涙、涙で幕を閉じた“モドリッチのレアル・マドリー”：とにかく心を打つ「愛さない方が難しい」39歳の物語

2025年5月24日、レアル・マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウは、涙を拭うための大きなハンカチに姿を変えた。

ラ・リーガ最終節レアル・ソシエダ戦、ルカ・モドリッチはベルナベウでのラストゲームに臨んだ。先発出場で、いつも通りボールを動かし自分も動くプレーでチームを導き続け、86分についにその時が訪れた。交代ボードに輝く「10」の数字。それを目にしたスタジアム内の全ての人が、一斉に席を立って拍手をし始める。ピッチ上で整列して花道をつくったマドリー＆ソシエダの選手たちも、盟友トニ・クロース含めて抱擁を交わそうとピッチ外で待ち受けるチームメート・関係者たちも、全員が痛いくらいの強さで手を叩いていた。

その光景はベルナベウの一番高い位置にある記者席でも、眼前の観客席でも変わらない。モドリッチがピッチから下がり、試合が再開されるまでの約3分間、皆が立ち上がって喝采を送り続ける……それだけではない。多くの人が、その目に涙を浮かべていた。男性も女性も、子供も中年も老人もティーンエイジャーも。一人ひとりがほかの人とは違っていて、しかし、その全員がどうしようもなく自分自身と同じだった。

誰もが、モドリッチというフットボーラーを深く愛していたのだ。

5月22日、マドリーはモドリッチに対して、契約を更新しないと通達した。

モドリッチの残留希望は揺るぎなく、元チームメートの新指揮官シャビ・アロンソも「彼にしかできない役割がある」と考えて、その意思を汲むつもりだった。そのために契約延長は近づいているとの見解が大挙を示していたが、クラブの判断は違った。フロレンティーノ・ペレス率いる首脳陣は、今季を無冠で終えたこともあって、若手らにさらなる出番と責任を与えることこそが、“常勝軍団レアル・マドリー”にとっては最善と決断している。

同日中にモドリッチの退団が発表され、スペイン、ひいては世界中に動揺が渦巻いた。国内の複数メディアが実施したアンケートでは、60～70％が「彼を残すべきだ」と、首脳陣に反対の意思を示している。

今年9月で40歳となる選手が、世界一要求の厳しいマドリーでこれだけ残留を求められるなど、普通ならばあり得ないことだ。もっと言えば、39歳でマドリーの10番を背負い、フル稼働は難しくとも、いまだ誰より卓越したMFであることは奇跡的だった。ただ逆説的に、だからこそ首脳陣の「モドリッチに頼り続けてもいけない」「シャビ・アロンソ新体制を一区切りにしなければ」「彼がほかのMFの台頭を妨げている」という意見は、説得力を備えることにもなった。

それでも……モドリッチにもう1年だけ、引退までいてほしかったという思いは簡単に飲み込めるものではない。それは、皆が彼との間に深い結びつきを感じているからだ。マドリディスタにとって、モドリッチは愛さない方が難しかった。

モドリッチは心を打つ。そのプレーを見る者に、何度となく「上手い」と口にさせる。類い稀な戦術眼を有し、多彩なパスを駆使してプレーリズムやプレーサイドを変え、ショートパスで味方と連係を取りながら、自ら絶えず動き続けてチームにダイナミズムを与える……。年齢を重ねる毎に、そのプレーは円熟味を増した。

だが、モドリッチはそれだけで特別なのではない。彼は「上手い」だけでなく、「熱い」とも言わしめる。あれだけ上手くても、相手からボールを奪うために白いユニフォームを汚すことを厭わない。自分の持つとびっきりの才能を、チームを勝たせるためだけに使える。その闘争心、プレーへの気持ちの込め方は常軌を逸するほどで、カルロ・アンチェロッティは、それがモドリッチを唯一無二のフットボーラーたらしめていると説いた。

「高いクオリティーを持つ選手はたくさんいるが、モドリッチはほかとは一線を画している。彼はクオリティーと魂を結びつけることができた。それが彼という選手の鍵を握るんだ。その二つを結びつけたからこそ、伝説になれたんだよ」

クオリティーと魂を結びつけられる……だからモドリッチがいるマドリーは強かったのだ。マドリーは2014年から2024年まで、合計11シーズンで6回のチャンピオンズリーグ（CL）優勝を成し遂げたが、クロアチア人MFはその黄金期の始まりを担い、監督も選手たちも入れ替わっていく中で常に中心に位置し続けた。“モドリッチのマドリー”……いま振り返れば、そう称したって差し支えない。

始まりは2013-14シーズンのCL決勝、アトレティコ・デ・マドリーとのダービーだ。0-1ビハインドのまま後半アディショナルタイムを迎えたマドリーは、92分48秒にモドリッチのCKから彼の親友セルヒオ・ラモスが起死回生のヘディング弾を決めて、延長戦で逆転勝利を果たした。モドリッチは当時のことを、こう振り返る。

「1分間で2回目のコーナーキック。今回は完璧なボールを送ろうと心に決めた。僕は落ち着いていたけど、その場の空気は刺すような緊張感に満ちていた。この瞬間にすべてが変わり得る、そんな雰囲気があった。クロスの軌道は申し分なく、S・ラモスが飛び上がるのを目にして、ボールが枠に入ると確信した。シンプルかつ、完璧なプレーだった」

