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トッティ、デル・ピエロ…21世紀セリエA最高の選手ベスト25

今や当たり前のことだが、イタリアでは本当にサッカーが宗教のような存在である。驚異的で恐ろしいほどの熱狂と崇拝を引き起こし、生活のあらゆる場面に熱狂者が存在する。時には議論を呼ぶ判定やスクデットの盗難をめぐって政治家が互いに攻撃し合うことさえあるのだ。

つまり、ロマン、論争、クオリティに関して、セリエAは常に独特のリーグを形成しているのである。この25年間には浮き沈みがあり、サッカー界の中心であったかと思えば、高齢のスーパースターの老人ホームと揶揄されたこともある。しかしながら、ここ数シーズンで驚くべき復活を遂げ、今ではプレミアリーグに次ぐ地位を持つほどだ。それはUEFAの公式ランキングにも見てとれる。

この間常にイタリアはサッカー界の最大のビッグネームを引き寄せ続けているが、はたして、21世紀になってからセリエAを彩った最高の選手は誰だろうか。才能、獲得したトロフィーの数、息の長さ、影響力に基づいて、25人のトップリストを以下に示す。

  • Thiago Silva AC Milan Serie A 2012Getty

    25チアゴ・シウヴァ

    2009年、チアゴ・シウヴァがACミランに加入した時、アレッサンドロ・ネスタは、このことがクラブにとってだけでなく、自分のキャリアにとってもプラスになるとすぐに気付いた。このベテランDFは、冗談めかして「彼は私の寿命を延ばしてくれるだろう」と言ったのである。そして、ネスタは間違っていなかった。2012年まで、優雅でありながら強靭なブラジル代表のセンターバックと共にプレーを続けたのである。

    シウヴァはサン・シーロでの2シーズン目でミランをリーグ優勝に導き、そのシーズンの終わりには世界最高のDFとして広く称賛された。「彼にこれ以上改善できる場所を見つけるのは難しい」と、ミランのレジェンド、フランコ・バレージは認めた。「彼はすでに全てを持っていることを証明している」。結果的にイタリアを3年で去ることがなければ、シウバはこのリストのさらに上位にいたことだろう。

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  • Paulo-Dybala(C)Getty Images

    24パウロ・ディバラ

    パウロ・ディバラは、ずっと以前からリオネル・メッシと比較されてきた。関わり合いは常に薄かったものの、少なくとも一時期は皆が納得していた。アルゼンチン代表の同僚と同様、「ラ・ホヤ(宝石)」は素晴らしいドリブル技術を持ち、驚異的な左足を持ち、チャンピオンズリーグでは時にメッシを上回る活躍を見せた。

    当時、ディバラは本当にトップクラスの才能を持っており、2015年から2020年の5シーズン中4回セリエAの年間ベストイレブンに名を連ねた。ケガが原因で最終的にユヴェントスはディバラをローマへ手放したが、スタディオ・オリンピコでの2シーズン目に彼は再びとてつもない才能を示し、執筆時点で通算125ゴールを記録している。

  • Antonio Di Natale Udinese Serie A 2014Getty

    23アントニオ・ディ・ナターレ

    アントニオ・ディ・ナターレがセリエAでデビューしたのは25歳になってからで、当初はセンターFWよりもむしろウイングとしての起用が多かった。しかしその後、最も注目すべき、かつロマンティックな道のりを登り詰め、イタリアサッカーの頂点にたどり着いたのである。事実、この小柄で爆発力のあるストライカーは、セリエAの歴代得点ランキングで6位にランクインしており、その得点数は209ゴールにのぼる。そのうち191得点がウディネーゼでのものであることから、その記録の凄さは明らかである。

    さらに、地方のクラブでプレーしながら、2度のカポカンノニエーレ(得点王)に輝いたことも実に驚くべきことであり、2009年から2011年にかけて、リオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドを除けば、ディ・ナターレ以上にリーグ戦でゴールを決めた選手はいなかった。他のクラブでトロフィーを獲得することもできたが、ディ・ナターレはウディネに留まるという決断を決して後悔しなかった。「もう一度やり直すとしても、同じ決断をするだろう」と、彼は誇らしげに語った。

  • Gonzalo Higuain Napoli Serie A 2015Getty

    22ゴンサロ・イグアイン

    多くのサッカーファンは今でもゴンサロ・イグアインを懐疑的にみている。一部のアルゼンチン人は代表の最も痛ましい敗北の責任を彼に負わせているし、人気の絶頂期にユヴェントスに移籍したことをナポリのファンは決して許さない。しかし、間違いなく数年間は、イタリアに――もしかしたら世界でも――彼以上のセンターFWはなかった。

