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代表辞退の騒動から歴史を作ったスペイン代表。下馬評を覆して女子ワールドカップ制覇

1年前、イングランド女子代表は、ヨーロッパ・チャンピオンになるというスペイン女子代表の夢を打ち砕いた。ブライトンで行なわれた準々決勝で、スペイン女子代表ことラ・ロハは最終盤に同点に追いつかれ、延長戦で敗れたのである。あれから1年が経ち、事態は変わった。

今回の女子サッカーワールドカップでも、スペインは、オランダとスウェーデンに、それぞれ準々決勝と準決勝で最終盤に同点に追いつかれたが、どちらの試合でも最終的には勝利した。つまり、かなり単純な進歩が見受けられたのだ。過去から学び、成長し、よりよい結果を出したのである。だが、去年と今年の大会の間の12カ月を見るに、女子サッカーワールドカップ初優勝という歴史を作った今大会は、これ以上ないほどフクザツなものだった。

この1年、スペイン女子代表は、ピッチ外での騒動に取り巻かれていた。選手たちが待遇改善を求めて代表辞退を表明したのである。ワールドカップにも、「精神面や選手のプライバシー」に影響を与える状況であると代表を辞退した12名のトップ選手なしで臨んでいた。

それでも、スペイン女子は歴史を作り、さらに多くの瀬戸際を乗り越えてきた。ニュージーランドで初めてワールドカップの決勝トーナメントに進出すると、初めてベスト4に残り、史上初の決勝にまでたどり着くと、タスマン海を越えてオーストラリアに乗りこみ、日曜にシドニーで行われたイングランドとの決勝でリベンジを果たして、優勝という悲願を達成したのである。

この1年で起こったことからすれば、一体どうして、こんな快挙を達成することができたのだろうか。下馬評を覆して世界チャンピオンになったスペイン女子代表を振り返ってみよう。

  • Mapi Leon Spain Women 2022Getty

    立ち上がった選手たち

    昨年、最終的に優勝するイングランドにベスト8で敗れたスペインの選手たちは、ユーロの余韻冷めやらぬ中、チームの立て直しが必要だと感じていた。「チーム内に変えていける要素があると思う」と、主力選手のひとりだったイレーネ・パレデスは言った。「状況を変えるためには、たとえ気分のよいことでないとしても、言わなければならない時がある」

    報道とは異なり、選手たちはホルヘ・ビルダ監督の解任を求めたわけではない。それは「間違ったリーク」だったらしい。そして、選手たちが連盟に伝えた「気持ち」は、明らかに多くの人が満足するような方向にはいかなかった。数週間後、15名の選手が代表辞退を表明した。

    「私たちは、RFEF(スペインサッカー連盟)に送った文書の中で、私たち選手の精神面やプライバシー、パフォーマンス、ひいては代表チームの成績に影響を与え、望まないケガを引き起こしかねない事態が改善されるまで、招集に応じない」と、15人連名の声明を読みあげたのだ。

    RFEFはこれに対して、こうした行動は「模範的には程遠く、サッカーやスポーツの価値を貶めるものだ」と主張した。

    「RFEFは、選手たちの行動に対して、選手たちを追い詰めたりたり、プレッシャーをかけたりするつもりはないと明言したい。ただ、スペインのユニフォームを着たくないという選手を今後招集することはない。ユースの選手たちを選ばなければならなくなったとしても、責任を果たしてくれる選手たちだけを招集する」

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  • Aitana Bonmati Spain Women 2023Getty

    チームへの復帰

    その後、何カ月も事態は変わらないように見えた。ビルダ監督は何人かの新しい選手や、これまでは代表に選ばれなかった選手たちを招集。彼女らはチャンスを生かして、ユーロからワールドカップまでの間に1試合しか負けなかった。

    そして6月、ビルダ監督はワールドカップに向けて仮の代表メンバーを発表した。その中には、あの15名のうちの3人、アイタナ・ボンマティ、マリオナ・カルデンティ、オナ・バトレも含まれ、バロンドールを2度受賞したアレクシア・プテジャスもいた。あの時は代表には選ばれていなかったものの、チームメイトの声明に共感していた選手だった。この4人は最終メンバーにも選ばれた。

    「選手のストライキはとても難しい」と、ボンマティはザ・プレーヤーズ・トリビューンで語っている。「試合に出られなくなるし、おカネもスポンサーも、すべてを失う。マスコミに殺されもする。それでも私は仲間に入ろうと思った。スペインのサッカー連盟は、もっと私たちに投資するべきだと思った。大きな大会で勝つために、変えるべきことがあった。それこそが私たちの希望であり、それ以外に大切なものがあるだろうか」