「あのゴールは何度も見返した。多くの人にとって、マドリーの歴史を変えた一瞬となった。自分がその一部になれたことがうれしい。ただ、あのゴールを見るたびに僕は不安になってしまう。『もしクロスをうまく上げられていなかったら？』『セルヒオがもう1センチ左にシュートを打っていたら？』『ボールがポストに当たっていたら？』と考えてね。だけど、ボールは枠に入った。あの映像を見て、あの瞬間を思い出す度に鳥肌が立つんだ」

こうしてマドリーの新たな黄金期は始まり、モドリッチがあのCKで示した“クオリティーと魂の結びつき”が再現され続けた。“モドリッチのマドリー”はたとえ劣勢でも、ビハインドを負っていても動じなかった。絶対に勝つと闘争心をたぎらせ、ワンプレーにマドリーの選手ならではの極上のクオリティーを込めて、数々の劇的勝利を成し遂げていった。

とりわけ語り草なのが、2021-22シーズンのCL優勝だ。マドリーはPSG、チェルシー、マンチェスター・シティと、決勝トーナメントで対戦した強敵をベルナベウでの2ndレグですべて劇的に打ち破り、決勝でリヴァプールを下してビッグイヤーを掲げた。あのチームを導いたのも、モドリッチだった。0-1で敗れたPSGとの1stレグ後、彼は「やってやろうぜ。ここでPSGを倒せるなら優勝までいけるはずだ」と奮起を促し、実際にスコアをひっくり返した。また次のチェルシーとの2ndレグでは、「史上最高クラスのアシスト」との呼び声高い、あのアウトサイドのロングパスでロドリゴの劇的ゴールを導いたが、あれもまたシンプルかつ完璧な、針の穴に糸を通すようなプレーだった。何度見返しても、鳥肌ものだ。

マドリーはそのシーズン以降もベルナベウで“魔法の夜”を繰り返したが、その中心にはいつだってモドリッチがいた。彼は言った。「偶然なんかじゃない。これがレアル・マドリーなのさ」と。

モドリッチは心を打つ。それは彼がどれだけ熱くても、フェアであり、謙虚であるからだ。純粋にフットボールとレアル・マドリーを愛しているからだ。

「僕はとにかくフットボールを愛してきた。この足が動く限り、ボールが言うことを聞く限りプレーし続けようと思っている。100％、フットボールに尽くしていくよ」

汚い手など使うことなく、真摯にフットボールに取り組んできたモドリッチは、他クラブのサポーターからも敬意を集めた。アウェースタジアムで、彼が交代する際に喝采が起こるのは、何年も前から見慣れた光景だ。宿敵のバルセロナやアトレティコのサポーターでさえ、モドリッチには悪態をつかない。

マドリーへの愛にしてもそうだ。クリスティアーノ・ロナウドが年俸額、S・ラモスがベテラン選手の1年毎の契約更新に納得がいかず、クラブを後にする道を選んだが（それもマドリーの選手らしいエゴの強さではある）、モドリッチは2021年からピッチ上のプレーでもって1年契約を勝ち取り続けた。それも昨夏にはサウジから破格オファーが届いたにもかかわらず、大幅な減俸を受け入れてまでマドリーに留まることを望み、今回さらなる減俸に応じる覚悟もあった。

キャリアの限界までマドリーの選手であることにこだわろうとしたモドリッチは、キャリアの最高地点で引退することにこだわったクロースとはまた異なりながらも、最大限の夢を描いていた。最後まであきらめない姿勢は不撓不屈の精神を根幹とする“マドリディスモ（マドリー主義）”そのものだったが、それが老いていく者を置き去りにするマドリーのもう一つの側面とぶつかった。……だからといって、一体誰が彼を馬鹿にできるのか？　闘い続けるモドリッチは、喝采を送り続けなければならない、愛すべきフットボーラーだ。

ベルナベウで起こった拍手は一向に鳴り止まない。皆が涙を湛え、モドリッチに向かって手を叩き続けている。数々の“魔法の夜”を一緒に過ごしたスタジアムで、もう彼のプレーを見ることはかなわない。

モドリッチは、マドリーの新たな黄金期をともにスタートさせたS・ラモスが退団したとき、こんなことを語っていた。

「セルジ（ラモス）がいなくて寂しいが、変化は人生の掟であり、彼みたいにすべてを勝ち取った選手も例外じゃない。このクラブはレアル・マドリーなんだよ。マドリーは今いる全員がいなくなってもトロフィーへの道を歩み続ける。僕たちは過ぎゆく存在で、マドリーだけが永遠なんだ」

そう言ったモドリッチも、自分の番が来れば泣いていた。ベルナベウに向かうチームバスの中でも、ロッカールームでも、ピッチの上でもあふれる涙をせき止められず、その様子を目にする人々も涙の量をさらに増やした。しかし、それでも……彼はクオリティーと魂を結び合わせたプレーで、マドリーの劇的勝利を率先してきた人間だ。試合後のスピーチでは、コロンビア人作家ガブリエル・ガルシア＝マルケスの言葉を引用して、皆にあえて笑うよう呼びかけていた。

「終わったことに泣かないで、それが起こったことに笑おうよ」

「マドリー以上のものは存在しない。ありがとう」

たしかに、123年を誇るマドリーのクラブ史の中で、選手たちは過ぎゆく存在なのかもしれない。だがモドリッチと同時代を生きる人々にとっては、“彼のマドリー”もまた永遠だ。

モドリッチは心を打つ。起こったことは、あまりにも幸せだった。

涙が乾かぬベルナベウで、「テ・キエロ（愛してる）、モドリッチ」のチャントが何度も響き渡っていた。

取材・文＝江間慎一郎