    イグアインは4年間で3度セリエAの年間ベストイレブンに選ばれ、2015-16シーズンには35試合で36得点を記録し、単独シーズンでの最多得点記録を破った。ナポリからユーヴェに移籍した決断も、3つのスクデットによって正当化されたと言えるだろうし、イグアインが引退した際、レオナルド・ボヌッチは「サッカー界の偉大な背番号9のひとり」と称賛した。

  • Ciro Immobile Lazio 2023-2024Getty Images

    21チーロ・インモービレ

    残念なことに、チーロ・インモービレはチャンピオンズリーグや国際大会で実力を証明することができなかった。しかし、セリエAで最高のストライカーのひとりという地位に疑いの余地はない。セリエAで得点王となった回数が彼(4回)よりも多かったのはグンナー・ノルダール(5回)だけである。2020年には単独シーズンでの最多得点記録(36)に並び、ヨーロッパのゴールデンシュー賞を獲得した。

    ラツィオのレジェンドとなったインモービレは、今も通算ランキングで8位に位置しており(353試合で2012得点)、引退前にトルコからイタリアのトップリーグに戻ることがあれば、さらに得点を積み重ねる可能性もある。いずれにせよ、彼が歴史に残る選手であることは間違いない。 かつて「チーロはゴールの怪物だ!」と、ラツィオの元監督マウリツィオ・サッリが言ったように。

  • Clarence Seedorf AC Milan Serie A 2010Getty

    20クラレンス・セードルフ

    ズラタン・イブラヒモヴィッチは、クラレンス・セードルフのことを今まで見た中で最も完成されたMFだと言ったが、これは他の多くの選手や評論家の見解と一致する。フィジカルとテクニックを兼ね備えた選手で、この元オランダ代表からボールを奪うのはほぼ不可能だった。さらに、他の多くのアヤックス・アカデミーの卒業生と同様に、戦術の観点からも優れた選手であった。2002年にインテルが彼を同じミラノのライバルに送り出した決断(フランチェスコ・ココとの交換)は、移籍に関するサッカー史上最大の失策のひとつとして知られている。

    セードルフは、史上最高のMFのひとりとして重要な役割を果たし、ロッソネリに在籍した10年間に2度セリエAのタイトルを獲得した。「ああいう選手、ああいう人物と共にプレーできたことは、正直に言って特権だったと思っている」と、イブラヒモヴィッチは振り返っている。

  • Leonardo Bonucci Juventus Serie A 2017Getty

    19レオナルド・ボヌッチ

    レオナルド・ボヌッチは若い頃MFだったが、それは当然のことだった。このイタリア代表選手はセンターバックとしては驚くほどボールを扱うのがうまく、深い位置からの長いパスで即座に守備を攻撃に転じたり、中盤に入って冷静なプレーをしたりすることができ、偉大なガエターノ・シレアやフランツ・ベッケンバウアーと比較されることもあった。それも納得のいくことで、かつてペップ・グアルディオラは彼を「今までに気に入った選手のひとり」と評したことがある。

    ボヌッチが、アンドレア・バルザーリやジョルジョ・キエッリーニといった伝説的な選手に囲まれることで大いに恩恵を受けたことは事実だが、彼自身も優れたDFであり、ユヴェントスで8度スクデットを獲得しただけでなく、セリエAの年間ベストイレブンに4度選出され、2016年には年間最優秀選手にも選ばれている。

  • Pavel Nedved Juventus Serie A 2006Getty

    18パベル・ネドベド

    イタリアで、パベル・ネドベドは、その国籍と「盲目」を意味する「cieco」をかけた「Furia Ceca」(チェコの大砲)として知られていたが、それは彼にぴったりの愛称であった。ネドベドは、歴代のサッカー選手のなかで最も攻撃的なアタッカーのひとりだった。2001年に、事実上ジネディーヌ・ジダンの代替としてラツィオからユヴェントスに移籍したネドベドは、選手としてはジダンとまったく違っていたが、同じくらい影響力があった。

    ネドベドは得点を作りだして決めるだけでなく、チームのために絶え間なく働いた。2003年にはセリエAの年間最優秀選手に選ばれ、その後バロンドールを受賞した。ACミランと対戦したチャンピオンズリーグ決勝を欠場しても、バロンドール投票に影響がなかったのである。ただし、ユヴェントスの元監督であるマルチェロ・リッピは、「人生で最も重要な試合に、ネドベドが出場できないなんて!」と、嘆いていた。

