3月6日、明治安田生命J1リーグ第3節・川崎フロンターレ戦、宇佐美はこの試合で右アキレス腱断裂の重傷を負う。キャリア初の長期離脱、もがき続けたチームを彼はどのように見ていたのか。復帰からの4戦でチームを奮い立たせ、残留へ導いた宇佐美が激動のシーズンを振り返る。(インタビュー日:11月13日 聞き手:小津那/GOAL編集部)
■涙が出るぐらい美味しかったピザ
(C)Getty Images――最終節・鹿島アントラーズ戦終了後、残留が決まった後に宇佐美選手が「今日と明日は全力で気を抜いて暴飲暴食します」と仰っていたのを伺いましたが、何を食べられましたか?
ピザを独り占めしました。普段だと揚げ物やグルテンを含むもの、乳製品など食べないようにしているものが多くて。だからずっと、残留が決まったらピザを食べたいなって思っていました。(久々のピザは)涙が出るぐらい美味しかったですね(笑)。
――片野坂知宏監督の新体制でスタートしましたが、主力選手に負傷者が続出。結果もなかなか出ないシーズンでした。この状況をどのように見ていましたか?
そうですね…。うまくいっていないなと思いながら見ていましたし、うまくいっていない要因も一つや二つじゃなくて、多くの理由からこういったサッカーになっているんだろうとは思っていました。そういったサッカーになっていく中で、自信や勇気みたいなものも失っていく、勝負強さも失っていく。悪循環というか、弱くなるべくして弱くなって、結果が出なくなったと思います。
――結果がついてこないと、自信がなくなり、プレーにも迷いが出てきてしまい、新しい取り組みもハマらなくなっていった。
まずは結果が出ないことで、心理的に強気な姿勢でサッカーができなくなったというのはあります。一失点しただけでも精神的なダメージを食らってしまう。サッカー用語で言うと、「メンタル的に食らう」と表現しますけど、そういう状況に陥っているシーンも多くありました。失点すると直後のプレーもポジティブな選択ではなく、プレーの細かいところで弱気な選択をしてしまってどんどん苦しくなっていく。メンタル的にも戦術的にも軸ができていなかったのかなと思います。
――その状況下でチームはどのように解決への取り組みをしていましたか?
日々、カタさん(片野坂監督)が試行錯誤して、戦術的なことを変えたり、メンバーを変えたり、ポジションを変えたり、多くのことをトライしていたとは思います。でも、それが逆になかなかうまくハマっていかない。どこかできっかけを作っていくしかないんですけど、そのきっかけを作っていく中でのいろんなチャレンジがなかなか功を奏さなかったというか。悪循環になってしまった印象です。
――残留争いの状況が続くことは精神的にも響くと思います。サッカー以外に影響したことはありましたか?
楽しさであったり、幸せであったりはなかなか噛み締めることができない状況でした。優勝争いや昇格争い、いろいろな戦いをしてきましたけど、残留争いはやっぱり一番しんどいですね。
――シーズン途中に監督交代が行われ、松田浩監督が就任しました。チームとして変わった部分は?
守備のベースですね。ディフェンスのベースは植え付けられたかなって感じです。どれだけポジションが崩れていても、どれだけ不意を突かれたとしても、まずここまでは戻りましょうとか、この距離感で、この人数で守りましょうという、絶対的な決まり事はできました。あとシステムも固まりましたし、出る選手もある程度は固定されていく中で、チームとして積み上げていけるようになったと思います。
■感情のセンサーを最小限にしていた
(C)Getty Images――ご自身は負傷離脱していました。どのようなことを考えていましたか?
