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渡邊凌磨が振り返る前橋育英時代と今も刺激し合うチームメート。「あそこで負けたから今がある」

アシックス新作スパイクが発売開始

Clever AQUA PACK

アシックス新作サッカースパイク
「Clever AQUA PACK」が12月21日発売開始!

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Clever AQUA PACK 4モデル

12月21日(木)発売開始

アシックス公式で確認

 今季、FC東京から浦和レッズに完全移籍した渡邊凌磨。前橋育英高を経て早稲田大、大学1年時にドイツ・インゴルシュタットに移籍。2018年に日本に戻るとアルビレックス新潟、モンテディオ山形そして、FC東京でプレーしてきた。その歩みは決してエリートではない。地元の街クラブから前橋育英高に進んだが、キャリアを振り返ると、この高校時代が今につながる大きな転機となった。

 シーズン始動前の埼玉スタジアムで、高校時代の思い出、当時のチームメート、そして「マニアック」ともいえるスパイクへのこだわりについて話を聞いた。(取材・文=川端 暁彦/取材協力=アシックス)[PR]

  • 20240130-maebashi-ikuei-2015Atsushi Tokumaru

    ■段違いのタレントたちの中で

    「いや、全くそんな次元にいなかったんで」

     渡邊凌磨は「Jユースを進路として考えたことは?」という問いに、そう言って笑った。埼玉県東松山市の出身で、中学時代は隣町の新興クラブ・レジェンド熊谷でプレー。本人が「無名選手だった」と言うように、いわゆるエリート街道とは遠い場所を歩んでいた。

     当時「カテゴリー別の日本代表があるなんてことすら知らなかった」という少年が夢見ていたのは、高校サッカーでの活躍だ。

    「ずっと親には『西武台高校に行きたい』って言っていました」

     進路として当初考えていたのは比較的近場にある県内有数の強豪校。渡邊が小学校から中学校へと進む時期に高校サッカー選手権への連続出場も果たしており、自分の未来をイメージしやすかったのかもしれない。

     ただ、最終的に下した決断は違っていた。

    「たまたま自分のクラブに前橋育英の卒業生のコーチがいたんです。それが一番大きくて、『本気でプロになりたいんなら、よりレベルが上の環境へ身を置いたほうがいいんじゃないか?』って考えるようになって決めました」

     言わずと知れた全国トップレベルの高校であり、そこに集まるタレントのレベルは一段違う。それまで選抜や代表の経験も薄かった渡邊にとって、未知の世界だった。

    「新1年生の練習会があるんです。そこに初めて行ったとき、『俺はここじゃやっていけない』って思うぐらいの経験をしました。スピードが凄いし、みんなうまくて…」

     そう言って渡邊は、当時の感覚を思い出したように苦笑いを浮かべた。当時からすでに年代別日本代表に名を連ねる有力選手だったMF鈴木徳真(セレッソ大阪→ガンバ大阪)はもちろん、名前も知らなかった同級生たちは後のJリーガーがズラリと揃う。MF坂元達裕(コヴェントリー)、小泉佳穂(浦和レッズ)、吉永大志(福島ユナイテッド)、DF岡村大八(コンサドーレ札幌)、河西真(福島→ラインメール青森)、GK吉田舜(浦和レッズ)といった選手たちだ。

    「正直ビビっていた。1年生グループの中の下のチームからスタートした」のも無理はないが、ハイレベルな環境は渡邊の持っていたポテンシャルを引き出す場でもあった。「1ヶ月ぐらいである程度スピード感に慣れていった」と高いレベルにも順応していくことになる。

  • 20240130-maebashi-ikuei-2015Atsushi Tokumaru

    ■結局、大事な試合で勝てなかった

     その年には「年代別日本代表って何だ?」と思っていた選手が、U-16日本代表にも初選出されることとなる。「信じられなかった」という代表での経験は「本当に貴重だった」と言うものの、チームでは「悩むことのほうが多かった」と言う。

    「代表に入っているのに試合に出られなかったり、出られるようになってからも大事な試合に絡めなかったり…。やっぱり、いろいろなことがありましたから」

     全部を振り切って自分のプレーを出せるようになったというのは「やっぱり3年生になってからだと思います」と言う。悔しい経験も共有してきた仲間たちと、全力でぶつかっていった最終学年での戦いはやはり特別な記憶として残っている。

