチャンピオンズリーグ復帰を果たしたシーズンにリーダーを失い、ピッチにも心にも埋められない穴が空くことになってしまった。だが、それでも彼が残したものはチーム内に息づいているはず。例えばそれは、久保建英が言われた「止まれ、そして見ろ。スペースはいつだって存在しているんだ」というアドバイスだったりするのだろう。

    ソシエダだけではない。シルバは『Twitter』や『Facebook』や『Tik tok』で注目を集めることを必要とせず、彼のフットボールだけで、彼の魔法だけでの人々の心に届き得た。それの意味するところはあまりに大きい。その純なる輝きは私たちの記憶において、かけがえのない宝物となるはずだ。

    ありがとう、偉大なるマゴよ。