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メッシ、ネイマールら…21世紀の南米選手ベスト25ランキング

何年かに一度は1人か2人、南米出身の素晴らしい選手が現れる。もちろん、ディエゴ・マラドーナ、ペレ、リオネル・メッシは別格だが、歴代最高のサッカー選手のリストを見れば、南米出身ばかりなのがわかるだろう。

それは最近でも変わらない。その筆頭はもちろんメッシだが、サッカーが世界で最も裕福なクラブに提供すべき最大の賞のいくつかの獲得に大きく貢献してきた南米出身選手は、メッシだけではない。

では、21世紀これまでの南米出身選手をランキングしたら、どうなるだろうか。25年が過ぎようとしている今、GOALがトップ25を発表する。

  • Uruguay v Panama - International FriendlyGetty Images Sport

    25エディンソン・カバーニ

    もともとパレルモとナポリというイタリアのクラブで頭角を現したエディンソン・カバーニは、2010年代に成功したパリ・サンジェルマンの立役者になった。リーグ・アンで6回優勝する間に、200得点を決めてクラブ歴代最多得点選手となったのである。この数字は、その後キリアン・エンバペが更新した。

    2011年のコパ・アメリカ優勝やウルグアイ代表で通算58得点を決めたことを見れば、現代サッカーでの偉大な選手のひとりであることがわかるだろう。マンチェスター・ユナイテッドでは期待どおりの活躍ができなかったとしても、「エル・マタドール(闘牛士)」はボカ・ジュニアーズで自身の伝説を更新し続けている。アルゼンチンの巨人と呼ばれるチームでほぼ1試合おきに1点のペースでゴールを決めているのだ。

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  • Arsenal v Sunderland - Premier LeagueGetty Images Sport

    24アレクシス・サンチェス

    2010年代半ばにアレクシス・サンチェスがチリ代表とアーセナルの両方で活躍したことは忘れられがちである。このストライカーは、まずウディネーゼで名をあげた後、バルセロナへ移籍し、その後北部ロンドンに行って、ガナーズを2度のFAカップ制覇に導き、2016-17シーズンに30得点を挙げた。

    しかしながら、おそらく彼の最高の瞬間は、2015年のコパ・アメリカで、PKをパネンカで決めて母国に勝利をもたらしたことだろう。それまでのチリ代表に彼のように頼りになる優秀な選手はいなかった。マンチェスター・ユナイテッドやインテルでは期待どおりの活躍ができなかったとしても、絶好調の時に試合で発揮された彼の影響力のすごさに疑う余地はない。

  • Atletico Madrid's Uruguayan forward DiegAFP

    23ディエゴ・フォルラン

    21世紀当初のマンチェスター・ユナイテッド最大の移籍の失敗のひとりとみなされているディエゴ・フォルランが、オールド・トラッフォードでのさえない時期を忘れさせ、2000年代後半にはサッカー界で最も決定力のあるFWのひとりとなれたのは、ひとえにその人柄あってのことである。

    まずビジャレアルで、その後アトレティコ・マドリーで、ラ・リーガの得点王となり、2度ヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得した。2010年のヨーロッパリーグ決勝で2得点を決めてフラムを下し、アトレティコ・マドリーを優勝に導いた。

    代表でのフォルランは、南アフリカで開催された2010年ワールドカップで最多得点タイとなって大会のベストイレブンに選ばれた。その翌年にはウルグアイをコパ・アメリカ優勝に導いている。一言で言って、同世代で最も過小評価されているひとりである。

  • FC Porto´s forward from Colombia RadamelAFP

    22ラダメル・ファルカオ

    2010年代、ラダメル・ファルカオがサッカー界で最も決定力のあるストライカーだと堂々と主張できる時代があった。「エル・ティグレ(虎)」は、ひとえに、時が経つにつれてスピードが落ち、ケガのせいで思うように体が動かなくなってきたせいでキャリアを終えようとしているが、クラブでは1試合おきに1得点という平均値を残す可能性が高い。

