レヴァークーゼンで指揮を執るピーター・ボス監督はインタビュー前半では、選手時代のことや指導者に進んだ経緯などを話してくれた。
そして、インタビューの後半ではクライフとの対話について、それが自身のフィロソフィーに与えた影響について、また自身のプレースタイルの功罪について語る。さらに、アヤックス・アムステルダムとボルシア・ドルトムントで監督を務めた時期のこと、スポーツ心理学者との協力関係について興味深い言葉を続けた。
■クライフからの最も重要な教え
Getty――ボスさん、あなたはリヌス・ミケルスやヴィム・ヤンセンのほかにもう一人、ヨハン・クライフという偉大な監督の影響を受けていますね。クライフについての最初の思い出はどんなものですか?
オランダでは、今も昔も彼は最も偉大な存在だ。1970年代の初めには、まだ誰も彼のような選手を見たことがなかった。彼がオランダに戻って来ると(クライフは1973年にアヤックスからバルセロナへ移籍し、数々のクラブを経て1981年にアヤックスに復帰した)、兄と私は何が何でも彼の試合を見に行かずにはいられなかった。兄はアヤックスとクライフの大ファンで、マルコ・ファン・バステン(1982~87年にアヤックスに在籍)にも夢中だった。だから、私の試合がないときには、私と兄はいつも彼の試合を見に行っていたよ。私は子供の頃にもすでに彼の試合を見ていたんだが、18~19歳になった私はフットボールについて違った見方をするようになっていた。
――あなたはアペルドールン(ボスの故郷の町)の友人たちと一緒に、新聞からクライフの記事やインタビューを切り抜いてアルバムにまとめたりもしていたそうですね。
それも同じ頃に始めた。当時、クライフはさらに1年だけプレーして、その後アヤックスの監督になった(クライフは1981~83年にアヤックス、83~84年にフェイエノールトでプレーした後引退して、85年にアヤックスの監督に就任)。彼のプレーは本当に特別だった。ゴールキーパーと連携したり、前へプレスをかけたり、中盤の選手に指示を出したり、当時はすべてが新しいものだった。私たちはフットボールについて彼が語った言葉をすべて集めて、項目別に分類していたよ。“ユースのフットボール”や“攻撃主体のフットボール”、“コンディショニング・トレーニング”といった具合にね。
――あなたは2016年にマッカビ・テルアビブFC(イスラエル・プレミアリーグ)の監督に就任しましたが、クライフの息子ヨルディがスポーツディレクターだった関係で、ヨハン・クライフとも知り合うことになりましたね。
クライフとはそれ以前に一度バルセロナで顔を合わせたことがあったけれど、テルアビブに行って初めて、2人でフットボールについてちゃんと語り合える時間を持つことができたんだ。あれは刺激的な経験だった。ヨルディは「父は母と一緒に一日中ホテルにいる気はないから、トレーニングのたびに顔を出すだろう」って言っていたよ(笑)。そして実際彼は毎日やって来たし、私たちはトレーニングが終わるとコーヒーを飲んだり食事をしたりしながらフットボールについて語り合ったんだ。私は子供のように喜んでいたね。
――あなたは以前、クライフが最初にトレーニングを見に来る前にはすごくナーバスになっていたと言っていましたね。
当然ながら私は素晴らしいトレーニングにしたいと思っていたんだが、そんな必要はなかったよ。クライフはとても感じが良くて、ごく普通に振る舞っていた。私の練習を批評するような態度は全然なくて、ただ息子の顔を見て、フットボールの話をしたいだけだったんだ。だから、まったくナーバスになる必要はなかったんだ。
――あなたが監督としてのクライフから学んだ一番重要なことは何ですか?
ユースのときに後ろからのサポートがなくてもプレーするということだ。選手たちはそういう経験をすることによって初めて、一つのミスが失点につながりかねないことを学ぶことができるんだ。
――では結局のところ、クライフとの会話から得た最も重要なものは何でしたか?
