シルバは本物のスタジアム、本物のピッチ、本物のボールでも変わることなく魔法を使った。小さなマゴ(魔法使い)のキャリアを振り返るには、たとえハイライトでも見るべき試合が何百も存在する。ここでそのすべてを振り返ることができないので、彼の言葉を借りることにしよう。スペイン・フットボール最大の黄金期をともに支えた盟友、アンドレス・イニエスタの言葉を。
「彼は僕のお気に入りの選手。ダビドは凄まじいパフォーマンスを見せたからってニュースにならないんだ。彼がニュースになるのは、逆にその凄まじいパフォーマンスを見せないときなんだよ」
「ダビドの目には、ほかの選手が想像すらできないことが見えている。彼がしていることは簡単に見えるかもしれないけれど、絶対にそんなことはない。天才は不可能なことを簡単なことのように見せてしまうと言うが、ダビドはその最たる例だろう」
シルバは自分がどれだけ偉大なフットボーラーであっても、メディアスターになることを頑なに拒んだ。2010年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)、EURO2008&2012で優勝したスペイン・フットボールの黄金世代の中で、プレーの質とメディアでの露出度に最も大きな落差があったのが彼である。シルバはメディアが好きではなかった。もっと言えば、嫌っていた。
若手時代こそ何度かインタビューに応じたことのあるシルバだが、それは話すのが苦手な彼にとっても、話を展開するとっかかりを見つけられないインタビュアーにとっても拷問のような時間だった。そうした経験があったためか、彼は名声を獲得した後にはその地位と反比例するかのように、どんなメディアからインタビューを申請されても「ノー」としか言わず、露出を極力避けるようになった。
シルバにとって“パブリックなダビド・シルバ”は芝生の上にだけ存在していればいいのだ。彼が嫌っていたのはメディアだけではない。マンチェスター・シティがエティハド・スタジアムにシルバの銅像を建てたとき、本人に除幕することを求めたものの、その返答すら「ノー」だった。ピッチ内での功績がピッチ外で華々しく反映されることに、彼はまったく興味がない。今回の引退発表でもそのスタンスは変わらず、簡潔かつ手短にスパイクを脱ぐことを報告していた。とはいえ、バレンシア、エイバル、セルタ、マンチェスター・シティ、レアル・ソシエダと、所属した全クラブのサポーターにそれぞれの愛称(チェ、アルメーロ、セルティーニャ、シチズン、チュリ・ウルディン)を用いて感謝したことには、その誠実な人柄が滲み出ていたが。