    リーベル・プレートで恐るべきFWとして台頭したファルカオは、ポルト(87試合で72得点)とアトレティコ・マドリー(91試合で70得点)でヨーロッパリーグを連続優勝し、脅威のFWであり続けた。モナコでは10代だったキリアン・エンバペと恐るべきコンビネーションを見せ続け、2017年にリーグ・アン優勝とチャンピオンズリーグ準決勝進出を果たした。マンチェスター・ユナイテッドとチェルシーでは期待どおりの活躍ができなかったが、ヨーロッパでの彼の伝説は今なお強い印象を残している。

    コロンビア代表でも36得点で最多得点記録を保持しており、最近ではコロンビア代表として初めて通算350得点を達成した。

  • Barcelona v Club Atletico de Madrid - Spanish Super CupGetty Images Sport

    21ハビエル・マスチェラーノ

    同世代の中で最も多才な選手のひとり、ハビエル・マスチェラーノはリヴァプールでは屈強な守備的MFだったがバルセロナで技術に優れたセンターバックとなり、カンプ・ノウでのジェラール・ピケとのコンビは敵をほとんど寄せつけなかった。マスチェラーノはブラウグラナで5度のラ・リーガ優勝と2度のチャンピオンズリーグ制覇を含む20個のトロフィーを獲得し、2013-14シーズンにはリオネル・メッシや他の選手たちを凌いでクラブのシーズン最優秀選手賞を獲得した。

    アルゼンチン代表としては、ワールドカップで1回、コパ・アメリカで4回も決勝に進出したがいずれも敗れたものの、国際大会という意味では、オリンピックで2度金メダルを獲得している。

  • Carlos Tevez Man UtdGetty

    20カルロス・テベス

    テベスはどこに行っても勝者であり、マンチェスター・U、マンチェスター・C、ユヴェントス、ボカ・ジュニアーズで成功を収めた。しかし、おそらく彼の一番の特徴はその多才さであり、点取り屋としての本能を抑えて他の選手のためにすすんでスペースを作るような選手であった。少なくともオールド・トラッフォードではクリスティアーノ・ロナウドのためにそうしていた。

    マンチェスター・Uからマンチェスター・Cに移籍したため、物議をかもす人物となってしまったが、マンチェスター・Cのプレミアリーグ初優勝に貢献した。とは言え、そのせいで彼のレガシーが汚れることはなかった――少なくともオールド・トラッフォード以外のところでは。最終的に291得点を記録したことが彼のキャリアのすべてを物語っている。

  • Hernan Crespo ChelseaGetty Images

    19エルナン・クレスポ

    2000年代初頭のアルゼンチンには素晴らしいFWがそれなりの数いたが、その中の一番はクレスポだった。彼の全盛期は1990年代のパルマだったが、まずチェルシー、その後ミラン、後にはインテルのために大活躍し、数多くのトロフィーを獲得した。

    2000年代に入る頃から得点数は減っていったが、それでも年に最低15得点は記録している。代表チームでの活躍も素晴らしく、アルゼンチン代表歴代第4位の得点数を誇る。このリストに載る他の選手たちに引けを取らない偉業である。

  • Javier Zanetti con la Champions League vinta dall'Inter nel 2010Getty

    18ハビエル・サネッティ

    23年のキャリアを誇るサネッティは、よく鍛錬された右サイドバックで、次々に勝利を獲得していった。インテルでは5度のスクデット、4度のコッパ・イタリア優勝、1度のチャンピオンズリーグ制覇を含む、16個のトロフィーを獲得している。

    だが何よりも目立つのは、サネッティの忠誠心である。このサイドバックは、インテルを出ようと思えば何度もそのチャンスがありながら、残留し続けた――最後の数年はクラブでの役割が減っていくことを受け入れながら。ジャンルイジ・ブッフォンとパオロ・マルディーニに次ぐ、セリエA最多出場試合数を誇っている。サッカー史上最も成功したチームのいくつかでキャプテンを務めたという事実を見ても、サッカー界のレジェンドであることは間違いない。

