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Sergio Kun Aguero BarcelonaGetty Images

マラドーナの死、バルセロナ加入、スラム街での日々……アグエロがすべてを語る「スラムの友人は一人が死に、一人が服役し、一人が警察に追われていた」

アルゼンチン人FWセルヒオ・アグエロが、義父であったディエゴ・マラドーナ氏の死やバルセロナ加入などについて語った。

アグエロはスペイン『エル・パイス』とのインタビューで、様々な質問に応じていった。マラドーナ氏が昨年11月に亡くなったときには、やはり厳しい感情を伴ったようだ。

「あれは本当に辛いことだった。その日はチャンピオンズの試合があった。(訃報を)知ったときには、これまで何度もあったみたいに嘘だと思った。でも、そう言う人がどんどん増えるから、ベンハミンのママ(12歳のベンハミンくんと暮らしているマラドーナ氏の娘、前妻ジャンニーナさん)に直接聞くことにした。質問の内容さえ覚えている。『本当か、どうなんだ?』、そうやって記したんだよ。すると、本当だと返ってきた」

「僕は自分の息子のことを考えた。まず、彼に連絡をしないといけなかった。僕は彼がその報をどうやって受け止めたのかを心配していた。話ができたとき、彼はもう学校の友達から知らされていた。ディエゴとベンハはとても仲が良かった。ディエゴは自分の息子にとって最高の人物だった。ベンハは彼のことを愛していたんだ。僕は姉に彼を学校まで迎えに行き、どうにか気晴らしをさせるよう頼んだ。そして次の日、息子は僕にこんなことを記したんだよ。『パパ、僕はおじいちゃんに会いたい』って」

「僕には好ましいことだと思えなかった。彼にとって悪い思い出として残ってしまうことがこわかったんだ。でも彼自身が望んだことだから行くことを許した。それで彼は母親とお通夜の会場に赴いたんだよ」

「次の日にどうだったか連絡が来たか? もちろん。彼は祖父にキスをして、泣いたということだった。とても辛い日々だった。でも少なくとも、ベンハは祖父に別れを告げられたんだ」

マラドーナ氏が世界最高の選手として名を馳せたが、自身が世界最高の一選手と感じているかを問われたアグエロは、次のように返答している。

「僕はそうなるためにプレーしてきた。シティではサポーターや記者から世界最高の一選手と評価されるようなことをやってのけた。でも、僕自身は分かっているんだ。ほかに最高の選手たちがいるってことを。それを認めることに問題はない。でも自分はうまくいったと思う。高いレベルでプレーして、多くのタイトルを獲得したわけだから」

「メッシやクリスティアーノと自分の間にある差は技術、またはメンタルか? フットボリスティックなこと。生来の才能だよ。クリスティアーノもそうなのかって? 彼はレオよりもストライカーで、すべての点取り屋と同じように自信が漲っていればゴールを決め、またゴールを決め、さらにゴールを決めていく」

アグエロは自身に不足しているものとして、チャンピオンズリーグ優勝も挙げている。

「自分に何が足りていないのかを何度となく考えた。それである日、レオ(メッシ)に聞いてみたんだ。彼は僕にバロンドール受賞のチャンスを手にするためにはチャンピオンズに勝たなくてはいけないと言った。その通りなんだ。それと代表チームで優勝をすることだって大切だね。2006年のワールドカップで優勝したカンナバーロのケースを見てみれば分かるだろう」

「僕は素晴らしいシーズンを何度も過ごし、多くのゴールを決めて多くのタイトルを獲得してきた。でもチャンピオンズ決勝の舞台に立ったことはない。昨季に決勝に進出したときにも、ひざの問題やCOVIDなどがあった」

今夏にマンチェスター・シティを離れてバルセロナに加入したアグエロだが、バルセロナは極度の財政難に陥っており親友のメッシが退団したほかスポーツ面の成績も芳しくない。移籍を後悔してはいないのだろうか。