    「シーズン中、ここでは私自身のことしか話せないけど、連盟から私に何度か連絡があった。私が復帰するために、選手も連盟もいくつかのことを変えなければならないと同意し、受け入れた。その時に私は、連盟が私たちに必要なバックアップをしてくれるだろうと希望をもった。だから最終的に私は今回のワールドカップでプレーすることを決めた。私は正しい判断をしたと自信をもっている」

  • Salma Paralluelo Spain Women 2023Getty

    質を深める

    「15名」はいなかったが、ビルダ監督に呼ばれた選手たちは代表に値する選手であることを証明した。スペインの女子サッカーのプレーの質は信じられないほど深まり、その多くが披露された。

    バルセロナの才能ある10代、サルマ・パラジュエロはデビュー戦でハットトリックを達成した。今シーズンスペインの得点王となったアルバ・レドンドは、ラ・ロハの先発メンバーのレギュラーとなった。レアル・マドリードで安定した活躍を見せるクラウディア・ゾルノザは、2016年に1試合出ただけの代表の出場試合数を増やしはじめた。

    今回のワールドカップでは、このことが大いに強調されていた。おそらく世界最高のボランチであるパトリシア・ギハロが不在でも、テレサ・アベレイラは本当に素晴らしかった。ゴールキーパーのカタリナ・コルはベスト16の試合でデビューし、フル代表での最初の3試合で大活躍を見せた。

    すでに実績をあげているチームに、何人かのワールドクラスの選手たちが加わって、ワールドカップでのチャンスは増すばかりだった。今年のバロンドールの有力候補のボンマティ、去年と一昨年にバロンドールを獲得したプテジャス、サッカー界最高の頭脳の持ち主のマリオナ、世界最高の右サイドバックのバトレなどである。

    「いろいろあったけれど、私たちは全員でそれを乗り越えた。目標のために、信じられないほど強く団結している」と、最近アベレイラは語っていた。「全力で戦うつもりだ。すべてがうまくいっているし、全員がひとつになっていることがわかる」

  • Japan Spain 2023 Women's World CupGetty

    残る懸念

    もちろん、それでも、15人のうち12人が今回のワールドカップに出場していない。その中には、世界最高以上の選手も多い。つまり、この大会を優勝するには足りないものがあるという懸念は残っていたのだ。グループステージで日本に4対0で負けると、その懸念は増幅された。

    この試合は、スペイン代表が屋台骨となる部分で弱さがあり、トランジションで捕まる可能性があるチームであることを露呈した。パレデスは最高のセンターバックのひとりだが、自分の前にいるギハロや、おそらくは非常に優れたセンターバックであるマピ・レオンが横にいることを見失ってしまうことがあった。

    チャンスを生かす力が証明されていないというのも事実だった。得点は失点の2倍あるものの、シュートを102本放って、たった17点である。準々決勝に進出した8カ国のうち、スペインほどビッグチャンスを生かせなかったチームはない。

    さらに、プテジャスには懸念があった。長きにわたる前十字靭帯のケガから復帰したばかりだったのだ。試合に出たのはオランダ戦の延長も半ばが過ぎてからだった。スペインには、彼女のように準々決勝で仕事をしてくれるワールドクラスの才能の持ち主が必要なのに。

    復帰後のプテジャスは多くの時間をプレーした。だが、多すぎてはいなかっただろうか。時には時間管理をそれほど徹底的にする必要がなくなるほど、彼女は回復していたのだろうか。今大会では、彼女の世界最高の才能のうち、ほんの一端しか見ていないようにも思える。もっときちんと時間管理したほうが彼女の助けになるのではないか?

  • Mariona Caldentey Spain Women 2023Getty

    歴史を作った

    実際に起こったことを見れば、スペインがこの歴史的順位に立ったということは今のチームに多く才能がいるということである。ラ・ロハは、これまで大きな大会で準決勝以上の成績をあげたことがなかった。1997年のユーロでは、決勝トーナメントが準決勝から始まったというのに。それなのに今大会は、イングランドを倒してワールドチャンピオンにまでなったのだ。

    「私たちは世界のベスト4に残ったが、ここに来たのは優勝するためだ」と、準々決勝のオランダ戦に勝利した後、マリオナは言った。「来たかったところまで来られて、幸せだ。ここにはワールドカップをとるために来た。あと2試合でそれを成し遂げられる」

    「みんな、何カ月も苦しんできた。とても厳しい数カ月だった。最後にワールドカップを勝ち取れれば、苦しんだ甲斐があったと言えるだろう」