  • Vinicius Junior Imago

    17ヴィニシウス・ジュニオール

    今後数年で、ヴィニシウスはこのリストのランキングを際限なくあげていくことだろう。すでにサッカー界の偉大なウイングのひとりであり、3度のチャンピオンズリーグ制覇を誇り、いずれバロンドールを獲得することも間違いない選手である。

    だが何よりも重要なのは、ヴィニシウスが大人気の選手であることだ。サンバはサッカーから消えつつあるように見え、個性の表現も減っていき、サッカー選手たちは戦術を実行するロボットまたは点を取るためのマシーンになるよう訓練されている。だがヴィニシウスはまだ何でもできる。現時点で、毎シーズン当然のように20得点を決めているのだ。だが、このウイングは単純に、自分ができることをしようとしているだけだ。ネイマールやロナウジーニョといった先輩たちと同じく、ヴィニシウスは即興でプレーすることができ、そのせいで罰を受けることのない選手である。

    すでにこのブラジル代表は世界最高の選手と言っていい。しかも彼の旅はまだ始まったばかりなのだ。

  • Angel Di Maria World Cup finalGetty

    16アンヘル・ディ・マリア

    レアル・マドリーでは素晴らしく、PSGでさらに活躍したディ・マリアは過去20年で最も才能あるワイドの選手のひとりである。ロス・ブランコスでは獲得できるものすべてを手に入れ、ついに2022年ワールドカップではアルゼンチン代表として国際大会での栄光を手に入れた。

    その当時、メダル獲得は2番目に重要なことであると思っていただろう。レオ・メッシは「GOAT」であることを証明するために勝つことが必要だったかもしれないが、ディ・マリアはそれにもっとふさわしかったかもしれない。彼は決して世界最高の仲間入りはしなかったが、チームのためになるのならば、個人的な成績をすすんで犠牲にする――もしくは自分のサッカーを犠牲にできるウイングだった。そのことは、アルゼンチン代表としてのキャリアをコパ・アメリカで締めくくった時の、2度目の主要国際大会優勝によって証明された。

    真のレジェンドであり、今でも高いレベルでサッカーを続けている。

  • Casemiro Real MadridGetty

    15カゼミーロ

    残念ながら、カゼミーロがレアル・マドリーにとってどれだけ重要だったか、このところのキャリアで忘れられてしまっている。主に背番号6として、調子のよい時のカゼミーロはおよそどんなことでもできた。激しいタックルを受けてもどこ吹く風で、アタッキングサードでパスを受けていた。

    あの時のレアル・マドリーの中盤――トニ・クロース、ルカ・モドリッチ、カゼミーロ――は歴代最高級だと広く認められていた。それには理由がある。クロースがパスの名手で、モドリッチはボックス・トゥ・ボックスのマエストロだったが、そのどれも、2人の間で何でもこなすカゼミーロがいなければ機能しなかった。カゼミーロ個人のインスピレーションも相当のものがあった。他のトップクラスの守備的MF――ファビーニョ、ロドリ、ブルーノ・ギマランイス――がカゼミーロの後に続いた。その全員がカゼミーロのスタイルから少なくとも何かを借りていると言える。

  • Juan Roman Riquelme Boca Juniors Copa LibertadoresGetty

    14フアン・ロマン・リケルメ

    ボカ・ジュニアーズでどれほど成功したかを考えれば、リケルメがヨーロッパでまったく振るわなかったことは非常に残念である。だが、このアルゼンチンMFのなめらかなプレーの動画を何度も見直せば、彼がどれほど素晴らしい選手だったか、よくわかる。彼の良さは今でも数字で表すのが難しい。実際、リケルメ個人の才能はほぼ唯一無二で、トップレベルでの優勝経験が少ない理由は謎である。それでも彼は稀有なセンターハーフであり、彼のプレーは見るに値する魅力的なもだった。点取り屋でもアシスト屋でもなく、リケルメはただ、サッカーをいとも簡単にサッカーたらしめていた。

