Pep Guardiola Man City Fabio Capello GFX 16:9GOAL

ペップが輝かしきバルセロナと冷徹なマンチェスター・シティによってサッカーを「台無しにした」?「サッカーを殺した」というカペッロの主張は真実なのか

ローマの元監督ファビオ・カペッロは、ローマの練習場であったトリゴリアで共に過ごした短い間、ペップ・グアルディオラに対して特に良い思い出はないと言った。「彼は私の仕事についてどうすべきかを私に伝えに来た」と、カペッロはスペインの日刊紙『エル・ムンド』でのインタビューで語っている。「だから私は彼に『走ってきてから話せ』と言った。それっきりだ」。

だが、実際にはそうではなかった。カペッロとグアルディオラは、後者のサッカー哲学をめぐって今日に至るまで衝突し続けている。

「私がグアルディオラの何を嫌っているか分かるかい?」と、カペッロは続けた。「彼の傲慢さだ。彼が大事な試合で奇策を試さなかったのは、(2023年に)(マンチェスター・)シティで制したチャンピオンズリーグだけだ」。

「しかし、それ以外の年はすべて、マンチェスター・Cやミュンヘンで、彼は重要な試合の日に常に主役になりたがっていた。彼は状況を変え、何かをでっち上げて、『勝つのは選手ではなく、私だ』と言いたかったのだ。その傲慢さのせいで、彼は何度もチャンピオンズリーグ制覇を逃している。私は彼を尊敬しているが、私にとって、これは明白なことだ」。

「もっと言えば、たとえもはや彼の責任ではないとしても、彼はサッカーに多くの害を与えてきた」。

確かにカペッロの言葉には個人的な見解が絡んでいるが、カペッロ以外にも、グアルディオラがサッカー界にとって良いことばかりを与えてきたという広く信じられている考えに異議を唱える者はいる…

  • Barcelona´s coach Josep Guardiola (L) ceAFP

    輝かしきペップのバルセロナ

    マンチェスター・シティにおけるグアルディオラ監督の功績については、財政的な観点からその是非が長らく議論されてきたが、彼が率いたバルセロナは、ほぼ例外なく史上最高のチームのひとつ――最高のチームそのものとは言えないまでも――であるとみなされている。そして、主力のMFだったチャビが指摘したように、それは「すべてを制覇したからだけではなく、そのやり方に基づく」評価である。

    本人が常に認めているように、グアルディオラは、わずか2年前にチャンピオンズリーグを制覇したカルレス・プジョル、チャビ、アンドレス・イニエスタ、そしてもちろんリオネル・メッシのいるチームを率いる幸運に恵まれた。

    しかし、バルサの前代未聞の成功における彼の役割は、決して過小評価できるものではない。グアルディオラは、サッカー史上最も才能ある選手たちの能力を最大限に引き出すプレースタイルを導入したのだ。

    バルサはただボールを巧みにキープするだけでなく、ボールを奪取することにも果敢な努力を傾けていた。そして、ポゼッションとプレッシングの絶妙な組み合わせが、バルサをほぼ完璧なチームにしたのである。

    実際、2010年のカンプ・ノウでレアル・マドリー相手に5-0で圧勝した試合は、すべてのスポーツにおける傑作のひとつであり、トータル・フットボールの最も素晴らしいデモンストレーションのひとつであった。世界中のほぼすべての監督が「ティキ・タカ」の再現に躍起になったが、ペップに関する「問題」が始まったのは、おそらくここからだったろう。

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  • Manchester City FC v Brighton & Hove Albion FC - Premier LeagueGetty Images Sport

    「グアルディオラがサッカーを殺した」

    パトリス・エヴラは、バルセロナの素晴らしさを2度も目の当たりにした。フランス代表のサイドバックだったエヴラは、マンチェスター・ユナイテッドの選手として、2009年と2011年のチャンピオンズリーグ決勝でバルセロナに屈辱的な敗北を喫したのである。

    彼はまた、過去10年にわたって、グアルディオラ監督のマンチェスター・Cが自らの古巣の牙城を崩し、イングランドサッカー界の覇権を握っている現状を見せつけられるというフラストレーションに耐えてきた。グアルディオラに対する自分の意見は偏見に基づくものだと非難を受ける可能性があることも理解している。

    それでも、エヴラは「グアルディオラは史上最高の監督のひとりだと思う」としながら、その「同じことの繰り返しで、パターン化された攻撃の戦略によってサッカーを面白くなくした」と主張している。