「いいや。率直に言わせてもらおうか。バルサにいたくない選手なんているのかい? バルサの状態の良し悪しにかかわらず、多数の選手がこのユニフォームを着ることを望んでいるはずだ。僕はレオとプレーすること、素晴らしいチームの一部になることを期待してやってきた。彼らから連絡を受けたときには『支払われる金なんてどうでもいい。自分を良い状態に持っていって、チームをできる限り助けていきたい』と考えたんだ」

「メッシ退団は辛い瞬間だったか? ショックだった。彼はとてもひどい状態だったし、僕もそれを知ったときには信じられなかった。その土曜日、僕は彼の家に行ったんだ。彼は落ち込んでいて、何とか起こったことを忘れさせようと試みた。意気消沈する彼を何とか楽しませようとしたよ。eスポーツの僕のチームのことについて話したりね」

ブエノスアイレスのスラム街出身としても知られるアグエロ。最後に自分が育った街を訪れたのは、いつなのだろうか。

「16歳のときだ。つるんでいた人たちのことを聞いたら、一人は死んでいて、もう一人は囚人で、ほかの一人は警察が追っていた。15歳の少年たちだ。まだ連絡を取り合っている友人たちもいる。20年が過ぎたけど、今も彼らと話すよ」

「どうやってそこから出て行けるのか? 自分みたいに才能が必要なのか? 才能はなければならない。それと運だ。自分を助けてくれる人が必要なんだよ。僕にはインデペンディエンテで働く人間を知る父がいた。父が彼らの入団テストを受けさせてくれたんだ。父がいなければ、そうはならなかった。カルロス・テベスとか、ほかの選手もそうだったみたいだ」

「勉強してもスラム街から脱出できるか? スラム街では公立の学校に行かないといけない。今のことは分からないけど、僕が経験したことを語らせてもらうよ。インデペンディエンテに入団できたとき、クラブは私立の学校に僕を送った。自分が12歳の頃だ。私立では三桁の割り算をやっていて、僕がいた公立では一桁のをやっていた。僕はその学校に行ける力がなかったんだ。僕はひどく悪い気分で、自由とも思えなくて、自分の居場所に帰りたかった。そういうことが起こるのは、私立に頼らなくてはいけないのは悲しいことだ」

「おそらく、解決は市役所の介入が一番なんだと思う。国のテーマであってはならないし、大統領は魔法を使えるわけじゃない。市役所が人々に仕事を与えるよう試みなくてはならないんじゃないかな。僕は政治のことは分からないけど、スラム街で何が起こっているかは知っている」

父親から「いつもひどいプレーをしている」と言われながらしごかれたというアグエロは、現代の若手選手たちに対して苦言を呈している。

「僕の時代は先輩選手たちに大きな敬意を払っていた。何かを言われたり、叩かれたりしても我慢をしていたんだ。先輩にからかわれても黙りこくってね。でも今、僕たちはそうやって自分たちが苦しんできたことをやろうとはせず、異なる扱いを受ける若手は自信に満ち満ちている。ただ、少しは限度を知らないと。今の若手は何かを言われれば、そのことに大きな影響を受けてしまう。悪いプレーをしたと言ったら気を悪くして、意気まで失ってしまうんだ。信じられないよ。だから僕は、彼らが気を悪くしないような言い方を探さなくてはならない。僕は勝ちたい。だから意欲を失わせるわけにはいかないんだ。これは息子にも言えることで、彼も何かを言われると腹を立ててしまう」

「ベンハミンは良いプレーを見せるか? 良いプレーをするね。でもフットボールが好きなら違ったメンタリティーを持たないと。最後に会ったとき、彼は『一回も練習を休んだことはないの?』と僕に聞いてきたんだ。決してない、って返したよ。すると彼は顔つきを変えたね。ベンハには選手になってほしいけど、そうじゃないのなら勉強に取り組んでほしい。僕ができなかったことで可能性を手にしてほしいんだよ」

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