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脱税、麻薬、暴行、放火、殺人…犯罪・逮捕歴を持つサッカー選手たち

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    脱税、麻薬、暴行、殺人…。サッカー界とは無縁に思える極悪犯罪だが、実はこれまでにいくらかのプレーヤーがこうした犯罪と密接な関わりを持ってきた。

    今回『Goal』では過去に犯罪歴・逮捕歴があるサッカー選手を特集する。
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  • GFX Peter Storey Taxi DriverGetty Images

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    ピーター・ストーリー

    後に「スニーキー・ピート」とあだ名されるまでになったピーター・ストーリーは、ガナーズ(アーセナルの愛称)に1961年に加入。ユース時代から所属したこのクラブに1977年まで在籍した。アーセナルのユニフォームをまとって391試合に出場し、1971年には2冠を達成した。しかし、キャリアを終えたストーリーは、誤った道を進んでしまう。

    売春宿を設立し、車の窃盗に手を染め、マニアックなポルノ作品を輸入し、金貨や紙幣を偽造した。しかし偽造の腕で警察を欺くことはできず、1980年に逮捕されてしまった。彼には懲役3年が言い渡された。
  • Mickey ThomasGetty

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    ミッキー・トーマス

    トーマスはユナイテッドやチェルシーでプレーした選手だ。しかし彼のキャラクターはいつでもエキセントリック。奇怪な振る舞いは70年代から80年代にかけてのプロサッカー選手の典型的な一面であった。学校教育も満足に受けられず、庇護を受けるのに十分な稼ぎが家庭になかったのだ。

    「俺の体には悪魔がいた」とトーマスは語ったことがある。しばらくの間橋の下での寝泊まりを余儀なくされたり、スタンフォード・ブリッジの更衣室に女性を忍び込ませたり、貨幣偽造で1年半服役したりもした。
  • Ronnie Wallwork - Manchester UnitedGetty

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    ロニー・ウォルワーク

    マンチェスター・ユナイテッドで成長したディフェンダーは、レッドデビルズで2001年のリーグ優勝を経験。しかし、それ以前にサッカー以外でも紙面を飾ってしまったことがある。

    1999年、彼は仲裁人の首を絞めたため、裁判所が解除するまでは無期懲役を言い渡されていた。引退後も同じ道をたどってしまったウォルワークは、自動車部品の違法取引によって2011年から15ヶ月間服役した。
  • Rafael Marquez Barcelona Champions LeagueGetty

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    ラファエル・マルケス

    17歳でメキシコ代表デビューを飾り、ヨーロッパでも偉大なキャリアを築いたマルケス。非の打ち所もない功績が崩れ始めたのは、MSLのニューヨーク・レッドブルズに移籍したときのことだ。

    リーグの半分を欠場し、2016年に帰国したマルケス。そこにアメリカの当局が現れ、麻薬王ラウル・フローレスとの麻薬取引に関与した疑いで告発。彼は全てを否認している。
  • Suleyman Koc SC Paderborn 08242015Getty

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    スレイマン・コチ

    トルコ系ドイツ人のコチは2010年、3部リーグのバーベルスベルクに加入したが、2011年には選手としてのキャリアを中断することになった。いくつかの強盗事件に関与したとして警察に逮捕されたのだ。

    運転手として幇助した罪によって2011年、3年9ヶ月の実刑判決を受けた。2年後には早々に釈放され、セカンドチャンスを得ることが出来た。その後ブンデスリーガのパーダーボルンでもプレーした。
  • Sanel Kuljic - AustriaGetty

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    サネル・クリッチ

    オーストリア3部と2部リーグの経験を経て、2005年に1部リーグのクラブに加入し代表選手にもなったクリッチ。しかし2014年、衝撃が走った。グラーツでオーストリア最大の八百長事件の裁判が始まったのだ。

    クリッチとその他7人の容疑者は18試合の八百長について供述し、5年の実刑判決を受けたが、3年半で釈放された。しかし彼はその後コカインの密輸に関わり、2019年にまたもや裁判所のお世話になった。
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    アンドレアス・ザッセン