    「私がそう言うのは、今やサッカー選手たちがロボットになってしまったからだ」と、チャンピオンズリーグ優勝を誇るエヴラは『リオ・ファーディナンド・プレゼンツ』で説明した。「誰もがグアルディオラのようにプレーしたいと思っている。GKまでが背番号10でなければならない!」。

    「誰もが素晴らしいプレーをしたいと思っているが、このティキ・タカはグアルディオラにしかできない。それなのに、みんな彼の真似をする。我々は創造性を失ってしまった。もう、どこにも天才がいなくなってしまった」

    「ロナウジーニョのような選手は二度と現れないだろう。彼が若い頃、監督が彼に何と言ったか知っているか? 『ボールをパスする気がないなら、君はずっとベンチだ』と言ったんだ。サッカーはすべてストリートから生まれたというのに」

  • FBL-EUR-C1-MAN CITY-REAL MADRIDAFP

    華麗な選手は不要なのか

    エヴラのロナウジーニョについての言及は要点をついていると言えよう。たとえ、2008年夏にグアルディオラがバルセロナの監督に就任した直後、かのブラジル代表選手をバルセロナから追い出したという伝説は両当事者によって否定されてきたとしても。

    実際、あの華々しく予測不可能な選手が、グアルディオラがカンプ・ノウで築いた厳格な組織の中で成功を収めるとは想像しにくいことである。

    現代サッカー界で同じく異色の存在であるズラタン・イブラヒモヴィッチも、バルサの学校のような組織の中で居心地の悪さを感じ、窮屈に思っていたに違いない――メッシのようなラ・マシアの卒業生たちはすでに慣れていたとしても。そしてグアルディオラは、自由奔放な選手たちと仕事をしたくないのではないかという批判につきまとわれ続けている。

    その典型的な例として挙げられることが多いのがジャック・グリーリッシュだ。典型的なウイングであるグリーリッシュは、マンチェスター・Cの三冠達成に少なからず貢献したかもしれないが、現在は明らかに精彩を欠いており、以前の所属クラブであるアストン・ヴィラで見せていたようなスリリングな才能はもはや感じられない。

    グリーリッシュはプロ意識の欠如が明らかで、そのせいで退化しているのは間違いないが、グアルディオラも、才能ある個人に、その才能を全体の利益のために最大限に発揮するよう指導したとして、かなりの批判を受けた。

  • Bayern Munich v FC ValenciaGetty Images Sport

    「魔法やファンタジーが少なくなった」

    だが、保守派が好む「トレクァルティスタ(1.5列目)」がいなくなったことをグアルディオラのせいだけにするのは、あまりにも不公平だろう。

    マンチェスター・Cの監督の下でも、ケヴィン・デ・ブライネやベルナルド・シウヴァといった素晴らしい攻撃的MFは活躍している。彼らは過去の背番号10よりはハードワークを強いられているかもしれないが、それは過去15年間のサッカーの変化の産物でもある。

    同じく素晴らしいサッカー選手であり、グアルディオラのお気に入りでもあるチアゴ・アルカンタラが『ガーディアン』紙に語ったように、テンポやリズムが以前とは違っているよりスピードが増し、よりフィジカルになった。背番号10の選手はほぼ姿を消した。サッカー選手はより多く、より速くプレーするようになったため、魔法やファンタジーが少なくなった」。

    「違いを生み出す選手、『息をするようにサッカーをする』選手がいなくなった。かつてはスピードがなくても、素晴らしいテクニックを持った司令塔にはチャンスがあったものだが、今はそうはいかない」。

    若い選手たちは、ますますフィジカルと運動能力が求められるようになっているが、グアルディオラのバルサが必ずしも長身選手ばかりのチームではなかったことを考えると、こうした戦略の変化についてグアルディオラが責任を問われることはほとんどないだろう。

    それどころか、メッシをはじめとする選手たちは、入念に練習した動きを実行することで、体格やパワーで勝るチームに勝つだけでなく、それらのチームを圧倒することも可能であることを証明した。これは、グアルディオラが現れる前にジョゼ・モウリーニョやラファ・ベニテスが繰り広げていた「棒に刺さったク*」のようなサッカーに嫌気がさしていた多くのサッカーファンにとって、非常に喜ばしい戦略であった。

  • FBL-UAE-SPORTS-CONFERENCEAFP

    「10年間、誰もが彼を真似ようとしていた」

    しかし、カペッロは、バルサが時代を定義するような活躍をしたことで、特にスペインとは全く異なるサッカー文化を持つイタリアのような国で、グアルディオラの指導方法を模倣するコーチがあまりにも多く生み出されたと主張している。