  • David Trezeguet Juventus Serie A 2009Getty

    17ダビド・トレゼゲ

    1990年代、ダビド・トレゼゲはティエリ・アンリとモナコで最もエキサイティングな攻撃のコンビを形成したが、アンリのユヴェントスへの移籍が悲惨に終わった一方で、トレゼゲは同じユヴェントスでスターになった。トレゼゲは長身にもかかわらず非常に敏捷でつかまえにくい選手であった。「彼は水を得た魚のように自在に動く」と、ユヴェントスの元監督ファビオ・カペッロは言った。「さらに彼は驚異的な決定力を持っている。パオロ・ロッシのようだった。ほんの一瞬でも自由にすれば、報いを受ける」。

    この元フランス代表FWは、2002年にセリエAの得点王に与えられるカポカンノニエーレ賞を獲得したと同時にセリエAの年間最優秀選手に選ばれ、セリエAで214試合に出場して123得点を挙げた。2006年にユヴェントスがセリエBに降格した後、老貴婦人をトップリーグに戻すのにも貢献してファンの人気をさらに高め、「トレゼゴール」という愛称をつけられるほどだった。

  • Nicolo Barella Inter Serie A 2023-24Getty

    16ニコロ・バレッラ

    ニコロ・バレッラは、カリアリのトップチームに初めて登場したときから特別な存在であることが明らかだった。「サルデーニャのスティーブン・ジェラード」と呼ばれ、行動力に満ちた背番号8でありボックス・トゥ・ボックスのMFであるバレッラは、ボールを奪って賢く扱い、ネットに突き刺すことができた。

    インテルでも当然のことながらさらに上のレベルに進化し、現在では世界のサッカー界で最も魅力的なMFのひとりとなっている。「ニコロは偉大なチャンピオンであり、その価値は何年も前から証明されてきた」と、インテルのシモーネ・インザーギ監督は指摘する。実際、バレッラはまだ27歳ながらセリエAの年間ベストイレブンに5回選ばれており、これはトップタイの記録である。「視野が広く、スタミナ、質、スピードを持っている」と、最近、ファビオ・カペッロは言った。「彼はすべてのことを正しくやれる」。

  • Alessandro Del Piero Juventus Serie A 2012Getty

    15アレッサンドロ・デル・ピエロ

    アレッサンドロ・デル・ピエロがユヴェントスでセリエAデビューを果たしたのは1993年だった。このリストを作成するにあたっては、残念ながら、彼がトリノで過ごした多くの栄光に満ちた時間を見過ごさなければならなかった。実際、1998年に深刻な膝のケガを負うまでは、デル・ピエロはおそらくそこまで卓越していなかったと言えるかもしれない。それでも彼は優れた攻撃的選手であり、事実上最後の偉大な10番のひとりだった。

    ユヴェントスの歴代最多得点者および最多出場者でもある彼は、6度のスクデット獲得のうち3度を21世紀に入ってから成し遂げ(そのうち2度はカルチョ・スキャンダルにより剥奪された)、2007-08シーズンにはカポカンノニエーレ(得点王)にもなっている。デル・ピエロは非常に愛され、影響力のある人物であったため、彼の名前がついたシュートの種類やフィールドのエリアまで存在した。何より、あのディエゴ・マラドーナが、ジネディーヌ・ジダン以上のファンタジスタだと評価したのである!

  • Fabio Cannavaro Juventus Serie A 2009Getty

    14ファビオ・カンナヴァーロ

    ファビオ・カンナヴァーロは、かつて、「私はクリスティアーノ・ロナウドやレオ・メッシのように多くの才能やスキルを持っていたわけではない」と認めた。身長がわずか175cmでセンターバックとしては異例の小柄だったが、それにもかかわらず非常に偉大なプレイヤーであり、自分の持ち味を最大限に活かす方法を知っていて、元イタリア代表監督のマルチェロ・リッピに「模範的なサッカー選手」と称賛された。

    「彼は信じられないほどの集中力、精神的な強さ、素晴らしいフィジカル・コンディションを持っていた」と、ACミランの元アタッカー、レオナルドは説明している。「あまり背は高くないけれど、非常に高くジャンプするため、空中戦で負けることはめったになかった」。カンナヴァーロはユヴェントスで2度スクデットを勝ち取り(後に両方とも取り消された)、2006年にはセリエAの最優秀選手に選ばれた。同年、イタリアをワールドカップ制覇に導き、バロンドールも受賞した。

