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「Jの練習についていけなかった」。高校サッカーの得点王・福田師王がドイツを選んだ理由【インタビュー前編】

「守るほうが好きでした。相手からボールを取るのが好きで」。高校選手権の得点王は意外な過去を口にした。「そういう意味で言うと、プレースタイルは結構変わったと思います」。

兄の影響でサッカーを始めた少年は、地元・鹿児島県鹿屋市の高山FCでサッカーに親しみ、中学校から神村学園に進学。高等部を卒業するとJリーグを経ず、ドイツに渡った。欧州五大リーグであるブンデスリーガの名門・ボルシアMGで揉まれる20歳の若武者はどんなサッカー人生を歩み、どんなサッカー観を持っているのか。インタビューはサッカーとの出会いを振り返るところから始まった。【聞き手:林遼平 構成:吉村美千代/GOAL編集部】▶後編:ブンデスリーガの経験・日本代表への思いに続く

  • 20250407-shio-fukuda-interview-kamimuragauen©Kenichi Arai

    高校は楽しかった。卒業したくなかった

    ——まずは、サッカーを始めたきっかけを教えてください。

    兄がやっていたのがきっかけで始めました。小学生のころはドリブルをめっちゃしていました。チームがドリブルをすごくするチームで。ポジションはトップ下やセンターバックもやっていました。FWは全然やっていなくて、守るほうが好きでした。

    ——今とは逆だったんですね。中学校は親元を離れて神村学園中等部を選びます。その理由は?

    人工芝のグラウンドで環境が良かったことが大きいです。あと小学生の時のチームの先輩たちがみんな行っていて、先輩たちに憧れて行くことにしました。最初はやはりレベルが高くて「すごいところに来たな」と感じました。

    ポジションはいろいろなところをやりました。サイドバックやサイドハーフも。どこでもできたし、ただサッカーを楽しんでいたので、ポジションは全く気にせずにやっていました。当時の思い出としては、自分たちの年代で全国中学校サッカー大会と高円宮杯(全日本U-15サッカー選手権大会)、2つの全国大会に出られて嬉しかった記憶が残っています。

    ——その当時からプロは目指していたんですか?

    いや、全然です。目指していないと言ったらおかしいですけど、そんなに意識はしていませんでした。きっかけになったのは高校に入ってから。次の進路を考えた時に大学に行ってもう一回勉強するのは嫌だなと感じていたので、プロに行ったほうがいいと思っていました。

    ——高校時代はFWの印象が強いです。

    1年生の時からFWをやるようになりました。「4-1-4-1」のシャドーのポジションもやっていましたが、(FW転向は)高校に入ってから点を取る楽しさに気づいたことが大きいです。

    高校時代は毎日の学校生活が楽しかったですね。家族より一緒にいる時間が長くて、ずっとみんなといて、いろいろなことを話して、いろいろなところにサッカーで遠征に行ったり。楽しかったです。高校を卒業したくなかったです。それくらい楽しかったです。

    ——悔しい思いをしたことはなかったのですか?

    高校2年生の時の全国高校サッカー選手権で一回戦敗退という結果になってしまって、その時は本当に悔しかったです。自分も何もできなかったという印象だったので、そこからラスト1年は頑張りました。(選手権は)青春ですよね。やはり自分の力を示せる価値のある大会だと思います。

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  • 20250407-shio-fukuda-interview©Taisei Iwamoto

    「ついていけない」と感じたJの練習

    ——育成年代の当時、お手本にしたFWはいますか? あと理想のFW像も教えてください。

    いろいろな映像を見ていましたが、(ロベルト)レヴァンドフスキ選手は、本当にストライカーだなと思います。理想のFW像は…そんなに考えていないです。だけど、良いFWのいろいろないいところを集めて、欠点のない選手になりたいと思っています。難しいですけど、できると思います。

    ——影響を受けた指導者はいますか?

    全員です。人に恵まれてきました。いろいろな先生方や監督、コーチに成長させてもらいました。「入るシュートがいいシュート」と教わってきたので、「どんなゴールでも決められればいい」という感覚でやっています。それは今も変わっていません。

    ——育成年代からサッカーを続けてきた中で、今に生きていることはありますか?