    「10年間、誰もが彼を真似しようとしていた」と、ACミランの元監督は『エル・ムンド』紙に語った。「イタリアサッカーは本質を見失い、崩壊してしまった。私は言った――『やめろ、ここにはグアルディオラの選手はいないんだ!』と」。

    「上手にプレーすればそれでいいという馬鹿げた考えもあった。(それは)大惨事であり、また、退屈(の源)でもあり、多くの人々をサッカーから遠ざけた」

    「ハイライトだけ見ればいい。戦わず、走らず、横パスばかりの試合を90分も見る必要があるかって…」

    ホルヘ・バルダーノは、カペッロとは対照的にグアルディオラとその仕事ぶりを高く評価しているが、彼もまた、ティキ・タカとの関係を否定できない均質化の進む憂慮すべき時代になっていることを認めている。

    「アカデミーは平均的な選手を向上させるが、ユニークな選手の成長を妨げる」と、ワールドカップ優勝者のバルダーノは言う。「今は誰もが同じトレーニング方法を行っているワンタッチやツータッチが過剰に用いられ、これまでサッカーをエキサイティングなものにしていた、フェイントやドリブルなどの予測不可能な瞬間が失われている」。

    もちろん、サッカーのある種の美学の質に関していえば、美の基準は見る人によって大きく異なるものだ。

    0-0こそ完璧な結果であるというアニバーレ・フロッシの有名な主張に同意するサッカーファンは世界中に多くおり、そういう人々は、ペップの選手たちがそのパス回しでマンチェスター・ユナイテッドを混乱させ「目を回させる」姿よりも、カンプ・ノウでのジョゼ・モウリーニョの守備的な妙技のほうに多くの喜びを見出だしている。

  • Italy v Argentina - Finalissima 2022Getty Images Sport

    「マークの仕方がわからないDF」

    しかし、ある種の戦術の変化が試合や選手たちに影響を与えるのは間違いなく、伝説的センターバックのジョルジョ・キエッリーニが、彼が「グアルディオリズム」と呼ぶものが「多くのイタリア人DFをダメにした」と考える理由もそこにある。

    「彼らはプレーの調子をどう設定するかは理解しており、ボールを散らすこともできる」と、ユヴェントスの象徴は認めた。「だが、マークの仕方を知らないんだ」。

    「私が若い頃は、マークする相手の特徴をつかむために繰り返し練習したものだ。しかし、今では、クロスボールがあがった時、イタリア人DF――私が語れるのはイタリア人DFについてだけだが――敵チームの選手のマークをしていない」。

    「これは非常に残念なことだ。なぜなら、イタリアのDNAが少し失われつつあり、世界でイタリアを卓越した存在にしていた特徴の一部が失われつつあるからだ。しかし、我々がスペインのティキ・タカをプレーすることは決してできないだろう。なぜなら、あれは我々の哲学の一部ではないからだ」。ただし、グアルディオラは、彼らに自分の哲学を受け入れるよう求めたり、強制したりはしなかった。

    彼が就任した際の唯一の目標は、カンプ・ノウでの試合に勝つことだった。つまり、他国の人間に影響を与えることではなかった。また、グアルディオラ自身がオランダのヨハン・クライフの弟子であることを忘れてはならない。また、アルゼンチンのマルセロ・ビエルサなどからも多くを学んでいる。

    確かに、試合の進め方については、とりわけ即興性の低下という観点において、懸念があるのはもっともだ。グアルディオラが最近のサッカーの進化において主導的な役割を果たしてきたことは間違いない。

    しかし、そこが重要な点である。サッカーは常に変化しており、あらゆる行動には遅かれ早かれ何らかの反応が生まれる(例えばユルゲン・クロップの「フルスロットル・サッカー」など)。過去1年間の状況だけを見ても、偉大なるグアルディオラでさえ、ますます大胆かつダイレクトなプレーをする対戦相手に対応することを迫られる可能性があることを示す十分な証拠がある。

    したがって、イタリアや世界中の多くの新進気鋭の監督たちが彼のメソッドを学ぼうとしたのは、決して彼の「失敗」ではない。むしろ、これは彼の最も素晴らしい功績である。模倣とは、まさに最高の賛辞である。良くも悪くも、このカタルーニャ出身監督ほど模倣された監督はいないのだ。