  • Lilian Thuram Juventus AC Milan Serie A 2006Getty

    13リリアン・テュラム

    リリアン・テュラムは、ほぼ完璧なサッカー選手だった。世界で最も優れたセンターバックのひとりであると同時に世界で最も優れたサイドバックのひとりだった。この元フランス代表は、最高の背番号9や最も俊敏なウイングに対処するのに必要なあらゆる身体的属性を備えていた。それだけでなく、信じられないほど賢く、ポゼッションにおいても非常に優れていたため、ユヴェントスの右サイドで素晴らしいパスの出どころとなり、必要に応じて中盤に入ることさえできた。テュラムはトリノで4つのタイトルを獲得したチームの一員だった(ただし、そのうちの2つはカルチョ・スキャンダルで取り消された)。「彼のプレーにはとてつもない力強さと攻撃性があった」と、ジジ・ブッフォンは言った。「その一方で彼はいつも、とても品があった」。

  • Cristiano Ronaldo Juventus Serie A 2018Getty

    12クリスティアーノ・ロナウド

    2021年夏、バイエルン・ミュンヘンのCEOカール=ハインツ・ルンメニゲは、ユヴェントスがクリスティアーノ・ロナウドのために1億ユーロ(約163億円)を支払うことに決めたことに驚いた。当時33歳だったFWにそれほど多くのお金を投資したことが正しかったかどうかは、今日でも議論されている――とりわけ、移籍市場の達人ベッペ・マロッタがユーヴェを離れてインテルに移籍することとなっただけに。

    しかし、疑いの余地がないのは、C・ロナウドが期待されていた役割を果たしたことだ。彼は得点を決めてビアンコネリの名を高めるために加入したわけだが、その期待通りに活躍した。セリエAでわずか98試合で驚異の81得点を記録し、2度のスクデットを獲得し、2度も年間最優秀選手に選ばれた。彼がマンチェスター・ユナイテッドに移籍した際、ユヴェントスは「刻まれた事実は永遠に残る」との声明を出した。

  • Andrea Barzagli Juventus Serie A 2019Getty

    11アンドレア・バルザーリ

    ユヴェントスの前代未聞の一強時代は、移籍金をあまりかけずに獲得した選手が結果を出してくれたおかげであり、アンドレア・アニェッリ元会長がアンドレア・バルザーリのことを「我々が行った中で最高の補強」と評価したことは重要である。2011年1月、ビアンコネリはこのセンターバックを、ヴォルフスブルクからわずか30万ユーロ(約4,900万円)で獲得したが、彼はレオナルド・ボヌッチやジョルジョ・キエッリーニと、かの有名なDFの「BBC」トリオを形成し、8度のスクデットを獲得。セリエAの年間ベストイレブンに4度選ばれた。

    静かで控えめな性格で、無用な騒ぎを起こすことなく仕事をこなしたバルザーリは、同僚たちと同じような評価を受けることはなかったが、生粋のDFであり、1対1で負けることはほとんどなかった。「彼は我々の教授だった」と、以前キエッリーニが認めており、ボヌッチは彼を「万人の手本」と評した。

  • Alessandro Nesta AC Milan 2007Getty

    10アレッサンドロ・ネスタ

    アレッサンドロ・ネスタは、ラツィオのユースを出てセリエAで最初の数シーズンを過ごしている間、フランコ・バレージの再来と評されていた。地元のクラブで歴史的なタイトルを獲得した後、ローマ出身の彼がACミランに加入した時には、バレージ自身が、ネスタとの比較を自分にとって名誉だと感じたほどであった! ネスタはタフで強く、知的で、タックルのタイミングが完璧だった。彼はバレージよりも俊足で、この元イタリア代表の優雅なポゼッションには、ファンタスティックでスタイリッシュだったルイ・コスタも驚いていた。

    ケガのせいでバレージほどの選手にはなれなかった――少なくとも獲得したトロフィーの数や息の長さという点においては――が、合計で3つのタイトルを獲得し、全盛期には世界最高のセンターバックとして1999年から2003年まで4シーズン連続でセリエAの最優秀DFを受賞した。

  • Andriy Shevchenko AC Milan Serie A 2004Getty

    9アンドリー・シェフチェンコ

    1999年、アンドリー・シェフチェンコを獲得しに行ったACミランのアリエド・ブライダは、この元ウクライナ代表にロッソネリのユニフォームを渡し、これを着てバロンドールを獲得するだろうと言った。ブライダの予感は的中した。シェフチェンコはセリエAで旋風を巻き起こし、2006年にチェルシーに移籍する前にミランの歴史の中で2番目に多く得点を挙げた選手となった。