    「弱い代だとか言われていて、でも自分はその評価が腑に落ちなかったので、最後にある程度の結果を出せたのは良かったです」

     ただ、その口から真っ先に出てくるのは「インターハイの大津戦が…」とか「プレミアリーグの参入戦でも負けちゃって……」といった大事な試合を落とした苦い記憶の数々。その一番の記憶は、全国高校サッカー選手権大会の決勝で星稜高校に延長戦の末、2-4と敗れたことだろう。

    「1年間を通して大事な試合で勝てなかったんですよね。あえて悪い言い方をすると、相手を舐めてしまうところがあったんだと思います」

     そこで味わった悔しさこそ、前橋育英のこの学年の原動力であり、原点にもなっている。

    「それはありました。優勝した高校の選手よりこのあと良い結果を残してサッカーを引退したいということは、終わったあとにもみんなで話していました」

     まさにその言葉どおりに、高校を旅立った選手たちは、その後それぞれのステージで大きな成長を見せることになる。

    「やっぱり、みんなサッカー好きだし、真面目だから。変なことで諦めたりとかもないし、みんなが1年1年積み重ねて成長していけるようなメンツでした」

     いまはプロのステージで同じピッチに立つことも珍しくない。

    「J1で戦うこともあるから、うん、そこでは毎回毎回、刺激を受けています。勝っても負けても、やっぱり昔から知っているので、『アイツここ伸びてるなあ』とか感じられるし、刺激を受けられる。そういうことがたくさんありましたね」

     今季は浦和レッズへ移籍。そこには小泉と吉田という高校時代の同級生が待っている。「1年1年積み重ねてきた」彼らにとって、この再会は奇縁ではあるものの、奇跡ではあるまい。

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    ■マニアックな熱いスパイクトーク

     そんな渡邊にとって、スパイクは特にこだわってきた部分である。

    「初めて買ってもらったスパイクは、阿部勇樹選手が履いていたものだったと思います。小学校4年生くらいだったのかな。覚えている最初の一足はそれですね」と懐かしそうに振り返る。当初は先輩が履いているものをマネしてみたり、いろいろなメーカーに手を出したりした。「最初はデザインだった」と言うように、カッコ良さ重視。ただ、中学生くらいになると、「生意気に『このスパイクはフィット感が〜』とか言い始めました」と笑う。アシックスを初めて履いたのもこのときで中学1年生だった。

    「周りにアシックスを履いている選手はあまりいなかったんですけど、そこに流される感じもなかったですね。自分は『これがいい』と思ったから履いているという感覚だったと思います」

     ではプロとして現在着用する「DS LIGHT X-FLY 5」の具体的な良さとは。

    「めっちゃマニアックなんですけど。1番気に入っているポイントは、ここの距離です」

     渡邊が指で示したのはスパイクのヒモからつま先までの長さだ。

    「この距離でヒモを締めたときの圧迫感やフィット感が変わるんですよ。ここが長かったり、斜めになっていたりすると自分の感覚からすると難しい。この長さのバランスが良いんですよね」

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    ■足が「空中」にある時の感覚

     繊細な技術を武器とする渡邊らしい独特の解説は続く。

    「中学生のときもこの系統のスパイクを履いていたんじゃないかな。足を入れたときに『あ、これだよな』という感覚があるのが一つ。あとポイントの高さも良いんですよ」

     渡邊の重視するキックのインパクトでも重要だと言うが、もう一つ大切なのが「足が空中にあるとき」の感覚だと言う。

     「走るときもそうなんですけど、特にボールを止める時ですね。そのとき、片足は足が浮いていますが、この足が浮いているときのフィット感が一番大事。このスパイクはそこが凄く良いんです」

     かかとのホールドとフィット感はスパイクを作る側がこだわった要素でもあり、渡邊の感覚とも合致する。「ボールタッチの感覚にこだわる僕に向いているスパイク」と言うのも納得だ。

    「もう常に周りにはこのスパイクいいよと勧めているくらいなんですよ。もちろん、いろいろスパイクがあって、合う・合わないはあると思うんですけど、フィット感にこだわる選手はぜひ一度は試してほしいですね」

     お気に入りの宝物を紹介するような熱いスパイクトークは、演技では出せない確かな熱を帯びていた。

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