2005年初頭、ニューカッスルの中にベン・アルファを買いたがった人たちがいた。The Athleticによると、モンゴメリは当時15歳だったベン・アルファと契約するようクラブに頼んだという。その時、彼は50万ポンド(約9000万円)で買えたが、リヨンとプロ契約を結んでいなかった。だが、フランスで天才と呼ばれていたにも関わらず、ニューキャッスルの経営陣は彼の噂を聞いたことがなかった。
8年後、ニューカッスルは5倍の金額を払い、性格に関して問題視されていた23歳のベン・アルファを買い取りオプションつきのレンタルで獲得。ベン・アルファは2年前のリヨンの時と同じように楽し気にマルセイユを去ったが、どうして出ていくのかについては曖昧に説明した。
「クラブのスタッフは俺なんかどうでもいいんだ。ニューカッスルからのオファーを受けないなら、俺は自分のキャリアを保留にするつもりだった。俺はただの汚れた洗濯物じゃないし、ク○でもない」
こうして、ベン・アルファには素晴らしい才能があるにせよ、カササギは巨大なリスクを負うことになる。その恐れはすぐに、完全なデビューの舞台での得点で消え去った。ベン・アルファはグディソン・パークでの1対0で勝った試合で、30ヤード(約27メートル)のシュートを決め、ホームで名乗りをあげたのだった。
その後の有名な事件も、それがもし彼のデビューシーズンが10月に終わってしまうこととなった脚の複雑骨折だけが原因だったのなら二度と起こらなかっただろう。翌年はベン・アルファにとって、プロとしておそらく最高の年だった。彼のカリスマ的ヒーロー像を強固なものにするシーズンだったのだ。5得点6アシストを記録し、ニューカッスルをまさかのイングランドのトップリーグで5位に押しあげたのである。
「彼は恐ろしいほど素晴らしかった。誰もが彼に魅了されるという噂は聞いていたが、それをすぐに目の当たりにしたんだ。彼には生まれつきの才能と嗅覚があった」と、元マグパイズのMFジェームズ・パーチは回想する。
そのシーズンにはニューキャッスルのチームとしてのパフォーマンスやデンバ・バのリーグ戦16得点以上に記憶されることがある。それは、プレミアリーグの伝説に刻まれることとなる、ある「走り」である。それは、おそらくそれまで誰も見たことのないものであった。ベン・アルファがボルトンのディフェンダーの周りを半身の内側でクルリと回り、猛然と走りだしたのである。タックルを避け、別のディフェンダーが突っこんでくるのをボールをふわっと蹴りあげて交わすと、ゴールキーパーがどうしようもないフィニッシュを決めた。それは今でもプレミアリーグ史上最高のゴールのひとつであり、YouTubeでは派手なタイトルをつけて編集され、公開されている。
そしてそれがベン・アルファのイングランドでの絶頂だった。まだ24歳だったが、イングランドでの最後の3年間はチームメイトとも監督ともうまくやることができなかった。ある時、クラブのキャプテンだったファブリシオ・コロッチーニが当時のアラン・パーデュー監督のもとに行き、ベン・アルファをベンチに座らせたままにするよう頼んだが、それは彼が先発するならプレーしたくないと残りのチームメイトたちが言う恐れがあったためだった。
事態の収束に向け、ベン・アルファはハル・シティにレンタル移籍で出された。のちに彼はその時の自分はマイク・アシュリーがオーナーだったマグパイズが弱体化する中での「囚人」だったと言っている。2014年末、ニューキャッスルは契約満了の6週間前にベン・アルファとの契約を終了させた。