    本当に観ていて楽しい選手であり、コパ・リベルタドーレスを3度制したリケルメは、サッカー愛好家や「ボールを知る者」の記憶に永く残ることだろう。

  • Rivaldo - Brazil 2 x 1 Turkey - World Cup 2002

    13リバウド

    このリストの掲載条件を90年代後半までさかのぼれるのであれば、リバウドは5位までに入る権利があっただろう。だが彼の全盛期は世紀をまたいだ20年であった。実際、2度のバロンドール受賞は90年代後半のことで、バルセロナに所属していた時だった。

    とは言え、21世紀になってからもリバウドは絶大なインパクトを残しており、2002年ワールドカップのブラジルの中心選手であり、優勝したブラジルが決勝で挙げた2得点両方に関与している。

    サッカー選手としての晩年にはギリシャや東ヨーロッパでプレーしていたが、そこでもリバウドは輝くような才能を見せた。「怪物」ロナウドとともにプレーしていたため、現在までやや過小評価され続けており、彼のような才能を持つサッカー選手にとって本当に残念ことである。

  • Alisson Becker Liverpool Premier League 2023-24Getty

    12アリソン

    ゴールキーパーの成功は、どう測ればいいのだろう。評価することが難しいのは確かだが、アリソンに関してはかなり簡単かもしれない。彼はリヴァプールをチャンピオンズリーグ本大会出場が目標だったチームから優勝チームに変えたのだ。

    ここでも、その中身が重要だ。リヴァプールは2018年のチャンピオンズリーグ決勝で敗れたが、その主な原因は当時のGKロリス・カリウスが2度も重大なミスを犯したからだった。そのためレッズはアリソンを加入させ、彼は12カ月後、決定的なシュートを何度も止めて、最後のスパーズの抵抗をはねのけた。そのおかげでユルゲン・クロップのチームは1年前には手が届かなかったトロフィーをつかんだのである。

    足技にも優れ、1対1にも恐ろしいほど強いアリソンは、歴代の南米最高のGKのひとりになることだろう。アルネ・スロット新監督の下でも、相変わらずトップレベルのプレーを続けている。

  • Marcelo Real MadridGetty Images

    11マルセロ

    マルセロは非常に優秀なサイドバックである。だが、本当に重要なのは、それではない。彼のプレーで素晴らしいのは意表をついたパスや笑ってしまうほど見事なファーストタッチ、観客を魅了する華やかさなのだ。

    マルセロのような技術を持った選手はほとんどがウイングか、またはFWである。ところが彼はもっと深いエリアから試合を組み立て、巧妙なスキルや長距離のピンポイント・パスで試合をコントロールできる。プロになってからずっと、彼の派手なプレーや見事なファーストタッチの動画はネットにあふれかえっている。

    ラ・リーガで6度、コパ・デル・レイは2度、そしてチャンピオンズリーグで5度の優勝を果たしたマルセロは、これまでのサッカー界で最高の左サイドバックのひとりである。

  • Roberto Carlos Real MadridGetty Images

    10ロベルト・カルロス

    マルセロの前にはロベルト・カルロスがいた。90年代後半、彼はおよそ何でもできる攻守に優れたサイドバックだった。

    確かに彼の前にも攻撃的なサイドバックは存在したが、強力なカルロスのようにフルスピードでサイドを往復できる選手はいなかった。カルロスは10年にわたってロス・ブランコスの巨人だった。かつてのサイドバックではありえなかった、アタッキングサードでの貢献が素晴らしく、レアル・マドリー所属の11年で71得点を決めた。ワールドカップで優勝したブラジル代表でも同じ役割を果たしたカルロスを過小評価することはできない。

    最近では、FKでの「バナナ・シュート」が最もよく知られているが、彼はそれだけの選手ではない。

  • Ronaldo Brazil 2002Getty

    9ロナウド

    ロナウドは、膝のケガでキャリアが奪われることがなければ、歴代最高の選手になっていたはずだと言える。

    ストライカーとして、彼にはすべてが備わっていた。スピード、パワー、見事なスキルを持ち、どちらの足でもシュートが決められた。彼の引退以降、ブラジルは彼のようなストライカーを探し続けており、フラストレーションが溜まったままである。彼は唯一無二の才能の持ち主だった。

