Peter Bosz and Theo Janssen (Vitesse)PROSHOTS

「もう一度戻る機会があればいい」レヴァークーゼン指揮官ボスが語る日本への思い/インタビューvol.1

レヴァークーゼンで指揮を執るピーター・ボス監督が『Goal』の独占インタビューに応じてくれた。

レヴァークーゼンでは2シーズン目を迎え、初年度は後半戦の就任以降チームをV字復帰へと導き、リーグ4位で終えた。そんなボスは、現役時代はジェフユナイテッド市原(当時)でプレーし、指揮官としてもドルトムントで香川真司を指導するなど、日本との関わりが深い人物でもある。

現役時代に日本で得た素晴らしい思い出、そして海外経験で培った経験を語る。また、指導者の道へ進むことになった経緯や、毎試合“採点”をするという一風変わったルーティンについても説明してくれた。

インタビュー第2弾はこちら

■なぜ最後を日本で?

ONLY GERMANY Peter Bosz Hendrie Krüzen Leverkusen 2019

――ボスさんは、1981年から1988年までのプロキャリアをオランダで過ごし、フィテッセ・アーネム、アペルドールン、RKCヴァールヴァイクでプレーしました。そして24歳のときに、フランス2部リーグのスポルタン・トゥーロンに移籍しました。この変化はどのようにして起こったのでしょう?

そういう機会があったことと、私自身冒険が大好きだからだね。2部リーグでしかプレーしたことはなかったけれど、それでも代表チームに招集されていた。当時は非常に注目されたよ。フランスでプレーするオランダ人は多くなかったからね。

――移籍に関わる金銭事情はいかほどでしたか?

オランダで稼いだ金額の100倍くらい手に入ったよ。オランダではセミプロだったからね。ただ、フランスへの移籍はお金で決めたわけじゃない。私の一番の関心は、人間として、そしてサッカー選手として成長できるかどうかだったから。

――かつてあなたは「フランスに行ったときは子供で、大人になってオランダに戻ってきた」と表現していますね。

まさにその通り。環境の変化が起こったときは、まだ私は子供だった。だからフランスでのプレーは難しかった。大人のフットボールだったからね。トゥーロンに移籍した3年後、私はフェイエノールトに移った。当時チームはオランダで絶対王者だった。ご存じのとおり、私にはフランスで培った経験があったし、非常に役に立ったよ。フランスは当時トップのリーグだったから、フランスの選手たちは海外に行かなかったんだ。みんな自国のリーグでプレーしていた。マルセイユ、リヨン、ボルドー、カンヌ、モナコ…これらのチームがヨーロッパのトップを走っていたんだ。

――フランスでの生活は見知ったオランダの環境と比べてどう違いましたか?

フランスに引っ越したときは、文化が違うと感じたよ。けれど、それは正しくなかった。フランスの文化は、オランダやドイツが持つそれと似ているんだ。違うのは言語だけ。その後私は日本に行くことになるのだけれど、それこそ違う文化だったんだ! 全てが違っていたよ。フランスでの生活は難しくなかった。言葉はすぐに覚えたし、生活スタイルにも適応できた。

――1996年には、Jリーグのジェフユナイテッド市原に移籍し、1年間プレーしました。そして1999年にもう一度市原でプレーし、キャリアを終えました。なぜ最後に日本を選んだのでしょうか?

フェイエノールトにいたとき、一度冬のキャンプを広島でやったことがあった。そこで経験したことがとても印象的だったんだ。人々と、その関係性がとても素晴らしいものだった。日本の人は絶対に「ノー」と言わないものなんだけれど、望んでいないときがあるということは覚えておかなければならない。それから、彼らは握手をしない。彼らの考えだと、その行為はやりすぎだと思っているんだ。代わりに、お互いにお辞儀をする。互いに上手くやりとりすることがとても敬意を持った方法なんだ。

――サッカーをやっているときもそうだったんですか?

そうだね。初めての練習のとき、チームメイトがライン際でボールを止めたんだ。コーチも何も言ってなかったから、普通はプレーを続けると思うだろう? けれど、その選手はボールが出たと自分から言ったんだ。「アイツはおかしなヤツに違いない」と思ったよ。けど、それが日本のメンタリティであり、文化なんだ。それから他にもある。

私たちは何度も電車で移動していて、大きな荷物を持っていかなければならなかった。ちょっと長い時間を過ごさなきゃならなかったから、コーヒーを買いに行きたくなったんだ。選手はみんなホームに荷物を置いていったけれど、私は持ち歩きたかった。けれど、そうする必要は一切ないといわれた。それは、他の人のバッグを持っていくことなんて誰もしないからだったんだ。それに、選手たちは、練習場の駐車場にある車の中にキーを置いていく。誰も車の中にあるキーを盗もうなんて考えないからなんだ。食べ物もとても美味しくてヘルシーで、3ポンドも痩せたよ。東京は1200万もの人が住む街だけれど、そうは感じなかったな。日本にもう一度戻る機会があればいいと思うよ。

――それは日本にもう一度住みたいということですか? それとも、新しい冒険の機会を求めてということですか?