    ロンドンではケガに悩まされ、2008年にミランにレンタルで復帰したときにはもはや同じ選手ではなかったが、全盛期には圧倒的な存在であり、非常に勤勉かつ多才なFWで、あらゆる種類のゴールを決められる選手だった。数年間、彼は実に独特の世界観をもった選手であった。2004年にバロンドールを獲得した際には、カルロ・アンチェロッティが「今年アンドリーが獲得しなければ、賞の信頼性が失われることになるところだった!」と、主張したほどであった。

  • Kaka AC Milan Serie A 2008Getty

    8カカ

    カルロ・アンチェロッティは、初めてカカを見たとき、あまり良い印象をもっていなかった。その元ブラジル代表は、あまりにもきちんとしていて学業優秀な大学生のように見えたのである。しかし、アンチェロッティの自伝には、「カカがフィールドに立ったとき、天が開いた!」と、書かれている。

    カカは本当に神聖なサッカー選手で、神々しいほどの優雅さと、対戦相手の脇を駆け抜ける際には、走るというよりも滑っているかのように見えるほどの、これこそDFの抜き方だというスピードを備えていた。フレッシュな顔つきの攻撃的MFで、ミランでの最初のシーズンでセリエA優勝に貢献し、ロッソネリのためにセリエAで合計77ゴールを決め、2度、リーグの年間最優秀選手に選ばれた。2007年にバロンドールを受賞し、アンドレア・ピルロは、「あの2、3シーズン、彼は世界最高の選手だった」と、言った。

  • Juventus v Benevento Calcio - Serie AGetty Images Sport

    7ジョルジョ・キエッリーニ

    ユヴェントスの他のチームメイト全員と同様、フェデリコ・ベルナルデスキは、ユヴェントスでクリスティアーノ・ロナウドと一緒にプレーできることを特権と感じていたが、練習でも常にあのポルトガル代表選手のいる方のチームに入りたかったかと尋ねられると、「本当のことを言うと、キエッリーニの方がいい!」と、答えた。その理由は、キエッリーニと対峙するのことは悪夢だからである。「ゴリラと一緒に檻に入れられて、食べ物を盗もうとするようなものだ」と、アルバロ・モラタは説明した。

    キエッリーニはピッチの外では常に紳士であったが、ピッチの上では、みずから認める「く*野郎」、典型的なイタリアのDF、黒魔術の極みを体現する人物であった。常に勝者の側にあり、合計で9度、セリエAのタイトルを獲得した。まったくもって、「キングコング」という愛称にふさわしい選手だった!

  • Javier Zanetti Inter Serie A 2013Getty

    6ハビエル・サネッティ

    かつてアントニオ・カッサーノは、インテルの象徴的なキャプテンであるハビエル・サネッティはとても優れていて、さらに重要なことに、自己管理が非常に優れているから、このアルゼンチン代表は60歳までプロサッカー選手を続けるだろうと冗談を言ったほどだった。重度のアキレス腱のケガがなければ、本当にそうだったかもしれない。サネッティはサッカー界でも珍しい存在だった。彼は普遍的に敬愛される人物であり、ビッチの内外で高い品格を持っていたため、すべての人から尊敬されるプロフェッショナルだった。

    「トラクター」という愛称で知られ、ピッチを上下に走り回り、隅々までカバーするプレースタイルで、合計5回のスクデットを獲得し、最終的に40歳で引退するまでに、セリエAで外国出身選手として最多の出場数を記録した。

  • Zlatan Ibrahimovic AC Milan Serie A 2023Getty

    5ズラタン・イブラヒモヴィッチ

    ズラタン自身が語っていないズラタンについて、今さら何をさらに言うことができるだろうか? この元スウェーデン代表ストライカーは常に素晴らしい試合のことを話していたが、特にイタリアで、多くの素晴らしい試合をプレーしてきた。イブラヒモビッチはセリエAで3つの異なるクラブで4度の異なる時期にプレーし、常に期待に応えた。イタリアのトップリーグで156回得点し、その多くが息を呑むようなゴールだった。なぜなら、イブラヒモヴィッチは考えうるあらゆるタイプのゴールを決めることができる逸材で、体格的に圧倒的なセンターFWでありながら非常に身軽だったからだ(テコンドーの練習が役立った!)。

