2020年4月26日、スペインを代表するクラブの一つであるアトレティコ・デ・マドリーが、創設117年目を迎えた。『マルカ』など複数のスペインメディアがこれに際して、アトレティコが創設されたきっかけとなるエピソードを紹介している。
アトレティコは1903年の4月25日から26日にかけて、スペイン首都に住むバスク人とナバーラ人が行った集会によって誕生した。誕生のきっかけは、その数週間前まで遡る。創設者の一人で、後に会長も務めたエドゥアルド・デ・アチャ氏とバスクの友人たちが、アトレティック・ビルバオ(正式名称アトレティック・クルブ)と、当時はまだレアル(ロイヤル)の名を冠していなかったレアル・マドリーのスペイン王者決定戦を観戦。前半に0-2のビハインドを負ったアトレティック・ビルバオが3-2の逆転勝利で優勝を果たした姿を見届けたアチャ氏は、感激のあまりにアトレティックのクラブオフィスを訪れて、スペイン首都に姉妹クラブを創設する条件を聞きつけたのだった。
こうして4月25日から26日に日付が変わる頃、アトレティック・ビルバオの姉妹クラブとしてアトレティコ・デ・マドリーが産声を上げた。当時の名称はアトレティック・クルブ(マドリー・スクルサル)で、カッコ内で「マドリー姉妹クラブ」であることがそのまま表された。アトレティコはその後、1907年にアトレティック・クルブ・デ・マドリーの名称で登録されてアトレティック・ビルバオの姉妹クラブではなくなったが、関係は保たれ続け、アトレティック・ビルバオはアトレティコの選手を何度も自チームに引き入れた(当時のアトレティック・ビルバオはバスク主義というフィロソフィーを有さず)。アトレティコがアトレティック・ビルバオとの関係を完全に解消したのは、1923年のことだった。
アトレティコはその後、スペイン空軍のクラブと合併してアトレティコ・アビアシオンに名称を変えるなどして(この時代に2回のリーガ優勝を達成)、1947年に現在のアトレティコ・デ・マドリーという名称となった。以降、アトレティコはスペインの強豪の一つとして名を馳せ続け、ここまで合計で30タイトルを獲得。タイトルの内訳はリーガ10回、コパ・デル・レイ10回、スペイン・スーパーカップ2回、インターコンチネンタルカップ1回、カップウィナーズカップ1回、ヨーロッパリーグ3回、欧州スーパーカップ3回となっている。
現在、ディエゴ・シメオネ監督とともにクラブ史上最大ともされる黄金期を迎えているアトレティコにとっての悲願は、欧州最高峰の大会であるチャンピオンズリーグ優勝だ。バスク人の情熱から生まれ、長い長い歴史を刻んできたアトレティコはここから、唯一手にしていない栄光をつかむことができるのだろうか。
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