    しかし、このリストに載っている他の選手たち同様、彼の全盛期は90年代後半だった。それでも、片方の膝が働かなくても世界最高の選手のひとりであることを証明してみせたことは有名である。

    本来なら、2002年ワールドカップに出場する前に引退していてもおかしくなかった。ところが彼は得点王になり、その年のバロンドールを受賞した。スポーツ史における最高の復活劇のひとつであり、伝説の選手にふさわしいクライマックスだった。

  • Sergio Aguero Manchester City 2011-12Getty

    8セルヒオ・アグエロ

    アグエロは2012年プレミアリーグの優勝を決めたゴールだけでも、このリストに載ることができるだろう。マンチェスター・Cの初タイトル獲得を決めた、角度のないところからゴールネットの裏へ叩きこんだ、あの有名なゴールである。

    マンチェスター・C在籍中にさらに183得点を積みあげたことは素晴らしかったが、アグエロはある意味、不運だった。アグエロがまだ全盛期だった頃から、センター・ストライカーを立てるという考えを持たなくなっていたペップ・グアルディオラによって、マンチェスター・Cから徐々に追いだされるようになっていったのである。そして彼が移籍したすぐ後、スペイン出身監督は、より背が高く力の強いアーリング・ハーランドを加入させたのだった。

    それでも、アグエロのオールラウンドな能力は過小評価できるものではない。数年にわたる彼の貢献がなければ、マンチェスター・Cは現在のような強豪になれなかったはずである。

  • THIAGO SILVA PSG NANTES LIGUE 1 01192014Getty Images

    7チアゴ・シウヴァ

    歴代最高の華やかなセンターバックのひとり、チアゴ・シウヴァは、2010年代にまずミランで、ついでPSGで強烈な存在感を示した。両チームでキャプテンを務め、その後チェルシーでも、守備で圧倒的な存在感を示し、ボール扱いがうまかった。

    シウヴァがトップ・プレーヤーになることは初期の段階から明らかだった。ミランに加入してからすぐに先発レギュラーに定着し、2、3年でワールドクラスの選手に成長した。2012年のセリエA優勝で実力を証明し、その後センターバックとしては世界記録となる報酬でPSGに移籍した。

    パリでもさらに活躍し、7度リーグ・アン優勝を果たし、クラブ史上最も長く、キャプテンを務めた。さらにチェルシーではフランスでもイタリアでも果たせなかったことを果たした――2021年チャンピオンズリーグ決勝で勝ったのである。

  • Cafu Brasil campeão Copa do Mundo 2002Getty Images

    6カフー

    カフーの全盛期はサンパウロとローマに在籍していた90年代後半かもしれないが、ミランでもカルロ・アンチェロッティの下で絶大な存在感を示していた。

    サッカー史上最高のバックラインを構成した選手のひとりであり、ミランではパオロ・マルディーニやアレッサンドロ・ネスタらとともにプレーして数年にわたりセリエAを支配し、2003年にはチャンピオンズリーグ制覇を果たした。

    2度ヨーロッパ・カップを制覇し、ワールドカップ優勝を果たしたブラジル代表のキャプテンを務めた伝説の右サイドバックは、サッカー界の若い選手の手本であり続けている。

  • Luis Suarez Barcelona vs Manchester CityGetty Images

    5ルイス・スアレス

    スアレスはプレーする度に成功を収めた。リヴァプールで存在感を示し、バルセロナではさらに素晴らしい選手となり、おそらくインテル・マイアミのMLSカップ制覇の希望を背負っている元ウルグアイ代表は、何度も優勝経験のある、存在感たっぷりのストライカーである。

    ピッチでのスアレスにできないことは「ない」。どちらの足でもシュートを打つことができ、絶妙なドリブルを見せ、何度も魔法を見せることのできる個人的な才能の持ち主で、全盛期には誰にも止めることができなかった。リヴァプールで31得点を決め、当時のプレミアリーグの最多得点記録を打ち立てた2013-14シーズンは、イングランドのトップリーグ史上、個人として最高のシーズンのひとつであり続けている。