アシスタントコーチのヘンドリー・クリューゼンと私が正しい道を進んでいると確信させてもらったことだ。私とヘンドリーは20年以上一緒にやってきて、自分たちのフットボールを実現することを夢見ている。そういう場合、当然ながらクライフのような人物からお墨付きをもらうことには特別な意味があるんだ。クライフと会話する時には、私は聞き役に徹していた。私は彼が何を言うのか知りたかったし、とにかくまず彼に話をしてもらって、後でヘンドリーと一緒に考えたいと思ったんだ。けれど結局、私とヘンドリーが前へ進むのを助けてくれたのはごくシンプルな見解や言葉だったよ。
たとえば、「ゴールを決めたいならシュートしなければならない」といったようなね。それは当然のことなんだが、言えるのは何度も何度も横にボールを回さないということだ。クライフはこうも言っていたよ。「シンプルなフットボールをやることこそ最大のチャレンジだ」ってね。
――クライフがテルアビブ訪問を終えた数日後に亡くなったことはあなたにとって大きなショックでしたか?
ラジオで知って愕然としたよ。彼は自分の病気についてもオープンに話していたけれど、私はそんなに悪くなっていたとは知らなかったんだ。彼はそんな気振りも見せずにいつもポジティブだった。信じられなかったよ。
■攻撃的フットボールを根付かせるために…

――あなたのフィロソフィーはクライフを大きな拠りどころとしていますね。あなたにとって“攻めの精神”はとても魅力的に映っているようです。
テレビではとてもたくさんのフットボールの試合が放送されている。だから、レヴァークーゼンの試合を見る人々が「面白くなりそうだから、これを見逃すわけにはいかないぞ!」と言うようであってほしいんだ。私は、自分がフットボールを見るときに驚きを感じたいと思うし、大いに喜んだり楽しんだりしたい。スタジアムで試合を見るために人々は大金を払っているんだから、彼らには感動を手に入れる権利があるんだ。そういうことを我々はやろうとしているんだよ。試合に勝つことが常に最重要事項であるのは間違いないが、勝つにもいろいろなやり方がある。そして、我々は特に人の心を惹きつけるようなスタイルを目指しているんだ。
――しかし、いつかまた優勝を、と考えるレヴァークーゼンのファンにとっては、彼の応援するチームがどう戦うかよりも、勝利を手に入れることが一番重要なのではありませんか?
いや。タイトルの獲得と人の心をつかむような試合を両立させることは可能だ。私は固くそう信じているし、そういう例はたくさんある。そして、そんな試合をしてタイトルを手に入れることができれば、長く人々の記憶に残ることになるんだ。
――あなたは自分のチームではどういう方針を取っているんですか? どうやって選手たちにあなたのプランを具体的に伝えるのでしょうか?
もちろんトレーニングは非常に重要だが、ビデオ分析を使ったフィードバックも重要だ。特に初めのうちは理論を伝えることが大切だ。いつも、10分くらいの長さに編集した短い映像を使っている。フットボーラーは大学生ほど長い時間集中力を保ってはいられないからね。その10分間の映像で、我々のプレーの原則を説明するんだ。以前はいつも、まず守備の原則を取りあげてから、次に攻撃の原則に移っていた。最近は、守備と攻撃に関してそれぞれ2つずつの最も重要な原則と、さらに攻守の切り替えの原則についても説明するようにしている。その後で、さらにいくつかのことを付け加えるんだ。6週間経てば、すべての選手が我々の戦い方を理解しているようでなければならない。
――あなたは、ボールを奪われたらすぐにチーム全員でゲーゲンプレスをかけることを求めていますね。ボールを失ったとき、反射的にまず後ろへ引いてゴールを守るようなプレーをやめさせるのはなかなか難しいことですか?