    HSVに在籍したザッセンは、とにかくスキャンダラスな人生を送った。ハンブルクでは、リーパーバーンではしご酒に興じたのち、トルコ人タクシー運転手を殴った。これによって彼には「ウォッカ・アンディ」というニックネームがつけられ、罰金をたんまり払うことになった。

    彼のスキャンダルはこれで終わりではなかった。その後、妻が出産したばかりだったにも関わらず、SGヴァッテンシャイト09の合宿中にバーテンダーを連れて逃走。その後ガス銃でパブを襲撃した。アルコール依存に苦しんだザッセンは2004年に脳梗塞で死亡した。
  • Adriano InterGetty

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    アドリアーノ

    彼が歴代最高クラスのストライカーになるポテンシャルを持っている選手だったことには異論はないだろう。しかし、彼の精神面と、ピッチ外でのスキャンダルのせいでそんな未来も台無しになってしまった。

    2014年にはドラッグ売買に関わった可能性を指摘され法廷に立った。最大で懲役15年を言い渡される可能性もあった。また、クラブの前で同伴者の手を撃ったという噂についても捜査されていた。
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    ロナウジーニョ

    キャリアを通じてスーパースターだったロナウジーニョ。しかし、引退後の転落人生は2020年、パラグアイの刑務所でクライマックスを迎えた。ロナウジーニョと兄はパスポート偽造の罪により国境で逮捕されたのだ。

    この旅は、どうやら無名の起業家ダリア・ロペスの計画によるものだろうと言われている。当局によると、彼は脱税やマネーロンダリングに関与しており、ドラッグの密輸にも関与している可能性があるという。

    弁護士によると、ロペスはフットボール・レジェンドに、パラグアイで会社を設立し、税金を節約しようと持ちかけ勧誘したとのこと。ロペスは160万ドルの保釈金で保釈されたが、自宅監禁中だ。

    ロナウジーニョ自身は当時、すでに祖国ブラジルで係争中であった。2018年末、環境汚染に対する220万ユーロの罰金を払わなかったことで、パスポートを無効化されていたのだ。
  • 2018-06-27 Maradona DiegoGetty Images

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    ディエゴ・マラドーナ

    歴代最高クラスの輝かしいフットボーラーであったマラドーナだが、歩くスキャンダルとしても有名だ。1991年にはコカイン所持と流通に関与したとして14年間の執行猶予処分を受けた。

    1994年には、空気銃で記者を撃った。判決は2年(執行猶予10年)。2001年にはイタリアの税務当局が4000万ユーロの脱税疑惑について係争を起こしている。彼は何度か脱税を告発されたが無罪となっている。
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    アルダ・トゥラン

    トルコの国民的ヒーローとして一時はもてはやされた、ガラタサライのキャプテン。アトレティコでは「みんなのダーリン」と呼ばれ、バルサではスター集団の一員にもなった。しかし、そこでうまく行かなかったトゥランは道を踏み外してしまった。

    2018年、トゥランはイスタンブールのナイトクラブでポップ歌手のベルカイ・シャヒンを暴行。ベルカイの妻を性的に誘ったことが原因とされている。トゥランはシャヒンの鼻を折り、病院送りにした上、銃で脅迫したという。

    銃弾も放ったと言われている。トゥランは銃の違法所持と脅迫罪によって32ヶ月の執行猶予処分となった。セクシャルハラスメントの疑いについては無罪となっている。
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    リオネル・メッシ

    脱税の罪で、このスーパースターと父でありアドバイザーのホルヘに21ヶ月の執行猶予と370万ユーロの罰金が言い渡された。

    この父子は、合計416万ユーロを架空の企業に移し、2007年から2009年の間に脱税したと言われている。メッシは容疑を否認。「サインはしたが、契約内容は一切見ていない」と言っている。

    控訴の末、両者は25万ドルという軽度の罰金を払って逃げ切った。この一件があったことで、スペインやバルサを離れるという考えを持つようになったと語っている。
  • Cristiano Ronaldo Juventus 2020Getty

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    クリスティアーノ・ロナウド

    メッシと同様にC・ロナウドも脱税で告発された。こちらは「広告イメージ」の権利を使ったやり口だ。しかし、ライバルとは違って、執行猶予なしで逃げ切ることはできなかった。