感情、喜怒哀楽ありますけど、そういったセンサーを最小限にしていました。いろんなこと、たくさんのことに敏感になり過ぎると、やっぱり長期間のリハビリって、なかなか越えられないと思うので。僕はもちろんチームのことは考えていましたけど、ケガをして練習も一緒にできないし、ある種自分の中では部外者のような感じにはなっていました。感じることはありましたけど、なかなか伝えていいものかとか、いろいろ考えていました。
個人のことで言うと、一日与えられたメニューをしっかりやるだけ。調子がいいからといってプラスα何かすることもなければ、調子が悪いからちょっと減らそうかということもなく。毎日毎日、明日与えられるメニューをしっかり頑張ろうと取り組んで一日が終わって。一日の始まりは、今日のメニューをしっかりやって終わろう、終わったらしっかり明日またできるようにやろう。というのを五カ月半ぐらい続けていました。
――長期離脱は初めての経験だったと思いますが、長く感じましたか?
いや、ビックリするぐらい短かったですね。考えるセンサーをオフにしていたからなのか、今まで生きてきた中で一年が一番早く感じました。もう今年終わりじゃないですか。ついこの間まで、カタ(片野坂)さんになって、(ケガをした)川崎戦の試合前のような感覚で。もう一瞬で終わりましたね。
――7カ月ぶりの復帰戦はどのような気持ちを抱いてピッチに立ちましたか?
楽しみでしたし、ワクワクはしていましたね。もちろん不安もあったし、チームが最悪な状態で僕は試合に出ることになったので(3試合勝ちなし17位)。沈み切った状態でなんとか出て、何も変えられなかったらというプレッシャーももちろんありました。ケガの具合はどうなんだとか、どれぐらいのパフォーマンスができるんだとか、考えたらキリがないぐらいネガティブな要素もありました。でも、サッカーができる、試合ができる喜び、これに勝るものはないなと思いながら試合をしていました。勝てはしなかったですけど(第31節・柏戦 / 0-0)やっぱり楽しかったです。試合が終わった後、爽快感があったのは覚えています。
――シーズンが終わり、昌子源選手は「本当に苦しかった」と表現されていました。宇佐美選手が一言で今シーズンを表現するとどのような言葉が浮かびますか?
いろいろなことを経験できたので、すごく実りのある一年になったとは思いますね。苦しさももちろんありましたけど、復帰できた安堵感とか、リハビリを進めていく上での忍耐強さであったり、ケガをした時の絶望感であったり…感情の振り幅はすごかったです。
でも、その中で不甲斐ない目標ではありますけど、残留という目標はなんとか達成しました。全部ひっくるめた中で、いい経験ができた、実りのある一年だったと思います。
――来シーズン、再び「強いガンバ」に戻るためには何が必要でしょうか。
自分たちのサッカーに信念を持つことと、その信念を言語化できるサッカーができるようになることだと思います。選手全員がガンバのサッカーを、「俺らのサッカー」、「自分たちのサッカー」ってよく言いますけど、じゃあその「自分たちのサッカー」って何なんだって深堀りされた時に、しっかり言語化できるようなものが一つ軸としてあって、選手がそこに向かって動いていくことが必要だと思います。
クラブで言うとそこに向かって選手を獲っていくとか、そういったものがあるともっと強くなっていけると思います。優勝争いをしているチームを見れば(横浜F・)マリノスも川崎(フロンターレ)も、絶対的に言語化できる軸があるんです。そのサッカー、信念の下に選手たちはやっている。やっぱり強いチームは持っています。強いチームになっていくために、まずそういった軸を作ってから挑戦していく。それがすごく大事だと思います。
Profile
FW 39 宇佐美 貴史(うさみ・たかし)
1992年5月6日生まれ、30歳。178cm/69kg。京都府長岡京市出身。ガンバ大阪ジュニアユースJrユース→ガンバ大阪ユースJrユースを経て2009年にクラブ史上初となる高校2年時でのトップ昇格。2011年にバイエルン・ミュンヘンへの移籍を果たし、ホッフェンハイムを経て2013年にガンバ大阪に復帰。2016年にアウクスブルクへ移籍してブンデスリーガへ再挑戦。2017年に移籍したデュッセルドルフで2年を過ごし、再びガンバ大阪に帰還。J1通算209試合出場64得点、J2通算18試合出場19得点。日本代表通算27試合出場3得点。