冒険は、たくさんの経験を得られるからとても興味深いことだ。それは日本でも、フランスでも、それから今いるドイツでもそうだよ。いろいろな経験を積むのが好きなんだ。経験が結局人間を作り上げていくものだからね。けれど、人生経験とスポーツ業界人としての挑戦の両方を成し遂げられることをいつでも探しているんだ。一定以上のレベルで働きたいね。

――日本にいたときにアペルドールンの地元紙に寄せたコラムについて教えていただけますか?

自分の経験を紹介したくて、日本で感じた一体感や生活について書いたんだ。たとえば、「日本に行ったらジャガイモを買ってみなさい。信じられないだろうけれど、金みたいに高いんだ」とかね。たいてい外出するときは日本人と一緒で、当時チームにいた他の外国人とはつるんでいなかった。日本人といる方が興味深い経験が得られたし、そのときの経験は時間が経っても生き続けているよ。今でも彼らと連絡を取っているし、日本から訪ねてくれる人もいるんだ。

――1998年にはハンザ・ロストックでプレーしますが、海外経験はあなたの人格形成にどれほど作用していますか?

多分それに関する例になると思うけれど、オランダでは、チームにいる選手たちはみな競争相手だといつも思っていた。だが、フランスにいるときは、チームメイトから家に招待された。彼は私と同じポジションでプレーしていたが、その夜は一緒に座って食事をしてワインを楽しんだんだ。そしてロッテルダムに戻ったとき、チームにロシア人の選手がいた。彼はロッカールームで一切しゃべらなかった。私はフランスでのことを思い出して、彼を誘ってみたんだ。ロシア人の奥さんを持つ友人がいたから、通訳してもらった。そうしたら、その彼はエールディビジには他に4人のロシア人がいると話してくれた。ある夜、私たちは一緒に時間を過ごしたら、彼は滝のように話し始めたんだ。海外で得た経験で役に立ったことは、こういうことかな。

■指導者に進んだ経緯

Peter Bosz and Theo Janssen (Vitesse)PROSHOTS

――現役を終える1年前となる2000年には、指導者の道を歩み始め、AGOVVアペルドールンのユースチームの監督になりました。しかし、16歳の頃には、すでに指導者の道を進むことは分かっていたと聞いています。

16歳のときにユースのコーチをやっていて、監督が私に教えてくれたことをすべて伝えていたんだ。ただ楽しんでやっていたよ。監督たちが選手に教え切れていないことをうまく教えようとしていたんだ。それに、選手としての私は背が高くなく、足が速くなく、そんなに上手くはなかった。そこで私はこう考えたんだ。「もしコーチの仕事を早くから始めれば、もっと成功できるかもしれないし、トップクラブにたどり着けるかもしれない」とね。

――CIOSスポーツスクール(スポーツ関係の資格や学位を得られるオランダの教育機関)で、すべてのコーチングライセンスを短期間で獲得されました。ただ、18歳当時、UEFAのプロライセンスだけは取れませんでした。

その通り。普通の学校が終わったあとスポーツスクールに通って、3年間でライセンスを取ったんだ。プロライセンスは1999年に2回目の挑戦で取ることができた。監督たちが行った面白いやり方について、ずっと書き留め続けていたんだ。リヌス・ミケルスが監督をやっていたときの代表チームはとても面白かった。ミーティングの後で、私はすぐにホテルに戻って起こったことを書き留めていた。スポーツスクールではウィール・クーバー(オランダの監督。「サッカー界のアルバート・アインシュタイン」の異名を取る)と知り合った。彼とは1日3回トレーニングしてたくさんのことを学んだよ。

――当時のノートは今も持っていますか?

ああ、まだあるよ。けれど、そこから消して、別のことを書き加えたりもした、結局、それが私の哲学にとって最良のアプローチだと信じられるものになった。完璧なパッケージになったんだ。書いた当時はまだほとんど子供のようだったから、今読むとときどき面白いと思うところもあるよ(笑)。今でも、試合や次の対戦相手のことについてノートに書いているんだ。全部手書きでね。いろんなことを書き留めておくのが好きなんだ。そうすればより長く記憶に留まるからね。

――ノートの中では、どの監督のことが一番大きなスペースを占めていますか?