    結局彼は判決を受け入れ、23ヶ月の執行猶予判決を受けた。C・ロナウドは自身の写っている広告写真の権利をイギリス領バージン諸島にある企業に移管したのだ。

    すべての広告収入がスペインからカリブ海に移動したことになる。何を隠そう、その企業のオーナーはC・ロナウド自身だったのだ。
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    ネイマール

    ネイマールは、フットボーラーで第3位の高額脱税者だ。2015年に行われた捜査の結果、3130万ユーロの資産が凍結された。2011年から2013年の間に彼の肖像権を使って脱税が行われたのだという。

    メッシやC・ロナウドとは対象的に、この裁判はまだ進行中だ。司法はこのブラジル人の罰金支払いを延期することを5月に決定。イレギュラーな状況が起こっているためだという。
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    ジャンルイジ・ブッフォン

    5回も世界一のGKに輝いたという、絵に描いたような功績を持つブッフォン。フットボール界の紳士とみなされており、ユヴェントスの象徴的存在でもある。しかし2012年、スポーツ賭博の中心人物となってしまった。

    2010年1月から9月の間に、彼の講座から150万ユーロの支出があった。受取人はスポーツ賭博を営むパルマのタバコ屋であった。

    しかし、八百長の事実は認められなかった。この件については、スポーツ賭博愛好家のブッフォンがイタリアで行われた試合や、UEFAとFIFAが主催する国際試合に賭けたかどうかだけが争点だったのだろう。
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    ブレノ

    バイエルンで最も悲劇的な末路をたどってしまった選手の一人だ。このブラジル人は至宝の選手と高く称賛され、FCサンパウロから1200万ユーロの移籍金でミュンヘンにやってきた。しかし、膝にひどい怪我を追ってしまい、偉大なキャリアを描くことができなくなってしまった。

    ブレノはアルコールに溺れ、鬱になった。そして2012年、自身の借家に火を放ってしまった。アルコールの影響下にあったが、治療の最中だったという。3年9ヶ月の実刑判決を受けた。

    2013年、判決より早く出獄したブレノは、FCBユースでコーチを務めながらリハビリを終え、ブラジルのサンパウロに戻ることになった。そこで彼は再び選手としての強みを幾分取り戻すことができ、今はヴァスコ・ダ・ガマでプレーしている。
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    ブルーノ・フェルナンデス

    ブラジルのネクスト・スーパースターとして注目されたこともあるブルーノ。2009年にはフラメンゴで優勝を経験し、FCバルセロナやACミランが興味を示していた。しかし事態は全く異なる方向へ進むことに。

    このキーパーはパーティーで若い女性を妊娠させた。この女性が後に事実を盾に彼を脅迫し、生活費を要求したのだという。結局、ブルーノは女性を殺害。22年の実刑判決を受けた。

    7年の服役後、2017年に突然釈放された。この判断は見直される予定であるものの、2019年に公の場に出たブルーノは2020年、4部リーグのクラブに新天地を見出すことになる。
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    ハリー・マグワイア

    マンチェスター・ユナイテッドのキャプテンは、今夏ギリシャでバケーションを楽しんでいた。正確に言えば、ギリシャのミコノス島だ。そこで彼と兄弟は他の旅行者グループと殴り合いの喧嘩になったのだという。

    マグワイアは逮捕され、傷害と、警官への暴行、そして贈賄未遂で21ヶ月の執行猶予を言い渡された。このセンターバックは警官へ贈賄を試みたと言われているが、自身は無罪を主張している。
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    ルイス・スアレス

    このウルグアイ人は2021年まで契約があるにも関わらず、バルサからの移籍を主張していた。ユヴェントスは彼を欲しがっており、彼自身もユーヴェへの移籍を望んでいた。完璧な状況に思えたが、セリエAはクラブに対しEU外の外国人選手の登録を2人までと制限している。

    そこでスアレスはイタリアの市民権を申請しようとした。最後のハードルは言語のテストだった。そこで彼はペルージャの大学で試験結果をごまかそうとしたという。そこにガサ入れが入った。検察官がこのスターを捜査していたが、結果的にスアレスはアトレティコ・マドリーへの移籍を決断している。