    さらに、ファーストタッチが見事だった。おおやけには漫画のように傲慢な人格だったが、実際にはピッチの上でまったく無私だった。つまり、彼は絶えずチームメイトのためにチャンスを作り出し、ACミランでの晩年には真のリーダーになったのである。41歳でついに引退したとき、サン・シーロは、ただ「グッバイ!」とだけ言った。

  • Paolo Maldini AC Milan Serie A 2009Getty

    4パオロ・マルディーニ

    キャリア全体を考えるなら、マルディーニはこのリストのトップに位置するだろう。なぜなら、彼は歴史上最も優れたDFだからである。ただし、ここで対象とする期間(2000年以降)において、それ以前はサッカー史上最高の左サイドバックだったマルディーニは、世界で最高のセンターハーフのひとりとして自分を磨き直し、41歳までプレーを続けた。もちろん、このACミランの象徴は、すべての属性を備えていた。

    彼はズラタン・イブラヒモヴィッチの言うところの非常に「完全なDF」であり、常に、スピード、強さ、知性を組み合わせて敵からボールをあまりにも簡単に奪い、タックルを最後の手段として考えていた、さらに彼は演技もできた。「マルディーニの印象的なところは、彼がボールを持つとDFのようには見えず、むしろ優雅なMFのように見えることだった」と、ロナウジーニョは言った。

  • Andrea Pirlo Juventus Serie A 2012Getty

    3アンドレア・ピルロ

    他の誰もがそうであったように、ジジ・ブッフォンは、ACミランがアンドレア・ピルロとの契約を更新しないと決定し、ユヴェントスに移籍することになったとき驚愕した。「最初に思ったのは、『神が存在する!』ということだった。彼ほどのレベルと能力のある選手が、しかも無料でやってくる。私はこれは世紀の契約だと思った!」。公平に言って、彼はおそらく正しいだろう。ピルロがミランからユヴェントスに移籍したことで、イタリアサッカーの歴史が変わった。新しく監督に就任した直後のアントニオ・コンテが7位に終わったシーズンからチャンピオンへと転身することを可能にする、重要な働きをしたのである。

    ピルロはすでにミランでワールドクラスの司令塔としての実力を証明しており、そこで2つのスクデットを獲得したが、サッカーにおけるクールなクォーターバックの手本となり、ユヴェントスでサッカーをさらに一段上のレベルに引き上げ、トリノでの4シーズンのうち1シーズンを除く全てで、セリエA年間最優秀選手賞を受賞した。

  • Francesco Totti Roma Juventus Serie A 2010Getty

    2フランチェスコ・トッティ

    かつてルディ・ガルシアは、ローマには3人の王しか存在しないと指摘した。教皇、犯罪組織のボス「リバネーゼ」、そしてフランチェスコ・トッティである。祝福に値するのは、トッティの治世だけだろう。真の背番号10であるトッティは、現代のサッカーで活躍した別の時代の産物だった。絶妙なタイミングのノールックパスで守備を崩すこともあれば、独特のゆったりとしたスタイルでドリブル突破することもできた。GKをチップで抜くのも、驚くべき角度からボレーシュートを決めるのも、トッティにとってはすべてが自然で簡単に見えた。

    ローマで通算250ゴールを挙げたトッティは、何度も契約を試みたレアル・マドリーに移籍すれば数え切れないほどのトロフィーを手にすることができたかもしれないが、2001年に彼の故郷のクラブで獲得したタイトルに比べれば、そのどれも色褪せたことだろう。トッティはひとつのクラブに所属しつづけたレジェンドであり、カルロ・アンチェロッティの言葉を借りれば、「不滅」である。

  • Gigi Buffon Juventus Serie A 2003Getty

    1ジャンルイジ・ブッフォン

    このリストの第1位は、背番号1、史上最高のGK、ジャンルイジ・ブッフォンである。彼はイケル・カシージャスさえも「すべての基準となる選手」と認めた人物だ。ブッフォンは「スイーパー・キーパー」ではなく、ただ究極のゴールの守護者であり、弱点のないGKだった。背が高く、強く、運動能力に優れ、アクロバティックであり、全盛期にはほとんど負けない存在だった。

    そして、その全盛期が20年も続いたのである。2021年にユヴェントスを去り、少年時代のクラブであるパルマでプレーするまで、彼はセリエA史上、他のどの選手よりも多くのセリエA出場試合数を記録し、10回のスクデットを獲得した。「ジジはGKのマラドーナだ」と、元チームメイトのファビオ・カンナヴァーロは言った。