    喧嘩っ早い――時には喧嘩っ早すぎる――スアレスは、おそらく世代最高のストライカーであろう。

  • AC Milan's Brazilian midfielder Kaka posAFP

    4カカ

    カカがミランを去ったことが残念なことであることは間違いない。2007年にバロンドールを受賞し、2度のチャンピオンズリーグ優勝を誇るカカは、イタリアでさらに多くのことを成し遂げた。

    しかし、だからと言ってミランでの彼の評判が汚されることは決してない。優雅なプレーをする背番号10は、そのポジションで何ができるかを再定義した。オーソドックスな背番号10よりも身体が大きく力強いカカは、当時スケールの小さいトリックスターと言われていたが、その体格と圧倒的な個人的スキルを発揮して、攻撃的エリアを走りまわった。

    レアル・マドリーでも活躍し、ラ・リーガとコパ・デル・レイで優勝した。だが、本当の魅力は、この長身の背番号10が、ずっと小柄な選手と同じように機敏に動けることである。オールド・トラッフォードでのマンチェスター・U戦での得点は、最近のサッカー史上個人が決めた最も輝かしい得点のひとつである。

  • Neymar Barcelona Granada La LigaGetty Images

    3ネイマール

    ネイマールの足首が動きさえしたならば! ブラジルのウイングは、歴代のサッカーボールを蹴った最高の選手のひとりであり、全盛期には彼を凌ぐ選手はほとんどいなかった。だが無分別なPSGへの移籍と相次ぐケガが、彼ほどの絶大な才能を持った選手にふさわしい栄誉から彼を遠ざけてしまった。

    実際、ネイマールには批判も多い。彼は簡単に倒れすぎる。「プロ意識」という概念に無頓着な態度には疑問が投げかけられた。だがネイマールを愛することはその不条理さをすべて受け入れることであり、足元にボールがあれば本当に何でもできるという、とんでもない才能をただ受け入れるということなのだ。

    そしてたぶん、ここでは「たられば」にも意味があるだろう。全盛期には間違いなく世界最高の選手だったネイマールはトップ5に入ることができた。彼自身の実績によって、彼は偉大な選手たちのすぐ隣にいるのだ。そしてそのことこそが大事なのである。

  • Ronaldinho BarcelonaGetty

    2ロナウジーニョ

    かつてサンティアゴ・ベルナベウを足元に置いた男、ロナウジーニョは単純に言って、観ていて信じられない選手だった。息の長さに関わる点数はほとんど取れないだろうが、その技術だけでトップ3に入る選手である。

    このリストに載る他の数人と同様、ロナウジーニョはサッカーのプレーぶりだけでなく、人格でも点数を獲得している。実際、サッカーで彼に出来ないことはなく、2006年にバロンドールを受賞しただけで充分だ。だが、時に自滅的な個性も、その魅力のひとつである。必ずしも常に努力しなければならないわけでもなく、あれほど素晴らしいということに、真の美しさがある。

    事実、ロナウジーニョは今でも、そのプレーがハイライト動画で配信され続けている。

    だが、第1位の選手には誰も近づけない。

  • messi world cup(C)Getty Images

    1リオネル・メッシ

    8度のバロンドール受賞。あらゆる栄冠を獲得。クラブと代表でキャプテン。GOAT。843得点、375アシスト(今も更新中)。他に何か言う必要があるだろうか。

    メッシとC・ロナウドが長く比較されてきたことは、いささか不可解だ。あのポルトガル代表選手は完璧にチューニングされたサッカーのマシーンのように思われ、その才能の最後の一滴まで出し切ることを強いられた選手である。一方メッシは、現在まで、すべてがあまりにも簡単に見える。全盛期には――バルセロナでの時代が最高潮だった――メッシはひとりで敵を倒した。絶妙なゴールあり、奇跡のようなアシストあり、数え切れないほど何度も、ボディ・フェイントで取り囲む相手DFをひっくり返した。

    今でもインテル・マイアミで、脚が弱ってペースは落ちても、メッシはどんなゲームでも自分のものにできる。37歳にしては素晴らしいではないか。