どんな人からも学びはあるものだよ。成長したいと思うことが重要なんだ。だから、私はこう言っている。監督として一切成長しなくなったら、辞めどきだ、とね。それがすべてだ。

■監督として学んだ重要な教訓

Peter Bosz, Bayer Leverkusen, 02212019PROSHOTS

――監督としてあなたが犯した失敗などはありますか?

例えば、正直でなければならない、ということだね。以前関わった監督に、「自分は仕事をやらない」と選手たちに言って問題になった監督がいたんだ。それはずっと噂になっていたが、彼の発言はナンセンスだったと分かったんだ。選手たちは誠実に対応してほしいと思っている。たとえ彼らがそれを認めないとしてもね。これが大事だということを、私は学んだよ。

――フェイエノールト在籍時に監督をしていた、ビム・ヤンセンはあなたにとっていわば先生のような存在です。彼の特別な点を教えてください。

彼はヨハン・クライフの友人で、些細な会話にも真摯に答えてくれる人だったんだ。彼のことはたくさん書き留めたよ。フランスにいたときの彼は非常にディフェンシブなアプローチをする人だった。彼からはディフェンスについてたくさんのことを学んで、書き留めてあるんだ。けれど、オフェンスはといえば、絶望的だったね(笑)。

――当時学び、今も活き続けている教訓で一番重要なことは何でしょうか?

選手は常に動き続けていなければいけないということだ。ヤンセンの練習で6対2のボール回しをやっているとき、動きが止まっている選手はすぐ真ん中に行かなくてはならないだろうね(※鳥かごのボールを奪う役になる)。突っ立っていてはいけないんだ。もしセカンドボールを支配したかったら、動き続けていなければならない、と彼は説明していた。もし止まっていたら、0.1秒遅れてしまう。さほど瞬発力のない選手でも、タイミングに間に合わせることはできるんだ。

――あなたはフェイエノールトで1991年から1996年までプレーしましたが、ルイ・ファン・ハールの練習を見るために一度こっそりアムステルダムに行き、駐車場に停めた車の中からのぞき込んでいたそうですね。見つかったときのリスクは大きくなかったのですか?

アヤックスとフェイエノールトは犬猿の仲だったから、それはもう危険なことだったよ。ファン・ハールが再生した若いチームが、どれだけ上手いフットボールをやるのか、ただ気になったんだ。本当に見たいと思ったんだよ。残念ながら、車の中からでは会話までは聞こえなかったけれどね。ファン・ハールにとってコミュニケーションは何よりも大切なことだから、それは本当に残念だった。だから、あまり多くを得ることはできなかったね。

――あなたはたくさんのことに影響を受け、長い年月をかけてたくさんのことを書き留めてきました。監督のキャリアを始めたころにおっしゃっていたことですが、それでも、どんな監督になりたくて、どんなフットボールをやりたいのか、まだはっきりとは分からないというのはなぜでしょうか?

選手であることと、監督であることは全く違うことだからだね。いいコーチであるためには経験が必要だ。監督としての初期の頃は全く経験がなかったからね。

■試合後には必ず“採点”

Kevin Volland Peter Bosz

――今では、あなたは毎試合ごとに1~10点で各選手に評定をつけています。その作業をしているときの様子を教えていただけますか?

試合が終わってからなるべく早く、遅くとも翌日の朝にはやっている。もう一度試合を全部見直して、4時間くらいかけるんだ。私たちのプレースタイルと原則に基づいて評定をつけている。試合をやって、次に録画を見るので選手一人ひとりに対する印象を強くつけることができる。それからノートに書き留めるんだ。選手と向き合うときには、彼の一年間の成長がいつでもわかる。そうすることで、次の試合にある選手を出さない決断をしたときに、それを選手に伝えやすくなるんだ。

――これまでに10点を取った選手は いないというのは本当ですか?

ああ。おそらく10点を取る人は現れないだろうね。

――なぜでしょうか?

完全な試合などないからだよ。それはいままでなされたことがない。1試合に4点、5点と得点した選手だってミスは犯している。7点でも8点でも同じことだ。私は非常に批判的な視点で選手を見ているんだ。そのやり方を続けていきたいね。そうでないと選手たちに最高のサポートをしてやれないんだ。

――では、どうすればボスさんの評定で9点を取れますか?

チームにとっていいプレーをして、プランを実行する助けになる必要がある。9点を取るためには、特に素晴らしいプレーが求められる。そしてそれがいい結果につながれば…だが、9点でもとても難しい。レヴァークーゼンの監督になってから、まだ9点をつけたことがないんだ。

インタビュー・文=ヨヘン・ティットマール/Jochen Tittmar

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「※」は提携サイト『 Sporting News』の提供記事です

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