    楽しむこと。そこは今も生きていると思います。楽しさを忘れたらプレーがうまくいかないと思っています。実際そうですし、練習や試合が始まる前に「じゃあ今日も楽しもう」という気持ちでやっています。

    ——プロを見据える上で、高校3年生の時はどんなことを考えていたのでしょうか?

    先ほど話しましたが、一番は「高校を卒業したくない」という気持ちです。それもあって進路を決める時に悩みました。Jリーグにするか海外にするか、どちらにするかも結構、考えました。

    ——Jリーグの練習参加をした際にあまりついていけなかったという報道を見ましたが、それは本当ですか?

    本当です。レベルが高くてあまりついていけなかったんです。プレースピードだったり、ボールのコントロールだったり。止める、蹴るの技術は、全然違うなと思いました。

    ——欧州のほうが、レベルが高いと感じてドイツを選んだのかと思いましたが、そうではなかったのですね。

    こちらに来た理由は、「成長できる」と感じたからです。セカンドチームがあるので試合に出られると思いましたし、もちろんクラブからも成長させてくれるという熱い思いを感じました。自分もプレーしてみてここだったら活躍できるなと思ったので、このチームを選びました。特に誰かに相談することもなく、自分の道なので自分で決めました。

    ——同世代で連絡を取り合っている選手はいますか?

    チェイス・アンリ(シュトゥットガルト)とはよく連絡を取っています。こちら(ドイツ)でしか分かり合えない話ができる仲間だし、アンリもセカンドチームからトップに上がった仲間。「キツかったよな」みたいな話をしたり、「トップに上がってからはもっとキツイよな」といった話をしたりしています。

    ——チェイス・アンリ選手はシーズン前半戦かなり試合に出場して、チャンピオンズリーグにも出場していましたね。

    悔しいです。負けたくないです。めちゃくちゃ刺激になっていますし、頑張ろうと思います。

    ——神村学園の後輩・吉永夢希選手も欧州(ヘンク/ベルギー1部)に来ました。相談に乗ったんですか?

    夢希が進路で迷っていると言った時に、「本当に自分の行きたいところを選んで頑張れば成功できると思うから」と伝えました。

  • 20250407-shio-fukuda-interview-itakura©Taisei Iwamoto

    板倉滉選手はお兄ちゃんみたい

    ——ドイツに来て約2年が経ちました。ドイツの生活には慣れましたか?

    慣れました。週1回か2回くらいは自分で料理を作って、それ以外は(板倉)滉くんの家に食べに行ったりしています。(得意料理は)肉を焼いて、ブロッコリーを焼いてみたいなものだけです(笑)。

    ——語学面、そして普段の生活は?

    週に2、3回、ドイツ語だけ勉強しています。ただ、ドイツ語はかなり難しいので英語に集中しようかとも考えています。英語はコウくん(板倉滉)が話しているのを聞いて頭に勝手に入っていく感じです。

    普段の生活は、週に2回2部練習があるのですが、それ以外だと朝普通に起きて、午前中は練習に行き、午後は休んだりしています。部屋ではTikTokを見たり、それこそ語学の勉強をしたり。日本にいる友達と電話したりとかしています。

    ——寂しさを感じたりしますか?

    「寂しいな」というのはないですけど、夜寝る前に「みんなと遊びたいな」とは思います。ただ、それを考えていたらいつの間にか寝ているので、起きたら忘れています。

    ——プライベートで仲の良い選手はいますか?

    板倉滉選手です。お兄ちゃんみたいな存在で、人としても優れていると思います。いつも一緒にいて、お世話になっています。いろいろなもの、洋服のお下がりをもらったりしますし、初ゴール祝いももらいました。本当にいいお兄ちゃんだと思います。

    プレーヤーとしてもかなり賢くて頭が良くて。トレーニングでCBとしてボールを持った時に、自分がプレスに行くんですけど、取れない。うまいです。相手の逆を突くのがすごくうまいです。

    ▶後編:ブンデスリーガの経験・日本代表への思いに続く

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    【前編】

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