時間と練習が必要だね。けれど、比較的長い時間かかることがあっても、それは常に可能なんだ。レヴァークーゼンではかなりスムーズに、選手たちを納得させることができたよ。結局、選手たちが楽しいプレースタイルだと思えば、彼らは楽しくプレーできるんだ。チームの構造を全体的に作り変えるには、場合によっては1~2年かかったり、一人二人新しい選手が必要になることもあるだろう。実際、いろいろなクラブでそういうことが起こっているからね。
――ですが、選手たちがあなたのプランを徹底して実行しない限り、守備の背後に危険なスペースが生まれてしまうとあなたは認めています。そもそも、すべての選手がすべての試合で90分間ずっとそのプランを守り続けるのは無理ではありませんか?
その通り。ミスというのは起こりがちなものだ。だが、敢えてリスクを冒さなければ成果は得られないだろう。我々は、対戦相手がそういったミスを犯すように持っていこうと努めている。我々が60%や70%、それどころか80%ボールを支配していれば、40%や30%、あるいは20%ボールを奪う努力をするだけでいい。これは、80%ボールを奪うために戦うよりも簡単なことだ。ボールを失うことが少なければ、走る量も少なくてすむ。走行距離が少なければ、コンディションにダメージを与えずにより良いプレーをすることができる。我々がうまくボールを支配して、敵がたくさん走らなければならないようにすれば、最終的には、敵がカウンターを仕掛けたり、我々の守備の背後をつく力を削ぐことができるんだ。
――レヴァークーゼンが2、3試合勝てないと、いつも「攻撃的なプレースタイルのせいだ」と言われます。
初めはうんざりしていたけれど、今はもうそんなことはないね。何をしていても批判は付き物だ。
――以前あなたは、試合に負けるとメディアはよく“メンタリティの欠如”というフレーズを使いたがると言っていましたね。確かに抽象的な意見のようにも思えます。
“メンタリティ”というスローガンを使うなら、メンタリティとは何なのか説明してもらいたいと思っている。集中力が欠けていると言いたいのか、あるいは意志の力が足りないのかをね。メンタリティというのは漠然としていて核心に届かない言葉だ。そもそも、批判するにはフットボールのことを少しはわかっていなければならない。何もわかっていないから、安易にメンタリティを持ち出すんだよ。
――メディア側に分析する力が欠けているのだと思いますか?
能力に問題を感じるような場合も多少はあるよ。分析者がトレーニングを見たこともなければ、試合前のプランがどうなっていたかも知らないとしたら、その場合もやっぱり簡単に分析できるものじゃない。それに、頻繁に分析を行っているのがどういう種類の人間なのかも考えてみなければならない。つまり、一度も監督をやったことのない元選手や、監督として成果を残せないまま今は解説者になっている者、あるいは一度もフットボールをやったことのない者なんかが分析しているんだ。ずぶの素人の方が元選手や元監督よりずっとマシだと思う(笑)。
■「少し仕事から離れてみるのもいいことだ」
PROSHOTS――あなたはアヤックスでの最初にして、結局は最後になってしまったシーズンにヨーロッパリーグの決勝に臨みましたね。マンチェスター・ユナイテッドと対戦した決勝は敗れましたが、あの一戦についてはどんなことを覚えていますか?
あの試合はフィロソフィーとフィロソフィーのぶつかり合いであり、若者とベテランとの戦いだった。アヤックスの平均年齢は21.7歳で、16歳や17歳の選手たちが決勝戦のピッチに立っていた。それに対してユナイテッドの平均年齢は28歳くらいだった。決勝で勝利を収めるには経験が必要だ。だから、そこに大きな違いがあったと思う。
――『SPOX』とのインタビューで、アヤックスでのあなたのアシスタントコーチは「大所帯のコーチングスタッフの中で、互いの間にある種の隔たりがあった」と言っていましたが、アヤックスで仕事を続けられなかったことは悲しかったですか?
アヤックスに残れるのであれば喜んで残りたかったが、残念ながらそれはできなかった。我々はいろいろな問題点について語り合ったけれど、解決に手を付けることはできなかった。アヤックスは若い選手たちが大勢いる非常に素晴らしいチームだった。ただ、フットボールの世界ではそういうこともあるんだよ。
――その後、あなたはボルシア・ドルトムントへ移りましたが、レヴァークーゼンからもオファーがありましたね。後になって考えると、レヴァークーゼンのオファーを受けた方がよかったのでしょうか?
そんなことを考えるのは何の意味もないことだ。私はドルトムントで非常に素晴らしい時間を過ごすことができた。誰でもいろいろな経験を積んで、監督として成長していくものなんだ。
――BVB指揮官を退いた後、あなたは約1年間休みを取りましたね。ハードな時間を過ごして、心理的に疲れ果ててしまったのでしょうか?
監督という仕事は非常に消耗させるもので、ずっとトンネルの中に閉じこめられてしまうようなものなんだ。週に2試合をこなし、ホテルにチェックインして、またチェックアウトして、そういうことがずっと続く。その間少しの休みも取れない。だから、ちょっと一息入れて自分を休ませ、仕事から離れている間に他の監督たちの仕事ぶりを眺めてみることも必要なのかもしれない。私にはそれが非常に役に立ったよ。
――そんなとき、人生の意味について考えてみたりしましたか?
そうだね。私には子供や孫や妻がいる。自分の人生から何かを手に入れたいと思っている。けれど、仕事を辞めてから半年経つともう体がむずむずしてきて、7~8か月後にはまた働きたいとなるんだけどね。
■「自分自身であれ!」
Getty Images――あなたは2003年からスポーツ心理学者と協力して仕事をしていますね。そういう協力関係はあなたにとってどんな意味を持っているんですか?
非常に大きな意味を持っているよ。私と彼はとてもいい関係を築いている。他のクラブでは心理学者は選手のために働いているが、私はそれは望んでいない。選手を相手に仕事をしなければならないのは、監督である私だからだ。心理学者には私のコーチを務めてもらって、私が選手と付き合ったり問題を解決したりするときに助けてほしいと思っているんだ。彼との関係を非常に重要なものだと考えているから、私たちは月に一度顔を合わせることにしているよ。
――ボスさん、もし願いが叶うとしたら、選手たちにどんな監督として覚えていてほしいですか?
明確な理念を持つ誠実な監督として、彼らがフットボーラーとして成長する助けになったと思ってもらえれば嬉しいね。若いときの私は何もわかっていなかった。どんなことでも勘だけを頼りに、何の準備もなしにやっていた。私が成長したのはもっとずっと後になってからのことだ。それには私に協力してくれているスポーツ心理学者の力もある。私はいろいろな分野で最高の能力を発揮している人々から学ぶように努めてきたし、そのことが私にとって大きな助けになっているんだ。フットボールは非常に急速な発展を遂げてきている。私は1980年にプロになったが、当時チームの監督を支えてくれるスタッフはマッサージ師とホペイロ(フットボーラーの用具や身の回りの物の管理やケアを行う)しかいなかったよ。その3人で全部の仕事をやってのけていたんだ。
――今のあなたの経験や知識をもとにして、若い監督にどんなアドバイスをしたいですか?
“自分自身であれ!”と言いたいね。自分のスタイルを生み出すことに努め、他者の真似をしないようにすることだ。グアルディオラやクロップになろうとしてはいけない。何かの役割を演じているだけだと、選手たちはすぐに見抜いてしまう。フィロソフィーを生み出して、それを守り抜かなければならない。常に新たに学び続けることが必要だが、同時に自分の道を見失ってはならない。そして、楽しむことだ。
インタビュー・文=ヨヘン・ティットマール/Jochen Tittmar
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「※」は提携サイト『 Sporting News 』の提供記事です



